娘の学祭で開かれていた古本市に並んでいた復刻版だ。
「お気持ちを入れてください」と書かれた棚にあったので、気持ち10円玉を入れてきた。
林芙美子が亡くなるまで住んでいた家が、東京の実家のすぐ近くにある。
私が子どもの頃は林さんが住んでいらした。そんなご縁を感じて手に取った。
「放浪記」や「浮雲」は読んだことがあるが、詩集は初めてだった。1929年と言うから昭和の初めだ。
女性のありようが今とは違うので、想像でしかものが言えないが、
触るとやけどをしそうなほどつんつんとはじけている・・・自由闊達で、それは控え目に言うと「はねっかえり」とか「おてんば」「手に負えない」「新しい時代の申し子」などと言われた類ではなかろうか。
それでも、生き方に生気があふれている。今、私たちは、芙美子の時代からは想像できないほど、自由に物を考えて行動できる。それなのに、芙美子のように生き生きとしたエネルギーがないのはどうしてだろう。しばし、考えてしまった。中から一篇を
灰の中の小人
今日も日暮れだ
灰白い薄暗の中で
火鉢の灰を見つめていたら
凸凹の灰の上を
小人がケシ粒のやうな荷物をもつて
ヒヨコヒヨコ歩いている。
ーー姉さんくよくよするもんぢゃないよ
貧しき者は幸いなりつてねヘッヘッ
ああ疲れた
私はあんまり淋しくて泣けて来た
ポタポタ大粒の涙が灰に落ちると
小人はジュンジュン消へていってしまった。
*旧字体が使用されていますが、すみません、今の字でうちこみました。趣がありませんね