夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

古希?    曲江

2013年08月25日 05時22分01秒 |  漢詩を長崎弁で


知人から古希って言葉を聞いたけど、、、
はて、古希は70歳のことだけど、厳密には数えの70なんですよね。今風にいえば古希は69歳ってことじゃないかな~ なんて夜も寝られず悩んでおりましたよ。

朝 囘 日 日 典 春 衣 
毎 日 江 頭 盡 醉 歸
酒 債 尋 常 行 處 有
人 生 七 十 古 來 稀
穿 花 蛺 蝶 深 深 見
點 水 蜻 蜓 款 款 飛
傳 語 風 光 共 流 轉
暫 時 相 賞 莫 相 違
    曲江
    杜甫



漢詩の長崎弁訳、、久しぶりですよね~



役所に着て行った春着を日々、質屋に持って行って
毎日、江頭で飲んだくれて帰って来る
酒屋のつけは、どこんでも付いてきよる
70年も生きるのは昔からそんげんなかとやっけん
花の蜜を吸いよる蝶は奥の方に見え
水を叩いている蜻蛉はふわふわ飛んじょる
光も影も一緒に流れていっちょるんじゃから
ちょっとの間だけでも、一緒に楽しもう、怒んなさんなって言いたか~




春眠不覺曉

2012年01月13日 09時02分35秒 |  漢詩を長崎弁で


春眠不覺曉
處處聞啼鳥
夜來風雨聲
花落知多少
   春曉
   孟浩然



春眠 曉を覺えず
處處 啼鳥を聞く
夜來 風雨の聲
花落つること知る 多少


いや~、春の眠りは気持ちよーて、朝になったのにも気がつかん
鳥の声が、あっちこっちから聞こえてくる
昨夜は 雨や風の音がひどかったけん
花もたくさん落ちたことじゃろうね~






この詩、ほんとうはもっと後の時期の詩なのですけど、
今なら、春は名のみの、、、の方がベターなんでしょうね。





チビ太はおいちゃんを早く起こすので、早く寝るんですよ。
最近は夕方の6時くらいにはもうすやすや。
朝起きすると寒い。
それでも、この時期、陽が長くなり始めると、もう朝起きが辛くなる。
チューリップも顔を出してきているしね。



目が覚めると、お日様はもう顔を出してしまっている。
ほれ、しまった、、、



遠上寒山石径斜

2011年12月21日 12時01分20秒 |  漢詩を長崎弁で


遠上寒山石径斜
白雲生処有人家
停車坐愛楓林晩
霜葉紅於二月花
   山行
   杜牧


山に登って行ったと~
石ころだらけの道は斜め
白い雲が湧きでるところに人家があったとよ
車ば止めて、夕暮れの楓林の秋を楽しんだと
紅葉は二月の花よりももっと赤く輝いとったとよ


注; 二月ってもちろん、3,4月のことね。旧暦だからね。

たぶん、以前にもこれを出したんでしょうね。
でも、おそらくその時は霜葉の方に重点があったかな。



チビ太と家の周りを散歩しました。



ふと見ると、白雲(もどき)が湧きあがっている。



思い出しました、おいちゃん、仙人になるんだって修行しようとしていたんでした。



あのころは仕事をしていたんで、仙人生活が羨ましかったんですね。



今や、周りだけは半分あっちの人になっちゃったから、仙人生活が当たり前、我を忘れて、馬鹿なことに忙しい世の中の人々が羨ましい。



五柳先生伝

2011年03月31日 08時59分11秒 |  漢詩を長崎弁で


柳が続きます。
えっ、一つはユキヤナギで関係ない?
まぁまぁ、小さいことはこの際おいといてっと。

この柳、先日まではセレブ・フクロウの棲家でした。
数ヶ月の間、毎日百人以上の人たちを集めたものでした。
フクロウちゃんたちは山に戻り、
緊張から開放された柳は緑に包まれて、春の風と戯れています。
(と、思ったら、今日は一羽おりましたですな)

5本の柳。
私が植えたのか、ですか?
とんでもない。
私はそんな年寄りじゃないし、
自分のことを先生と呼ぶほど、耄碌していないですよ。


五柳先生伝
   陶淵明

先生不知何許人
不詳姓字
宅邊有五柳樹
因以爲號焉

  先生 何許の人なるかを知らず
  姓字も 詳かにせず
  宅邊に 五柳樹有りて
  因て以て  號と爲す


閑靜少言
不慕榮利
好讀書
不求甚解
毎有會意
欣然忘食

  閑靜にして言少なく
  榮利を慕はず
  書を讀むを好めど
  甚だしくは解するを求めず
  意に會ふこと有る毎に
  欣然として食を忘る
     會ふ=かなう




先生はどこん人か分からん
名前も教えてくれん
家ん傍に柳が五本
じゃけん、五柳先生ちゃ

物静かで、言葉も少なく
名前とか金儲けとかは頭になか
本が好きやね~
のめり込むほどでもなかばってん
得心するようなことがあるたびに
ご飯を食べるのも忘れてしまう



ほんとは、もっと長く続くとよ。
陶淵明さんの自叙伝らしか。
五本の柳は近くにあるばってん、風車さんは、あげん天才でも、有名でもなか。
もしかして、似ちょるところがあるとすれば、
この後の

性嗜酒
而家貧不能恒得

  性酒を嗜む
  而れども家貧にして恒には得ること能はず
        嗜=たしなむ
        恒=つね

酒好きなんじゃけど
家が貧しゅうて、いつもは酒を買えんかったとよ、、、

ってところだけかな~
風車さんには酒好きって知ってても、酒瓶を抱えて訪ねてくる人もおらんし、
猿を調教して、猿に猿酒でも貢がせようかいな~

送元二使安西  王維

2010年05月26日 11時30分42秒 |  漢詩を長崎弁で
 

 渭城朝雨浥軽塵
 客舎青青柳色新
 勧君更尽一杯酒
 西出陽関無故人
    送元二使安西
    王維


渭城の朝雨 軽塵を潤す
客舎 青青 柳色 新たなり
君に勧む 更に尽くせ一杯の酒
西の方陽閑を出ずれば故人なからん


渭城に降った朝の雨が埃を流して
旅館の前の柳は緑緑している
この酒をもう一杯飲まんね
陽閑の先には、誰も知っとる人はおらんやろうから



もう、会えるかどうか分からないような別れって辛いよね。
恋人、親子兄弟、知人、友人、、、、
でも、生きていれば、どこか出会える。
生きていれば、相手のことを思いやれる。
そうなんですけどね、、、、、


いすみ市岬町にて
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歳月 人を待たず

2010年03月31日 14時45分03秒 |  漢詩を長崎弁で


先日の「冷たい雨には」に姐さまから「及時當勉勵」って、コメントをいただきました。
はいはい。陶淵明の雑詩の1の一行でございますな。
この後、有名な「歳月不待人」って続くのですよ。

及時當勉勵
歳月不待人

時に及んで当に勉励
歳月は人を待たず

なんていうと、勉強しなさい。時は待ってくれませんから。って、いかにも勉学の勧めみたいな文言ですけど、この前の部分を読むと、とんでもない間違い。

人生無根蔕  
飄如陌上塵  
分散逐風轉  
此已非常身  
落地爲兄弟  
何必骨肉親  
得歡當作樂  
斗酒聚比鄰  
盛年不重來  
一日難再晨  
及時當勉勵  
歳月不待人  

人生 根蔕なく
飄として陌上の塵の如し
分散し風を逐って轉じ
此れ已に常の身に非ず
地に落ちては兄弟と爲る
何ぞ必ずしも骨肉の親のみならんや
歡を得なば當に樂しみを作すべし
斗酒 比鄰を聚めよ
盛年 重ねては來たらず
一日 再びは晨なりがたし
時に及んで當に勉勵すべし
歳月 人を待たず




人っちゃ根っこがなか
道ん上の塵のごたるもん
風ん吹けば散ってしまう
散ってしまえば、もう自分じゃなか
生きてるもんは皆、兄弟っちゃ
なんも血の繋がりばかりが兄弟じゃなか
嬉しければ、楽しめばよか
酒が入れば、近所を呼べばよか
人の盛りは二度とはこん
今日という日も二度はなか
チャンスがあれば楽しむこっちゃ
人生は短かとやけん



陶淵明は酒豪として鳴らした人。中国の詩人の中では李白もまたその一人。
李白のお酒の詩はいくつかすでに紹介しています。
たとえば、月下独酌とか、山中与幽人対酌でしたね。
気になる方は、右のカテゴリーの「漢詩を長崎弁で」でチェックしてみてください。
二人とも、酒がどれだけ素晴らしいのか、たくさんの詩を残している。
でも酒豪っていえば、姐さまもひけを取らないって噂がしきり。
斗酒が手に入っても、姐さまなら、飲み仲間を呼ぶ暇もなく、ご自分で空になさるでしょうな。
美味しくのみ、美味しく食べ、そして月や、花や、周りのものをより愛でるお酒であれば、いいけど。
酒樽に、恨み辛みを吐き出すお酒なら、ちょっと悲しい。
そんなお酒は、思ったほど薬にはならないからね~



ところで、お酒の日記に、なぜ雀の写真?
子供のころ、お米をお酒に漬けておいて、それを庭に撒いていると、それを食べた雀が酔っ払って、簡単に獲れるって聞いたことありません?
でも、あれ大嘘みたいですね。

「ふん、その程度の策に乗る私じゃないわよ」って上の雀ちゃんは言っておりました。
「それに、私は甘党だし」



暖かい日差しに包まれた多摩川では、桜がほとんど満開。雀が桜に群がって花の蜜を吸っておりました。ヒヨドリやメジロでは見慣れた風景ですけど、雀も甘党だったんだって、初めて知りました。




半瓶濁酒待君温  蘇軾  紅梅・白梅

2010年03月07日 18時19分48秒 |  漢詩を長崎弁で


梅はそろそろ終わりといいながら、でもまだまだあちこちで盛大に花を咲かせています。
この写真の梅を植えられた人、ここまでの景観を計算して植えられたのかしら?
この景色を見て、思わず車を止めて、しばらく魅入っておりました。
感謝いたしましょう。
3月5日 いすみ市岬町にて

6日の日記「あるがままに」に知人のウワバミさんからコメントで椿の漢詩をいただきましたので、梅の花の漢詩をそれへのお返しに。



正月二十日往岐亭郡人潘古郭三人送余於女王城東禅荘院
    正月二十日、岐亭に往く。郡人 潘、古、郭の三人 余を女王城東の禅荘院に送る

    蘇軾



十日春寒不出門  
不知江柳已揺村  
稍聞決決流冰谷  
盡放青青没焼痕  
数畝荒園留我住  
半瓶濁酒待君温  
去年今日關山道  
細雨梅花正断魂  



  十日の春寒に 門を出でず
  知らざりき 江柳の已に村に揺るるを
  稍(や)や聞く 決決として冰谷の流るるを
  尽く青青たるを放(し)て 焼痕を没せしむ
  数畝の荒園は我を留めて住せしめ
  半瓶の濁酒は君を待ちて温む
  去年の今日 關山道
  細雨 梅花 正に断魂


春は名のみの寒さで10日も引きこもりっちゃ
村では柳が芽を吹き出したなんてことも知らんかった
氷に閉ざされとった川の音が聞こえたかと思うと
もう野焼きの後は緑の草で覆われてしもうたらしか
荒地を耕して作った小っぽけな畑でやっと生活できとる
酒は瓶に半分位しかなかばってん、君たちのために暖めてあるけん
去年の今頃は關山道で
雨の中に咲いとった梅の花に心が震えとった




蘇軾はこのとき、事件に巻き込まれて流刑になって流されていたのですが(最後の2行はその流刑地への移動のときのもの) この詩を見る限り、屈託がないですよね。経済的には極貧、精神的にもかなり参っていた時期だと思うのですけど。

行雲流水と 行到水窮處

2009年08月11日 16時56分00秒 |  漢詩を長崎弁で


行雲流水、雲水の言葉の元となったお話ですね。
宋の蘇東坡が文章を作るときの銘として宋史に記されている言葉なのです。



嘗自謂
作文如行雲流水
初無定質
  宋史列伝 蘇軾伝


自分に言い聞かせていました。
文を作ることは、行く雲や流れる水と同じなのだと。
初めより定質なし

物には定まった形はないのだから、物の表面の形に惑わされてはいけない。
って、ことなのでしょうね。

物に囚われずに自由に生きる(あるいはこの場合は文章を作る)ということ。
これから、禅僧が気ままに修行を積むために遍歴すること、あるいはその僧を指す言葉になりました。
宋史は1345年に完成しています。

ところで話は変わって、鴨長明の方丈記の冒頭。

行く川のながれは絶えずしてしかも本の水にあらず
よどみに浮ぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし

   
鴨長明は賀茂御祖神社の次男だった人。長明は1155年に生まれ、1216年に亡くなっています。鴨長明のほうが宋史の完成よりも早いのですね。
神主さんの家系の人が禅の極意を先取りするってのも変ですけど。

ただ、このような考えは、もちろん蘇東坡が初めて述べたことではなく、中国の思想家の間には広く広まっていたと考えていいのでしょう。



入山寄城中故人
    王維 

中歳頗好道
晩家南山陲
興來毎獨往
勝事空自知
行到水窮處
坐看雲起時
偶然値林叟
談笑無還期


これは長安の友人に手紙を出したっていう王維の詩ですけど、王維は701年から761年まで生きた人。


中歳  頗(すこ)ぶる 道(だう)を好み
晩に家す南山の陲(ほとり)
興來りては毎(つね)に獨り往き
勝事(しょうじ)空しく自ら知る
行きて水の窮(きは)まる處に到り
坐して雲の起こる時を看る
偶然林叟(りんそう)に値(あ)ひ
談笑して還(かへ)る期(とき)無し
 

例の如く長崎弁でやりますと、、、

中年になったら、仏教のことがおもしろうなった
歳をとって、南山の辺に家を定めて
行きとうなると、いつも一人で行くけん
綺麗か景色も、わし一人しか知らん
川の源まで登っていって
雲が湧き出てくるのを黙ってみとる
きこりの爺さんにあって
話しこんだら帰るときも忘れた、、



行到水窮處
坐看雲起時

都会の権謀の中に生きている友達に、世間の価値や、生き様なんかどうでもよか、
自分の生きたいように、人の作った価値なんかとは無縁に生きていければ、、、、って消息ばだしとるとよ。
この言葉が行雲流水の基になっているって説もあるとよ。




ばってん、この下の写真。

なんか後ろの灰色の雲。ぐた~っとしちょって、白い雲が生まれると、ちょこちょこってそっちに走っていっちょるみたいやね~
なんやら、ボクちゃんの分身みたいっちゃ。
凡人は、いつになったら、悟りをひらけるのやろかね~



まぁ、70までは間があるから、気長に待っておりましょう。

七十而從心所欲 不踰矩
七十にして心の欲する所に従いて、矩を踰(こ)えず

でも、孔子さんでも70までかかるということは、私の場合はどうなんでしょうかね~
いや、たぶん大丈夫。そのころには目はかすみ、足は動かず、、、になっているでしょうから、、、、

どうね、この味付けは?   新家娘  王建

2009年07月24日 16時56分47秒 |  漢詩を長崎弁で


三日入厨下
洗手作羹湯
未諳姑食性
先遣小姑嘗

  三日 厨に入り
  手を洗い、羹湯を作る
  未だ 姑の食性をそらんじず
  先ず 小姑をして嘗しむ



嫁に来て三日目、台所に入ったと
手を洗ろうて、スープを作ってみた
お母さんの好みが分からんけん
姉さんに飲んでもらおう



嫁に入るってこと、特に昔のように一家の中へ入るということは大変だったんでしょうね。
今じゃ、核家族ちゅうて、旦那さえ騙しとけばよかけど、、、、



今ん人は、お見合いじゃ~って馬鹿にしよる。
そげん人たちは結婚は好きな人とするものって言わしゃると、、、
そりゃ、好きな人ができて、その人と一生添い遂げるならそれが一番ちゃ。
ばってん、ご飯も満足に炊けんで、相手の見栄えがどうの、収入がどうの、親とは別居してだとか、、、、
自分のことばっかり言い募っておっても、誰からも相手にされんじゃろう。

挙句に、婚活、婚活って大騒ぎしとるのを見ると、頭の悪かワシにはなんばしよっとかよう分からんと、、、
好きな相手とっていうのはどこに行ったとやろうかね~~




「隠遁なんてのはかっこよすぎる。
ただただ出不精になって、引き篭もりしているだけジャン。
それで撮るものがないからって、家も出ないでベランダだけで用を済ませようって言うのが気に入らない。
それに勝手に写真を撮らないでよ。
それにこれはあなたに食べさせるので持ってきたのじゃないからね。
お味はどうねなんて勝手に作らないでよ。

こっちはご飯を食べるのに忙しいんだから、邪魔しないで。
外に出れば被写体くらい一杯あるでしょ」
と、雀さんに怒られました。








木瓜    

2009年03月21日 21時57分04秒 |  漢詩を長崎弁で

あんたは木瓜をくださった
そいで、宝玉をお返しします
お礼ばかりじゃなかと
末長い友達の印したい

投我以木瓜  
報之以瓊琚
匪報也     
永以為好也  
  贈答の詩
  詩経 国風 衛風

我に投ずるに木瓜を以てす
之に報ゆるに瓊琚を以てす
報ゆるに匪ざる也
永く以て好みを為さんとする也



贈答の詩ってことですけど、個人の贈答じゃなくて、昔、衛の国が北荻に攻め入られたときに、斉の王が兵や物資を送って衛を助けた。それに対する衛の人々のお礼の詩なんですね。同じようなフレーズが贈られたものや、お返しのものが違う形で続いていきます。

人の好意にお返ししないばかりか、だましても人の好意を受けようとする人だっているこの世の中、よほど嬉しかったのでしょうね、、、、





いすみ市でも、もうボケの花がずいぶんと咲いています。
たくさんビー球を用意しているのですけど、だれもボクちゃんには木瓜を贈ってくれる人はいない。
あんまりビー球が貯まると、マンハッタンを買いに行きたくなるのですけど。
なんてことはいわないけど、

困ったときに、差し伸べられる手はありがたいですね。
人の好意をありがたいと思う心はいつまでも忘れないようにしたいものですよね。