フリーでファッションやグラフィックのデザインに関わると、裾野に広がる関連業界のいろんな人間と知り合う。生地や材料の業者、工場、もちろん紙の商社や資材のサプライヤーまでいろいろだ。ところが、ITがビジネスに浸透して以降は、その顔ぶれもずいぶん変わってきた。
アパレルでは異業種から参入してきた人であったり、グラフィックでもペーパーレスのデジタル関係者であったりする。そうしたベンチャー系の人々は、ビジネスの新しい可能性を探るべく、やたらコミュニケーションの場を持ちたがる。「今度、懇親をかねてセミナーを開きますんで…」と、もろ参加要請を臭わしてくる御仁もいる。
行政や関係団体が企画したイベントに乗っかる場合もあるし、元締めのような会社が開くセミナーや勉強会もある。そこには少しでも取引先を開拓したい、自分の名前を売り込みたいなど、いろんな思惑の人々がやってきているが、どこまでビジネスに繋がるかは懐疑的だ。結局、お金が落ちるのは会場や飲食業者というのはハッキリしている。
講演会やセミナーについては、フリーになって仕事で世話になった人からも、過去に何度か参加依頼が来ている。自分が興味をもったテーマなら、時間を作ってカネを出してでも行きたいが、そんな誘いに限って気乗りしないものばかりだ。まあ、無碍に断るわけにも行かないので参加するケースもあるが、中にはドイヒーなものもある。
「ファッション業界誌にも執筆しているなら、役立つ話だと思うわよ」と、アパレル時代の女性上司から請われたセミナーがあった。全国5〜6カ所で開催し、福岡でもあるから、ぜひ参加してほしいとのことだ。テーマは「流通関係」というだけで、詳しい内容は聞かなかったが、入場は無料だったので時間の都合を付けて出かけてみた。
会場は中心部の天神から少し離れた雑居ビル。参加者は口コミで集められたのだろうか、子連れの主婦やセミリタイアした人々たちが50名程度いて、スーツ姿のビジネスマンはほとんど見かけなかった。講演者は元グラフィックデザイナーの男性で、年齢は40歳手前くらい。今は転職したビジネスで大成功をおさめているという。
話の脈略はデザイン専門学校を卒業後、デザイン会社に勤務していたことに始まり、残業ばかりの割に給料はもの凄く安く、これでは将来の展望が開けないと感じたと続き、自分で事業を興そうと思い立ったという流れに帰結していく。
そこまではよくある話だから何ら問題はなかったが、話はとある商品との出会い、その商品の良さに惚れ込むうちに、それをいろんな人に勧めたくなったと、続いていく。ここまで来ると、「ああ、これはマルチまがいの商法への勧誘だな」というのは、だいたい想像がついた。
元グラフィックデザイナーは、デザイン会社勤務時代には月に20万円ももらえなかった報酬が、この商品を売るようになっていきなり1ヵ月で50万円を超えたと豪語した。多い月には200万円を超え、少ない月でも100万円は下らないと捲し立てた。その後はお決まりの流れになっていったので、これ以上書く必要もないと思う。
話の真偽は別にどうでもいい。ビジネスだから成功する人もいるだろうし、美味い話に騙されて酷い目に遭う人もいる。そんなもんだから、セミナーの途中からは胡散臭い話に耳を傾けるより、元グラフィックデザイナーの格好をじっくり観察することにした。
少し長めの髪に、白のシャツとベージュのチノパン、靴はレザーのスニーカーらしかった。元職とは言えグラフィックデザイナーとしてはごくありがちな格好で、とてもセンスがいいとは思えない。ただ、身振り手振りで話すので、袖口からはちらちら時計が見えていた。当時、流行っていた高級時計の「パネライのよう」だった。
筆者は時計に詳しいわけではないが、当時のファッション雑誌には頻繁に露出していたので、直ぐに「ルミノールマリーナらしい」と気づいた。元グラフィックデザイナーが付けていたのはクロコベルトだったから、本物なら価格は50万円以上する。月額の報酬が100万円を下らないのだから、パネライくらい買えるのは、何ら不思議ではない。
でも、高級時計を身につけている割に着ていたシャツやパンツはあまりに安物だった。特にシャツは生地に張りがなく、型くずれしていた。仕立てもあまり良さそうではなかった。パンツも脇ポケットの縫い合わせ部分が擦れて毛羽立っていたので、良い生地ではなさそうだ。スニーカーもアッパーのレザーが擦れて、ところどころ色が剥げていた。
50万円以上もする時計の割に、身につけているアイテムはどれも見窄らしかった。「今どき、ユニクロだって、2〜3年着てもここまでならないぜ」「いったい、どこで買ってんだろう」と、話の内容もそっちのけで、しばらく着ているアイテムばかりを注視していた。
この御仁はあまりファッションには興味がないのだろうか。その割に時計がパネライというのもおかしい。ロレックスやオメガのように貴金属ファン御用達ならともかく、パネライはイタリア海軍向けのダイバーズウォッチで、高級ブランド時計でありながらファッション性も兼ね備えている。だから、ファッション雑誌が取り上げたのである。
他の参加者が彼の印象をどう受け取ったのかはわからないが、元職が売れないグラフィックデザイナーだったということを考えると、その時は自分のファッションにはあまり興味がないのか、それとも急に年収が上がったので、購入するのは時計くらいしかないのかと思った。
ところが、先日、以下のような記事がネットにアップされていた。「時計と靴と詐欺師について」https://gqjapan.jp/watch/news/20171028/the-look-of-a-con-man-174
時計ジャーナリストが人と連れ立って、投資話を聞かされる話で、その時に話を持ちかけた人間が身につけている時計や靴で、相手の素性が見分けられるという内容だ。
本当の詐欺師なら、時計や靴までも徹底して良いモノを身につけ、相手を信用させるのだろうが、そこまで行かないレベルの詐欺師もいるようだ。それでもコロッと騙される人がいるのだから、詐欺のニュースが後を絶たないのがよくわかる。
ただ、筆者が話を聞いた元グラフィックデザイナーが付けていたパネライのルミノールマリーナがもし偽物だとしたら、ネット記事の内容と整合する部分も少なくない。これは事実と言えなくとも、参考にしてもいいだろうと納得した。以下は記事に書かれていた詐欺師を見分けるポイントである。
「個人的に、詐欺師を見抜くポイントを挙げたい。相手が身分不相応な時計を持っていると思った場合、重さとベルトを見ること」
「贋作は軽く、ベルトも安っぽい。本物だと思ったなら、ベルトの傷みと、靴のカカトの減りをチェックすべし」
「そこで問題があったら、忙しくて直せないか、お金を持っていないことを意味する。仕事の話が大げさならば、怪しいと考えてよさそうだ」
筆者は時計を確かめたわけではないから、真贋はわからない。ただ、セミナーでの話は非常に胡散臭かったし、グラフィックデザイナーとしても実力がなかったのは確かだ。おまけに身に付けていたシャツやパンツがセンスを疑わざるを得ないしろ物である。時計の真贋を見分けなくても、それを基準に他のアイテムをじっくり注視して、相手を判断することはできると、記事の行間からも読み取れる。
少なくともデザインに携わる人間なら、どこかに拘るものだ。仕事では妥協できない部分が往々にしてあるから、使う道具はもちろん、持ち物や身につけるアイテムにも、自分の考えや生き方が宿る。それがデザイナーの感性をさらに磨き、仕事でも発揮されていくのである。
ブランドか、そうでないかは関係ない。価格で決まるものでもない。要は選ぶ人間のセンスや世界観が写し出されているかなのである。その意味で、話を聞いた元グラフィックデザイナーが詐欺師だったか否かは別にしても、こいつはデザイナーとしては端からダメだなと確信した。誘っていただいた元上司には申し訳なかったが、講演者のセンスを判断してセミナーは途中で退散させていただいた。
「人は見かけによらない」と言われる。確かに見かけや格好だけで、その人の人格が決まるものではない。一方で、有能な詐欺師のことを考えると、外見に騙されてしまうこともある。しかし、持ち物や身につけるアイテムをひとつひとつ突き詰めて見ていくと、どこかにその人間の人となりが滲み出てくるものだ。
量産される商品を前提にプロパーでは買わない、価格が下がるまで待って買う、価格だけを手に入れるか入れないかの選択肢にした自虐ネタで喜ばれる方もいらっしゃる。自慢されるPVの数をみると、確かに賛同する方は少なくないようだ。だが、デザインの世界では、価格や品質以外にも価値を決める要素がある。それを持ち使う、人間が何を基準に選んだかで、その人間の価値さえ判断されると言っても過言ではない。
当然、持ち物や身につけるアイテムは人間同士の付き合いの中で、相手が合うか合わないかの判断材料の一つにもなる。この人のセンスは自分には合わないなと思えば、付き合い自体をセーブして騙されるリスクを回避できるのではないかと思う。それが自分にとっては詐欺に遭わない一つの方法でもあると、セミナーの一件とネット記事で改めて思った次第である。
アパレルでは異業種から参入してきた人であったり、グラフィックでもペーパーレスのデジタル関係者であったりする。そうしたベンチャー系の人々は、ビジネスの新しい可能性を探るべく、やたらコミュニケーションの場を持ちたがる。「今度、懇親をかねてセミナーを開きますんで…」と、もろ参加要請を臭わしてくる御仁もいる。
行政や関係団体が企画したイベントに乗っかる場合もあるし、元締めのような会社が開くセミナーや勉強会もある。そこには少しでも取引先を開拓したい、自分の名前を売り込みたいなど、いろんな思惑の人々がやってきているが、どこまでビジネスに繋がるかは懐疑的だ。結局、お金が落ちるのは会場や飲食業者というのはハッキリしている。
講演会やセミナーについては、フリーになって仕事で世話になった人からも、過去に何度か参加依頼が来ている。自分が興味をもったテーマなら、時間を作ってカネを出してでも行きたいが、そんな誘いに限って気乗りしないものばかりだ。まあ、無碍に断るわけにも行かないので参加するケースもあるが、中にはドイヒーなものもある。
「ファッション業界誌にも執筆しているなら、役立つ話だと思うわよ」と、アパレル時代の女性上司から請われたセミナーがあった。全国5〜6カ所で開催し、福岡でもあるから、ぜひ参加してほしいとのことだ。テーマは「流通関係」というだけで、詳しい内容は聞かなかったが、入場は無料だったので時間の都合を付けて出かけてみた。
会場は中心部の天神から少し離れた雑居ビル。参加者は口コミで集められたのだろうか、子連れの主婦やセミリタイアした人々たちが50名程度いて、スーツ姿のビジネスマンはほとんど見かけなかった。講演者は元グラフィックデザイナーの男性で、年齢は40歳手前くらい。今は転職したビジネスで大成功をおさめているという。
話の脈略はデザイン専門学校を卒業後、デザイン会社に勤務していたことに始まり、残業ばかりの割に給料はもの凄く安く、これでは将来の展望が開けないと感じたと続き、自分で事業を興そうと思い立ったという流れに帰結していく。
そこまではよくある話だから何ら問題はなかったが、話はとある商品との出会い、その商品の良さに惚れ込むうちに、それをいろんな人に勧めたくなったと、続いていく。ここまで来ると、「ああ、これはマルチまがいの商法への勧誘だな」というのは、だいたい想像がついた。
元グラフィックデザイナーは、デザイン会社勤務時代には月に20万円ももらえなかった報酬が、この商品を売るようになっていきなり1ヵ月で50万円を超えたと豪語した。多い月には200万円を超え、少ない月でも100万円は下らないと捲し立てた。その後はお決まりの流れになっていったので、これ以上書く必要もないと思う。
話の真偽は別にどうでもいい。ビジネスだから成功する人もいるだろうし、美味い話に騙されて酷い目に遭う人もいる。そんなもんだから、セミナーの途中からは胡散臭い話に耳を傾けるより、元グラフィックデザイナーの格好をじっくり観察することにした。
少し長めの髪に、白のシャツとベージュのチノパン、靴はレザーのスニーカーらしかった。元職とは言えグラフィックデザイナーとしてはごくありがちな格好で、とてもセンスがいいとは思えない。ただ、身振り手振りで話すので、袖口からはちらちら時計が見えていた。当時、流行っていた高級時計の「パネライのよう」だった。
筆者は時計に詳しいわけではないが、当時のファッション雑誌には頻繁に露出していたので、直ぐに「ルミノールマリーナらしい」と気づいた。元グラフィックデザイナーが付けていたのはクロコベルトだったから、本物なら価格は50万円以上する。月額の報酬が100万円を下らないのだから、パネライくらい買えるのは、何ら不思議ではない。
でも、高級時計を身につけている割に着ていたシャツやパンツはあまりに安物だった。特にシャツは生地に張りがなく、型くずれしていた。仕立てもあまり良さそうではなかった。パンツも脇ポケットの縫い合わせ部分が擦れて毛羽立っていたので、良い生地ではなさそうだ。スニーカーもアッパーのレザーが擦れて、ところどころ色が剥げていた。
50万円以上もする時計の割に、身につけているアイテムはどれも見窄らしかった。「今どき、ユニクロだって、2〜3年着てもここまでならないぜ」「いったい、どこで買ってんだろう」と、話の内容もそっちのけで、しばらく着ているアイテムばかりを注視していた。
この御仁はあまりファッションには興味がないのだろうか。その割に時計がパネライというのもおかしい。ロレックスやオメガのように貴金属ファン御用達ならともかく、パネライはイタリア海軍向けのダイバーズウォッチで、高級ブランド時計でありながらファッション性も兼ね備えている。だから、ファッション雑誌が取り上げたのである。
他の参加者が彼の印象をどう受け取ったのかはわからないが、元職が売れないグラフィックデザイナーだったということを考えると、その時は自分のファッションにはあまり興味がないのか、それとも急に年収が上がったので、購入するのは時計くらいしかないのかと思った。
ところが、先日、以下のような記事がネットにアップされていた。「時計と靴と詐欺師について」https://gqjapan.jp/watch/news/20171028/the-look-of-a-con-man-174
時計ジャーナリストが人と連れ立って、投資話を聞かされる話で、その時に話を持ちかけた人間が身につけている時計や靴で、相手の素性が見分けられるという内容だ。
本当の詐欺師なら、時計や靴までも徹底して良いモノを身につけ、相手を信用させるのだろうが、そこまで行かないレベルの詐欺師もいるようだ。それでもコロッと騙される人がいるのだから、詐欺のニュースが後を絶たないのがよくわかる。
ただ、筆者が話を聞いた元グラフィックデザイナーが付けていたパネライのルミノールマリーナがもし偽物だとしたら、ネット記事の内容と整合する部分も少なくない。これは事実と言えなくとも、参考にしてもいいだろうと納得した。以下は記事に書かれていた詐欺師を見分けるポイントである。
「個人的に、詐欺師を見抜くポイントを挙げたい。相手が身分不相応な時計を持っていると思った場合、重さとベルトを見ること」
「贋作は軽く、ベルトも安っぽい。本物だと思ったなら、ベルトの傷みと、靴のカカトの減りをチェックすべし」
「そこで問題があったら、忙しくて直せないか、お金を持っていないことを意味する。仕事の話が大げさならば、怪しいと考えてよさそうだ」
筆者は時計を確かめたわけではないから、真贋はわからない。ただ、セミナーでの話は非常に胡散臭かったし、グラフィックデザイナーとしても実力がなかったのは確かだ。おまけに身に付けていたシャツやパンツがセンスを疑わざるを得ないしろ物である。時計の真贋を見分けなくても、それを基準に他のアイテムをじっくり注視して、相手を判断することはできると、記事の行間からも読み取れる。
少なくともデザインに携わる人間なら、どこかに拘るものだ。仕事では妥協できない部分が往々にしてあるから、使う道具はもちろん、持ち物や身につけるアイテムにも、自分の考えや生き方が宿る。それがデザイナーの感性をさらに磨き、仕事でも発揮されていくのである。
ブランドか、そうでないかは関係ない。価格で決まるものでもない。要は選ぶ人間のセンスや世界観が写し出されているかなのである。その意味で、話を聞いた元グラフィックデザイナーが詐欺師だったか否かは別にしても、こいつはデザイナーとしては端からダメだなと確信した。誘っていただいた元上司には申し訳なかったが、講演者のセンスを判断してセミナーは途中で退散させていただいた。
「人は見かけによらない」と言われる。確かに見かけや格好だけで、その人の人格が決まるものではない。一方で、有能な詐欺師のことを考えると、外見に騙されてしまうこともある。しかし、持ち物や身につけるアイテムをひとつひとつ突き詰めて見ていくと、どこかにその人間の人となりが滲み出てくるものだ。
量産される商品を前提にプロパーでは買わない、価格が下がるまで待って買う、価格だけを手に入れるか入れないかの選択肢にした自虐ネタで喜ばれる方もいらっしゃる。自慢されるPVの数をみると、確かに賛同する方は少なくないようだ。だが、デザインの世界では、価格や品質以外にも価値を決める要素がある。それを持ち使う、人間が何を基準に選んだかで、その人間の価値さえ判断されると言っても過言ではない。
当然、持ち物や身につけるアイテムは人間同士の付き合いの中で、相手が合うか合わないかの判断材料の一つにもなる。この人のセンスは自分には合わないなと思えば、付き合い自体をセーブして騙されるリスクを回避できるのではないかと思う。それが自分にとっては詐欺に遭わない一つの方法でもあると、セミナーの一件とネット記事で改めて思った次第である。