白雲去来

蜷川正大の日々是口実

年末雑感の2。

2024-12-26 12:05:43 | 日記

12月25日(水)晴れ。

昨日は、世の中を斜に構えて生きていた若い頃のことを書いてしまった。ちょっと反省している。

今日も良い天気である。午前中は自宅の片づけをした。天気が良いだけで何か得をしたような気持になる。最近は朝食を取らないので昼食は、買い物ついでに、久しぶりに馬車道の勝烈庵へ行った。昼時だったので、二組待ち。ロースかつ定食。1980円に1個550円のカキフライを4個。心なしかカツが以前より薄くなり、値段も上がったような気がする。カキフライも美味しいのだが、1個550円か・・。お会計は、二人分で6160円。美味しいけれど、一人3000円のランチ、いい値段だ。

食後は、みなとみらいにあるニトリで、テーブルクロスや、小物を入れるワゴンやフェイスタオルなどを購入。テーブルクロスやランチョンマット、フェイスタオルなどは大晦日にそっくり取り換える。新年は、そういった新しいもので、顔を洗い食事をする。クリスマスなどよりも、新年を迎えることのほうが、私にとっては大事な年中行事である。

夜も、豚肉を使って「豚しゃぶ」。自宅の近所に、カトパンとか言う女子アナの嫁いだ方がオーナーのスーパーがある。肉がそこそこ安いので、繁盛している。そこでイベリコ豚を買った。昆布と高知のかつお節をたっぷり使って出汁をとった。良い匂いが部屋に充満する。サラダは、キャベツの千切りに、ニンニクをつぶして、多めのオリーブオイルで揚げたものを、熱々のままキャベツにかける。好みで塩コショウ。豚しゃぶは、「金のゴマダレ」にラー油を少し入れて食べる。野菜は、レタスにほうれん草、長ネギ。〆は「五島うどん」。デザートは、青森県のリンゴ品評会で最高賞に輝いた、黒石市のリンゴ。社友から頂いたものだ。食べる前に、そのリンゴを1,2個玄関に置いて置く。ヘタな芳香剤より良い香りがする。

案の定、紀州のドンファンの妻が、検事控訴を受けた。殺されたのか、事故死なのかは分からないが、亡くなられたにもかかわらず、こんなに同情されない人は珍しい。「似たもの夫婦」という言葉がある。違った意味で、この人たちに当て嵌まる。まあどうでも良いか。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クリスマスに、思い出はない。

2024-12-25 17:37:46 | 日記

12月24日(火)晴れ。

クリスマスイブか・・・。と言っても若い頃と違って何の感慨もない。5,6年前まで友好団体の忘年会が二子玉川駅の近くのレストラスで行われ参加していた。駅の周りには、この時期にはクリスマスのイルミネーションが煌びやかに灯り、道行く人たちが皆、幸せそうに思えたものだ。

高校生の頃に、二子玉川の手前の上野毛駅近くにあるドライブインでアルバイトをしていたことがあった。当時は、東横線で自由が丘まで行き、そこで乗り換えてから上野毛で下車。多摩美術大学の前を過ぎると「タマリバー」というドライブインがあった。自由が丘に早く着くと、駅前にあった古書店に行き暇をつぶしたり、お金がある時は駅の近くにあった「5スポット」というジャズ喫茶に入った。今ほどではないが、クリスマスの季節になると自由が丘駅周辺は、ジングルベルなどが流れていたりして、クリスマスの雰囲気を醸し出していたが、ガールフレンドどころか、金もない高校生の私には、クリスマスのなどを楽しむ余裕などなかった。

後年、玉川高島屋の道路を隔てた前にあった「菩提樹」というレストランが好きで通った。地下に続く壁には日本鋼管の溶鉱炉の煉瓦が使用されていたり、椅子が日本商工会議所の椅子だったりで凝った造りのお店だった。書画骨董がお店のインテリアとなっていて中国の思想家で日本に亡命した胡蘭成の書があったことを覚えている。エビフライが特大で感激したものだ。このお店もまだあるのだろうか。

20代の前半のクリスマスの夜に、「亡国憲法解体」というビラ貼りをしていて、パトカーに捕まったことがあった。まだ、ゆるい時代で、「こんな夜中にビラなんか貼っていないで、早く帰りなさい」と説教だけで許してもらった。糊の入ったバケツを持ちながらの帰り道、ちょっと切なかったが「俺の恋人誰かと思ふ。神の造りた日本国」という、三島先生と共に自決した森田必勝烈士の愛した歌をつぶやきながら、クリスマスの夜にトボトボと帰ったことを覚えている。※昭和49年頃に学純同の大場俊賢先生より共同で作って頂いたポスター。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨を見たかい。

2024-12-24 14:58:57 | 日記

12月23日(月)晴れ。

若い頃に流行ったCCRの「雨をみたかい」という歌がある。そういえば随分と雨が降らない。日記帳を見ると11月22日が最後で、もう一ヵ月以上雨を見ていない。冬の日の雨は、寒い中に降るから好きではないが、雨を必要としている仕事の人もいるだろうに、とかくこの世はままならない。

野村先生の句に、「風花や 妻子への思慕すぐに消す」というものがある。その「風花」とは、青天の時にちらつく雪のこと。雪片が桜の花びらのように空に舞うところからこの言葉が出来たのだろうが、気象的には、遠方の山岳付近に風雪が起こっていて、それが上層の風に送られて、風下の山麓の地方に飛来するのだという。横浜などでは、あまり遭遇することはないが、何年か前の冬、伊豆高原に断食に行った折に、その風花をみることがあった。前にも書いたが、雪を「美しい」などと言ったら、新潟や東北で雪と格闘している人達に申し訳ない。

昨日の産経新聞の書評にあったのが『日米史料による特攻作戦全史』という本。産経書房編集班による今年のノンフィクション部門で1位になった本だ。出版されたときから気になっていて、入院する際に病室で読もうかと思って書店に行ったら置いてなかった。書評を読んで、迷っているが何せ6820円もする。年の瀬に来て本に1万円近くはとちょっとためらっている。

先の大戦で米艦艇が受けた旧日本軍のカミカゼ攻撃」の全容を記した。特攻を受けた米艦艇の様子や艦艇ごとの損傷状況・戦死者数・負傷者数などを記録。特攻作戦について、体当たり成功率なども用いて分析した上で貧弱な国力をはるかに上回る成果を得られることを日本軍は実証したこと評価し、旧日本軍がなぜ敗戦を覚悟しながら特攻を続けたかを読み解いている。特攻機がやみくもに体当たりしたのではなく、目標や戦術があったことが分かる。(産経書房編集班)
 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年末雑感。

2024-12-23 11:58:26 | 日記

12月22日(日)晴れのち曇り。

朝トイレに行く時に、ついでにリビングの暖房をつける。そして再び布団に入って後10分、後10分とだらだらして、暖房が効いて来たころにリビングで着替えを済ませる。こんな寒い時に朝から会社に行ったり、働いている人たちに、すまん、すまん、オスマンサンコン。と心で詫びて、もう何年も盟友から贈って頂いている「タピポ茶」を飲みながら新聞に目を通す。このお茶のお陰で、恙なく暮らしている。

取っているのは『産経新聞』のみ。楽しみにしているのは「朝晴れエッセー」と元巨人軍の張本勲さんの「話の肖像画」。家にお風呂がなかった小学生の低学年の頃。銭湯に行くと競って下足番の「3番」に入れた。もちろん長嶋茂雄さんの背番号である。そこが埋まっていると、王選手の「1番」か川上哲治さんの「16番」。全部埋まっているとがっかりしたものだ。張本さんの「話の肖像画」を読んでいて、ふとそんなことを思い出した。

過日、横浜の「アメ横」と言われている松原商店街へ行った。八百屋でなるべく細いネギを探し、あれば買う。細くなければだめで、余り細いと売り物らならないのかめったに出会うことがない。2センチぐらいに切って、串にさし、塩コショウをして焼く。焼き鳥屋の「いかだ」である。なぜかこれが好きだ。後は「魚孝」でマグロ。見ても分からないので「3千円分」といって買う。当然当たりはずれもあるが、自分が分からないのだから仕方がない。この時期には、マグロの他にタラバガニ、ズワイガニがドカンと並べられている。なるべく目を合わせないようにして店を出る。飲み屋のお金は躊躇せずに払うのに、一肩1万4千円、5千円の値段を見ると、ためらってしまう自分がいて、忸怩たる思いにかられながら店を出る。

年末、商店街に買い物に行くと、幼い頃に母のお供をして、京急の南太田駅に近い、「ドンドン商店街」に行ったことを思い出す。今のように、大晦日や元旦からでも開いている大型スーパーやコンビになどない頃だから、地元の商店街が買い物の主流だった。おせち料理の素材、和菓子屋に頼んでおいたお餅、野菜類やみかんなど、両手に一杯持って家に帰った。母の役に立っているということが、チョッピリ嬉しく、歩いて二〇分ほどの道のりだったが、母の笑顔が、今でも浮かぶ。この日ばかりは、狭いアパートの中が、食料で溢れて、子供心にも、何か幸せな満ち足りた思いがしたものだ。今では、その商店街の面影もない。

夜は寒いので、寄せ鍋の〆に頂き物の「五島うどん」を入れて食べた。ふと熱燗が飲みたくなって、やはり頂き物の「栄川」を温めて時代物の「ぐい吞み」を使って飲んだ。亡くなられた阿部勉さんの顔が浮かんだ。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログやXが更新されずにいる。

2024-12-22 12:07:38 | 日記

12月21日(土)晴れ後曇り。冬至。

好きなブログやフェイスブック、Xがある。どこの誰だかは分からずに、単にその人たちがアップする内容が好きで開いているものもある。困ってしまうのは、何の事情かは分からないが、その人たちの書いているものが更新されずに、一月、二月もそのままになっている事だ。過去にも、横浜のB級グルメのお店を丁寧に紹介してくれる「酒場放浪記」の様なものがあり、毎日の更新を楽しみにしていた。その方のブログが、ある日、止まったままで更新がない。文脈から独身と言うことが感じられるので、突然亡くなられたのかもしない。最近でも、そういうブログがあった。ご主人を亡くされた方の「食日記」みたいなものだが、ファンだったが、もう一月ほど更新されていない。「余命宣告」を受けた知人のXもある日を境に止まったままだ。ご家族に連絡をして「亡くなったんですか」などと聞くわけにも行かず、後味の悪い思いをしている。思い出したのは、歌人の中條ふみ子のこと・・・。

歌集『乳房喪失』で知られている中條ふみ子は、死の一年前の昭和28年、三十一歳の時に乳がんのために左乳房を摘出、その過程や結果を歌集『乳房喪失』の中に大胆に歌った。以後、死に向かって進む日々の生を見つめ続け、その呼吸を透徹した諦念のごとき表現の中にうたった。その中の一首に「灯(ひ)を消してしのびやかに隣にくるものを快楽(けらく)の如くに今は狎(な)らしつ」。意は「灯りもつれずにこそりと隣に忍び寄ってくるもの・・・死の影を、私は今ではあたかも快楽ように狎れ親しんでいます」(『辞世の歌』松村雄二著・笠間書院)。恥ずかしながら、とても真似のできることではない。

冷ややかにメスが葬りゆく乳房とほく愛執のこゑが嘲(わら)へり
枯れ花の花輪を編みて胸にかけむ乳房還らざるわれのために
葉桜の清く悲しむうつぶせのわれの背中はまだ無傷なり

ふみ子の情念と諦念が伝わってくる歌である。

十勝生まれの中條ふみ子の波乱万丈な人生を描いたのが、渡辺淳一の『冬の花火』。読んだのは、随分前の事で、北海道時代の事だ。寒さに震えながら、読書三昧の修行をしたことが、とても懐かしい。

冬至と言うことで、「ゆず」を二個買った。ゆず湯にはいった家族は「ほとんど匂いがしなかった」。ケチるのではなかった。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする