岬にはね、家にはムカデ、浜にはチドリ。そして庭にはチョウ。
一羽にて千鳥といへる鳥もあらば何羽飛ぶとも蝶は蝶なり
西行法師の失恋の始まりの詩ですね。
蛇の足 その一
一匹でも100の足
一羽でも1000の鳥
そして一頭でも1、000、000、000、000(=兆ね)
蛇の足 その二
なぜ、蝶は一頭って数える?
一説には英語の蝶の数え方、one head, two headsから来たというのと、標本を数えるときに頭がないと価値がないので、頭を数えた、、、なんて説があるそうです。
http://www.pteron-world.com/topics/faq/faq.html
蛇の足 その三
ところで上の歌。
西行がまだ佐藤義清といった武士のころに、蝶の好きな姫君が、
「蝶なれば二羽か四羽か飛ぶべきに三羽飛ぶとはあれは半なり」
って詩を送られて、意味がわからず、困っていたのだそうです。
(蝶は丁半の丁。偶数ですね。丁半賭博にかけたもの。丁なら2とか4なのに、3羽とんでいるのはあれは半じゃないか、、、って意味です)
そこで西行が助け舟を出して、
「一羽にて千鳥といへる鳥もあらば何羽飛ぶとも蝶は蝶なり」
(一羽でも千鳥(千)という鳥もあれば、何羽とんでても蝶は兆ですよ)
お礼を言われて、その姫君を見たとたん、西行は恋病に落ちてしまいます。
それを知った姫君は
「この世にては逢はず、あの世にても逢はず。
三世過ぎて後、西方阿弥陀の浄土にて我を待つべし」
って、誘ってくれたのです。
つまり、
「この世(=今日の夜)は会えない、あの世(明日の夜)も会えない。
三日目の夜に阿弥陀堂のところで会いましょう
ってことだったんですね。
喜び勇んで阿弥陀堂に行って、まあちょっとした問題もあったんですけど、首尾よく、、、、
それで、帰りしなに、また会いましょうよって誘いをかけたら、「阿漕であろう」っていわれちゃった。
これまた
「伊勢の海 阿漕が浦に曳く網も たび重なれば あらはれにけり」
って、隠れた逢瀬も、度重なれば人に知られてしまうって婉曲な断りだったんですけど、それが判らなかったので、彼は出家して、歌に励んだって、、、
多分、作り話でしょうね~
一羽にて千鳥といへる鳥もあらば何羽飛ぶとも蝶は蝶なり
西行法師の失恋の始まりの詩ですね。
蛇の足 その一
一匹でも100の足
一羽でも1000の鳥
そして一頭でも1、000、000、000、000(=兆ね)
蛇の足 その二
なぜ、蝶は一頭って数える?
一説には英語の蝶の数え方、one head, two headsから来たというのと、標本を数えるときに頭がないと価値がないので、頭を数えた、、、なんて説があるそうです。
http://www.pteron-world.com/topics/faq/faq.html
蛇の足 その三
ところで上の歌。
西行がまだ佐藤義清といった武士のころに、蝶の好きな姫君が、
「蝶なれば二羽か四羽か飛ぶべきに三羽飛ぶとはあれは半なり」
って詩を送られて、意味がわからず、困っていたのだそうです。
(蝶は丁半の丁。偶数ですね。丁半賭博にかけたもの。丁なら2とか4なのに、3羽とんでいるのはあれは半じゃないか、、、って意味です)
そこで西行が助け舟を出して、
「一羽にて千鳥といへる鳥もあらば何羽飛ぶとも蝶は蝶なり」
(一羽でも千鳥(千)という鳥もあれば、何羽とんでても蝶は兆ですよ)
お礼を言われて、その姫君を見たとたん、西行は恋病に落ちてしまいます。
それを知った姫君は
「この世にては逢はず、あの世にても逢はず。
三世過ぎて後、西方阿弥陀の浄土にて我を待つべし」
って、誘ってくれたのです。
つまり、
「この世(=今日の夜)は会えない、あの世(明日の夜)も会えない。
三日目の夜に阿弥陀堂のところで会いましょう
ってことだったんですね。
喜び勇んで阿弥陀堂に行って、まあちょっとした問題もあったんですけど、首尾よく、、、、
それで、帰りしなに、また会いましょうよって誘いをかけたら、「阿漕であろう」っていわれちゃった。
これまた
「伊勢の海 阿漕が浦に曳く網も たび重なれば あらはれにけり」
って、隠れた逢瀬も、度重なれば人に知られてしまうって婉曲な断りだったんですけど、それが判らなかったので、彼は出家して、歌に励んだって、、、
多分、作り話でしょうね~