行雲流水、雲水の言葉の元となったお話ですね。
宋の蘇東坡が文章を作るときの銘として宋史に記されている言葉なのです。
嘗自謂
作文如行雲流水
初無定質
宋史列伝 蘇軾伝
自分に言い聞かせていました。
文を作ることは、行く雲や流れる水と同じなのだと。
初めより定質なし
物には定まった形はないのだから、物の表面の形に惑わされてはいけない。
って、ことなのでしょうね。
物に囚われずに自由に生きる(あるいはこの場合は文章を作る)ということ。
これから、禅僧が気ままに修行を積むために遍歴すること、あるいはその僧を指す言葉になりました。
宋史は1345年に完成しています。
ところで話は変わって、鴨長明の方丈記の冒頭。
行く川のながれは絶えずしてしかも本の水にあらず
よどみに浮ぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし
鴨長明は賀茂御祖神社の次男だった人。長明は1155年に生まれ、1216年に亡くなっています。鴨長明のほうが宋史の完成よりも早いのですね。
神主さんの家系の人が禅の極意を先取りするってのも変ですけど。
ただ、このような考えは、もちろん蘇東坡が初めて述べたことではなく、中国の思想家の間には広く広まっていたと考えていいのでしょう。
入山寄城中故人
王維
中歳頗好道
晩家南山陲
興來毎獨往
勝事空自知
行到水窮處
坐看雲起時
偶然値林叟
談笑無還期
これは長安の友人に手紙を出したっていう王維の詩ですけど、王維は701年から761年まで生きた人。
中歳 頗(すこ)ぶる 道(だう)を好み
晩に家す南山の陲(ほとり)
興來りては毎(つね)に獨り往き
勝事(しょうじ)空しく自ら知る
行きて水の窮(きは)まる處に到り
坐して雲の起こる時を看る
偶然林叟(りんそう)に値(あ)ひ
談笑して還(かへ)る期(とき)無し
例の如く長崎弁でやりますと、、、
中年になったら、仏教のことがおもしろうなった
歳をとって、南山の辺に家を定めて
行きとうなると、いつも一人で行くけん
綺麗か景色も、わし一人しか知らん
川の源まで登っていって
雲が湧き出てくるのを黙ってみとる
きこりの爺さんにあって
話しこんだら帰るときも忘れた、、
行到水窮處
坐看雲起時
都会の権謀の中に生きている友達に、世間の価値や、生き様なんかどうでもよか、
自分の生きたいように、人の作った価値なんかとは無縁に生きていければ、、、、って消息ばだしとるとよ。
この言葉が行雲流水の基になっているって説もあるとよ。
ばってん、この下の写真。
なんか後ろの灰色の雲。ぐた~っとしちょって、白い雲が生まれると、ちょこちょこってそっちに走っていっちょるみたいやね~
なんやら、ボクちゃんの分身みたいっちゃ。
凡人は、いつになったら、悟りをひらけるのやろかね~
まぁ、70までは間があるから、気長に待っておりましょう。
七十而從心所欲 不踰矩
七十にして心の欲する所に従いて、矩を踰(こ)えず
でも、孔子さんでも70までかかるということは、私の場合はどうなんでしょうかね~
いや、たぶん大丈夫。そのころには目はかすみ、足は動かず、、、になっているでしょうから、、、、