うぐひすの鳴きつる声にさそはれて
花のもとにぞ我は来にける
大江千里
ベッドの中で、ぐ~~っと上体をそらして、八割がとこ目が覚めました。でも後の二割は、ぬくぬくベッドの中でもう少し寝ていたいってダダをこねておりました。
窓からは、鶯が「お茶しようよ」って声をかけてくれています。
しかたありませんね、起き出して、リビングへ。
ベランダの外は、桜が八分。
八分咲きが満開と言うのだそうで、「私が春爛漫よ」って自慢げに微笑んでいました。
私の背後霊さんは木花咲耶姫と固く信じている私としては、背後霊さんが姿を現してくださったなんてことですので、あだやおろそかには、、、、ただただひたすら、平身低頭、心から歓迎の意を表しておりました。
どこかのお坊さんは
願はくは花の下にて春死なん
そのきさらぎの望月のころ
山家集
西行
って、詠んでいますけど、今日は三月三十日、旧暦で言えばニ月の三十日ですね。
この歌に関しては
こちらもご参照あれ。
今の代表的な桜である染井吉野は江戸末期から明治初期に広まったもの。西行の時代の桜と言えば山桜ですね。諸説がありますし、それ以上に変種が多いのですけど、山桜はソメイヨシノよりも早く咲く(我が家でも今年はソメイヨシノの開花よりも五日ほど早く散ってしまっていました)ので、きさらぎ(二月)望月(満月=十五日)に満開って言うこともあったのでしょうね。ちなみに西行はこの言葉通り二月十六日に死んでいます。
昔は如月が今以上に桜の花のイメージがあったのでしょうね。
「きらさぎの二十日あまり、南殿の桜の宴せさせたまふ」
源氏物語の花宴の冒頭ですね。(これについてはあまり書きたくありません。なんせ読者の中には、これを研究された方もいらっしゃいますし、変なことを書いて大笑いされると、面白くないのでね)
ついでに、蛇の足、、、、
今は、花と言えば桜を指すって、皆疑いも持ちませんけど、上代は必ずしもそうでなく、梅であることも多かったんですね。
一つだけ、とても残念なこと。
昨夜来、雨が降っており、ベランダのテーブルや椅子は濡れてしまっています。
今でも、お茶しようよって盛んに誘いを掛けてくれている、鶯とお話をしながらベランダでお茶を楽しむってことができなくなっておりますことですね。
そして、蛇の足といえば、ついに昨日恐れていることが起こりました。
チビ太の散歩の帰りに、ついに見ちゃったんです。
例の、「口にしてはいけない、あの怖い存在」 長い虫さんでした。
チビ太の恋人のブログには、もう一週間ほどまえに、「見た」って書かれていたんです。一メートルほどのものだったそうですけど、今回の私のケースではたぶん六十センチくらいかな。でも、凶悪な種類でした。。。。
これまた、春のもつ一面ですね。それも同時に受け入れなければいけないのでしょうけど、
嫌なもんは嫌だ!