Sofia and Freya @goo

イギリス映画&ドラマ、英語と異文化(国際結婚の家族の話)、昔いたファッション業界のことなど雑多なほぼ日記

ターナー展

2013-10-23 17:06:00 | イギリス
上野、東京都美術館でターナー展を見て来ました。
いつもどおり、個人的な、とても偏った感想を書きます。



告白しますと、その作品の大部分が所蔵されているロンドンの「テイト美術館」には行ったはずなのに、まったく覚えてないくらい興味がありませんでした。それは大昔の20歳そこそこだったせいかもしれませんが、いくらイギリスを代表する画家と言われても地味過ぎたのだと思います。

ターナーと言えば「風景画」。自然の崇高=山とか湖とか、それはまだいいとして、「雪崩」「火事の翌日の劇場」「嵐が来る海の漁師」「オーストラリアに渡る女囚人の船が嵐で沈む」などの自然の力の前には人間なんて小さい・・・と言いたげな題材も少なくない。いったい誰がグレーの海で真っ黒な煙りを出す暗い帆船の絵を家に飾りたいのか、と思ってました。

それは今も思ってますが、展示されていた経歴を読み、秘密主義で結婚や子供の誕生も正式記録にない人ながら、得意業の妄想で彼という人を思いめぐらせていたら、暗い絵を含む風景画の中にターナーの気持ちを感じたような気がしました。

まず産まれが床屋の息子ということで、庶民です。でもラッキーなことにロンドンはコベントガーデンという便利な所に産まれたので、子供の時から絵の才能を発揮し正式な美術の学校に入学できたのです。家から通えるとはいえ、学費などはどうしたのでしょうね、その当時。奨学金みたいなものはその頃からあったのか気になります。

庶民の出が、絵の題材に肖像とか宗教とか歴史よりも風景を選ばせたんじゃないでしょうか。画家という職業を選んだら、お金持ちや有力者の肖像画とか、お屋敷や敷地の絵の注文を受けて収入を得るのが近道と思うんですが、直接売るだけではなく、芸術として認められパトロンを得て描いていたのです。展示作品の中に、詩集の挿絵もあり、その詩集もよく売れたそうです。暮らし向きがどうだったかは解説になかったのでわかりませんが、芸術にこだわりながら描き、「自分の力の及ばないもの」を題材に選び続けた。

暗い絵が多い・・・というのは私の感想で、実は「黄色の絵の具を多用する光の画家」なんですよね。それがイタリアの絵に顕著です。さすがの私も暗いという言葉をはさめません(笑)。バチカンの絵も展示されていましたが、それが神の存在よりも太陽の光の存在を感じさせるとは画家が現実的なのか、そう受け取る私がそうなのか。ベネチアの市長の「海との結婚」の儀式の絵など、珍しく歴史的な輝ける題材ですが、これも異国の町や風俗よりも何よりも光が主役でした。そうだ、光が題材でも暗い絵もあったんです!古代ローマで投獄されて目蓋を切り取られた人が外に出された時の眩しい風景というのが!!眩しくても瞬きできずに失明したそうです。そんな恐い話でもその時の光はどんなだったかを描きたいなんて・・・・光フェチ・・・?

ええい、ついでだ、最後の暗い話、ターナーの時代は、ナポレオン戦争がすっぽり重なっています。今回の展示を見ると、トラファルガー海戦の絵はありました。一応時流に乗ってパトロンを獲得したかったようです。しかし自国の英雄ウェリントンの絵は(楽しみにしてたのに)ないのに、なんとナポレオンが。さすがに敵国、セントヘレナに流されて、暗い海辺の砂にぽつんと転がる貝を、皇帝が遠くから見つめている風景です。その寂しい貝と流刑の身の侘しさを重ねていると絵の横の解説にもありました。天下のナポレオンをいくら敵だからってこんなふうに描くなんて、自国の英雄の雄々しい姿でも描いてりゃよかったのに。・・・・性格ひねくれていると思いました!(だからイギリス一人気があるのかも)

展示品に、スケッチブックとターナーが使用していたという絵の具入れもありました。スケッチブックと言っても19 世紀のは、ハードバック本みたいな綴じ方で、金具がついててびしっと綴じることができます。グランドツアー用に移動中でも絵を守るつくりだからあんなに頑丈なのでしょうか。それからチューブ入りの絵の具はターナーの最盛期にはまだ発明されてなく、展示されていた絵の具はガラスの瓶に入っているんだと思って「キレイね」と見ていたのですが、当時何と豚の膀胱に絵の具を入れていたんだそうです(また恐い話だよ~~)その解説を読んでからよくよく見ると、経年で色がこげ茶になってカチカチに固まっているけれど、形状は人工的な形ではなくひとつひとつ違う・・・やはりこれは元豚の・・・・(ぎゃーーーーーー!!!)

光、光、と言われても、私の中では暗い画家、という印象は変わらなかったのですが、今回、とても感心したのは、この展覧会のプレゼンテーションでした。上のタイトル絵はHPから切り取ったのですが、華麗な模様はロココ調フランスのよう。チケットもベビーピンク地にこげ茶のアクセントでしめた洗練されたデザインです。



上の写真はオリジナル・グッズのシールと、レジに置いてあったカード式割引券3種。

他のオリジナル・グッズも、ジンジャーマン・ブレッドやスコーン、おしゃれなパッケージの紅茶などあって、ハイティー好きの心を鷲掴み!リバティとコラボした帆船プリントのトートバッグやブックカバーもかわいいし、帆船柄のシルクのスカーフもオリジナルコラボで作るという力の入れようです。日本の美術館グッズすごいです。



そしてこれが実はお目当てだったという帆船ピンです。





10/24追記書き忘れたいくつか。

ターナーの絵を見てると「光を描こうとした印象派の絵」が頭にちらつくのですが、時代はターナーの方がすごく前なんですよね。パンクな存在だったんですね(笑)。光をどうやって描くが技法を探した習作も今回のターナー展にあり、それがほとんど現代美術みたいなんです。実際には彼の没後に印象派やジャポニズムが現れるんですから現代美術なんてあり得ないんですが。
それから晩年、パトロンのひとりのお屋敷に長期滞在した時期があり、その時に豪華なカントリーハウスや庭を自由に歩き回って絵を描いたそうで、私はダウントンアビーや、インテリア本「A English Room」のような豪華な家や庭をターナーが描いたのだとワクワクして展示を回ったんです。ところが、その部屋の絵というのはA5くらいの小さい水彩画ばかりで、ちっとも豪華さや部屋のつくりはわからず、こちらの想像力を試されているかのようでした。

若い頃、荒れ狂う海の戦艦を描くのには、マストに身体をくくりつけて海と船を見たそうで、その静かな画風からは想像もできない勇気というか、意地というか。彼は絵以外に教育らしいものも受けていないようだし、40歳を過ぎてイタリアやドイツ、スイスと旅行してまた新境地を開拓して。最盛期を過ぎても新技術を模索し、晩年の肖像画の解説によると、一世を風靡した画家に見えなかったそうです。彼は70歳台まで生きて描き続けるんです。しかし最後の20年くらいは、評判は地に落ちていたとのことです。それでもやめない。笑われながらも描くことをやめなかった晩年は絵がどんどん光だけになっていったのは、ふと目が悪くなったんじゃないか、とかも思ったのですが、そういう記述はありませんでした。