白雲去来

蜷川正大の日々是口実

老テロリストの死。

2024-06-06 17:04:06 | 日記

6月4日(火)曇り。

久しぶりに、みなとみらいのロイヤルパークホテルの70階にあるシリウスに行った。野村先生が亡くなられる少し前に行った同じ席に座って先生を偲んだ。その時のシリウスの支配人だった方のご厚意によるもの。席に着いたときは、まだ明るかったが、徐々に暮れなずむヨコハマの街を眼下にして感慨深かった。早いもので、あれから31年が過ぎた。しかしこの平和と繁栄がいつまで続くのだろうか。瓦礫と化したウクライナやガザの街。その惨劇が脳裏に浮かんだ。日本が、ヨコハマがそうならないという保証などない。

5月22日、中村泰という男が医療刑務所で死去したということをニュースで知った。中村は平成13(2001)年に大阪市で起きた現金輸送車襲撃事件で無期懲役が確定し、服役していた。その事件を起こす前に、中村は26歳の時に、東京都武蔵野市の路上で職務質問してきた当時22歳の警察官の胸や頭に3発発砲して殺害し、その場から逃走したものの指名手配の末に3カ月後に出頭して逮捕され、殺人罪で約18年間千葉刑務所に服役した。その時に、当時河野一郎邸焼き打ち事件にて、やはり千葉刑務所に収監中の野村先生と出会っている。それは、やはり千葉で一緒だった先生の友人で大阪在住のI氏が私に語ったことがある。

何度も凶悪な事件を起こした中村は、いわゆる平成7(1995)年3月30日に発生した国松警察庁長官狙撃事件の実行犯であると自称し、警察当局も重要人物として捜査を行ったが、中村は起訴されないまま事件は時効を迎えた。その事件はNHKが、平成30(2018)年9月2日に「未解決事件ー警視庁長官狙撃事件」というドキュメンタリー番組を作り放映した。番組には、野村先生と千葉刑務所で知り合ったことや、親しかった大阪のI氏のインタビュー、さらに「取材協力」として私の名前も出ている。詳しい年月日などを忘れたが、ある日野村先生が「めんどくさいのが訪ねてくる」と事務所に来たことをおぼろげに覚えている。どう考えても国松長官の狙撃犯は彼以外にいないと私は思っている。


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先輩に勧められた映画を見る。

2024-06-05 18:41:43 | 日記

6月3日(月)晴れ後雨。

朝食は、冷ご飯を使った焼き飯。昼は、甘味屋で買ったどら焼き1個。夜は、エビとエリンギのアヒージョ、ソース焼きそば、ナスと新玉ねぎのオイスターソース炒め、、ほうれん草のおしたし。お供は「侍士の門」。酔狂亭にて愚妻と対酌。

朝、けたたましい緊急地震警報で目が覚めた。慌てて玄関のカギを開いてから、スニーカーを出して構えたが、幸いなことにピクリともしない。テレビをつけるとまた能登地方が震源地らしい。正月の地震の復旧もままならぬうちに又地震か。被害の無いことを祈るばかりである。

犬塚博英先輩からラインで「映画『月の満ち欠け』をAmazonプライムで見た。いい映画だった」と教えて頂いたので、早速見てみた。映画は、同名の小説を映画にしたものだが、私には少々難解だった。現在過去未来、そして輪廻転生。酒で頭が腐っているので、登場人物と場面が繋がらないのだ。まあそれでも、こういう映画は、映画館で見るよりも自宅で見た方が、のんびりできる。お陰様で、今日は終日自宅にいて何もせずに心と体のケア。

 

 


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開港祭なのだが。

2024-06-04 10:53:52 | 日記

6月2日(日)曇りのち雨。横浜開港祭。

朝食は抜いた。昼は、久しぶりに伊勢佐木町に昭和48年から営業しているカレーラーメンの「太源」へ行った。いつもの「メンマ・ワンタンメン」。体調が悪いこともあって珍しく残してしまった。その後、事務所へ。旧知の新垣玄龍氏から、自伝『任侠愚侠に死す』(さくら舎)をご恵送頂いた。ここの所、献本が続いて嬉しい悲鳴を上げている。産経の「週間ベストセラー」の8位に『元朝秘史』(白石典之著・中央公論新社)という本が紹介されていた。『週刊新潮』に連載されているのが百田尚樹氏の「モンゴル人の物語」。これを毎週楽しみにして読んでいる。ただ歳のせいか登場人物のカタカナの名前が中々覚えられないのが難儀である。『元朝秘史』を読むのが楽しみである。

今日は、横浜の開港祭である。横浜港は安政六年六月二日に開港された。開港時には特にこれを祝う行事などは行わなかったが、翌年六月二日に開港一周年を記念して民衆が山車などを繰り出して祝ったのが横浜の開港記念日の始まりとされている。現在は毎年六月二日が横浜の開港記念日と定められており、横浜市立の学校は休業日となる。

ちなみに横浜市歌は、明治四十二年七月一日に横浜港の新港埠頭で行われた「開港五十年記念大祝賀会式典」の席で、初めて披露された。以来、市民に広く歌い継がれている。作詞は森林太郎(森鴎外)、作曲は東京音楽学校教師の南能衛(よしえ)。この曲は、横浜市が東京音楽学校に仲介を委託し、南が作った旋律の上に、森が歌詞を作り、完成させたものである。横浜の公立の小・中学校を出たものならば、その「横浜市歌」を歌えないものはいない。夜、お世話になっている方が用意してくれた、みなとみらいでの花火観賞の桟敷。残念ながら雨で座れることが出来ずに中止した。

仕方がないので、藤棚の町中華で花火を観戦するはずだった人たちと残念会。松本佳展君に送って頂き帰宅。


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枇杷一度限り。いや「美は」か。

2024-06-02 09:43:56 | 日記

六月一日(土)晴れ。

上の子供が二泊三日で旅行に行くので六時半に起きて玄関で見送り、また布団に入った。

朝食は抜いた。昼は、近所の蕎麦屋に出かけたが、珍しくウェイティングの客が二組。並んでまで入りたくないので、スーパーで天丼セットを買って家に戻った。夜は、エビのニンニク炒め、マグロのズケ、ワカメサラダ、鶏の塩焼き。お供は、野村先生の奥様から頂いた「侍士の門(さむらいのもん)」。酔狂亭にて独酌。

事務所に行く途中に気になっているのが、井土ヶ谷駅近くの街路樹に枇杷の木。かなり実をつけている。にも拘わらず誰もその枇杷を取る気配がない。もちろん、街路樹なのでちゃんとした剪定も管理もしていないために、実があまり大きくない。それでも、いつも「勿体ない」と思って眺めている。

私の子供の頃は、枇杷は高級品で、容易く買えるものではなかった。それでもたまに頂き物を食すると、実の割に種が大きくて、種なんかなければ良いのにと思ったものだ。小学校の同級生に、すばしっこい子がいて、その子は枇杷に限らずサクランボ、柿、木苺のなっている場所をたくさん知っていて、季節になると「マー坊(私のことです)サクランボを食いに行こう」と、連れて行って貰った。枇杷は木の高い所になるので、私には無理だったが、彼はいともたやすく木に登り、枇杷を取ってくる。確か野毛山公園にある枇杷の木だったと記憶している。

誰も取らない街路樹の枇杷を見ると、子供の頃を思い出し、「勿体ない」と思う自分がいる。そして野村先生の著書『美は一度限り』という本が浮かぶ。※写真は街路樹の枇杷。


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「デフレ型犯罪」。

2024-06-01 17:36:10 | 日記

5月31日(金)曇り。

朝食は、抜いた。昼は、久しぶりに焼肉ランチに出かけたがあいにく休み。仕方がないので、気になっていた焼き肉屋に入ったが、一人2千円のランチが最悪だった。締まりのない月末となった。食後に有隣堂に行き、産経の「ロングセラーを読む」に掲載されていた本を探すが、「在庫なし」。ついていない。夜は、カツオの刺身、はんぺん焼、総菜の味付け鶏肉焼、お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

帰宅後に、コオヒイを飲みながらひねもす読書。久田将義さんからご恵送頂いた『特殊詐欺と連続強盗』(文春新書)を読む。

「それにしても、特殊詐欺で数十億円も荒稼ぎしていたグループが、リスクの高い強盗にまで手を染めたのは何故か。その理由のひとつには、情報技術(IT)の進化により、「匿名性」の確保が容易になったことがある。詐欺と強盗とでは、捕まって有罪になった際の量刑に大きな差がある。詐欺ならば最長でも懲役10年だが、強盗の場合は20年や30年、被害者を傷つけたり死なせたりすれば無期懲役や死刑もあり得る。しかし、匿名空間の闇に隠れ、実行犯を使い捨てにする黒幕たちは、大した違いを感じなかったのかもしれない。そしてもうひとつ、この特殊詐欺と連続強盗に共通するのは、「現金を手っ取り早く手にする」ことを志向する、日本経済の長い低迷期に生まれた「デフレ型犯罪」だということだ」。とは本文から。まだ、半分くらいしか読んでいないが、こういった本が犯罪の抑止になればと思っている。

 


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