ミキシーからの転載です。
多少てにおはをなおしました。
写真は今までに掲載済みのものです。
今日もまたまた天気が悪いですね。
しかも雨。東京では4度までしか上がらないとのこと。
ベランダの花を写しこむことももう種切れ。
はて、何をしたらいいんだろうと思ってミクシーの日記を見ていたけど、あるマイミクさんが展覧会を開かれる。その展覧会の名前が骨壷展なんだそうです。
仕事をしていたときに、いろんな作家から日本でのプロモーションを頼まれた。とにかくわがままで、自分が気に入らなければ絶対にやらないってことが知れ渡っていたので、私に依頼してくる人は他にどうしようもなくなったものか、それともよほど天邪鬼なんでしょうね。それでもそんな私に勲章をくれ、退職の時には、「上の勲章を申請したけど一度出た人にもう一度上げるのは難しくって断念した。ごめん」なんてトップから言われたりすると、あの国もよほど人材不足なんだなって妙に納得したりして。
なんて蛇の足は別にしても、その仕事をしているときになにかやろうかって話になったときに、骨壷やお化けの展覧会がけっこうあったりして。。。 西欧人の癖に骨壷やお化けに興味があるのかななんて不思議に思っていた。
彼らの言う骨壷やお化けは、生(あるいは生き様)とか死とかの象徴なんだけど西欧人の持っている生、死への観念、それがストレートに出てきているとどうもすんなりとは受け入れにくいところがあるし、かといって妙に東洋的なものに迎合しているようなところがあると余計に嫌気がさしたりして。
コンセプトを詰めていく過程で、貴重、希少な出張日程の中で、幾晩、幾人の人と、何本の瓶を空けて、あげくほとんどが実現しなかった。実現できなかったことは残念だとは思う。
でもこの二日酔いの朝、次の会合にでて、昨晩はこんな話をして、徹夜したなんて話から、彼らの本国での展覧会がまとまったり。
あの過程って私にとってはとても楽しい時間だった、なんて今なら言える。
あの当時は、疲労困憊して、歩きながらでも眠ってしまいそうな状態で、そんなことを言える余裕はなかったけど。
仕事をやめた後も、骨壷展って展覧会や企画はずいぶんあちこちで見かけている。妻有であったときには、同じ年に、長野や新潟でも骨壷展が回っていたし、そのすぐ後には美術の人の展覧会が大阪であっていたと思う。
ちょうどそのころに友人が骨壷展をやりたいというので、そのころはまだ以前の仕事のネットワークも生きていたから、本腰を入れてやるなら応援するけど、でも骨壷って人間の生き様の終着駅だよ、人間の生への怨念をどこまで集約できるっていったら、恐れをなしてその後来なくなっちゃった。またまた言わなくてもいいことをいって、舌禍を招いたんだね~ って自分に腹が立ったけど。
ブログには書いたことがあるけど、本当にやりたかった企画で実現できなかったものがいくつかある。
たとえば、デザインの流れ。地理や時間を越えて世界中で流れ、影響を与え、与えられてきたデザインの流れを地球規模で見て生きたいというのもその一つ。
あるデザインや運動をそれだけ取り上げるのはあまり好きじゃない。
たとえば琳派の展覧会をやりたいと思うと、それがなぜ生まれてきたか、そして世界にどう影響を与えて行ったか、ジャポネズリ、アールデコやアールヌボーまでを抑えたいと思うし、なぜそのような変容が必要だったかも展示したい。
要するに、私って根っからの企画屋さんなんだろうかって思う。ローカルなものをローカルでやるんなら、別な人がやれるでしょうに。私が入るからには大きくしなきゃ、コミッション稼げないじゃんなんてことは、、、多少は思ったかなって嘘ですよ。私は給与ベースでしか仕事をしていないから大きくなれば面倒が増えるだけ。でも面白くないことを3っつやるよりも、それ以上に大変だけど、面白いことをやっているほうが精神衛生上よろしいのですよ。
だから神秘主義でも、誰かの展覧会を開いて終わり、チャンチャン。。。。ってことは最初から念頭にない。キリスト教以前の原始宗教がカトリックの教会の元でしぶとく生き残る。それも北欧は北欧の風土の中で、南欧は南欧の歴史の中で、論理的って言われるヨーロッパ人の論理の仮面をはがしたところに歴然とした影響を残している、、、、、現在でもね。その部分が分からないと西欧人なんて分からないよってことから、神秘主義をやりたいって言い出すのですよね。
ロッテルダムの民族博物館で南アジアやアフリカの宗教儀式で使われるものの展覧会があった。人のコンセプトのものを持ち込むことにはいつも躊躇する私がこれだけはやりたいと思ったんですね。だってこの展示物の一つ一つに生への願望、怨念が篭っていてとても迫力があったんです。 館長からアメリカに回る。そのときに大きなカタログを作るから、それを使ってプレゼンして欲しいって言われて、待ってたんだけど、館長が代わって話が沙汰闇になってしまった。私もそのころは別な大きな企画をやらざるを得ないことになっていたから。
このほかにもできなくて残念って企画がいくつかあるけど、それらを並べてみて思うのは、私には普遍的な人間の生への怨念、諦め、願望なんてものが基本にあるのでしょうね。それが逆に言うと子供たちへの企画や、弱い人への企画にも繋がっていくのかもしれない。
葉隠れと五輪書のことはずいぶん前に書いたことがあると思います。
五輪書は生きろ生きろって書いてある。これは武芸者として常に死と隣り合わせにある人への覚悟を書いたものだから、その死を受け入れるためにも生きろって言っていることだと思います。
それに対して葉隠れは社会が安定し、武士が官僚となってきた、死が遠いものになってきたときに、人間って結局は死ぬもの、だから毎日の生き様をどう満足、万全に生きるかが「よき死」に繋がるんだよって、ことだと私は読みました。
その本が書かれた時、そして対象の読者が違うので表現がまったく異なっているけど言っていることの本質は同じなんだろうなって、ずいぶん子供のころに読んだので、違うかもしれませんけど。。。。
先日も書いていましたけど、物心ついてからずっと自分は死ぬんだって思い続けてきた。
長崎で被爆したんですけど、私が子供のころから、元気だった周りの人がある日突然発症して病院へ。後は何年か後に死ぬだけ。当時は何も手当てもなく苦しんでの最後しか残されていない。そんなのをたくさん見てきました。私もいつかは原爆症を発症するんだって思って生きてきましたから。
白状すると被爆者手帳を持っていると年に何回かの健康診断を受けなければいけないのです。でもかって一度も受けたことがない。怖いのです。
それどころか仕事をしているときも、その後も、健康診断をほとんど受けたことがないのですね。普通の病気で死ぬんだったらその方がましだみたいなきもちがどこかにある。
この年まで原爆症が発症していないのだから、まずそちらは安全だろうと漠然と思っていますけど、やはり今でもどこかに怖さがある。
死ぬことではなくて、死に至る間が怖いんです。
結局、そういうのが自分の生き様の根っこにあるんですね、、、、、
なんてことを骨壷って言葉から連想しながら、、、、
冷たい冬の雨の日なんて、根暗になるんですね~
根暗になると、話がとりとめもなくなる、、、、
そしてまた根暗になっていく、、、、、
バラでも買ってきて、今日の被写体にしましょうか。
なんて、ここまで書いてきて、ふと外を見たら雪じゃないですか。
予報で東京に雪が降りましたなんてのは聞いたことがありますが、実際に降っているのを見たのは今年初めて、
こんな根暗な日記を書いている暇はない!
ボクちゃん外に出て大騒ぎをしなきゃ、、、、、