夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

最悪  どうしたのだろう

2007年06月30日 22時16分37秒 | 日記


むしろ快適な温度のはずなのに、頭や背中は汗まみれ、暑くって仕方がない。

軽い散歩とマッサージ、快適な状況のはずなのに、体中がギシギシ。

眠って休もうとしても、眠いけど、眠れない、、、、


どこか体のバランスが不調になったよう、、、
パーツの入れ替えをしなきゃいけないけど、どこをどう変えればいいのかも判らない、、、
絶、不調

デジカメ練習帖   バラ

2007年06月30日 08時53分32秒 | 芸術・文化

最近鳥を撮っていることが多い。
それも燕だとかコアジサシのダイブの瞬間とか、、、
師匠からは目にキャッチライトが入っていないなんて更なる難題を突きつけられて目を白黒させている。フレームに入れるので精一杯の対象なんです。

鳥でも、その辺の鳥、コサギでも、鳩でも、雀でも、ムクドリでも、もう少しこちらに余裕がある。何しているのなんて相手からメッセージを受けて、写真を撮っているんだよなんて、キジバトでもそんなシーンがありましたね。
犬や、猫はもっとその辺が強く出てくる。嬉しい、楽しい、煩いな~、ダルだよ、、
なんて気持がストレートに伝わってくる。写真はまずくても、そんな気持が写真に少しでもでてくれば、他の人にはくずでもかまわない。私には大満足。写真が楽しくなる瞬間ですね。

花は動かない分もっと、相手を見据えられる。こちらの求めるイメージとは別に、「どんな風に撮って欲しい?」って聞きながら相手の見て欲しい形を探していくのはとても楽しい時間。
知人はバラは一番難しい題材の一つという。もちろんこの人のレベルではそうかもしれない。私は自分が満足していればそれでいいのだけど、この人は自分の気持をその中に込めてその写真を見る人にも同じ気持を共有して欲しいと思っているから。一桁も二桁も違う難しさがそこにあるのでしょうね。

バラは美しい。そして自分でもそのことに密やかな自信を持っているように思える。
ともすれば、撮る人はその美しさだけに心を奪われるのじゃないかな。とすれば奥行きのない、情緒のないフォルムだけが出来上がってしまう。



風景はもっと難しい。風景にはもっと自分のメッセージを入れ込む必要があるように思えるから。風景をきちんと撮れるようになるまで、それも人に見せるということではなく、自分を満足させるものが撮れるまで、はたしてどれくらいの修行が必要なのだろうって、、、風景も撮りたいのですけどね。


ガーベラ

2007年06月30日 08時04分50秒 |  あなたの鼓動、華


子供のころ育った田舎のうちでは祖母がガーベラを育てていた。
純日本的な庭で、客間と次の間の前にある庭であくまで客用の庭だったのだけど、ガーベラと傍のアマリリスは庭の感じにちょっと異質な色合いを与えていた。
しかもその端にはアスパラガスが半畳くらいのスペースに大きく葉っぱを伸ばしていて、時期になると毎朝、それを取って来るのが私の仕事だった。
毎朝、食卓に上るグリーンアスパラ。子供の私にはちょっとした苦行だった。
だからこのガーベラの咲く一角はできるだけ近寄らないようにしていたのを覚えている。

ヨーロッパに行きだして、5月上旬を過ぎると、周りがアスパラって騒ぎ出す。
ベルギーまで食べに行ったとか、どこのアスパラ料理が美味しかったとか。
そんなこんなでまたまたアスパラを食べるようになり、そうなると結構美味しいもんだねって再発見をする。

花屋の前を通るとガーベラを売っている。子供のときに見たあの原種に近いような単純な赤い花ではなく、いろんなバリエーションのものが出ていて、写真の教材にもおもしろいのかなって思い始めた。
人は変わるものですね、、、




谷津干潟  オナガとセイタカシギ

2007年06月28日 11時33分40秒 |  写真


鳥がいるということでいろんなところへ行って、でも鳥を撮らないで帰ってしまうことがままあります。
等々力緑地でも、アジサシやカルガモしかいなくて、お目当てのカワセミがでない、仕方なしに野良猫を撮ってきてアップしたり、川原の花をアップしたりしていましたし、その前の六郷緑地では目の前にたくさん鳥はいるのですけど、動かない、飛ばないというので結局一枚も撮らないで帰ってきたりしていました。

今回の谷津干潟は期待しないで出かけました。ですからこの前の日記のように風景などを撮っていたのですけど、干潟から海へ向かう放水路でオナガが5,6羽いるのを見つけました。撮りたかった鳥なので、嬉しかったです。よかった、よかった。



虫を運んできて一生懸命食べています。



セイタカシギ。これは先週の卵を抱いていたカップルと同じ鳥じゃないかと思います。干潟のほうで番で餌をとっていました。
美人さんですね~



シギの前の鴨。撮っている時にはカルガモだと思い気にしていませんでしたけど、嘴の先端が黄色ではありませんね。


谷津干潟  風景と花

2007年06月28日 09時42分59秒 |  あなたの鼓動、華

先週に引き続き昨日谷津干潟へ行って来ました。
先週のロケハンで、今の時期には鳥は少ないことは判っておりましたので、今回は期待なし。鳥はこの後でアップしますけど、オナガとセイタカシギ。後のダイサギなどはパスしました。

まずは風景ですけど、私の悪い癖。全景を入れたものがないですね。



車の温度計は33度を指していて、暑い一日でしたけど、風は心地よかったですよ。



小さな池程度の干潟ですけど、でもやはり水際ですからね。



木漏れ日も暑さを感じないで楽しめました。



夕暮れになると住宅地の真っ只中でもコロボックルが現れそうな予感がしたりして、、



夕暮れの明かりだと紫が際立ちますか?
なんだか懐かしい、母の膝を思い出したりして、、、



遠い、もう戻らない時間ですね
寂しいような、でもどこか暖かく、懐かしい、、、、、






















ヒヨドリ

2007年06月25日 17時21分03秒 |  写真

今日も雨。
身体もだるく、うだっていました。



でも、そうもしていられないので、仕方なしに部屋を出ましたけど、駐車場のところでヒヨドリが盛んに鳴いている。


中庭に巣を作って、卵を抱いているヒヨドリ。
管理人さんに言わせれば、「雨の日には外に出ないで、一日卵を抱いている。健気だわ~」ってことだったけど、今日は雨。でも巣を見てみると親鳥がいない。
「あれっ、変だな」って思っていると、巣の近くにヒヨドリが一羽いて、さかんにこちらを見ながら大きな声で鳴いている。



こちらが近づいてもあまり逃げようとしないで、こちらを睨みつけているような。



そうかこれが親鳥なんだって気がついた。



私が巣の傍にいるので巣に行けないし、こちらを警戒しているのですね。



そのうちもう一羽飛んできました。
両方とも口に餌を咥えて鋭い声で鳴き交わしている。
判りました。驚かせてごめん。

帰りしなに巣をちょっと覗きました。
もう雛がかえっている。
口を大きく開けて餌を催促している。
これ以上はもうだめね。
親を驚かせないうちに退散します。


茶花

2007年06月24日 11時22分03秒 |  非・常識的茶道
お茶がらみの話がでると、同じカテゴリーの話が続きすぎる。
でも、なんとなく前の日記を見返したりして、ああ、これもあるよな~なんて似たような範疇のものが繰り返しになるのですよね。

というわけで、先日の夢のお話が青磁の花瓶の話で終わっていたので、そうだお茶花もやろうと思っていたのだって思い出した。
やれ灰を作りたいとか、小習いからちゃんと教えてもらわなきゃとか、書道もやらなきゃねなんて、いろいろやりたいことはあるし、お茶以外に目を向ければ、もう数十年の宿題も山のようにあるんだけど、、、

でも、茶花をやろうと思うと、いつも「どこで習えばいい?」で終わってしまう。
岡崎発生の某お流や鎌倉本拠のお流(これは某マイミクさんががんばっていられるけど)にはお茶とペアで茶花がある。
でも私のお流にはお流の茶花って特にないんですよね。
では、ないかというと、とんでもない、いろいろある、、、って、なんだかわからない話だけど、そのわからなさが、私の頭痛の種。
もし家のお流に茶花があったとしても、お流の究極は寂寂のお茶だから、お花も小間の草がメイン。ということは習うような決まりが果たしてあるのかも、疑問。
がちがちの決まりがあれば、反論できるのだけど、鵺的なものしかなければ文句も言えない。
「束ねて、ポイと活ければいいのよ」なんて、師匠、そりゃあんまりです。
いつまでたっても、こんなものしか活けられない
だから、なんか違うよっていつまでも頭の中は疑問符だらけ。
授業料返してください。

梅雨

2007年06月24日 10時12分24秒 | 日記


入梅宣言が出て、その後雨が降っていない。
大手町では4日雨が降ったとのことだけど、私の記憶には雨らしい雨は一日しかない。
気象庁の話では苦情が殺到しているとのこと。

確かに入梅宣言後、翌日は気象予報士がピーカンと表現するような晴れ、その次の日は日本晴れの一日というように晴れの日が続いている。
でも特に最近はなんとなく温度も、湿度も高くなり、梅雨の間の晴れ、曇りの日という感じになってきた。

私もそうだけど、マイミクさんや、定連さんで、気力が減退しているって言う人がだんだん多くなってきている。この梅雨時特有のじめじめが真綿のように気力を奪っていくのだろう。
天気の変わり目、、、そんなのを言う大人たちの言葉がわからない時代もあったのだけど。

なんとか、気持を上向けたいと、散歩に行こうかとか、レッスンを始めようとか、写真の題材で何か面白いものはないかとか、、、考えようとはするのだけど、どうも気分が萎えて、体中が重くなってしまっている。

世は子育ての真っ只中なんだけどね~