白雲去来

蜷川正大の日々是口実

初氷の報あり。

2024-12-21 16:14:54 | 日記

12月20日(金)晴れ。

ボヤーっとしているうちに師走ももう二十日。今年も残り少なくなってまいりました・・・。と手紙の常套句が浮かぶ。考えてみると、今年は良いこともあったが、何といっても6月と12月の二階の入院に尽きる。それぞれ一週間ぐらいの入院で済んだが、年明けにはじん臓の生検査の結果が分かる。大事にならなければ良いのだが、と思っている。寒いと思ったら、「初氷」の報あり。初氷何して過ぎし昨日かな。とは横浜に縁の深かった中村汀女の句である。

12月は、世界情勢も動乱の月か。お隣の韓国では、殿のご乱心で時代錯誤の戒厳令が出された。忠臣蔵の季節だったので、刃傷松の廊下がダブった。各々方(おのおのがた)、各々方、お出会いそうらえ、尹大統領、国会で戒厳令にござるぞ。シリアもロシアの後ろ盾がないと、あんなにアッサリと政権を投げて出して逃げ出してしまう。我が国の石破政権も、誕生当時は崖っぷちに立たされていると思っていたが、何の、低成長横ばいで何とか持っている。私の健康と同じだ。

誰のエピソードかは失念したが、ある人が事業に失敗して暮れのモチ代にも窮した。そこで、恥を忍んで昔世話をしたことのある友人宅に行き、そっと自作の句を差し出した。それを読んだ友人は、旧友の窮状を察し、なにがしかの金を渡したそうだ。その俳句とは、「貧乏に追い越されけり年の暮れ」。


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駒形の鰻の前川。

2024-12-14 16:45:12 | 日記

12月13日(金)晴れ。

腎臓疾患の検査で入院しているために、当然ながら病院食は味も素っ気もない。刑務所(行ったことはありませんが(笑))の飯よりも10倍不味い。薬を飲む都合があるので、とりあえず、少しだけ口にする。お陰で、入院3日目で体重が5キロも落ちた。毎年行っている伊豆高原での断食と変わらない。

体調が悪くて入院しているくせに、お腹が空いて思い浮かべ目のは鰻やフグに鉄板焼き・・・。特に鰻は好きでたまらないのだが、最近は、Aランクの牛肉よりも高くなって、私のような浪人には、そう度々口に入るものではなくなった。うな重の蓋を開ける時のワクワク感が溜まらない。頭の中に、ジャジャジャーンと音が鳴る。つい先日も、盟友のご厚意で200年も続いている鰻の老舗、駒形の「前川」にご相伴にあずかった。そのお店を知ったのは、「フーテンの寅」さんシリーズである。何作目かは失念したが(どなたかご存知の方がいましたら教えて下さい)、そのお店が出ていた。何でも池波正太郎さんも御贔屓にしていたとのこと。以前から車で駒形橋を通るたびに「前川」の看板が見えて、いつかはと思っていた。

お店に行った時は、日も落ちて夜の帳が下りていた。ライトアップされた駒形橋、隅田川を行き来する屋形舟やシーバス。そしてスカイツリーにアサヒビール本社のオブジェなどが見える。それらが、鰻の味を余計に引き立てている。肝焼き、白焼きにうな重。日本酒の熱燗。至福の時である。

鰻好きで知られているのが歌人の斉藤茂吉。その記念館の運営に尽力した、林谷廣氏の著書『文献 茂吉と鰻』という本に、「ゆふぐれし机の前にひとり居りて鰻を食ふは楽しかりけり」と詠んだ昭和三年には、実に六十八回も鰻を食べている。何と五日に一回の割合で食べているのだ。自宅他、銀座の「竹葉亭」、青山「佐阿徳」、浅草「前川」など都内のあちこちの店に行く。とある。

退院したら、その足で東神奈川の「菊屋」か吉田町の「八十八」にでも行くか。懲りねぇな―。※前川から見た墨田川。

 

 


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半年ぶりに入院。

2024-12-13 09:49:12 | 日記

12月11日(水)晴

今年の夏くらいから、両足の浮腫みがひどく難儀していた。中々良くならないので、かかりつけの医者行ったら、総合病院へ行きなさいと言われ、紹介された結果、「腎臓疾患」の疑いがあるので、「入院して検査しよう」ということになった。6月に入院して以来2度目の入院となった。6月の時は外科、今回は内科である。

10時30分に手続きをして入院。今回は11階の個室。長引くならば4人部屋にするのだが、一週間程度の入院なので、年の瀬に出費は痛いが、盟友らの支援もあって個室にして貰った。病院は「みなとみらい」の一等地、従って眺めと値段は、すぐ傍にあるロイヤル・パークなどのホテルと変わらないシングルベッドの部屋。しかし何といってもここは病院、自由がないうえに、食事は健康な人ならまず完食は無理だろう。

初日は、採血などの簡単な検査をして終了。シラフなので中々眠れない。パソコンの環境が悪いのか、それともパソコンが古くて調子が悪いのかは分からないが、すぐフリーズしてしまい、ブログの更新がままならない。3日めにしてようやく、多少は動くようになった。明日は、朝から背中からブスリと針?を刺して、腎臓の細胞を四か所採るとのこと。考えただけでブルーになる。


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三島由紀夫先生、生誕100年祭特集の取材。

2024-12-10 12:08:41 | 日記

12月9日(月)晴れ。

来年は、三島由紀夫の生誕100年となる。恐らく、様々な媒体で特集が組まれるに違いない。その先駆け?として正論社の鈴木誠厳さんの編集する雑誌で、元楯の会の人たちや、三島先生と共に自決された森田必勝烈士が所属していたことのある日本学生同盟、あるいは三島・森田両烈士の自決事件に影響を受けた私などが、紙面を飾ることになった。その雑誌のインタビューを私の事務所にて行われた。私の事務所のあるマンションは、プール、サウナ、フィットネス施設などがあり快適なのだが、事務所を作る際に慌てて内装を行なったので、むき出しのコンクリートに絨毯を貼っただけで、とても寒いのが難点である。今更、新しく内装をするつもりもないので、家庭用の暖房器具で我慢してもらっている。ライター氏に同行した鈴木さんは、一度も、防寒着を脱がなかった。

終了後に、関内の利休庵にて、食事。この蕎麦屋さんが好きで良く行く。ひどい時には、酒と肴で満足して、蕎麦を食べずに帰ってきてしまうこともある。車で行ったので、珍しく、かも南蛮蕎麦のみで帰った。

この時期は、天気が良いと昼間は暖かいが、陽が落ちると、ぐっと寒くなる。夜は、早く帰って来た上の子供と「鳥鍋」を囲んだ。同級生から頂いた時代物の「ぐい吞み」にて、珍しく日本酒を二合ほど飲んだ。穏やかな一日だった。※私の事務所にて取材風景。写真提供は、鈴木誠厳氏


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東亜侵略百年の野望をここに覆す。

2024-12-08 11:17:54 | 日記

12月8日(日)晴れ。

昨日は、日本国民党(鈴木信行代表)の主催する「令和六年・日本国民の集い」に、弊社のO氏や大悲会の志村馨君らと出席。久しぶりに元楯の会の村田春樹先生の『大東亜戦争開戦の日、三島由紀夫はかく語りき』と題した記念講演を拝聴する。三島由紀夫、蓮田善明、森田必勝といった三烈士の事績とエピソードを交えた講演は、とても感動的で、勉強になった。終了後に、直会会場に行くが、手違いの為店が閉まっていて、我々一行は、鈴木代表に挨拶をしてお暇した。

以前、盟友から頂いた私の座右の書、宇垣纏の『戦藻録』の昭和16年12月8日の日記。『暖かい静かな開戦日(X日)。待ちに待ったその日はついに来た。午前三時というのに自然と目は覚め、起き出して一服していると、当直でかつ航空掛かりの佐々木参謀が大急ぎで飛び込んで来て、「三時十九分(ト)連送です」と報告す。すなわちハワイに近迫せる機動部隊の飛行機二百機が、真珠湾に対して突撃を下命せるなり。飛行機の電を直了せるところ、鮮やかなるものなり。

それから作戦室に座り込んで、来る電報、電報に耳をそばだてる。飛行機上よりする「我、敵戦艦を雷撃」「我、ヒッカム飛行場を攻撃、効果甚大」などの味方電報と併せ、敵の平文電報の発信が最も興味を引き、戦況は手に取るように分かる』。

今朝も、「暖かい静かな」日である。已むに已まれず決然と起った、昭和十六年のこの日を日本人は忘れてはならないと思う。通称、東京裁判において、インドのパール判事は、米国側が我が国に対しての最後通告、通称「ハル・ノート」に対して、こう述べている。

「『現代の歴史家でさえも、次のように考える事ができる。すなわち、今次戦争についていえば、真珠湾攻撃の直前に、アメリカ政府が日本政府に送ったものと同じ通牒(注・ハル・ノート)を受け取った場合、モナコ公国、ルクセンブルク大公国のような小国でさえも、アメリカに対して武器を持って立ち上がったであろう』と述べ、日本の指導者たちが愛国主義である限り、アメリカの苛酷なる最後通牒を退けて、立ち上がらざるを得なかったのは当然であり、日本にとって、生存の為自衛の為、やむを得ない措置であったとしている」。

野村先生は、自決の際にしたためた檄文「天の怒りか、地の声か」の末尾に、こう書いている。「いつの日か必ず有色人種である日本人が、白色人種と三年半にわたって死闘を展開した、真の意味が何であったかは、後世の歴史家が明らかにしてくれるであろう」と。深く先人を思う・・・。※写真は、「赤城」が傍受した「ニイタカヤマノボレ(攻撃せよ)」と、「我、奇襲に成功せり(トラトラトラ)」の電文。ちなみに(GF)とは「連合艦隊」の略である。


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