10月の初め、繊研PLUSに以下のような記事がアップされた。愛知県岡崎市の広告制作会社の「虹男」と東京都国立市の縫製工場の「オフリヤ」がユニセックスのアパレルブランド「NOケア」(エヌオーケア)を立ち上げたというものだ。業界で有名なグラフィックデザイナーとアパレルメーカーとのコラボならありがちだが、地方拠点の広告会社と一介の縫製工場がタッグを組むという点では、異例のケースと言えるだろう。
NOケアは「人にやさしい衣服作り」をコンセプトにしたコットン100%の「血行促進ウェア」。8月にSNSを中心とした販促を始め、ECサイトで第1弾のTシャツ(税込み9900円)を発売した。Tシャツで1万円は高額と言えるが、細部へのこだわりがあるからだ。まず、シルケット加工をした綿100%の丸編みを採用し、滑らかな肌触りを追求した。サイズはS、M、L、XL、Mショートの4サイズ展開。身幅を大きめにして着たい時にだらしく見えないように、身幅はM、L、XLでもそれぞれ丈は短めにした。
エヌオーケアのロゴはTシャツの背面ネック下に刺繍されている。しかも、刺繍は別布に施し、それをTシャツ背面に縫い付けるという凝った仕様。Tシャツの生地にそのまま刺繍すると糸が首下の肌と擦れるため、そうならない配慮だとか。広告会社の発想なら、白地のTシャツを差別化するにはオリジナルロゴをつければいいとなる。そこに縫製工場が関わったことで、ロゴを刺繍した生地を縫い付ける二重構造にすれば、もっと上質感が出せるとなったわけだ。まさに協業共作による産物と言える。
そして、温泉由来のミネラル成分を使った「イフミック加工」の採用。これは大阪市のイフミックウェルネスが加工した製品を体に近づけると血中の一酸化窒素(NO)が拡散し、血管拡張による血行促進効果が期待できる機能を利用したもの。加工の対象となる製品は、化繊も天然繊維も問わず、噴霧するだけで効果を発揮するという。血行促進を謳う製品ではポリエステル製が多いが、天然繊維100%はNOケアのみということで、差別化できると考えたとか。着た人が血行促進を実感できれば、1万円は安いのかもしれない。
広告制作との協業では、もう一つ事例がある。こちらは広告制作会社に勤務するコピーライターとグラフィックデザイナーがテキスタイルプロジェクト「scale」を立ち上げ、群馬県桐生市の織物メーカー「須裁」が協力したものだ。二人は同社がもつ二重ジャガード織の技術を使用して、海中を泳ぐ魚の鱗のような織物を表現した。糸へんに門外漢のコピーライターやグラフィックデザイナーが鱗や織物に注目したのは、遠い昔、陸に上がる前の生き物が身に纏っていた(鱗)という点。それを創作活動の延長線上で、織物に表現できるのではないかということだった。
おそらく糸についても、織りについても全く知らないことばかりだろうから、メーカーからノウハウを学びながら、プロジェクトを進めていったはずだ。まず、糸を1本ずつ織り込み、美しい色を出していく。そして、ジャカード織の技術を利用することで、魚のうろこが水面の揺らぎの中で光を反射させながら輝く様を表現しようとした。2種類を開発し、あえて波状の模様がでる「モアレ」にする二重織に。緯糸の配色と織り組織を工夫することで色合いを変化させ、1本の糸を染め分ける絣(かすり)糸を用いて、稚魚のみずみずしい鱗をイメージさせたテキスタイルとなった。
コピーライターは別にしても、グラフィックデザイナーは仕事上、紙の上ではいろんな色彩表現を行なっている。配色はアナログの時代からCMYK4色(C:シアン=青、M:マゼンタ:赤、Y:イエロー=黄、K:黒)のパーセンテージの掛け合わせで決まる。例えば、緑色にするにはC100%、Y100%と指定し、どちらかのパーセントを下げれば、黄緑、または青緑となる。カラー印刷ではCMYK(BL)4色の「アミ点」で再現され、それぞれ4つの版が重ね刷りされることで、カラーや写真が仕上がるのである。
当然、写真やイラストの濃淡(明暗)は、アミ点の大小によって表現される。明るい部分のアミ点は小さく、暗い部分のアミ点は大きく、ほとんどつぶれかかっているという感じだ。2枚のアミ点を重ねると、角度によっては微妙な模様が浮かび上がる。これがモアレだ。人間の脳はモアレを見ると幻惑し、正しい像として認識しづらい。そこで、4つの版を重ねるカラー印刷でK75%に決めたらMを45%、Cを15%に置き、その間にYを置くなど、色別のフィルムの角度を変えてアミ点を目立たなくし、モアレが起きないようにしている。
グラフィックデザイナーならこの原理は知っていて当然だ。テキスタイルでも同じで、モアレが出る生地は服には向かないと言われる。だが、今回のテキスタイルプロジェクトでは、それにあえてチャレンジしたところは評価できる。9月に東京で開催した展示会では、来場者から「テキスタイルでこんな表現もできるのだ」との垂涎の声が上がった点を見ても、糸へんに門外漢のクリエーターが生地作りに参画するのも一つの手ではないかと思う。
クリエイティブワークは発想を変えることから
筆者はグラフィックデザイナーと仕事をすることが多かった。ただ、1990年代までのグラフィックデザインは、属人的な職人気質やアナログな手作業が得てして作品の良し悪しを決めた。イラストレーターが筆やペンを使って繊細なタッチの絵を描くように、グラフィックデザイナーも鉛筆、ペン、筆、カラス口を使用して様々な線を引き、サインペンやポスターカラー、パントーンなどでベタ面を着色していた。コピーのトナーに反応するカラーの転写シートがデビューするのは1987年頃で、デジタルの普及は90年代に入ってからだ。
だから、PCのMACやAdobeのソフトを使用するまでは、曲線を綺麗に描ける、エッジを際立たせる、隅々まで細かく着色できる、ホワイトスペースを生かせる、フラットに見えなくするなどが、デザイナーのセンスや能力を判断する指標だった。当時のグラフィックデザイナーは美術大学やデザイン専門学校の出身者はそれほど多くなかった。高卒でそのままデザイン事務所に入ったり、印刷会社の工務スタッフからの叩き上げなど、徒弟制度で技術を磨いた人が多数を占めたことも、そうした背景にはあったと思う。
筆者も大学時代にダブルスクールでグラフィックデザインやコピーライティングを学んだが、彼らの方が年齢は少し上で、仕事でははるかに経験豊富で、技術の面でも修練されていた。だから、こちらが発注側でも、打ち合わせの要領や作業の手順、スケジュール、ギャラは、彼らのペースや心情を慮りながら考えていた。彼らから得るものは非常に多かった反面、もう少し頭を使って、効率良く仕事をしてもいいのではないかと思うことも多々あった。
広告制作におけるグラフィックデザインは、最終的には新聞広告、駅貼りや中吊りのポスター、カタログやパンフレット、DM、チラシなどで、イラストレーションの発注や撮影のディレクション、版下データの制作を経て印刷入稿を行い、各媒体を創り上げる作業になる。それぞれの制作物はアパレルのように商品としての換価価値をもつのではなく、別の対象物=商品やサービスの販促ツールとして機能するに過ぎない。つまり、広告制作におけるグラフィックデザインは、あくまで商業デザインの一部だった。
一方、アパレル業界が制作するパンフレットやDMは違った。こちらはブランドバリュの向上に役立てるツールではあるが、それ自体が商品同様に高い価値を持つ。お客さんはDMをもらうだけで、商品を買わずともテンションが上がった。その意味では単なる印刷物ではなかった。ロゴデザイン、商品やモデルの写真、レイアウトや色使い、印刷する紙や封筒の質感等など。それぞれがブランドの価値を決め、イメージアップと売上げを左右する。どれも手を抜くことはできない。広告の印刷媒体もデザイン作業を行うのは同じだが、媒体の使用目的が異なることもあり、媒体の価値はアパレルとは次元が違ったのである。
アパレルでDMやカタログを制作していたため、ある時、デザイナーに話したことがある。「グラフィックデザインも、絵画や漫画と同じように商品として販売できるものが作れないか」と。すると、彼は「考えてはいます。ビッグイベントや有名ショップのグッズとして、ブロックメモを制作して販売するのはどうかと。用紙1枚1枚の平面か、重ねた紙の側面にロゴマークを印刷すれば、アピールにもなります」と、語った。当時、市販のブロックメモはあったが、ブランドバリュをあげるためのPBグッズはなかった。
紙を中心に活動していたグラフィックデザイナーだけに、商品企画の発想も紙からは抜けきれなかったようだ。その時、こちらが「グラフィックの発想を洋服生地のデザインに生かせないかな」と言うと、彼は門外漢というか、異業種の領域には踏み込めないようで、キョトンとした表情を示すだけだった。ブロックメモについては、確認したわけではないが、バブル期には顧客向けのノベルティとして制作され、無償で配布したブランドなどがあったかもしれない。ただ、その後にバブル景気がはじけたこともあって、PBグッズとしてのブロックメモが広がることはなかった。
現在、ブロックメモは100円ショップにも揃い、上端に糊がついた付箋までが格安で販売されている。パッド系メモ用紙ではRHODIA(ロディア)のようなブランドもある。わざわざ企画するには紙質に凝ったりなど、よほどの仕掛けを考えないと競争力を持つ商品にはならないだろう。そんなことを考えていると、You-Tubeで、用紙1枚1枚に施されているミシン目のラインが違うため、紙を使っていくうちに中から精巧な模型が現れるブロックメモを見つけた。商品名は「OMOSHIROI BLOCK 」という。
商品は完売しているものもある。話題のきっかけになったのは、観光地の「清水寺」をはじめ、ピアノや雷門など22種類。制作したのは建築模型など様々なデザインを手がけるトライアードの川嶋さん。シンプルな形のブロックから紙を1枚ずつ引いていくことで、どんどん形が変化していく。まさかこれが出てくるのかという驚きがあるものを作れたらいいなということから開発に取り組んだとか。発想の原点は建築模型の内部を見せるため、紙を重ねて形を作る製法だった。模型製作の技術を駆使して紙を1枚ずつ機械で切り取ってから、手作業で組み上げていくものだ。
切り抜いた紙1枚1枚は切り絵のようにグラフィックになるが、それらを重ねることで立体的な造形を創るには建築の知識が必要になる。平面の2次元から空間の3次元、いわゆるスペースデザインの領域である。つまり、自分が行なっている仕事の領域から一歩抜け出して発想してみることが、新たな商品を生み出すことになるわけだ。現在はデジタル技術が普及しているので、フラットの紙1枚1枚のミシン目を少しずつずらして施すことも、パソコンでデータを作れば機械が自動的にやってくれる。そこはアナログ時代とは違うからコストも手間も下がるだろう。
その意味で、グラフィックデザイナーがテキスタイルデザインに挑戦するのは、決して無謀なことではないと思う。筆者が1980年代から思っていたことを実際にグラフィックデザイナーとコピーライターがプロジェクトにしてくれたことはリスペクトしたい。
繊維業界、特に生地作りは海外生産に押され、厳しい環境にある。だからこそ、門外漢というか、異業種の人間の発想でテキスタイルデザインの表現に新風を巻き起こすことも必要だと思う。いろんなクリエーターが業界の垣根を越えて、商品作りに取り組むことが活性化に繋がるのは間違いないと思う。
NOケアは「人にやさしい衣服作り」をコンセプトにしたコットン100%の「血行促進ウェア」。8月にSNSを中心とした販促を始め、ECサイトで第1弾のTシャツ(税込み9900円)を発売した。Tシャツで1万円は高額と言えるが、細部へのこだわりがあるからだ。まず、シルケット加工をした綿100%の丸編みを採用し、滑らかな肌触りを追求した。サイズはS、M、L、XL、Mショートの4サイズ展開。身幅を大きめにして着たい時にだらしく見えないように、身幅はM、L、XLでもそれぞれ丈は短めにした。
エヌオーケアのロゴはTシャツの背面ネック下に刺繍されている。しかも、刺繍は別布に施し、それをTシャツ背面に縫い付けるという凝った仕様。Tシャツの生地にそのまま刺繍すると糸が首下の肌と擦れるため、そうならない配慮だとか。広告会社の発想なら、白地のTシャツを差別化するにはオリジナルロゴをつければいいとなる。そこに縫製工場が関わったことで、ロゴを刺繍した生地を縫い付ける二重構造にすれば、もっと上質感が出せるとなったわけだ。まさに協業共作による産物と言える。
そして、温泉由来のミネラル成分を使った「イフミック加工」の採用。これは大阪市のイフミックウェルネスが加工した製品を体に近づけると血中の一酸化窒素(NO)が拡散し、血管拡張による血行促進効果が期待できる機能を利用したもの。加工の対象となる製品は、化繊も天然繊維も問わず、噴霧するだけで効果を発揮するという。血行促進を謳う製品ではポリエステル製が多いが、天然繊維100%はNOケアのみということで、差別化できると考えたとか。着た人が血行促進を実感できれば、1万円は安いのかもしれない。
広告制作との協業では、もう一つ事例がある。こちらは広告制作会社に勤務するコピーライターとグラフィックデザイナーがテキスタイルプロジェクト「scale」を立ち上げ、群馬県桐生市の織物メーカー「須裁」が協力したものだ。二人は同社がもつ二重ジャガード織の技術を使用して、海中を泳ぐ魚の鱗のような織物を表現した。糸へんに門外漢のコピーライターやグラフィックデザイナーが鱗や織物に注目したのは、遠い昔、陸に上がる前の生き物が身に纏っていた(鱗)という点。それを創作活動の延長線上で、織物に表現できるのではないかということだった。
おそらく糸についても、織りについても全く知らないことばかりだろうから、メーカーからノウハウを学びながら、プロジェクトを進めていったはずだ。まず、糸を1本ずつ織り込み、美しい色を出していく。そして、ジャカード織の技術を利用することで、魚のうろこが水面の揺らぎの中で光を反射させながら輝く様を表現しようとした。2種類を開発し、あえて波状の模様がでる「モアレ」にする二重織に。緯糸の配色と織り組織を工夫することで色合いを変化させ、1本の糸を染め分ける絣(かすり)糸を用いて、稚魚のみずみずしい鱗をイメージさせたテキスタイルとなった。
コピーライターは別にしても、グラフィックデザイナーは仕事上、紙の上ではいろんな色彩表現を行なっている。配色はアナログの時代からCMYK4色(C:シアン=青、M:マゼンタ:赤、Y:イエロー=黄、K:黒)のパーセンテージの掛け合わせで決まる。例えば、緑色にするにはC100%、Y100%と指定し、どちらかのパーセントを下げれば、黄緑、または青緑となる。カラー印刷ではCMYK(BL)4色の「アミ点」で再現され、それぞれ4つの版が重ね刷りされることで、カラーや写真が仕上がるのである。
当然、写真やイラストの濃淡(明暗)は、アミ点の大小によって表現される。明るい部分のアミ点は小さく、暗い部分のアミ点は大きく、ほとんどつぶれかかっているという感じだ。2枚のアミ点を重ねると、角度によっては微妙な模様が浮かび上がる。これがモアレだ。人間の脳はモアレを見ると幻惑し、正しい像として認識しづらい。そこで、4つの版を重ねるカラー印刷でK75%に決めたらMを45%、Cを15%に置き、その間にYを置くなど、色別のフィルムの角度を変えてアミ点を目立たなくし、モアレが起きないようにしている。
グラフィックデザイナーならこの原理は知っていて当然だ。テキスタイルでも同じで、モアレが出る生地は服には向かないと言われる。だが、今回のテキスタイルプロジェクトでは、それにあえてチャレンジしたところは評価できる。9月に東京で開催した展示会では、来場者から「テキスタイルでこんな表現もできるのだ」との垂涎の声が上がった点を見ても、糸へんに門外漢のクリエーターが生地作りに参画するのも一つの手ではないかと思う。
クリエイティブワークは発想を変えることから
筆者はグラフィックデザイナーと仕事をすることが多かった。ただ、1990年代までのグラフィックデザインは、属人的な職人気質やアナログな手作業が得てして作品の良し悪しを決めた。イラストレーターが筆やペンを使って繊細なタッチの絵を描くように、グラフィックデザイナーも鉛筆、ペン、筆、カラス口を使用して様々な線を引き、サインペンやポスターカラー、パントーンなどでベタ面を着色していた。コピーのトナーに反応するカラーの転写シートがデビューするのは1987年頃で、デジタルの普及は90年代に入ってからだ。
だから、PCのMACやAdobeのソフトを使用するまでは、曲線を綺麗に描ける、エッジを際立たせる、隅々まで細かく着色できる、ホワイトスペースを生かせる、フラットに見えなくするなどが、デザイナーのセンスや能力を判断する指標だった。当時のグラフィックデザイナーは美術大学やデザイン専門学校の出身者はそれほど多くなかった。高卒でそのままデザイン事務所に入ったり、印刷会社の工務スタッフからの叩き上げなど、徒弟制度で技術を磨いた人が多数を占めたことも、そうした背景にはあったと思う。
筆者も大学時代にダブルスクールでグラフィックデザインやコピーライティングを学んだが、彼らの方が年齢は少し上で、仕事でははるかに経験豊富で、技術の面でも修練されていた。だから、こちらが発注側でも、打ち合わせの要領や作業の手順、スケジュール、ギャラは、彼らのペースや心情を慮りながら考えていた。彼らから得るものは非常に多かった反面、もう少し頭を使って、効率良く仕事をしてもいいのではないかと思うことも多々あった。
広告制作におけるグラフィックデザインは、最終的には新聞広告、駅貼りや中吊りのポスター、カタログやパンフレット、DM、チラシなどで、イラストレーションの発注や撮影のディレクション、版下データの制作を経て印刷入稿を行い、各媒体を創り上げる作業になる。それぞれの制作物はアパレルのように商品としての換価価値をもつのではなく、別の対象物=商品やサービスの販促ツールとして機能するに過ぎない。つまり、広告制作におけるグラフィックデザインは、あくまで商業デザインの一部だった。
一方、アパレル業界が制作するパンフレットやDMは違った。こちらはブランドバリュの向上に役立てるツールではあるが、それ自体が商品同様に高い価値を持つ。お客さんはDMをもらうだけで、商品を買わずともテンションが上がった。その意味では単なる印刷物ではなかった。ロゴデザイン、商品やモデルの写真、レイアウトや色使い、印刷する紙や封筒の質感等など。それぞれがブランドの価値を決め、イメージアップと売上げを左右する。どれも手を抜くことはできない。広告の印刷媒体もデザイン作業を行うのは同じだが、媒体の使用目的が異なることもあり、媒体の価値はアパレルとは次元が違ったのである。
アパレルでDMやカタログを制作していたため、ある時、デザイナーに話したことがある。「グラフィックデザインも、絵画や漫画と同じように商品として販売できるものが作れないか」と。すると、彼は「考えてはいます。ビッグイベントや有名ショップのグッズとして、ブロックメモを制作して販売するのはどうかと。用紙1枚1枚の平面か、重ねた紙の側面にロゴマークを印刷すれば、アピールにもなります」と、語った。当時、市販のブロックメモはあったが、ブランドバリュをあげるためのPBグッズはなかった。
紙を中心に活動していたグラフィックデザイナーだけに、商品企画の発想も紙からは抜けきれなかったようだ。その時、こちらが「グラフィックの発想を洋服生地のデザインに生かせないかな」と言うと、彼は門外漢というか、異業種の領域には踏み込めないようで、キョトンとした表情を示すだけだった。ブロックメモについては、確認したわけではないが、バブル期には顧客向けのノベルティとして制作され、無償で配布したブランドなどがあったかもしれない。ただ、その後にバブル景気がはじけたこともあって、PBグッズとしてのブロックメモが広がることはなかった。
現在、ブロックメモは100円ショップにも揃い、上端に糊がついた付箋までが格安で販売されている。パッド系メモ用紙ではRHODIA(ロディア)のようなブランドもある。わざわざ企画するには紙質に凝ったりなど、よほどの仕掛けを考えないと競争力を持つ商品にはならないだろう。そんなことを考えていると、You-Tubeで、用紙1枚1枚に施されているミシン目のラインが違うため、紙を使っていくうちに中から精巧な模型が現れるブロックメモを見つけた。商品名は「OMOSHIROI BLOCK 」という。
商品は完売しているものもある。話題のきっかけになったのは、観光地の「清水寺」をはじめ、ピアノや雷門など22種類。制作したのは建築模型など様々なデザインを手がけるトライアードの川嶋さん。シンプルな形のブロックから紙を1枚ずつ引いていくことで、どんどん形が変化していく。まさかこれが出てくるのかという驚きがあるものを作れたらいいなということから開発に取り組んだとか。発想の原点は建築模型の内部を見せるため、紙を重ねて形を作る製法だった。模型製作の技術を駆使して紙を1枚ずつ機械で切り取ってから、手作業で組み上げていくものだ。
切り抜いた紙1枚1枚は切り絵のようにグラフィックになるが、それらを重ねることで立体的な造形を創るには建築の知識が必要になる。平面の2次元から空間の3次元、いわゆるスペースデザインの領域である。つまり、自分が行なっている仕事の領域から一歩抜け出して発想してみることが、新たな商品を生み出すことになるわけだ。現在はデジタル技術が普及しているので、フラットの紙1枚1枚のミシン目を少しずつずらして施すことも、パソコンでデータを作れば機械が自動的にやってくれる。そこはアナログ時代とは違うからコストも手間も下がるだろう。
その意味で、グラフィックデザイナーがテキスタイルデザインに挑戦するのは、決して無謀なことではないと思う。筆者が1980年代から思っていたことを実際にグラフィックデザイナーとコピーライターがプロジェクトにしてくれたことはリスペクトしたい。
繊維業界、特に生地作りは海外生産に押され、厳しい環境にある。だからこそ、門外漢というか、異業種の人間の発想でテキスタイルデザインの表現に新風を巻き起こすことも必要だと思う。いろんなクリエーターが業界の垣根を越えて、商品作りに取り組むことが活性化に繋がるのは間違いないと思う。