夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

アーティスト・イン・レジデンスではなく (長文です)

2006年11月30日 09時48分47秒 | 芸術・文化
来年のレジデンスに向けて調査に来たスイスの作曲家とオランダのビデオ作家が今日離日する。昨夜いろいろと話をしたけど、長文になるけど、その感想を載せておきます。
まず今回の来日に関しては、予定の成果を上がられたようだ。来年は彼女の日本での作曲と日本人のダンサーとのコラボレーションでステージを作ることの二つを目玉とする企画をつめるということで、今後のアドバイスを頼まれた。
今後彼女が企画をつめ始めるとこちらにも余波が押し寄せてきそう、彼女の嬉しそうなきらきらした目を見ながら、この2年ほどの間、彼女と何百通も行き来させたメールの論争などを思い出し、よかったと思う反面、ちょっと気が重くなってきたのも正直な感想。


アーティスト・イン・レジデンスがまだ日本で知られていない時期、1980年の初めころから、このような形態でのプレゼンテーション、制作活動があることを知ってもらいたいために日本の各地で自治体と提携して、レジデンス活動をやってきた。
今は公立の立派な施設や素晴らしい受け入れプログラムがたくさん建てられ、レジデンスと名を打たないけど窯業試験場などの同様のサービスをするところも合わせればかなりの数のレジデンスが存在する。
でも25年以上も海外の作家へのレジデンスの紹介や、仲介をやってきていると、作家側からの要望やその変化と日本のレジデンスの受け入れが必ずしも一致しないし、その差がだんだんと大きくなってきていることが感じられる。

その大きなものは、まずアーティストの活動がものすごくクロスオーバーしてきていること。上の作曲家は演奏もするけど、目的の大きなものはダンサーとのコラボレーション。ビデオ作家にいたっては、自分でも何がメインなのかわからないって言うくらいに、とにかく何でも手を出す人。分野にレッテルを貼って、それしか受け入れないというような日本のレジデンスではかなり受け入れが難しいだろう。

また、日本にはないレジデンスへの希望もある。その最たる例が文筆。ライターズ・イン・レシデンスというものはヨーロッパなどではその専門のレジデンスもあるけど、日本にはなく、比較的柔軟に分野を決めてくれるところに紹介するしかない。ただこの場合作家側からは、場所への希望が強く出されることが多い。東京とか、京都とかっていうと、公立のレジデンスではもう手当てができない。

アーティストのプロジェクトのために情報収集やネットワークを広げるための来日とか、アーティストではないけど、キュレーターたちも同じような希望を持っているとついつい仲間意識で何とかしてあげたいと思ったりもする。
特に公立のレジデンス側が希望する、地元民への還元。レジデンスをしている作家との交流や、制作をみるということも、デジタル関係では難しいことも多い。

また、期間も問題。この数年の問い合わせを見ていると、半年とか一年という希望が大半を占める。でも日本のレジデンスでこのようなプログラムを組めるところはない。3年前にはレジデンスの掛け持ちで、愛知、東京、佐渡、京都と渡り歩くプログラムを組んであげたこともあった。
この問題をいうとレジデンス側からはビザの問題を言われるけど、3年前のケースでは今私が所属している団体がギャランティして、文化ビザを発給してもらったことがあるし、道がないわけではない。

また時期の問題。レジデンスの殆どは、それぞれの受け入れプログラムをきちんと持っていて、それにあわせて募集をする。それはそれで素晴らしいことだけど、逆に私の所に入ってくる希望は、作家が自分の制作スケジュールにあわせて組んだスケジュールが多く、彼らもプロとして活動している限り、そのスケジュールを変更することがかなり難しいことも多い。レジデンスを見ているとプログラムが活動していないときには殆ど空き家状態になっているところが多いのだけど、どうしてもっと柔軟に受けてくれないのだろうかって、悲しくなることもある。

でも作家にしてみれば、希望が充分に満たされていなくても、とにかく日本に行って制作してみたいと無理に自分の希望をレジデンス側のプログラムに当てはめて来日するケースが殆ど。プログラムによっては渡航費や生活費、制作費などまで含めたサービスを提供されるアーティストにとっては面と向かって不満を言える人はないだろうけど、レジデンスとしてもアーティストの希望を掴む努力をして欲しいし、またそれ以上にもっと柔軟な対応が出来る小型のサロンみたいなものが増えて、活発化していって欲しいなとも思う。


来日するアーティストのためにレジデンスの情報を提供するブログを開いたことがある。スパムのコメントやトラックバックがあまりにも多すぎてその削除に悲鳴を上げる毎日だったので今は閉鎖してしまった。このブログにはレジデンスに来日したアーティストは返事を書いてくれるスタッフとして招待したけど、日本のレジデンスのマネージャーたちの参加はお断りした。そのようなさまざまな問題をもっとフランクに話し合う場が必要だと思ったから。
ブログは再開したいし、して欲しいとの話も来るけど、あのスパムをどう遮断するかそれが解決できなければ今はちょっと無理だろうと思う。
ネット環境さえあれば在宅で出来る仕事なので、ボランティアでブログ(もしくはウエブサイト)のシスオペ(おそらく殆どがスパム対策になってしまうと思うけど)と質問の回答への情報収集(英語)を手伝ってくれる人がいないかなって痛切に思う。
そうなればブログなり、新しく作るウエブサイトを少しづつ拡充していけるのだけど。



こういう作家と受け入れ側の希望の差をみていると、レジデンス活動を紹介してきた私としては、日本の受け入れの現状は残念な現実であるとしかいいようがない。それでも希望者が多いからって変更の必要はないってレジデンス側では思っているようだ。

でも昨日の話でもヨーロッパのアーティストの目は今中国に転じようとしているってことがわかる。この傾向は数年前からあった。上のライターのケースでも日本で受け入れるところがなく中国でレジデンスをやった。

このような狭間を埋めるものとしては実はアーティスト・イン・レジデンスよりもっと前からヨーロッパではサロン形式のものが存在した。
日本でも国際交流基金のデータベースには載らないけど(例外的に載っているものもある)京都や東京で昔からこのようなものが存在してきている。上のダンサーに紹介した施設は全部がレジデンスではなく、このようなサロン。今回の音楽家たちを受け入れてもらったところもそう。私の活動ではこの手のサロンへのお願いがこれからもどんどんと増えていきそう。
日本だけじゃなく、世界的に見ても、これらは規模が小さく、殆どが個人ベースの活動なので、出来ては閉鎖になるところも多々あるのも事実。
これらの活動が知られたり、レジデンスの情報網に引っかかってくることはないだろう。
2年ほど前にオランダの作家向けに世界のレジデンス情報を流しているTransArtistsの機関紙がオランダ国内のそのようなレジデンスの紹介をしたことがあるけど、ひとつの国のまとまったデータベースというのはこれ以外は見たことがない。

このサロンは多くが閉鎖的、また脆弱なものが多いのだけど、サロンのオーナーなり、マネージャーがもっと横の連絡を取り合い、助け合っていければ、もう少し永続的、広範囲な活動が出来ると思う。

でもこれより大きなレジデンスでさえ、マネージャーやオーナーたちのネットワークが出来ては潰れして影が薄い状況を見ると、サロンのネットワークを組むことは、もっと難しいことなのだろう。

新しい音楽プレイヤー 改

2006年11月29日 13時43分58秒 | ジョーズなジョーク 
「怪鳥」さんからのジョークメール。しばらくアップしていませんでしたね。
訳をつけるのが面倒だけど。また少しづつアップしますね。

アップルコンピュータは女性の胸の中で音楽を保存、再生できるコンピュータチップを開発したと発表。

これは男性が女性の胸ばかり見つめて、聞こうとしないという女性の不満を解消する画期的な発明である。


Apple Computer reported today that it has developed computer chips that can store and play music inside women's breasts.

This is considered to be a major breakthrough because women are always complaining about men staring at their breasts and not listening to them.




どこ見てんのよ、や~ね。見せないから。

25歳未満  見果てぬ願望

2006年11月29日 11時39分10秒 | 日記


よく25歳未満、眉目秀麗、、、、、なんてことを書いて、皆さんの顰蹙を買っている。

なに、世の中がポジティブに見渡せるときには、ちょっと風を煽るくらいの、単なるおチャラケでしかないのだけど、今みたいに、欝っぽくなってくると、実はこれは単なる口先だけの言葉ではなく、心の奥底からの悲鳴なんだって思ったりする。

だって、オチャラケだけなら、途中で飽きちゃって、こんなに長い間ず~っと同じことを言い募ったりはしない。

現代アートやアーティストをプロモートする仕事を30年以上に渡ってやってきている。既成の概念に当てはまらない彼らの作品を評価し、選別することも私一人に任されていたのだけど、自分の気持を白紙に近い状態にし、彼らの作品と向き合うことってかなり神経をすり減らす大仕事。
それに比べれば、企画を立て、運営していくことは単に労働することであり、それほどの問題ではなかった。
ある程度歳をとってきたときから、女に興味がなくなるようだったらこの仕事から下ろしてもらうって公言していた。
常に、自分の今までの価値観と違うものの意味を見つけるには、新鮮な好奇心、挑戦する気持が必要だったから。

量的には少なくなったけど、今でも現役。でも、今の「25歳未満、、、」は心の叫びのように自分には思える。
確かに選択的になり、一頃のエネルギーは持ち合わせてはいないけど、でもやりたい、やるべきだと思うことに対しての労働を忌避するような気持はないし、それがハードルが高いものであればあるほど、困難に向かい、挑戦する気持を掻き立てる事もできる。

でもともすれば人との付き合いを避け、自分の気持を優しく、暖かくしてくれるようなものに目が向いてしまう。自然、花、小さな動物たち。
自然がなくなり、花は枯れる。そして動物たちは死んでいく。
それは宿命だからしかたがない。それを受け入れる気持はある。
そしてそのための努力を払う気持もある。
でも人の醜さや裏切りは受け入れるには重過ぎるから。

25歳未満、容姿端麗、優しく、思いやりあふれた、、、、
見果てぬ願望であることはわかる。
でも人間に絶望するくらいなら、見果てぬ夢を墓場まで追っていこうとする努力も必要だろうな、なんて思っている。



秋風に君の面影したいつつ
今宵の月は一人見るかも
       風車



6 IT's Tough Getting Old

2006年11月28日 17時08分40秒 | ジョーズなジョーク 
IT's Tough Getting Old

また、「怪鳥」氏からのメッセージ。



80になるお年寄りが検診に行きました。
結果は良好。医者は「全て良好だよ。ところで精神面とか、感情面ではどうだね?神様とはうまくやってるかね?」って聞きました。
「そりゃもう。神様はわしの目が悪いのをご存知だから、夜中にオシッコに起きたときでも、明かりを点けてくれるし、終わって帰るときにはちゃんと消してくれる」
「凄いじゃない」って医者は答えました。
数日して、医者は彼の奥さんを呼びました。
「彼は大丈夫なんだけど、ちょっと神様との関係で貴女を呼んだんです。夜中にオシッコにするときに、明かりが点いて、終わると明かりが消えるって行っていたけど本当かね?」
「まあ、あの人ったら。また冷蔵庫にオシッコしてるんだわ」


An 80-year old man goes for a physical. All of his tests come back with normal results. The doctor says, "Chuck, everything looks great. How are you doing mentally and emotionally? Are you at peace with God?" Chuck replies, "God and I are tight. He knows I have poor eyesight, so he's fixed it so when I get up in the middle of the night to go to the bathroom, POOF! the light goes on. When I'm done, POOF! the light goes off. " WOW, That's incredible" the doctor says. A little later in the day, the doctor calls Chuck's wife. "Ethel," he says, "George is doing fine! But I had to call you as I am in awe of his relationship with God. Is it true that he gets up during the night and POOF! the light goes on in the bathroom, and when he's done POOF! the light goes off? "Oh my God!" Ethel exclaims. "he's peeing in the refrigerator again!

一、二、三、四、五   分相応ということ

2006年11月28日 11時39分43秒 | 芸術・文化
私の友人たちの日記に、「一、二、三、四、五」なんてでてきたら、そら、道元さんが出てきたって思われるでしょうね。
   僕ちゃん最近親切になってきたので(人間死期が近づくと回りに親切になるのだそうで); 
   道元さんが中国へ留学していたとき、あるお坊さんに「お経ってなんですか」って聞きました。相手のお坊さんが「一、二、三、四、五」って答えたのだそうです。
   つまり、お経(真理)っていうのは一、二、三、四、五って行って十まで、どこにでも、なんにでもあるってこと。真理は探すものではなく、その周りにあるものを確認すること、それが修行だっていうのです。

でも、無知蒙昧な僕ちゃんの日記に「一、二、三、四、五」なんてでてきたら、次は「たくさん」なんですよ。本当に残念なことですけど。指は5本しかない。手は二組? でも、左手の指を広げて、右手の人差し指で数えるので、右手は使えないのです。孫悟空には私のような低レベルの考え方は理解できないでしょうね。

ここんとこ植物の名前がずいぶんと出てくる。
23日のアウティングの時には、聖路加の辺りで看護婦さんはってきょろきょろしていたら、楓(ふう)の街路樹にぶつかった。それがちょっと行くと楓(かえで)のいろんな種類になったりして、それが紅葉していたので余計に目立ったものになっていた。同行者と、楓の話から柘植、犬柘植の話などへとどんどん飛び火していっていた。

土曜日のドライブで箱根でとった写真に関しては、26日の日記にアップしていたけど、そのトップの写真が千本槍、アザミ、タムラソウなどとさまざまな名前が飛び交っていたけど、情報不足で同定不能。

月曜日の知人の日記には柊の話が出ていた。ず~~~~~~っとお茶やお茶花をやられて来た方が、道を歩いていて柊の花と香りに始めて気が付いたって嘆かれていた。12月には柊を必ず使うけど、それは柊黐なんだというような日記だった。

同じ日の私の日記には柊のお茶碗はいつ使うなんて、相手を見て聞いて欲しいなって嘆きがでるようなコメントが来ていた。柊の季語は秋から冬。でもお茶室の入り口を柊と鰯で飾るのは二月の節分だから二月でもいいのではなんて、不確かな返事をしていたけど、こんなのを信じて恥をかかないようにお願いしますよね。
大体、お茶を知らない私にお茶のことを聞くほうがどうかしている。


何を言いたいかって?
つまりですね、僕ちゃんにはバラの花でOKの時に、エリザベスとか、なんじゃもんじゃとか、違いが判ってその上のレベルでの話をする人がこの世にはたくさんいて、僕ちゃんにはその階段をなかなか上れないってこと。
葉っぱがとがっていれば柊南天でも、柊でも、柊黐でも、僕ちゃんには同じ。
ふうでも、かえででも、紅葉でも、あの子の手でも、僕ちゃんには同じ。
一、二、三、四、五で一杯な人には六以上の会話はちょと無理だよね。

だって、僕ちゃんが密かに先生だと思っている人は「名前に何があるの、バラは別な名前で呼ばれても、ちゃんと甘い香りがするのに」なんていっているくらいだから。「バラ」って言われて、「何種のバラ」なんて会話になったら、千本槍、じゃなかった槍振りも間違っちゃうよ。

でも階段を一つ上がるのがお勉強だろうし、お勉強は必要だし、それは楽しいことだけど。人の一生は短い。一人だけじゃなかなか進まない。いろんな人がいろんなことで手を貸してくれて、だから一歩でも、半歩でも前へ進められればいいな。
でもお返しできないのは辛いかな?



今日の日記を書いたの誰?
僕ちゃんじゃないよね。僕ちゃんの背後霊かな?
僕ちゃんの日記ってこんなんだったけ?

ちょっとドライブへ  箱根湿生花園  肉抜きの肉饅

2006年11月26日 12時06分37秒 |  写真
箱根の湿生花園は12月の頭から冬季休園に入ります。もう休園間際で花も紅葉も殆どありませんでした。そのことは入り口には書いてあったのですけど、折角ここまできて通り過ぎるのも残念すぎると入ってみました。
「肉抜きの肉饅」状態、でも美味しかった。


冬枯れ、冬景色もそんなに悪くはない。
























ちょっとドライブへ 鮎沢パーキングで紅葉狩り

2006年11月25日 23時46分19秒 |  写真
いつもは近くで、都会でも自然はあるし、季節も息吹いているって、この辺の風景で間に合わせるのですけど、今日は心を入れ替えてちょっとドライブ。
いやはや、たっぷりと渋滞を満喫しました。

途中の鮎沢パーキングでの紅葉狩り。








秋の故郷   しほれふすまがきの霜の下荻や

2006年11月24日 15時17分50秒 |  気になる詩、言葉
しほれふすまがきの霜の下荻や
       音せし風の秋の故郷

日一日と寒さへ向かっています。
岬へはここのところしばらくご無沙汰。
もう萩の葉もしおれ果ててしまったでしょうか。
秋も帰る故郷がなくなってしまったのかな?
秋の心はどこへ行くのだろう?






西宮秋怨 王昌齢

2006年11月24日 13時48分31秒 |  漢詩を長崎弁で
秋扇の涙の数だけ
  月の影
    風車




芙蓉不及美人粧 
水殿風来珠翠香
却恨含情掩秋扇 
空懸明月待君主
  王昌齢 
  西宮秋怨

漢の成帝の寵妃であった班婕が寵を失い長信宮に移ってからのやるせない思いを王昌齢が詩にしたもの(「西宮春怨」という春の歌や長信秋詞というものもある)また唐詩選には彼女のことを歌った詩に、王維の「班婕」や崔国輔の「長信草」なども収められている。秋扇を掩いとは班婕自身がわが身を嘆いた詩(怨歌行)に秋になって不要になった扇を自らが隠すという風に使っている。ここでの芙蓉は蓮の花のことだそうです。

芙蓉も及ばず 美人の粧い
水殿 風来って 珠翠香ばし
却って怨む 情を含んで秋扇を掩い
空しく明月を懸けて 君王の待ちしを


蓮の花だって着飾った彼女の美しさには適わない
水上のこの宮に風が入ってきて、簪に花の香りを載せる
胸の想いを押し沈めながら、秋の扇を隠し
名月に徒に君の御幸を待つ我が身を照らす
              (風車)


実はこの歌にはすでに春の宮というお琴の曲がある。
その五と六歌

池の芙蓉も及びなき 人の袂に吹き渡る
風の薫りはなかなかに 花よりもなほ香ばしき

君が情を忘られぬ 捨てぬ扇の秋も更け
傾く月の夜もすがら 行幸(みゆき)を待つぞはかなき



今回僕ちゃん、ずいぶんと親切ね。なんせ天才だ~~~って騒いでも誰も何も言ってくれないんだもん。
もう止めようかとも思うんだけど、お風呂に唐詩選を持って入っていると、次から次へとでてきちゃうんだよね。

天才だ~~ 
もう自分で誉めるしかないもんね。


蓮の花だって負けて逃げてしまうような美人さん
風が吹いて花の香りを髪飾りに載せる
侘しさを抑えて、秋の扇を隠す
名月が虚しゅうその身を照らしちょるよ