昨日の朝も、雨の中、おいちゃんを多摩川まで散歩させました。
チビ太は、純毛のそれも、柔らかい内側の毛と、荒い外側の毛のダブルコートされたオーバーオールを着込んでおりますので、寒さは平気ですけど、おいちゃんは薄手のジャージの上下にレインコートで、かなり寒かったみたい。
川原では、誰もいませんので、おいちゃんの自由にしてあげましたが、ふと気がつくとおいちゃんの姿が見えない。
必死になって探しておりましたら、いつも散歩で合う人から、「あっちへ行った」って聞きまして、そちらの方へ急ぎました。
途中の交番でも、お巡りさんが「たった今、あっちへ行きましたよ」ってことで、追いかけましたが、姿が見えません。
マンションに帰ってみますと、入り口に、へらへら笑っているおいちゃんがいた。
8月の10日にも同じことがあったんですよ。
おいちゃんが迷い子(もとい)迷い爺になっちゃって、チビ太は大変だったんですから。
ほんと、徘徊癖をもつ認知症の老人を世話するって、大変。
チビ太はそのために、一日中、走り回っていますよ。
ご飯だって、チビ太と違って、ドッグフードって訳には行かないでしょ。
4,6時中、見張ってなきゃいけないんですから。
チビ太、これからもやっていけるかしら。
おいちゃんを介護老人ホームに入れようにも、空きもないし、だいいち、チビ太にはお金がない。
役所に相談しても、制度上どうしようもないってことで、門前払いかもね。
ということは、死ねっていっていることなんだけど。
国も、今頃になってやっと、核家族が普通の世の中になった。家族のケアに任せられる部分が少なくなったので、基本設定を変えなきゃいけないかな~~って思いだしたみたい。
核家族化が言われだしたのは50年も60年も前のこと。
大都市では戦前だって核家族化が進んでいた。
それを知りながら、大家族の社会の伝統を当てにした制度を作った大馬鹿な人たちが、今の介護疲れで親子心中なんて悲劇を作り出しているんだよね。
頭のいい人たちなのに、なんでかな~
介護疲れでチビ太が死んじゃって、おいちゃんの介護をする人がいなくなったら、おいちゃんも死んでしまうかな、、、、
ハリウッドの映画になるかもしれませんね。
チビなんてのが世界的に有名になったりして。
でも、死んだ後に有名になったり、お金が入ってきても、遅すぎだしね。。。
ところで、今日使った写真は、以前使ったものの再掲です。