映画「フーテンの寅さん」は今でもテレビ再放送で高い視聴率があるそうです。
寅さん(写真)は、「自分は渡世人」だとよく言葉に致します。
このこの「渡世人」の意味を辞典では、無宿渡世人(住居の定まらない人)の意味だと云います。
各地の博打(ばくち)打ちのもとを渡り歩き、博打で小遣い銭を稼ぐ「ヤクザ」の事になります。
このヤクザとは、暴力的な威圧を用いて組織的な活動で収入を得るモノだそうです。
その組織の末端にいる下っ端を「チンピラ」と称します。
ヤクザと同等にみられる「任侠」(にんきょう)とは、仁義を重んじ、困っている人、苦しんでいる人を見ると放っておけず、彼らを助けるため自分のカラダ張る、自己犠牲的な精神を意味するのだそうです。
ヤクザとはまったく対極だと云えます。
同じ渡世人でもバクチ打はヤクザ者、任侠人とは人のために尽くす善人と云う事になります。
私の師匠は、腕の立つ鉄骨トビ職の親方であり、荒くれ男達をまとめる寛容力も備えていました。
私は自分達を渡世人と思っていたのですが、師匠も、彼らも博打などを行ったのを見たことも、また誘われたことなど一度たりともありません。
一宿一飯、義理人情、受けた恩は忘れず、与えた恩恵など瞬時に忘れろと教わったものです。
つまり私達のトビ職の世界は、渡世人ではなく任侠人だったのかも知れません。
それでも飯場(宿舎)には、気短で、乱暴者も少なくなかったような記憶があります。
それでも当時、辛いとか、辞めたいとかと思ったことな一度もありません。
そもそもこのような時代がなければ、創造力などは芽生えなかったかと思われます。
移動中にみた周辺迷惑を顧みないチンピラ風の輩達には、良い行く末などありません。

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