「蛍の光、窓の雪」とは、以前に卒業式などで謳われた別れの唄です。
私が函館港から青函連絡船に乗り、福地建装創設のため東京に向かう際にこの「蛍の光」が流れていました。相当の期間は、青函連絡船が離岸する際に蛍の光が流れ、色とりどりのテープを互いに握り合い、そのテープが切れるまで紙のテープを握り締めたものです。
蛍の光(写真)などは、光と云えない頼りない灯かりでしかありませんが、その小さな灯かりに希望を繋いで生まれ故郷を後にしたのでした。
その希望を実現するため、上京してからは「爪に火を灯す」ような、慎ましい生活をしながら現在の福地建装の礎を積み上げてきました。
人は誰もが楽をして、のんびりと優雅な暮らしをしたいと思うのでしょう。
戦後の日本は、焼け野原となった国家再建のため国民総意で勤勉実直に働きました。
私達の親の世代は、その黙々と生き方が国づくりに貢献したのでしょう。
このよう人々の尽力があり、戦後の貧困を脱し、経済大国へと成長させました。
現在は、家あまり、モノあまり、飽食の時代だと云われます。
貧困を経験した我々は、貧しさを体験しない世代とのコラボレーションで、この時代が欲しているモノづくりが出来そうな気もします。「#蛍の光」を愛おしくなる事も大切です。
「#ファース工法」「#空気サラサラ」「#ファースの家」「#福地建装」「#フクチホーム」