脚本:トム・ストッパードと監督:ジョー・ライト
パレーズ・エンド脚本のトム・ストッパードがこちらも書いたと知った時から、キーラ・ナイトリーとジュード・ロウだと知って尚更見たかったアンナ・カレーニナ。渋谷で時間ができたのでチャンス!と思ったら3/29公開のこの映画、4/11に渋谷の大手映画館では終了していました。(素朴な疑問:こんな大作も今どきは2週間しかやらないの?それとも・・・)
日比谷で見て来ました。いやあ!良かったです!
①キャスト。キーラ・ナイトリーって、男顔で西洋人にしてはすごく細いけど、そして息子のいる役だけど、ゴージャスで可憐なのはなぜ?!そして意外に良かったのがジュード・ロウ。こんな色気がなく人格者という役は初めてかもしれないけど、今までのセクシー度の貯金が声を発すると顔の回りに瞬いているよう。でもそこがポイントだと思う。本当にタダの堅物だったなら「こんな素晴らしい夫をないがしろにして若いいかにもプレイボーイとの恋に走った」というヒロインのジレンマに共感できないでしょう?反対に恋愛相手のヴロンスキー役のアーロン・テイラー=ジョンソンは、全てを捨てても堕ちたい相手としてはチャラすぎと感じました。あくまで個人的な好みですので、ごめんなさい。しかも、原作も知らないので、そういう設定なのだったら、ごめんなさい。
②舞台仕掛けも好みでした。 背景が、劇場のカキワリや舞台裏装置で、まるでお芝居や絵画を見ているようだと思ってると、本物らしいセットと交錯する作りなのです。帝政ロシアの特権階級の生きる世界を象徴したのかしら?面白かった!リアリティを追求したい人には鼻につくかも知れないけれど、バレエの舞台を見慣れてたから、私には抵抗なく仮想世界に入れました。その背景に共鳴するストップモーションも、シアターやダンスの抽象的で様式で表現する手法ですね。歌舞伎にも似てますね。ヒーローとヒロインがフェロモン対決するマズルカのダンス・シーンは、ベッドシーンよりもエロくて良かった。マズルカ習いたいとさえ思ったけど、踊る相手がいないとできない・・・
③その背景とリンクする、台詞。詩を読むような台詞だなと思い出した、インタヴューでベネディクト・カンバーバッチが言ってたこと。それはパレーズ・エンドのことだったけど、トムにとっては英語は純粋には母国語ではないということ。経歴を見ると9歳でイギリスに移住してるから、外国語とも言わないだろうけど、別の母国語もあって英語もできる人の会話文って、どこか観念的なのかなあ、と思ってみた。
④お話は、実は後半アンナに感情移入できなかった。恋に狂って、顔は美しいのに心は嫉妬と憎しみで堕ちて行くから・・・
カレーニンの寛大な処置にもっと感謝しろよ!大事にしろよ!と思ってしまったけど、そこは狂ってるのだから仕方なく見ていてハラハラ・イライラしてしまいました。
⑤そして歴史の教科書以来久しぶりに聞いた単語「農奴」。そうだ、ロシアは一生舞台で生きるような華麗な特権階級と農民の格差が激しかったんだ。だからこそ、帝政から共産主義と革命も極端だったと学校で習ったな。19世紀末と言えば革命前夜だから、リョービンという田舎の地主も登場させて農奴の姿も見せて、三角関係の恋とそのまわりの社会が額縁に入った現実味のない現実だと強調したかったのかしら・・・・
パレーズ・エンド脚本のトム・ストッパードがこちらも書いたと知った時から、キーラ・ナイトリーとジュード・ロウだと知って尚更見たかったアンナ・カレーニナ。渋谷で時間ができたのでチャンス!と思ったら3/29公開のこの映画、4/11に渋谷の大手映画館では終了していました。(素朴な疑問:こんな大作も今どきは2週間しかやらないの?それとも・・・)
日比谷で見て来ました。いやあ!良かったです!
①キャスト。キーラ・ナイトリーって、男顔で西洋人にしてはすごく細いけど、そして息子のいる役だけど、ゴージャスで可憐なのはなぜ?!そして意外に良かったのがジュード・ロウ。こんな色気がなく人格者という役は初めてかもしれないけど、今までのセクシー度の貯金が声を発すると顔の回りに瞬いているよう。でもそこがポイントだと思う。本当にタダの堅物だったなら「こんな素晴らしい夫をないがしろにして若いいかにもプレイボーイとの恋に走った」というヒロインのジレンマに共感できないでしょう?反対に恋愛相手のヴロンスキー役のアーロン・テイラー=ジョンソンは、全てを捨てても堕ちたい相手としてはチャラすぎと感じました。あくまで個人的な好みですので、ごめんなさい。しかも、原作も知らないので、そういう設定なのだったら、ごめんなさい。
②舞台仕掛けも好みでした。 背景が、劇場のカキワリや舞台裏装置で、まるでお芝居や絵画を見ているようだと思ってると、本物らしいセットと交錯する作りなのです。帝政ロシアの特権階級の生きる世界を象徴したのかしら?面白かった!リアリティを追求したい人には鼻につくかも知れないけれど、バレエの舞台を見慣れてたから、私には抵抗なく仮想世界に入れました。その背景に共鳴するストップモーションも、シアターやダンスの抽象的で様式で表現する手法ですね。歌舞伎にも似てますね。ヒーローとヒロインがフェロモン対決するマズルカのダンス・シーンは、ベッドシーンよりもエロくて良かった。マズルカ習いたいとさえ思ったけど、踊る相手がいないとできない・・・
③その背景とリンクする、台詞。詩を読むような台詞だなと思い出した、インタヴューでベネディクト・カンバーバッチが言ってたこと。それはパレーズ・エンドのことだったけど、トムにとっては英語は純粋には母国語ではないということ。経歴を見ると9歳でイギリスに移住してるから、外国語とも言わないだろうけど、別の母国語もあって英語もできる人の会話文って、どこか観念的なのかなあ、と思ってみた。
④お話は、実は後半アンナに感情移入できなかった。恋に狂って、顔は美しいのに心は嫉妬と憎しみで堕ちて行くから・・・
カレーニンの寛大な処置にもっと感謝しろよ!大事にしろよ!と思ってしまったけど、そこは狂ってるのだから仕方なく見ていてハラハラ・イライラしてしまいました。
⑤そして歴史の教科書以来久しぶりに聞いた単語「農奴」。そうだ、ロシアは一生舞台で生きるような華麗な特権階級と農民の格差が激しかったんだ。だからこそ、帝政から共産主義と革命も極端だったと学校で習ったな。19世紀末と言えば革命前夜だから、リョービンという田舎の地主も登場させて農奴の姿も見せて、三角関係の恋とそのまわりの社会が額縁に入った現実味のない現実だと強調したかったのかしら・・・・