一昨日のBSテレビ番組で、「昭和・・・愛しき歌よ!~五木寛之 わが人生の歌がたり~」
という3時間番組があり、ちょっと見ることになりました。
番組は、“作家・五木寛之が語る歌と人生”というタイトルで、五木ひろしがホスト役です。
五木寛之(87歳)は、若い頃から歌謡曲が好きで、今回、戦前・戦後のヒット曲の思い出を色々語って進んでいきます。
それを五木ひろしが話を聞きながら、歌っていくというストーリーです。
“五木ひろし”という名前は、五木寛之から名前を頂戴したという話は有名です。
全く売れなかった彼が何度か改名し、五木ひろしになっての再デビュー曲が『よこはま・たそがれ』ですよね。
現在の“五木ひろし”があるのも、この楽曲がきっかけというのも、また有名な話です。
今まで、「五木寛之」という方が、有名な作家・作詞家という以外、テレビで直接、話を聞いたことがありませんでした。
しかし、番組が進んでいって、話を聞いていく内、段々と彼の人間性の魅力を感じてきました。
ナイスミドルでダンディは勿論ですが、語り口がとても温厚で、心の暖かさ・深さが滲んでいました。
番組の途中で、ゲストの由紀さおりが出て来ました。
由紀さおりが小学2・3年の頃、五木寛之が童謡の作詞を担当し、その時に会ったとのことです。
彼女が童謡歌手(安田章子)の時で、番組は、横浜・西区の野毛山公園を散策し、近くにある『迎賓館』で収録しています。
実は、当方の幼少時代(生後~小学校に上がる前)は、この野毛山近辺で育ち、テレビでは当時の懐かしい写真が出ていました。
この野毛山(JR桜木町から徒歩15分)というのは、小高い丘陵地帯にあり、元々は公園があり、後に、動物園が出来ました。
そこには、野外ステージやちょっとしたプールみたいなものがあり、幼い頃の子どもたちの楽しい遊び場でした。
当方の小学時代の先輩・安田章子は、当時、「ひばり児童合唱団」に属し、このステージで歌ったことを振り返っていました。
当方が、この野毛山から横浜・鶴見という所に引っ越した後の話しですね。
話が長くなりましたので、今日はこの辺で、続きはまた、後日にします。
イッシー
という3時間番組があり、ちょっと見ることになりました。
番組は、“作家・五木寛之が語る歌と人生”というタイトルで、五木ひろしがホスト役です。
五木寛之(87歳)は、若い頃から歌謡曲が好きで、今回、戦前・戦後のヒット曲の思い出を色々語って進んでいきます。
それを五木ひろしが話を聞きながら、歌っていくというストーリーです。
“五木ひろし”という名前は、五木寛之から名前を頂戴したという話は有名です。
全く売れなかった彼が何度か改名し、五木ひろしになっての再デビュー曲が『よこはま・たそがれ』ですよね。
現在の“五木ひろし”があるのも、この楽曲がきっかけというのも、また有名な話です。
今まで、「五木寛之」という方が、有名な作家・作詞家という以外、テレビで直接、話を聞いたことがありませんでした。
しかし、番組が進んでいって、話を聞いていく内、段々と彼の人間性の魅力を感じてきました。
ナイスミドルでダンディは勿論ですが、語り口がとても温厚で、心の暖かさ・深さが滲んでいました。
番組の途中で、ゲストの由紀さおりが出て来ました。
由紀さおりが小学2・3年の頃、五木寛之が童謡の作詞を担当し、その時に会ったとのことです。
彼女が童謡歌手(安田章子)の時で、番組は、横浜・西区の野毛山公園を散策し、近くにある『迎賓館』で収録しています。
実は、当方の幼少時代(生後~小学校に上がる前)は、この野毛山近辺で育ち、テレビでは当時の懐かしい写真が出ていました。
この野毛山(JR桜木町から徒歩15分)というのは、小高い丘陵地帯にあり、元々は公園があり、後に、動物園が出来ました。
そこには、野外ステージやちょっとしたプールみたいなものがあり、幼い頃の子どもたちの楽しい遊び場でした。
当方の小学時代の先輩・安田章子は、当時、「ひばり児童合唱団」に属し、このステージで歌ったことを振り返っていました。
当方が、この野毛山から横浜・鶴見という所に引っ越した後の話しですね。
話が長くなりましたので、今日はこの辺で、続きはまた、後日にします。
イッシー