つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

二種混合予防接種その後

2011年02月08日 | 子育て

末っ子に予防接種の案内が届いたことを書いた。
私もその時に持った疑問をきちんと保健所に問い合わせたお母さんがいました。

保健所の答えは「札幌市を通じて市内小学校全校に配布したのは7月です。それから先は各小学校さんの事情だと思います」
7月に届けられたというのは間違いなく、近隣の小学校に通わせている方は夏休み前後にもらってきたと言っています。そこからなぜうちの学校だけが12月配布になったのか・・・?
疑問に思った彼女は職員室に行って尋ねたそうです。
校長先生、教頭先生、PTA担当の先生が不在で、本校ではナンバー3になる先生がいたので話をしたそうです。返答は、
「確かにこの案内は7月に届いています。例年12月を待って配布し、今まで何も問題にされていなかったので、例年通り配布した」というものだったそうだ。

7月に届いたものをわざわざ12月まで待つ理由はなんでしょう。何かあったのでしょうが、理由はわからないらしいです。届いた案内の内容を確認することなく、そこに何の疑問も持たなかったということが不思議です。百歩譲って、慣例になっていたからというのが理由として許される場合があるとしても、それをやったのがこのケースの場合は学校、先生だということです。

今、子どもたちは“指示待ち症候群”“ゆとり世代”などいろいろと言われています。自分の考えを持たない、持っていても発言しない。自分で考えようとしない・・・などなど。子どもたちはそう言われて、注意や指導を受けています。そして、そういう指導をしている先生方がやったことだという点が、愕然としました。

先生方もぜひ、今やっていることがこれでいいのかと自問自答してほしい。
もっといい方法があるかもしれないし、もっと正しい考えがあるのかもしれないのだから。

親になって私は、毎日子どもの顔を見ながら考えている。これでいいのか、これでいいのかと。

 

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タイガーマスク現象

2011年02月08日 | 子育て

このごろは、テレビも新聞も取り上げなくなったのは、「大相撲の八百長問題」や「今日の佑ちゃん」「インテルデビュー長友」など話題に事欠かなくなったせいだろうか。
名前を明かさず養護施設に善意の品物が届けられた。マスコミ各社はこぞって素晴らしい出来事だと報道した。その後「一過性であっていいのか」と報道するマスコミの姿勢が一過性であるこの出来事。なんとも後味が悪いのはどうしてだろう。

この人たちは覆面で善意の行為をしたのだから、マスコミが取り上げること自体、意に反したことだったのではないだろうか。事実として淡々と伝える姿勢ではなく、バラエティ番組のネタのようだった。それがひっかかるのだろう。

この現象がこの後どうなるか、その方向が楽しみだ。だが常に考えなければならないことは、そこには日々そういうことに心配っている方たちがすでにいるということだろう。そこには必死に子どもと向き合っている人たちがいるということを忘れてはならない。

英国の靴職人ジョン=パウンズは「自らの貧しさは、この種の事業=孤児救済に、決して障害にはならない」と言ったそうだ。
http://allatanys.jp/B001/UGC020006120110206COK00750.html 

日本に、石井十次 こういう人がいたということを初めて知った。

子育て、確かにお金で解決できることがたくさんある。だが、それだけではないということを大人は肝に銘じて子どもと向き合うべきだ。

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ガールズトーク…おばさん達のランチタイム5

2011年02月08日 | 徒然に、

昨日参観日の前に、末っ子の友達のお母さんたちと我が家で「ガールズトーク」をした。

窓の外は吹雪・・・私は当然久しぶりだったが、仕事を持つ彼女たちも久しぶりのことで、思い切って声をかけてよかったと思った。これからまだ家を留守にしなければならない私にとって、子どもの友達はかけがえのないものだ。“よろしくお願い”も伝えたかった。

一人のお母さんが「ブログ始めたの」と名刺をくれた。http://hibinomado.exblog.jp/12065684/

整理収納アドバイザーと言う肩書のある彼女のブログは、オシャレで面白いものだった。
どうも私の書くものは肩肘張っていて面白くないのだなと、彼女のブログに遊びに行って思った。
性格だから仕方がない・・・かな(うーん)

生き方というのは、やはり個々の性格に左右されるから、せめて品よくありたいと願うばかりだ。

コメント (2)
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ある日、娘と。

2011年02月08日 | 文章


意を決して娘の部屋に向かうと、私は一気にまくし立てました。

「母はね、いろいろ我慢していたの。眉毛を細くしたり、スカートの丈を短くして、襟元や袖口のボタンをはずしてだらしなく制服を着ているのも、まず今時の女子高生がやっていることをやってみたいんだろうし、入ったばかりの学校で緊張することも多いだろうから、あれもこれもって文句言うのいけないだろうと思っていたけれど、歩きながらもの食べて、まして制服で、くちゃくちゃやっているのだけは絶対に許せない!やめなさい!」
午後から雨が降り出して、自転車通学している娘は髪からしずくが垂れるほどに濡れ、濡れた制服を半分脱ぎながら困ったような顔をして、私のほうをみていました。少し前に玄関をはいってきたとき、生意気な表情でガムを噛んでいたのです。

恥ずかしいことですが、私にはしゃれっ気というものがありません。人間は内面を磨かず、外側だけ飾っても仕方がないなどとつっぱっているうちに内も外も飾りようがない年齢になってしまったのです。でも、この頃はまず外側を磨くことも大切だと感じるようになってきて、身の回りに気を使う娘に、こういう母親の娘にしては上出来だと感心しています。ですが、制服となるとそのさじ加減がわかりません。私の持っている感性では、娘の制服の着方はイエローカードですが、周りのお子さんと見比べて、これぐらいはいいのかもしれないと考えてもいます。老いては子に従えといいます。細かいことなど言わず、若い感性に任せることも必要なのかもしれません。

などと考えあぐねたその次の日、末っ子の通う小学校に花ボランティアとして出かけました。小さなつぼみをつけた花の苗を花壇に植えこみながら、隣で作業をする年配の女の先生に昨日の一部始終を話しました。

「私たちの育った時代はそうだったわね。制服をだらしなく着るのは不良だったし、歩きながら食べていいのはお祭りの時だけ。今は…。みいんな、普通のことよ。ふふ、そんなこと言っていたら天然記念物って呼ばれちゃうわ。お前の親は明治の生まれかってね。」

先生はそこで思いっきり雑草を抜きとり、笑いながら私のほうを見て、

「でもね、なんて呼ばれようと、お行儀が悪いことだから言い続けてほしいな。」

千の味方を得たように感じました。

相変わらず娘は眉毛を細くしています。スカート丈も私にはどうもよくわかりません。外ではどんなことになっているのか…。ですが少なくとも家の出入りの時には、襟元と袖口のボタンを留め、口にものを入れて帰ってくることはなくなりました。彼女なりに、天然記念物の母親との妥協点を探してくれているようです。                    (2009年6月)


                          

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文章を書く

2011年02月08日 | 文章
パートナーの本業は「文章を書く」こと。
一緒に過ごしている時間が長くなってきて、私も書くことが苦にならなくなった。
文章教室なるものに通ったこともある。そこで書いた文章がこのまま消えていくのも、もったいないかと考えて、カテゴリーに「文章」を加えた。他にもいくつか書いたものがある。
使い回しと思わずに読んでもらえたら嬉しい。

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