HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

マーケティングに強い米国人起用の成功例。

2013-10-08 15:38:33 | Weblog
 さる10月2日、仏革鞄メーカーの「ルイ・ヴィトン」は、1998年のプレタポルテ進出を機に起用したクリエイティブディレクター「マーク・ジェイコブス」の退任を発表した。

 思えば、米国人デザイナーが仏のラグジュアリーブランドで、高級既成服をデザインするというニュースは衝撃的だった。ちょうどこの10年ほど前は、伝統と技術に裏打ちされた仏のモード&メゾン界にグローバル経済の波が押し寄せた時期である。それはバッグメーカーのルイ・ヴィトンも例外ではなく、87年にはシャンパンメーカーのモエ・ヘネシーと合併し、「LVMHグループ」として活性化の道を探り始めた。

 伝統のマークと熟練の技を守りつつ、ブランドビジネスを維持していくには、モードファッションの世界に進出してグローバルに情報を発信しながら、世界中の一等地に旗艦店を構えて上顧客を獲得するしかない。そのためには旧態依然とした家族経営を脱皮し、ビジネスの原資をマーケットに求める戦略に舵を切ったとすれば、いたって正しい選択だったと言える。

 一方、LVMHグループとて、 巨大ファッションコングロマリットの標榜する上では、規模を追及しなければならない。仏の国立大学を卒業後、80年代前半に米国で不動産事業を行っていた総帥、ベルナール・アルノーも、モードファッションへの参入はM&Aというごく普通のビジネス手法で入っていった。

 84年、不動産で稼いだ資金を元手に老舗ブランド、クリスチャン・ディオールを所有する繊維会社のブサックを買収。当時、放漫経営から資金難に陥っていたブサックは、資本を右から左に動かす不動産経営者にとって、値下がりした土地と同じように「買い時」に見えたのだろう。

 ただ、 ファッションも不動産同様にリスクを伴う。デザイナーの感性や知名度におんぶされるだけに、大火傷をする可能性は否めない。そこで、アルノーは高級洋酒とバッグ、宝石や時計、香水を精力的に販売していく。一見、商品はバラバラで何の関連性もないようだが、「高級ブランド」であることは共通する。 そして、これらをつなぐと、アルノーが目指したビジネスの到達点が見えてくるような気がする。

 まず、いろんな業種を手がけること。そこでは一つの大ヒットより、いくつかの小ヒットを狙うこと。 それは原価は安く、売値は高いものであること。つまり、儲けの大きい業種に限るということだ。こうした条件でビジネスが成り立つには、ズバリ商品が売れなければならない。だから、いくつものブランドを傘下に収めることで、リスクを分散しているのである。

 高級ブランド=売れる商品であること。これはルイ・ヴィトンがプレタポルテに進出する上でも、必須条件であったのは言うまでもない。であれば、起用するデザイナーも頑に職人技を追及するラテン系よりも、マーケティングに長けたアングロサクソン系の方が向くと考えるのは当然だろう。

 ディオールには英国人のジョン・ガリアーノ、セリーヌには米国人のマイケル・コースが起用されていた。そして、ルイ・ヴィトンは、NYでも無名に近かったマーク・ジェイコブスに白羽の矢を立てたのだ。就任前年には日本のオンワード樫山の支援で企業を設立し、自身の名前でコレクションデビューしたばかりの若造である。

 しかし、そこにはルイ・ヴィトンの強かな計算があったと思われる。もし、ペリー・エリスやカルバン・クラインのように知名度や実績をもつデザイナーなら、契約料はバカ高い金額になったはずだ。また、プレタポルテが思うような売上げを上げられなかったら、契約解除の問題でこじれることが予想されたからである。

 その点、コレクションデビュー間もない新人デザイナーなら、クビを切ることもそれほど難しくない。ただ、役職はデザイナーではなく、クリエイティブディレクターだった。その違いは単に既成服をデザインするだけでなく、ヴィジュアルマーチャンダイジングやショップづくり、広告制作にまで関わることである。

 ここでマーク・ジェイコブスは、期待以上の働きをする。それまでのルイ・ヴィトンは高級ブランドとは言え、モノグラムマークの爺婆くさいイメージがつきまとっていた。そこにNYのエッセンスである都会的でモダンな雰囲気、あるいはスパイスのきいたシャープな感覚を持ちんだ。売場に並ぶクロージングから小物までが、ルイ・ヴィトンを一気にあか抜けさせたのである。

 マーク・ジェイコブスは就任以降、LVMHのグループ力、ネットワークを最大限に活用し、プレタポルテを微に入り細にわたって作り上げていった。とても一人でできる仕事ではないから、優秀なブレーンもいたはずだ。店づくりから広告展開までを十分に理解してくれ、一を伝えると十わかってくれるようなフランス人スタッフの存在である。

 ルイ・ヴィトンを活性化させるプレタポルテのデザインとコンセプトを説得力をもって本家首脳やスタッフの腑に落とす手腕。優れたコミュニケーション能力無しには、とてもなし得なかったであろう。しかも、老舗ブランドという組織の中でそれをマネジメントし、スタッフをねじ伏せたわけだから、その能力たるや計り知れない。

 マーク・ジェイコブスの仏進出は意外な副産物も生んだ。世界中のメディアが彼を取材し報道することで、自身のブランドプロモーションにもつながったのだ。それも計算していたとすれば、ルイ・ヴィトン以上に強かだし、卓越したビジネスセンスだ。初めて名前を聞いたとき、「ジェイコブス≒ヤコブ。ユダヤ系だな」とピンと来たが、まさにその名に恥じない才覚の持ち主だったと言える。

 日本ではレナウンルック改め、ルックがファーストラインの「マーク・ジェイコブス」やセカンドラインの「マークバイ マーク・ジェイコブス」を輸入し、販売。出版社の宝島社が大人向けのストリートファッション、着回しの利く提案としてこぞって取り上げ、雑誌の「インレッド」や「スプリング」の部数拡大にもつながった。

 当時、若い子に「好きなブランドは?」とたずねると、「マーク・ジェイコブス」と答えるものが多かったのも、雑誌の影響があったのは言うまでもない。その背景にファッションコングロマリットと米国人デザイナーの強かな考えがあったことを口酸っぱくして説明したのが、今となっては懐かしい。

 マーク・ジェイコブスのような仕事は、トレンド、イメージなどの条件が評価される消費材的な商品を生み出し、売って行く業界だからこそ、認められる。金融機関や素材、機械産業ではその価値は理解されないと思う。さて、彼に次ぐデザイナー、クリエイティブディレクターが誰になるのか。こちらも興味津々である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする