2月3日(月)曇り。立春。
暦の上では春ですが・・・。手紙の常套句ではないが、今日は立春。亡くなられてしまったが、鎌倉在住のさるお方から、毎年立春の日に「日比谷花壇」の蘭の鉢植えを送って頂いていた。我が陋屋には蘭など似合わないが、温かい気持ちになったものだ。
夜は、一杯やりつつ録画しておいたNHKの『坂の上の雲』を見る。日露戦争の二回のクライマックスの内の一つ、203高地攻略編だ。もう一つは、日本海海戦。日本のすべての中学生に見てもらいたいドラマだと思っている。
日本が、西洋の先進国に追いつこうとして「坂の上の雲」を目指した明治時代。製紙工場で働く女工を主人公として書かれたのが、昭和四十三年に山本茂実が発表した『あゝ野麦峠ーある製糸工女哀史』である。「野麦」とはクマザサの別名で、峠一帯に群生しているクマザサの小さな実をとって粉にし、ダンゴとして食用した村人達が、そう呼んだ。その頃農村では、ヒエ、アワ、キビなどが主食で、女工たちは、そんな粗末な物でも、まずいと感じた者は一人もおらず、普通が十パーセント、旨いと思う物が九十パーセントを越えていた。(大柴晏清著『すしと文学』栄光出版社)
彼女たちを、戦後の一部の史家は、「資本主義や帝国主義の犠牲者」のように描いているが、日本近代の黎明期、日清戦争後の「三国干渉」とりわけロシアの圧力に対して臥薪嘗胆して、国民が一丸となって努力していた時代だった。時代によって労働環境が変わるのは、仕方がないことで、私が子供の頃は、土曜日も休みではなく、普通に働いていた。「半ドン」となったのは、後年のことである。また、私の小学生時代、新聞配達をしていたのは、ほとんど小、中学生だった。母が七輪一つで煮炊きしていた頃を思い出すことがある。
我が酔狂亭にて独酌しつつ「水師営の会見」を静かに吟じた。