日本中、どこに行っても見掛けるもの(単に「もの」と言っては失礼かも知れませんが)の一つにお地蔵様があります。寺院に祀られている地蔵菩薩を始めとし、石で作られ、街なかの立派な祠に鎮座されたもの、路傍にぞんざいに据えられたもの、墓地の入り口に鎮座する「七地蔵」など様々です。
このように私たちの身近にある「お地蔵様」ですが、多くのお地蔵様が赤い涎掛けを着けられています。寒さが増してくる頃には、マフラーやマント、ベレー帽などを着けたお地蔵様を見掛けるようになります。昔乍らの菅笠や手甲脚絆をつけたものもあります。
お地蔵様に涎掛けを着けたり、その他の様々な着衣を着けたりするのは、近所に住む人々によるものだと思いますが、宗教的信仰心であれ、単にお人形さんに対するのと同じ思いからであれ、そうした人々の優しい心根を見せてもらった、そんな暖かい気持ちになります。
とはいえ、“涎掛けを着けるのは何のため”なのか。そして、そのようなことをされる“お地蔵様とは何なのか”少し気になります。
『涎掛けはなんのため? お地蔵様ってなに?』に少し迫ってみたいと思います。
お地蔵様は正式には「地蔵菩薩(じぞうぼさつ)」と言います。サンスクリット語では「クシティ・ガルバ」と言います。
クシティ・ガルバは仏教の信仰対象である菩薩の一つです。クシティは「大地」、ガルバは「胎内」とか「子宮」とかの意味だそうです。
大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々を無限の慈悲の心で包みこみ、救うことから名付けられたとのことです。
民間では「子供の守り神」として信仰されてきたようです。
釈迦が入滅し、弥勒菩薩が出現するまでの56億7000万年の間における、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道の六道を輪廻する衆生(しゅじょう:生きとし生ける物)を救う菩薩とされています。
わが国では平安時代以降、浄土信仰が表すところの“極楽浄土”に往生できない衆生は、必ず地獄へ堕ちると信じられるようになり、地獄での責め苦からの救済を地蔵菩薩に求めるようになったようです。
賽の河原で獄卒(地獄の鬼)に責められる子供を地蔵菩薩が守るという民間信仰から、子供や水子の供養に地蔵菩薩をお祀りするようにもなったと云われています。
また、路傍に多くの石像が祀られているのは、道祖神と習合したためと云われています。
西日本では、寺院に祀られている地蔵菩薩ではなく、道祖神信仰と結びついた路傍あるいは街角の地蔵を対象とした、旧暦7月24日までの3日間を子供の祭りとした『地蔵盆』が行われています。子供たちがお地蔵様のところに行くと町内の世話役がいて、お菓子のお捻りをくれます。よその町内の子にも分け隔てなくお捻りをくれます。大人達が子供たちの成長を見守り、支援する姿がそこにあるように思います。
赤い涎掛けをした馴染みのお地蔵様は水子供養から始まっているようです。
地蔵和讃にこんな表現があります。
♪
親より先に死んだ子は
賽の河原にて石の塔を作っている
鬼がやってきては積んだ石を取り壊し
肉親の供養が足りないといびる
泣く子を哀れんだお地蔵様は
私を親だと思いなさいと抱きしめた
♪/
(サンスクリット語の「梵讃」、漢語の「漢讃」に対し、日本語を用いて褒め称える讃歌を和賛という)
流産や中絶した赤ん坊の供養に、あの世で苦労している赤ん坊の救済に、と両親が亡くした赤ん坊を水子地蔵に託す。そして、髪が無いお地蔵様の姿が赤ん坊に重なって見えるのでしょう。
お地蔵様に涎掛けをかけるのは、地蔵像を赤ん坊に見立ててのことだろうと思われます。
弱者である赤ん坊に見立てたお地蔵様を庇護しようと、愛情を持ってお世話するという逆転の現象ではないでしょうか。
生まれたての子供のことを、赤ちゃん、赤ん坊、赤子など、『赤』という色で表現します。
赤は太陽の色であり、生命の起源を表しているとのことで、地蔵の赤い涎掛けは水子の再生の可能性を表すとも云われています。