ボビー・フィッシャーと言う人を知らないままこのDVDを観てしまったので、登場人物が「フィッシャーがいるのか?」と騒ぐ様子が理解できなかった。なんであんなに騒いでいたのか気になって、観終わってからネットで検索をしたらチェス界のアンシュタイン、ヒットラーと呼ばれた人だった。その才能はものすごいものだったようで、IQ指数が178。驚いたが奇行も多く、そちらの方でも世界中から注目されていたようだ。
彼が頭角を現したのは米ソの冷戦時代。当時28年間、ソ連が独占していたチェスの世界チャンピオンの座に挑み。アメリカ中の期待の中、その後終生のライバルになるスパスキーを破る。対戦相手のスパスキーもフィッシャーに敗れてから、厳しい人生を歩んだようだが、フィッシャーはその比でない。この人の人生だけで、長い長い映画が一本作ることができそうだ。世界チャンピオンになってから彼は失踪している。その後何度か姿を現すが、いろいろな意味でそのたびに国を挙げての騒動が起こっている。
アメリカの大人はボビーフィッシャーというチェスプレイヤーに、いろいろな意味で夢を抱いているようです。
だから、また、風のように現れて強敵をやっつけてくれる。そんな気持ちの良い出来事を彼が起こしてくれるのを待っているのだろう。その気分を理解してから映画を観たら、もう少しよかったなあと感じた。
参考までに
http://www.ab.cyberhome.ne.jp/~ms808/bfpage.htm
この映画は、実在の天才チェスプレイヤーのジョシュ・ウェイッキンの父親が、息子の生活を綴った本を映画化したものだ。
スポーツ記者だった父親は、わが子のチェスの才能に踊らされる。親として、その気持ちがよくわかる。7歳のわが子が「フィッシャーの再来」と呼ばれるような才能を見せたら・・・どんな親でもゆれるだろうし、のめりこむだろう。そうしているうちにその大切なわが子を傷つけることもあろう。その“揺れ”が親としては感じられて面白かったが、単に映画としてはそこのところを狙っているわけではないため、全部を観たときにはっきりしない部分を感じさせてしまう要因になっているようにも思えた。でも、面白かった。
最後、チェス漬の人生ではなく、子どもが望む人生で競技を続けていくことにした親子が、苦しみながら勝利を手にする。
こういう生き方も、チェスプレイヤーにはあるんだということをいいたかったのだろう。
負けた友達の肩を組みながらジョシュが慰める。
「僕もクイーンを動かしたけれど勝ったよ。君も僕の年になれば強くなれるよ」
小さな二つの後姿を、二人の父親が窓辺から見送る。ぐっときたなあ・・。
あっちこっち検索していたら、情熱大陸に将棋の羽生善治名人が年に一度の長期休暇を利用して、チェスの大会に出場している様子を取り上げたものをみつけた。
羽生名人は「将棋は日本に古くから伝わる武道やお茶、お花、・・・に近いものがあるけれど、チェスは完全にスポーツです」と話していた。
我が家の末っ子が将棋を少々する。小学校の間は、年に一度札幌で開かれるJT主催の将棋大会に出場するのを楽しみに過ごしていた。その様子は、今回の映画に描かれたアメリカのチェスの風景と似たものがある。大会に付き添う親たちの様子は、映画のそれは極端に演出したものだろうが「同じだあ」と思った。
将棋は「お願いします」に始まり「ありがとうございました」で終わる。勝敗は、負けた方が「負けました」「ありません」ということで決まる。指導者はここのところを繰り返し子どもに教える。もう手が無い時はぐずぐずしないで、潔く負けを認めなさい。その上できちんとお互い「ありがとうございます」で終わりなさいと注意される。
チェスはそういう儀式といったらおかしいが、そういうことは強くは言われないようだ。だが、敗者がキングを倒して負けを認める様子は似ていると感じた。映画の中で、詰みに入る前に主人公が対戦相手に「引き分けの申し入れ」をする場面が出て来た。これはチェス独特のシステムのようだ。将棋にも「千日手」というのがある。同じ場面が何度か出てくると引き分け再対局になるが、それとは違うようだ。チェスがスポーツというところなんだろう。
ボビー・フィッシャーは2008年、チェスの升目を同じ数64歳で、アイスランドで亡くなった。
彼がアイスランドに落ち着くいきさつには、日本が大きく関わっている。羽生名人もそれに動いた一人だったようだ。
ついこの間の出来事・・・。
映画も面白かったが、この映画を観たことによって知ったことに感動している。