夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

アネモネ

2009年02月28日 11時54分11秒 |  写真


昨日は東京でも雪。さすがに今日の東京は雨こそありませんけど、寒い。
Yes, it's enough cold. なんて言葉が口から出そう。
というので、ベランダのアネモネをまたまた引きずり出しました。
このところ、この子にモデルになってもらうことが多いですね。
ラナンキュラスより、私のお気に入り、なんちゃって。



ところで、昨日のブログのアクセス元を見ておりましたら、「漢詩と写真」で検索をかけてきた人がいて、私のカテゴリーの「漢詩を長崎弁で」がヒットしておりました。
それで久しぶりに漢詩のカテゴリーを覗いていましたら、去年の10月7日の「将随秋草萎       古詩十九首の八  無名氏」が目に付きました。
こちらで使っている写真が秋明菊ですね。
そして、この日記で9月19日の秋明菊の日記「秋明菊(貴船菊)  Anemone hupehensis var. japonica」を参照しています。
古詩に興味をお持ちの方は最初の日記を、秋明菊に興味がある方は9月の文を参照していただければと思いますけど。

今掲載しているアネモネは秋明菊の凄く近い親戚。
どちらもキンポウゲ科、イチリンソウ属に属する花です。
おそらく私の日記を読まれる方は日本の古い花に興味を持っておられる方が多いのだと思いますが、洋花のアネモネよりも、古くからある秋明菊のほうが好まれるのでしょうかね。
なんてことを思いながら、秋明菊はこの時期手に入りませんので、アネモネですね。
一番上の花はもう何度、結んで開いてを繰り返してきたんでしょう。2週間は咲き続けていると思いますので、14回も開閉を繰り返しているんですね。今朝見たときにはちょうどいい具合に花が開いていましたけど、カメラをセットし終わったら、開きすぎになっていましたので、急遽その下の花をメインにしました。


草もち  満足~

2009年02月27日 21時32分01秒 |  食べるために生きる


ずっと前に住んでいたところの前の家の方の実家が山梨にあって、春に実家に帰られるとお母さんの手作りという草もちをいつもお土産に頂いていた。これが実に美味しい草もち、ヨモギの匂いがぶんと鼻をつきそれを嗅いでいるだけで幸福な気分になった。


その後、どこの草もちを食べても、あれを超えるものはまだ食べたことがない。欲しいと思うとそれを食べるまでは何年でも、何十年でも、食べたいって気持ちが消えない性格なので、いつも草もちがないかなって探している。

いすみにはヨモギがたくさん生えているので、こちらの農家の手作りの草もちは美味しいか、少なくともヨモギのたっぷりと入ったものかって期待したけど、残念ながらはずれ。美味しい草もちには出会っていない。

ところが今日頂いた草もち、、、ヨモギの香りがきちんとして、美味しかった。今日はとても満足な気持ち。
近江八幡のたねやというお店の草もちとさくら餅の詰め合わせを頂いたのだけど、さくら餅も草もちも、あまり甘すぎなくて、上品な甘さ。
いいお茶が欲しかったけど、たまたま手元になくって残念でした。
今度また、お茶屋に注文しとかなきゃ、こんな嬉しい時間がまた来た時に備えましょう。

ヨモギは確か奈良に有名な村があると聞いたことがある。それも一度は食べてみたいなって思っている。

3月にはいると名古屋の桜の園ってお菓子が手に入ることになっている。これも今から期待にこの小さな胸、大きなお腹を膨らませているんです。

なんと、ささやかな夢なんでしょうね~



写真に残したいもの

2009年02月27日 18時06分18秒 | 日記
トラックバックの練習用のお題として写真やビデオに残したい一瞬というのがだされていたけど、私の場合、何度も何度もお話していますよね。
散歩をしなければいけない。でも散歩だけなら3日も持たない。
だから写真を撮ってブログにアップして付加価値をつける。
そのために8キロも10キロもあるレンズや三脚を背中に背負って、二宮尊徳よろしく多摩川の河川敷や外房のいすみ市の野や海岸を散歩している。
そうすると、本当に見慣れたもの、ありふれたものが、いかに綺麗だったか、改めて知らされる。
今、散歩をしていて嬉しいです。
そんな美しいものに囲まれて生きていけることが。
そして、まだまだ見慣れたものの中に美しいものを見つけられる自分の心が。


雪だ~  クリスマスローズ

2009年02月27日 15時48分09秒 | 日記

先ほどの日記を書いていましたら、雪が降ってきました。
とにかく未だに南国人種なのです。
雪が降るととたんにアドレナリン全開。
雪~~~って叫びながら外へ飛び出します。

普通は一人でいるときには昼ごはんは抜きます。
でも今日は冷えているのでエネルギー補給のために近くのレストランまで行ってまいりました。猪のハンバーグ。まあ、珍しいのでしょうね~~~

そして帰りに、このところ気になっているお家を覗きました。普通のうちなのですけど、入り口のスペースにクリスマスローズの鉢がたくさん並べられていて、500円から2000円くらいで売っているのですね。今日数えてみましたらなんと100鉢くらい置いてありました。



一番安い500円のものを4っつ求めましたが、あなたは運がいい、この方が作っている人って生産者の方を紹介され、花の咲いていない鉢をサービスでつけていただきました。一年間の作業のメモまで用意されていましたよ。
2つをこちらのベランダに置き、あとの二つを岬に持って行きましょう。



今は株は小さいですけど、来年期待です。

生と死と  骨壷展

2009年02月27日 09時55分10秒 | 芸術・文化
    ミキシーからの転載です。
    多少てにおはをなおしました。
    写真は今までに掲載済みのものです。 

今日もまたまた天気が悪いですね。
しかも雨。東京では4度までしか上がらないとのこと。
ベランダの花を写しこむことももう種切れ。
はて、何をしたらいいんだろうと思ってミクシーの日記を見ていたけど、あるマイミクさんが展覧会を開かれる。その展覧会の名前が骨壷展なんだそうです。


仕事をしていたときに、いろんな作家から日本でのプロモーションを頼まれた。とにかくわがままで、自分が気に入らなければ絶対にやらないってことが知れ渡っていたので、私に依頼してくる人は他にどうしようもなくなったものか、それともよほど天邪鬼なんでしょうね。それでもそんな私に勲章をくれ、退職の時には、「上の勲章を申請したけど一度出た人にもう一度上げるのは難しくって断念した。ごめん」なんてトップから言われたりすると、あの国もよほど人材不足なんだなって妙に納得したりして。

なんて蛇の足は別にしても、その仕事をしているときになにかやろうかって話になったときに、骨壷やお化けの展覧会がけっこうあったりして。。。 西欧人の癖に骨壷やお化けに興味があるのかななんて不思議に思っていた。

彼らの言う骨壷やお化けは、生(あるいは生き様)とか死とかの象徴なんだけど西欧人の持っている生、死への観念、それがストレートに出てきているとどうもすんなりとは受け入れにくいところがあるし、かといって妙に東洋的なものに迎合しているようなところがあると余計に嫌気がさしたりして。
コンセプトを詰めていく過程で、貴重、希少な出張日程の中で、幾晩、幾人の人と、何本の瓶を空けて、あげくほとんどが実現しなかった。実現できなかったことは残念だとは思う。
でもこの二日酔いの朝、次の会合にでて、昨晩はこんな話をして、徹夜したなんて話から、彼らの本国での展覧会がまとまったり。
あの過程って私にとってはとても楽しい時間だった、なんて今なら言える。
あの当時は、疲労困憊して、歩きながらでも眠ってしまいそうな状態で、そんなことを言える余裕はなかったけど。

仕事をやめた後も、骨壷展って展覧会や企画はずいぶんあちこちで見かけている。妻有であったときには、同じ年に、長野や新潟でも骨壷展が回っていたし、そのすぐ後には美術の人の展覧会が大阪であっていたと思う。

ちょうどそのころに友人が骨壷展をやりたいというので、そのころはまだ以前の仕事のネットワークも生きていたから、本腰を入れてやるなら応援するけど、でも骨壷って人間の生き様の終着駅だよ、人間の生への怨念をどこまで集約できるっていったら、恐れをなしてその後来なくなっちゃった。またまた言わなくてもいいことをいって、舌禍を招いたんだね~ って自分に腹が立ったけど。

ブログには書いたことがあるけど、本当にやりたかった企画で実現できなかったものがいくつかある。
たとえば、デザインの流れ。地理や時間を越えて世界中で流れ、影響を与え、与えられてきたデザインの流れを地球規模で見て生きたいというのもその一つ。
あるデザインや運動をそれだけ取り上げるのはあまり好きじゃない。
たとえば琳派の展覧会をやりたいと思うと、それがなぜ生まれてきたか、そして世界にどう影響を与えて行ったか、ジャポネズリ、アールデコやアールヌボーまでを抑えたいと思うし、なぜそのような変容が必要だったかも展示したい。

要するに、私って根っからの企画屋さんなんだろうかって思う。ローカルなものをローカルでやるんなら、別な人がやれるでしょうに。私が入るからには大きくしなきゃ、コミッション稼げないじゃんなんてことは、、、多少は思ったかなって嘘ですよ。私は給与ベースでしか仕事をしていないから大きくなれば面倒が増えるだけ。でも面白くないことを3っつやるよりも、それ以上に大変だけど、面白いことをやっているほうが精神衛生上よろしいのですよ。

だから神秘主義でも、誰かの展覧会を開いて終わり、チャンチャン。。。。ってことは最初から念頭にない。キリスト教以前の原始宗教がカトリックの教会の元でしぶとく生き残る。それも北欧は北欧の風土の中で、南欧は南欧の歴史の中で、論理的って言われるヨーロッパ人の論理の仮面をはがしたところに歴然とした影響を残している、、、、、現在でもね。その部分が分からないと西欧人なんて分からないよってことから、神秘主義をやりたいって言い出すのですよね。

ロッテルダムの民族博物館で南アジアやアフリカの宗教儀式で使われるものの展覧会があった。人のコンセプトのものを持ち込むことにはいつも躊躇する私がこれだけはやりたいと思ったんですね。だってこの展示物の一つ一つに生への願望、怨念が篭っていてとても迫力があったんです。 館長からアメリカに回る。そのときに大きなカタログを作るから、それを使ってプレゼンして欲しいって言われて、待ってたんだけど、館長が代わって話が沙汰闇になってしまった。私もそのころは別な大きな企画をやらざるを得ないことになっていたから。

このほかにもできなくて残念って企画がいくつかあるけど、それらを並べてみて思うのは、私には普遍的な人間の生への怨念、諦め、願望なんてものが基本にあるのでしょうね。それが逆に言うと子供たちへの企画や、弱い人への企画にも繋がっていくのかもしれない。

葉隠れと五輪書のことはずいぶん前に書いたことがあると思います。
五輪書は生きろ生きろって書いてある。これは武芸者として常に死と隣り合わせにある人への覚悟を書いたものだから、その死を受け入れるためにも生きろって言っていることだと思います。
それに対して葉隠れは社会が安定し、武士が官僚となってきた、死が遠いものになってきたときに、人間って結局は死ぬもの、だから毎日の生き様をどう満足、万全に生きるかが「よき死」に繋がるんだよって、ことだと私は読みました。
その本が書かれた時、そして対象の読者が違うので表現がまったく異なっているけど言っていることの本質は同じなんだろうなって、ずいぶん子供のころに読んだので、違うかもしれませんけど。。。。



先日も書いていましたけど、物心ついてからずっと自分は死ぬんだって思い続けてきた。
長崎で被爆したんですけど、私が子供のころから、元気だった周りの人がある日突然発症して病院へ。後は何年か後に死ぬだけ。当時は何も手当てもなく苦しんでの最後しか残されていない。そんなのをたくさん見てきました。私もいつかは原爆症を発症するんだって思って生きてきましたから。
白状すると被爆者手帳を持っていると年に何回かの健康診断を受けなければいけないのです。でもかって一度も受けたことがない。怖いのです。
それどころか仕事をしているときも、その後も、健康診断をほとんど受けたことがないのですね。普通の病気で死ぬんだったらその方がましだみたいなきもちがどこかにある。
この年まで原爆症が発症していないのだから、まずそちらは安全だろうと漠然と思っていますけど、やはり今でもどこかに怖さがある。
死ぬことではなくて、死に至る間が怖いんです。



結局、そういうのが自分の生き様の根っこにあるんですね、、、、、
なんてことを骨壷って言葉から連想しながら、、、、
冷たい冬の雨の日なんて、根暗になるんですね~
根暗になると、話がとりとめもなくなる、、、、
そしてまた根暗になっていく、、、、、




バラでも買ってきて、今日の被写体にしましょうか。

なんて、ここまで書いてきて、ふと外を見たら雪じゃないですか。
予報で東京に雪が降りましたなんてのは聞いたことがありますが、実際に降っているのを見たのは今年初めて、
こんな根暗な日記を書いている暇はない!
ボクちゃん外に出て大騒ぎをしなきゃ、、、、、




引きこもり

2009年02月26日 17時07分30秒 | 日記

今日も一日引きこもりをしておりました。
ということで、何も新しい写真の材料がない。
仕方ありませんベランダの花たち。
でも、さすがにアネモネはもう何度も出てきていますので、さすがの私でもちょっと遠慮しておきましょう。


D300に200ミリのマクロ。ISO200。絞り優先。三脚使用。

ということで、トップはラナンキュラス。
以前アップしたものの2番咲きです。花がだいぶ小振りになってきました。
1/4 f.11 -2補正

そして、こちらはガーデンシクラメン。
ずいぶん前にアップしましたね。
1/4 f.11 -2補正



最後はサクラソウ。少し前にアップしたものが、今は満開の状態です。
1/8 f.11 -1補正(これは補正なしでもよかったかな?)




こうしてみると切花よりも、はやり鉢花のほうがいつまでも楽しませてくれますね。活花も花の魅力を120%出せれば花としても本望なのかもしれませんけど、どうも組み合わせてみるとなんか不自然になってしまう。もちろんそれは私が悪いのですけど。

日本に国道ってあったっけ? 高速道路の無料化

2009年02月26日 09時55分20秒 |  これがまあつひのすみかか我が日本
私は日本には国際的なレベルに達した国道はないと思っている。
今、日本に張り巡らされている国道と呼ばれているものは、世界的なレベルから見れば地方道以下、たんなるコミュニティ道路にしか過ぎない。



国道は国の交通を念頭において作られるもの、それが村の祭りや、どこかの郊外店の大安売りで何時間も渋滞するなんてありえないことなのですよね。
この状態をなんとかしようとして先進国では始めての国際機関からの借款を受けたけど、そのときの機関の報告書にも、日本の道路は信じられないくらいに悪いって書かれている。
その後も世界に類を見ない道路特定財源などを確保して、道路を作るといっているけど、日本が経済援助をしているような途上国のほうがはるかに進んでいる。
未だに、日本の道路は信じられないくらいに悪いのです。
おまけに、道路情報が、混んでいたり、夕方の雨ではほとんど見えないような道路にかかれたものであったりする。
日本には円滑な交通に供するような道路ってないのじゃないかとさえ思えてしまう。

     左折はこっちよ! なんて急に言われても、接触事故を起こすだけですよ


それをカバーするために運転者は過酷な努力を強いられているし、悲惨な交通事故が後を立たない。

     無理な運転を強いられるからね~

     運転者だけが、責められる問題じゃないんですよ


今、世界的な国道のレベルに達しているのは高速道路。
これを買い取り、無料化して、それを国道にしてしまう。
今の国道以下は全部地方道にして、財源を地方に回す。
郵政民営化で国民が利することは少なかったけど、この政策では国民の生活に利することは多いのですよね。
その前提としてなら有料道路の無料化、大いに賛成ですね。

私が知っている、高速国道が有料な国はフランスだけ。それも日本の通行料と比べて比較にならないくらいに安い。

輸出産業にてこ入れしても、世界が経済不況の中にある限り、その成果はほとんどない。
なら、産業のてこ入れ、国民の雇用、生活の安定、消費の拡大には高速道路の拡充というのは考えるべき、選択肢だと思うのだけど。






高速料金下げ、効果5200億円=無料化2.7兆円、導入は否定-金子国交相(時事通信) - goo ニュース

麻生さんの英語力?  些細なことですよ

2009年02月26日 09時38分49秒 |  これがまあつひのすみかか我が日本
横文字にアレルギーを持ち、まったくの文盲である私からすれば、麻生さんの英語力? そんなことは些細なことですよ。
今や日本、そして世界がミゾユの経済危機に陥っているときに、そんなことどうでもいい。



私そしておそらく大多数の国民がリーダーに求めているのは、世界経済を安定し、将来への展望を見せていくこと。
そのために、もっとも影響力のあるアメリカとのゆるぎない協調を確保すること。
ちゃんと話し合えれば、共同声明を断られても、まして一緒に飯しようよって言って断られても、そんなことはどうでもいい。
お友達の経済の舵取りを任せた人が、何を言っているのか分からないような人であることを暴露されても、、、、

些細なこと。
ほんとうに些細な事だってば。。。。

沈没しちゃっても、太陽は昇るよ。


そう、思わなきゃね~
そう思わなきゃ、この日本、生きていけないよ。




得意のはずが…麻生さんの英語、米側「聞き取れない」(読売新聞) - goo ニュース

今日も雨  アネモネ

2009年02月25日 12時50分57秒 | 日記


今日も雨が降っています。
今週は、雨、曇りの予報が続きますね。
今年は雨が少ないと思っていましたので、雨も恵みになるのでしょうね~
ということで、今日も代わりばえのしない手近な材料でお許しください。

今日はベランダのアネモネを選びました。
1月26日に最初のアネモネをアップしていますね。そのときの花はもう枯れてしまい、茎から切り取ってしまいました。
そして2月13日には2回。その後も2月15日に再三再四ってことで、またまたアップしていますね。野山の花や、鳥以外で、ベランダの鉢ものを短い期間内に、こんなに撮ったことはたぶんなかたことですね。
これは2番咲きのもの、これがず~っと開いては閉じてがんばっています。
ラナンキュラスは一度開くとあっという間に散ってしまいますけど、アネモネは昼間開いて夜は閉じる、ずいぶんと長い間楽しませてくれます。
特に今日のような曇りの日には半分開いた形で終わります。むしろこの方が綺麗かもしれませんね。



話は関係のないほうへと飛びますけど、散歩をしていて、よく何を撮っていますかって聞かれます。
それに対しては、目に付いたものを何でも撮っています、散歩の記録ですって答えます。
自分でも特に何を撮ると決めたことはないし、専門を持つ気持ちはありませんので。
何度も書いていますけど、私にとっての写真は散歩を続けるための、付加価値でしか過ぎません。
ちょっと足を延ばせば、あんな花が咲いている、こんな鳥がいるとなっても、まず散歩としてそれが歩ける範囲内であるのかが一番先に考えること。それを超えていれば、私の対象から外れてしまいます。

よく花を撮る人たちは、その被写体の特徴を捕まえることを大切にします。花弁の形や、葉っぱ、茎の状態、そしてできれば周りの状態など、それらを取り入れた写真を大切にする。
鳥を撮る人もまったく同じです。要するに私が言う図鑑の写真、証明写真ですね。

でも、写真には別な用途もあっていいと思います。ただ綺麗と感動したときにそれを写しこむ写真。私のようにシベだけを撮っていたり、光を透かした花弁の重なりなんてのを撮ると、わざわざこれがアネモネですって言う必要もないような、つまりたんなる造形としての写真。当初は花や鳥の名前などを入れておりませんでした。知らなかったということも大きいのですけど、大げさに言えば造形、アートとしての写真もあっていいはずですね。

図鑑の写真に走る人が多いのは分かります。最初は綺麗で撮っていても、だんだんと撮り進んでいくと、また同じものかってことになって、いろいろ別な観点から撮り始める。そして別な種類のものを撮りたいと思いはじめる。こんな鳥、あんな花が咲いているって聞けば、機材一式を抱え込んで走っていく。
そうこうしていくうちにだんだんとお仲間も増えていくと、これはこの点が特徴だからこれを抑えなければこの花、この鳥の写真とはいえないって知識も増えてくる。図鑑の写真には、そのような対象の持っている特長などの知識も必要なのですね。

私はアートなんて大げさではないけど、自分が綺麗だと思えばそれでいいのだという気持ちがありますので、毎回毎回、同じアネモネを撮っていても、それでいいとおもっています。
被写体もそうなら、構図も、撮り方も、ただ綺麗、ただ可愛いだけ。
撮っているときに、被写体に向かって、綺麗だよ、、、可愛いよ、、、って言ってあげている、その瞬間が好きなんです。
そこには、技術や、知識のかけらもない。
でも、それが私にとっての写真。
それが私があの重い薪を背負って、歩き回る目的で、楽しみなんですね。

鳥の人なら見向きもしない、ヒヨドリや、烏や、鷺、カモメでも綺麗だ、可愛いと思えばそれを写したいと思います。
いえ、私にはむしろ、風景も含めて、そのようななんでもないものの中に綺麗なもの、かわいいものを見つけたときに嬉しさがたまらなく貴重に思えます。

でも図鑑の写真は、特徴を捕まえて、シャープに撮れればそれでいいという、ある程度の目安がありますけど、自分が綺麗だと思うものを撮影しようと思うと、実は終わりがないのですね。
そんなことはかってありませんでしたけど、仮に百人の人が綺麗だ、すばらしいと言ってくださっても、おそらく自分は、どこかで満足していない。ここはこうすべきだった、あのときに受けた感動がこれを見ただけでは感じられない、、、、、
終わったあとは、鬱になってしまうのですね~
まあ、いつも次回は、、、、ってことにしてしまいますけど。 
いつまで次回があるのか、、、だんだんおぼつかなくなってきて、初めて次回の持つ意味が分かってきたのかな、、、

もちろん、図鑑の写真も100%満足いく写真を撮ることは困難なのでしょうけど、

私はアーティストではない。油や、版画を扱うときにはそれなりに自分でも作ってみたりしたことはあります。でもそれはあくまで技術的な限界を知ることが目的でした。
少し自分なりのイメージを再現してみようと思い出してから、彼らがしょんぼりしていても多少は理屈ではなく共感できる地ができてきたのかなって、思ったりしています。
でも、今やもう遅すぎるのですけどね。





雨の日は  小人閑居して不善をなすんです

2009年02月24日 15時28分48秒 | 日記


昨日の「見っけ」では梅酒を見つけたことをお知らせしました。
でも今日もまた雨。これじゃ外には出られません。

夜ならば、雨の夜。
それこそ、雛祭(ひな)の宵にかこつけて雛祭の酔いを楽しめるのですけど、でも飲むのはできても魚がいない。
品定めに値するような魚がいないんです。


ということで、昨日、見つけたもう一つのものを取り出してきました。
ほらの親戚。
久方ぶりのご対面。
といっても、その間、ほらをつかなかったってことではなく、、、
そっちのほうは、私にとっては息をするのと同じことですからね。

少しロングトーンの練習でもいたしましよう。

でも、雑音を振りまいてもいいのでしょうか。
周りからうるさいと怒鳴られるかな、、、、
ほんと、小人がやることなくなると、、、
まわりにご迷惑をおかけするばかり、、、