つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

東京行

2011年02月21日 | 日記

先週、ようやく姉から「退院してもいいって、いつ来られる?」という連絡があった。
いろいろやりくりして今週1週間の予定で上京するように手はずを整えた。
今朝「血液検査の結果が悪い。退院が延びる」との連絡があった。
私は、この手の病気の治療がどれほど大変か身を持って知っている。でも、今の姉の状況はその治療にも向かえない。治療できることが幸せなんだ・・・なんて、そんなことがあるなんて。それでも、神様お願いします。姉に前向きに向き合える勇気をお与えください。それから、私にそのおぼこれでいいから笑っていられるようにしてください。

予定通り東京に行く。何度でも、行くさ!くじけないで朝日が昇ることを信じているから・・・。

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制服

2011年02月21日 | 子育て

末っ子が春に入学する中学校の制服を誂えに行った。
市内何か所かの店が指定されている。上の子どものお下がりが彼が中学生になるのを待っていたが、いかんせんこの息子がこの年頃で一番体格が良かった。制服は新調しないとならないと分かり、合わせに行った。Sから3Lまである既製サイズの中で、彼は2Lでは大きすぎLでは心もとなくBLではかわいそうという塩梅だった。

親の感傷・・・この息子、実は月足らずで生まれた。その上、未熟児だったので保育器に入った。試着室でだぼだぼの制服を着ている息子を見て、保育器に入るこの子を旦那と並んで見つめたあの日を思い出した。旦那は若いころヘビースモーカーだった。子どもが生まれるたびに禁煙を誓い、守られることがなかった。末っ子の入る保育器の前でポツリと「煙草やめる」と言った。それほど小さくて、痛々しかった。大人の小指ほどしかないような太さの足にさされた点滴の針をなで「早く大きくなれ」と言った。それが届いたのか、息子は大きくなった。制服はLサイズ、ポロシャツはLLサイズ、上靴は26センチだった。

夏のズボンを予約して45000円がかかった。本来はこれに体育用のジャージがいるが、幸いに上の子どもが使ったものがLサイズだったので、とりあえず間に合わせることができる。おまけに「子ども手当」で払うことができた。「子ども手当」にもろ手をあげて賛成はできないが、こうやって恩恵にあずかれると、ありがたいものと思う。学校にお金がかからないというのはありがたい。親に渡らなくてもいいから、親から集金しない制度になればいいと思う。

旦那様の禁煙は保育器の前での誓いが守られることはなかった。家族の目を盗んでは隠れて吸って、非難を浴びていた。それから2年ほどして、末っ子が足の異常を訴え入院したことがある。原因は分からずじまいだったが、症状はなくなり元気になった頃、今、高校生の娘が何を思ったのか、家中の壁に「父、禁煙」という張り紙をした。玄関、トイレ、居間・・・父親が約束を守らなかったから、大事な弟がこんな目にあったと思ったのかもしれない。さすがにこれには父親としてこたえたのだろう、禁煙することができた。それから吸っていない。娘と息子のおかげだ。

制服が届くのは来月半ば、いよいよ末っ子も中学生だ。

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生協の白石さん・・・白石昌則・東京農工大学の学生の皆さん

2011年02月20日 | 本・・・

へそ曲がりは旦那様によく似たのか、この本がはやっていた頃も読んでいない。古本屋で出てくるのを待って、手に入れた。それから時折とりだしては読み返している。とても楽しい本だ。内容は、みなさんのほうが熟知されていると思う。東工大生協のひとことカードに、担当の白石さんが生協として返事を書かれた問答集だ。

生協の担当者として、どんな質問にも気まじめに答えているのだが、その誠実な答えが的外れのような外れていないような、そんな「微妙な」受け答えが笑える。白石昌則さんというかたの人柄もそうだが、東工大の学生さん達が素晴らしい。白石さんの返答を楽しむゆとりがある。ぼけとつっこみを見事に演じている。白石さんも信州大学を卒業されているという、相手に不足なしというところなのだろう。

長男が高三でセンター試験を終えたときに、あまり点数がとれていなかった彼は学校の進路指導で第一志望の大学は無理だと太鼓判を押された。「○○は教育大。総合大学が希望なら、秋田か信州」と言われた。秋田大や信州大が悪いとかそういうことはないのだが、今まで己が通う大学と言う目で見てこなかったのにいきなり名前が飛び出してきて、息子が混乱してしまった。信州大学と聞いて、あの時の息子の様子を思い出した。「ダメでもいいから受けたい」という息子の希望を優先し、信州大学に挑戦することはなかったのだが、白石さんのような方を育てた大学だったのかと、何も信州大学にイメージを持たなかった自分に形が少しできました。

今、白石さんはどうされているのかとネットで検索したら、2008年に東京インカレコープの店長さんになられて東工大にはいらっしゃらないようだ。加えてNHKのラジオ第一放送に「こたえて!生協の白石さん」と題するコーナーを持っているらっしゃるようだ。HPを観に行った。生協というくくりが無くなってしまったせいか、何でも聞けそうで、そうでもなく、質問される内容が偏っているように感じるのが不思議だが、白石さんは淡々と答えていらっしゃる。やはり、東工大の学生さん達に軍配が上がるように感じる。あの白石さんの問答は、東工大の学生さん達が相手だったからこそ生まれたのだなあ・・・。

ご存知だろうが、楽しい本の中からいくつか問答を

 

生協への質問・意見、要望・・・8月になったので、約束のプールに行きましょう♪

生協からのお答え・・・涼しげなお誘い、ありがとうございます。しかし、生協一同のだれもが、上記の約束を思い出せずにいます。このままでは待ち合わせの場所にすら行けそうにありませんが、どうぞ気にせず先に行ってください。(担当・白石)

 

生協への質問・意見、要望・・・牛を置いて!

生協からのお答え・・・ご要望ありがとうございます。本日丁度職場会議が開かれたのですが、結果、牛は置けない、と決議されました。即決でした。申し訳ございません。(担当・白石)

 

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学校評価にかかわるアンケート調査

2011年02月19日 | 子育て

「開かれた学校」というのを耳にされるとおもう。
そういう開かれた学校というものを目指し、全国の学校で学校評価アンケートというものが導入されて久しい。わが子がお世話になった学校にも、それぞれそういうものがある。
一番熱心なのは、小学校。子どもたちの対するアンケートから始まり、保護者からの自由記述を集め、それに対する学校の見解などを事細かに印刷し、年に2回、A4判で10ページ以上の立派なものが配られる。

全校児童数が300を少し超える程度の小さな小学校だ。だからこそできることなのだろうと思うが、このごろ感じるのは、もともと「開かれた学校」のために、誰でもが子どもの育ちのために、自由に意見を言える環境を整えようということで始まったことなのだろうが、今は、アンケートを取ることが目的になっているように感じる。

昨秋、前期アンケート結果報告なるものが配られた。あまりの分量の多さにいつもわが子に関するだろう部分だけを拾い読む。前回も「6年生」をキーワードに追っていっていた。こういうものなので、そう目につく意見があるわけではないはずなのだが、この時は違った。ある学年の保護者の方の記述に「6年生」を名指しした意見が、一つではなく立て続けにいくつも並んでいた。

書かれていたことは子どもであればありそうなことばかりで、指摘されれば気をつけますと受け入れることばかりなのだが、印刷物にそのまま載ったことに違和感を覚えた。親が手に入れる情報と言うのは、ほとんどが伝聞に基づいている。子どもからだったり、友達、その友達の親から・・・。子どもは嘘をつくことはあまりない。だが、自分に都合の悪いことは決して言わない。そういう情報だ。その上でも、親がわが子のいうことを全面的に支持をすることに文句をつけるものではない。私だって、うちの子の最大の味方でありたいと考えている。ただ、それを何の配慮もなく印刷物にして、全家庭に配布した学校のセンスに?だった。

昔、学校から出る印刷物は絶対な信頼があったように思う。誤字脱字などあるはずもなく。文章も素晴らしいものが書かれていたはずだ。今、学校から出る印刷物にそういう誇り高い何かは感じられない。誤字脱字、意味の通らない文章、日付の誤り・・・数え上げればきりがない。忙しいのだろうが、先生の信頼と言うのはそういうところから積み上げていくものではないかと考えているから、とても残念に感じている。

先日、後期アンケート調査が配られた。何年か前から、このアンケートに意味を見いだせなくなり、答えを返すことをやめていた。これが最後と思い、そんなこんなを書いて子どもに持たせた。私が言いたいことを先生はまっすぐ受け取ってくれるだろうか・・・定かでない。

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蒼馬を見たり・・・林芙美子詩集

2011年02月18日 | 本・・・

娘の学祭で開かれていた古本市に並んでいた復刻版だ。
「お気持ちを入れてください」と書かれた棚にあったので、気持ち10円玉を入れてきた。

林芙美子が亡くなるまで住んでいた家が、東京の実家のすぐ近くにある。
私が子どもの頃は林さんが住んでいらした。そんなご縁を感じて手に取った。
「放浪記」や「浮雲」は読んだことがあるが、詩集は初めてだった。1929年と言うから昭和の初めだ。
女性のありようが今とは違うので、想像でしかものが言えないが、
触るとやけどをしそうなほどつんつんとはじけている・・・自由闊達で、それは控え目に言うと「はねっかえり」とか「おてんば」「手に負えない」「新しい時代の申し子」などと言われた類ではなかろうか。

それでも、生き方に生気があふれている。今、私たちは、芙美子の時代からは想像できないほど、自由に物を考えて行動できる。それなのに、芙美子のように生き生きとしたエネルギーがないのはどうしてだろう。しばし、考えてしまった。中から一篇を

 

灰の中の小人

今日も日暮れだ
灰白い薄暗の中で
火鉢の灰を見つめていたら
凸凹の灰の上を
小人がケシ粒のやうな荷物をもつて
ヒヨコヒヨコ歩いている。

ーー姉さんくよくよするもんぢゃないよ
貧しき者は幸いなりつてねヘッヘッ
ああ疲れた

私はあんまり淋しくて泣けて来た
ポタポタ大粒の涙が灰に落ちると
小人はジュンジュン消へていってしまった。

 

*旧字体が使用されていますが、すみません、今の字でうちこみました。趣がありませんね

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