恋ふる日のけ長くあれば
わが園の韓藍の花の色にでにけり
万葉集 10-2278
韓藍=からあゐ
鶏冠草とも書かれることがありますね。
隠りには 恋ひて死ぬとも御園生の鶏冠草の花の色に出でめやも(万葉集 11-2784)
最初の詩は文字通り。
あなたをあんまり長く思い続けているので 家の庭の鶏頭の花のように顔にでちゃった
って、ことですね。
次の詩は
人知れずあなたを恋して、焦がれて死んでしまうようなことがあっても 庭の鶏頭の花の色みたいに現すことはしません
鶏頭、、、、どうも苦手だと思っておりました。今までは花を正面に捉えていたんですけど、こういう風に横から見ても面白いんですね。
皁莢に延ひおほとれる尿蔓
絶ゆることなく宮仕せむ
高宮王
万葉集 16-3855
皁莢(かはらふじ; (シナ)サイカチ; 元はジャケツイバラ科サイカチ属、今はマメ科に入れられています)
延ひ(はひ)
尿蔓(くそかずら;ヘクソカズラ)
カワラフジにまつわいついているクソカズラのように
絶えることなく宮仕えしましょう。。。
なんて、詩としてはな~んだってことですけど、でもヘクソカズラ(屁糞蔓)、可哀想ですね。こんな名前を付けられて、お嫁にも行けないですね。(あっ、お嫁に行けば名前は変わるか。よかった)
今までもハキダメギクとか、オオイヌノフグリとか、クサキとか、可哀想な名前を付けられた植物を何度も取り上げてきましたけど、これもほんとうに可哀想。
葉っぱや茎が臭いからこの名前になったそうです。クサキ(臭木)と同じですね。
ところでタイトルのか「わらふじ」 旧かなでは「じ」は「ち」に濁点です。
ほんらいは「皁莢」の字をあてていますけど、文中ではそのまま変換するのですが、タイトルの欄では変換できないのです。ということでひらがなで表記しました。お許しあれかし。
珍しくおいちゃんが散歩に連れて行ってくれました。
おいちゃんの退院後は、車で三軒屋の海岸に連れて行って、おいちゃんは車に残り、チビ太は海岸を走り回るって、満足したら車に戻るというのが通例。
でも今日は、チビ太が外にもいかないで、家の中で寝てばかりいるのを心配して、おいちゃんが一緒に散歩に連れて行ってくれました。
とは言っても、200メートルほど歩いただけですので、チビ太には散歩にはなりませんでしたが、これでも胸の痛みを気にしながらのおいちゃんにとっては、大遠征なんです。
この辺はチビ太の縄張りの端っこのところ。おいちゃんが元気なころは、ここまで来ると、後は一目散に好きなところへ走って行くのですが、
チビ太にもおいちゃんの状態が分かりますので、おいちゃんが踵を返したら、そのまま家に向かって帰りました。
ちょとだけ走って、玄関でおいちゃんを待ちます。
おいちゃんはゆっくりと帰ってきました。
大丈夫そうですね。
と、ここまではよかったんですけど、チビ太が玄関のドアから家に入ろうとしたら、「わたちも入れて」ってなんだか灰色の長い紐みたいなものがチビ太の前を滑って行きます。長さは一メートルくらい。チビ太の全長よりも長いですね。チビ太は見たこともないものだったので、ちょっと鼻を付けてみましたが、なんだか怖い。恐る恐る近づくと、ぐるぐると体を丸めて、真中に置いた頭をこちらに向けてきます。その目の怖いこと。チビ太はちょっとだけじゃなくビビっちゃいました。
蛇という生き物なんだそうです。おいちゃんの大嫌いな、怖い生き物だそうで、おいちゃんは小さな熊手をもってとぐろを巻いている蛇を外に出そうとしていますけど、腰が引けてる。
チビ太、加勢してっておいちゃんは声をかけてきますけど、おいちゃんが怖いものがチビ太に怖くないってことはないでしょう。
二人しておろおろしていたら、ふっと蛇が消えてしまいました。
おいちゃんは大慌て、あんなのが家の中に入ってきたら、、、そして寝てる時に、一緒に寝ようよなんてやってきたら、ショックでおいちゃんはまた発作を起こすかもしれません。
そうこうしているうちにおいちゃんは玄関の本箱の後ろに蛇の尻尾が見えているのを見つけました。あんなところに入り込んでいる。手元にあった殺虫剤をシャーシャーって振りかけていましたら、たまらなくなった蛇は外へ逃げ出して行きました。
チビ太がいつでも外に出られるように玄関のドアはいつも開けてあるんですけど、おいちゃんは さすがに今日はドアを閉めてしまいました。
虫が嫌、蛇が怖いなんて言っていたら、田舎には住めない。
自然の中に住むっていうのは、そんなことなんですけどね~
まんじゅうしか怖いものない人しか田舎の生活は無理なんでしょうかね。
チビ太も、やっぱりあれは怖かった。
チビ太も自然の生活は無理かな?
昼間の暑さも35度を超えた一時期ほどではなく、
朝夕は過ごしやすい気候になりました。
セミの声の大合唱の中に、ヒグラシのパートも日毎に力強さを増してきました。
まだ、夏。
でも、秋の気配がだんだんと周りを染めてきています。
夕暮れの空も秋がそこまで来ていることを感じさせます。
岬もそろそろ秋の色に、、、
昨夜、墨田の花火をやってましたね。
きれいでした。日本最大規模の花火の一つですから当然でしょうけどね。
知人が誘ってくださったんですけど、残念、行けなかった。
テレビで眺めるだけ。
NHKでは大曲の花火。
これまた、素晴らしいですね。
墨田の花火の豪華さとはちょっと違う花火。
日本の花火師が課題と自由の二つの花火を上げるんです。
名前がかかっていますし、総理大臣賞もでるんですからね。
ところで、いすみ市。
近くでは一宮や、御宿や鴨川、勝浦などでも花火大会があります。
今年の花火は一宮のもの。去年と一昨年は御宿の花火を日記にアップしていましたね。
いすみ市では国吉というところで花火がありますが、今年は中止になりました。
なので、花火の代わり。
ベランダの花火をご紹介。
以前ご紹介したオクラの花。
実物はこんな風ですね。
いかがですか?
ちょっとは、花火に見えますでしょうか。
テレビで見るか、見立てで見るか、、、、
割れ鍋だって綴じ蓋があるじゃないですか。
花火がなくとも、オクラがあるさ。
NHKで札幌交響楽団の悲愴をやっておりました。尾高忠明の指揮で6月4日に収録されたものだそうです。
これを聞きながら、ふと自分の評価って言うのが、自分のもっているデフォルト・スタンダードに如実に影響されるんだ、それとの対比で評価するんだって、当たり前のことを痛感していました。
「悲愴」 もう50年近く前に、私が前髪紅顔の美少年だったころ(????)大好きな曲でした。指揮者として、その頃の私の神様は、トスカニーニとフルトベングラー。この全く異なる性格の二大指揮者にまいっておりましたんですよ。
だから、悲愴を聞くときは、トスカニーニのあの早い、リズミカルな、ダイナミックな演奏と、フルトベングラーの重厚な演奏がともにデフォルトにあるという分裂症ぎみの立場に置かれるんです。
スコアーを手元に一生懸命、ここは第一主題の再現だからとか、ああだとか、こうだとかって自分なりの評価基準を見つけようとはしておりましたが、いかんせんまだ子供ですからね~ 自分にあの二大巨匠に文句を付け、あちら、こちらに軍牌を上げるほどの実力のなさに打ちのめされておりました。
懐かしいですね~
ところで尾高さんの指揮。
大人しいし、柔らかいですね。全体にもっとダイナミックに、6連譜のマーチのところでももっと歯切れがあってもいいんじゃないかって思うくらい。全体として、追憶の悲愴って感じがしてならなかった。
でも、とてもしっくりした、綺麗な演奏でしたよ。
そして札幌交響楽団、弦と木管がとても綺麗ですね。
ここまで素晴らしい交響楽団だとは、、ごめんなさい、、知らなかった。
ここまで来るのに、郡山のお菓子屋さんの息子さんの力も大きかったんでしょうね。
震災後、石巻からの帰り、郡山を通りながら、彼は今何をしているんでしょう、少し前までは東南アジアにいたみたいだけど、なんて思っておりました。
京都にお嫁に行く時、ご両親を初めて訪ねる時、よく魚の料理がだされるのだそうです。綺麗に食べられれば合格。そうでないと、躾がなってないね~ってあの、京都風のにこにこした顔で駄目をだされちゃう。。。なんだそうです。
なので、おいちゃん、最近ものすごく気にしているんですけど、
でも、やっぱりこんな風になっちゃいました。
おいちゃん、京都にはお嫁に行けないや。
でもね、、、おいちゃんは長崎の出身。魚の町なんですよ。あそこで生まれ、育ったんですから、ほんとは綺麗に食べられるんです。でも、チビ太にも残してあげよう、身もたくさんあったほうがいいからって、、、、、それで、こんな風になっちゃうんです。
チビ太、感謝感激。