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相続手続支援センターのAqua
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昨日見てきた映画「エンディングノート」
実は今日はセミナーでした。
当センターが主催の遺言セミナーでして、
その講師を担当していた私。
その講義の内容が変わるくらい、私にとっては大きなものでした。
今までは法律文書「遺言」にも限界がある。
→遺留分といいます。660.661.662←順番にぴっとみてね
これを最小限にするために、法律根拠はないけれど、
エンディングノートや付言を作成しましょうという話をしていました。
でも、この映画を見て感じたのは、
一番重要なのは「遺言公正証書」なのではなく、
残す者と残される者とが築いた人間関係じゃないか。
遺言によって発生する遺留分減殺請求を避けるための手段を検討するのではなく、
残すものと残されるものにとってベストな遺産分けとはなにかを
皆で気遣い、皆でベストを検討し、そのベストを忘れないように残しておくために
残すのが「遺言」じゃないかなと思いました。
遺言ありきではなく、遺言は覚書程度の存在であるべきじゃないかと。
この映画では、生前にお父さんの財産について、
相続人間で話あったり、お父さんが妻や子ども達に伝えるシーンはありません。
そして、お父さんは「遺言」は残しませんでした。
でも私は、
「この家族は遺産分割ではもめない」と確信しました。
お父さんが残した最期のメッセージ(付言にあたるのかな)の中で
「お母さんに預貯金を全部あげて欲しい。」と残しました。
勿論、遺言ではないので、法的効力はありません。
そのメッセージの中で「お母さんは、一人では生きていけないから・・・」
という言葉が何度か出てきます。先に逝ってしまう自分。
残された奥さんを心配し、気遣っている様子が伺えます。
それが涙を誘うと同時に、
子ども達もこの言葉を読みながら
「お父さん、わかっているよ」
とうなずいているんだろうなと思ったのです。
ここまでお父さんがお母さんを心配している様子が感じられるメッセージを前に、
誰が預貯金は私に、、、と言えるだろう?
これは、手紙の効果ももちろんですが、映画の中での家族の様子を見て、
私が感じたことです。
遺産分割でもめないために。。。
遺産分割は百人百様ですので、ひとくくりにはできないとは思います。
でも、
遺言が先にあって、その後の対策ではなく、
あげる方、もらう方との意思疎通、思いやりの心があって、
「遺言」が、「おまけ」とか
「遺言」は、みんなの「意思の確認」といった
程度の存在となることが本当は重要なんじゃないかと感じたのでした。
難しい話になっちゃいましたね。
自分自身でも難しいと思いつつ書いていますので、
みなさんに言いたいことがちゃんと伝わっていないかも。
難しいですね。
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