豊かさを求める 会長日誌

家づくりと言う事業を通じ、多くの人々の人間模様を綴ります。

羽田空港物語…八幡浜市~松山空港~羽田空港~函館空港~北斗市

2013-10-30 17:51:49 | ファース本部
私も最も多く利用するのが羽田空港です。函館から東京に出て、東京から各地の仲間のところに行き着くにも羽田空港が中心となります。
秋田県などは、地理的に近い場所なのですが、鉄道で行くと早朝に家を出ても到着は午後になります。
場合によっては函館から羽田空港乗り越えの方が早く着くこともあります。

私は昭和42年に東京で福地建装を創業した3年後、昭和45年に羽田空港から飛行機で帰省したことが初めての飛行機に利用でした。
当時はYS11のプロペラ機で2時間15分も掛かったことを記憶しています。

羽田空港は昭和6年に民間航空専用空港東京飛行場として開港したと云います。
現在の旧整備上あたりに木造の掘立小屋のようなターミナルがあったようです。
滑走路以外は雑草が生い茂り、無線管制もなく、したがって管制塔も存在しなかったと。

昭和6年の羽田空港の記念すべき第1便は日本航空の中国大連行きでしたが、積荷は乗客ではなく松虫と鈴虫の昆虫6,000匹だったそうです。
羽田空港は1990年ラッシュ時に2分間に一本の割合で発着が行われ、その能力が限界に来たことから大掛かりな拡張と能力整備の大工事を行ったそうです。

既に在った3本目に次いで建造した4本目のD滑走路は、ジャケット工法と言われる桟橋方式を採用しています。世界初の人工島と桟橋のハイブリット滑走路なのそうです。
滑走路の建造で東京湾の生態系を変えないようにと様々な工夫を凝らし、東京湾で魚釣りを楽しむ人は、従前より大きく貴重な魚が釣れるようになったと云う声もあります。

この羽田空港は、ソウル仁川空港にアジアのアブ空港の座を完全に奪われたと云います。
しかし、東京都内に近く、都心港湾と隣接する土地柄もあり、工夫しだいではソウルと異なるハブ空港の陣容に育てられそうな気も致します。

写真は松山空港から乗換のために利用した際の羽田空港搭乗者ロビーから撮ったものです。
さて、南国の愛媛から北斗市本社に戻りましたが、函館は降っていた雨が上がり、ヒンヤリとした清涼感で迎えてくれました。

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