Vivaldi - Concerto for Flute in G Minor "La Notte" RV439
大昔に五輪書と葉隠のことを書いた覚えがあるけど、五輪書は戦国時代の武芸者の死と隣り合わせの人生の中で編み出され、、「生きろ、生きろ、、生きてこそ全てがある」という説。それに対して葉隠は全てが落ち着き、余程のことがない限り自分の一生は安泰という時に何事にも死を賭して当たれっていう教え。文字は真逆なことだけど、おいちゃんにとっては言っていることはなんか同じような感じがするんですよね。
今テレビのコマーシャルでやっている「メメントモリ」(死すべき命)。あれは何を言っているのかおいちゃんには分からないのですけど、生きるべきか死ぬべきかは洋の東西を問わず大きな課題でした。それにしてもあのアニメの女の子 キャワイイよね~枯れ果てたおいちゃんだってそう思うから、、、 melem melem!!
あれ、辞書にない? OMG! I'm shook! 今どき紙の辞書なんか使っちゃだめだよ。辞書に載るころにはその言葉もう消えてなくなっちゃってるから。Big yikes!!
Henlo、boi! チビ太が教えてあげる
melemってキャワイイってことなんだよ。
チビ太も私がなかなかあっちに行かないから退屈してこっちまで来ちゃった。
な~んて、くだらない前置きはおいといてと、
おいちゃんにとってはそろそろ一世紀にもなろうかと思われるような大昔、ビバルディのフルートコンチェルトの第二番「夜」の楽譜を手に入れたんです。それで楽譜を読んでいたら、全音符が延々と続いているところがあって、、、こんな長いフレーズを延々と吹きっぱなしだったらフルーティストは死んじゃうんじゃないか、もしかしてビバルディって言うのは殺人鬼だったんじゃないかって恐れをなしちゃったんです。それまでイタリアの音楽の明るさに好感を持っていたのに、これで私はドイツへ行っちゃったんですね。あの頃はまだ無垢な青年でこっそりと息継ぎをやるんだなんて悪賢いことは想像すらできなかったんです。ましてや循環呼吸なんて裏技はそれからずっと後になって、「おれ、笛の教科書書いたから、お前やってみろ。循環呼吸をマスターすれば何日だって吹き続けられるから」なんてのが出てきて、、、でもやめました。だって何日も吹き続けていれば餓死しちゃいますもんね、、、今時、死んでも笛を話しませんでしたなんての流行らないし。。。。
なんて、今日もまた何の話か分からない話を書いてます。
しょうがないです。認知で何を書いていいのか分からなくなっちゃってますから。
まあ、生存証明ね。