昨日(今朝ですね)の日記「兎のダンス」は、波兎(鳩じゃありませんよ、バニーちゃんです)を念頭に入れているのは、皆様は当然お分かりのことと思います。
謡曲の竹生島(ちくぶしま)に源流をなんて言われていますけど、でもこの兎ちゃん、もっと前からいても不思議じゃないような感じがしますけどね。
竹生島は琵琶湖の島ですけど、因幡でも白い兎ちゃんが海で遊んでいたじゃないですか。
もともと仏教では水の嫌いな兎でさえ、仏様のおかげで水遊びできる、、、、
バニーの水着はここに由来する、、、なんちゃって。
もちろん、冗談ですってば。
こんなの学会に発表しないでよ。
それで波兎なんてたくさんあるだろうって、家の陶器を見てみましたけど、これが一個もない。手近な食器棚だけをごそごそやっただけですので、他を探せば、どこかになにかあるはずなのですけどね。
その代わり、リンボウがでてきました。リンボウっていってもあの大作家先生じゃありません。私の地元、長崎の三河内焼きなどに普通に見られる文様。
ご飯茶碗も、お茶飲み茶碗もこれがついています。
そこで、今日は真面目にリンボウのお話。リンボウというのは三河内などで言われている方言なのでしょうか、正式には瓔珞(ようらく)文様。なんか凄い名前ですね。美術史家や、学芸員たちはこんな難しい名前を付けて人を煙に撒いているんですよね。嫌な人種ですね~
(ということで、今日のトップの写真のキャプションが決まりました。
染付唐子文瓔珞茶碗、、、、これでどうだ! なんかお茶漬け茶碗が神々しくなってきません?)
いや、神秘主義と文様の歴史は私がずっとやりたいと思っていた企画なんです。
まあ、神秘主義のほうは可愛い女の子を捜してきて会場で黒ミサをやりたいなんてはなはだけしからん思いがあったりしたのですけど、、、
文様の歴史はね、ほんとうに古代から文物の交流が世界的な規模で行われてきたことの証明でもあるのですよね。
貴方がお昼に食べたラーメンのどんぶりの縁についているあの変な線のつながりは中国の紀元前5000年くらい前のデザイン。戦いに行くときに亀の甲羅を焼いて吉兆を占った、それが源になっています。
南米の貝紫はヨーロッパを経て日本にも入っていますし、文様ではないけどコロンブスが持ち込んだタバコは100年もしない間に日本の中に溶け込んでしまった。
今でこそ禁煙運動が盛んですけど、日本の誇る茶道にもちゃんと煙草盆の扱いがありますから。
もっとも梅毒もまたコロンブスのお土産で日本に広まってしまいましたけど。
コロンブスは1498年にヨーロッパへ戻っていますので、あの当時ヨーロッパから日本へ、途中大概船を乗り換えたりしていますのでね、一年弱かかってたどり着いていたことを考えれば、ほんとうに早い、「文化」の伝播ですよね。
なんて道草は別にして、この瓔珞文様はもともとアッシリアの椰子の葉っぱの文様だったんです。パルメット文って言われています。それがギリシャ・ローマを経て、中国に伝わり、日本に入ってきた。中国ではこの文様をインドの瓔珞(ヘアバンドやネックレスみたいなもの)の名前を取って瓔珞文って名前をつけたのですね。
この瓔珞文が唐津に取り入れられてリンボウになりました。
写真は、普段使いの食器棚から発掘した瓔珞文の入ったお茶碗とお茶飲。おまけに月兎のデザインのカップをつけておきます。
現代でもちょっとはなれたところの風俗や文化が判り難いときがあります。それなのに数千年も前にすでに世界的な規模でこれほど活発な文物の交流があったというのを知っておくことはとても面白い。
先日ご紹介していた長崎楽会でも、少し前に砂糖の交易の歴史の話がありました。砂糖ひとつを見ても、世界的な視野に立たないと全貌が解明できないおもしろさがありました。
それが中世、近世の話であればことは当然なのでしょうけど、日本の稲作だって、東南アジアから古代の時代に入ってきたものですしね。
日本は島国、世界とは隔絶して文化を育ててきた、、、なんて、誰が言っているのでしょうか?
謡曲の竹生島(ちくぶしま)に源流をなんて言われていますけど、でもこの兎ちゃん、もっと前からいても不思議じゃないような感じがしますけどね。
竹生島は琵琶湖の島ですけど、因幡でも白い兎ちゃんが海で遊んでいたじゃないですか。
もともと仏教では水の嫌いな兎でさえ、仏様のおかげで水遊びできる、、、、
バニーの水着はここに由来する、、、なんちゃって。
もちろん、冗談ですってば。
こんなの学会に発表しないでよ。
それで波兎なんてたくさんあるだろうって、家の陶器を見てみましたけど、これが一個もない。手近な食器棚だけをごそごそやっただけですので、他を探せば、どこかになにかあるはずなのですけどね。
その代わり、リンボウがでてきました。リンボウっていってもあの大作家先生じゃありません。私の地元、長崎の三河内焼きなどに普通に見られる文様。
ご飯茶碗も、お茶飲み茶碗もこれがついています。
そこで、今日は真面目にリンボウのお話。リンボウというのは三河内などで言われている方言なのでしょうか、正式には瓔珞(ようらく)文様。なんか凄い名前ですね。美術史家や、学芸員たちはこんな難しい名前を付けて人を煙に撒いているんですよね。嫌な人種ですね~
(ということで、今日のトップの写真のキャプションが決まりました。
染付唐子文瓔珞茶碗、、、、これでどうだ! なんかお茶漬け茶碗が神々しくなってきません?)
いや、神秘主義と文様の歴史は私がずっとやりたいと思っていた企画なんです。
まあ、神秘主義のほうは可愛い女の子を捜してきて会場で黒ミサをやりたいなんてはなはだけしからん思いがあったりしたのですけど、、、
文様の歴史はね、ほんとうに古代から文物の交流が世界的な規模で行われてきたことの証明でもあるのですよね。
貴方がお昼に食べたラーメンのどんぶりの縁についているあの変な線のつながりは中国の紀元前5000年くらい前のデザイン。戦いに行くときに亀の甲羅を焼いて吉兆を占った、それが源になっています。
南米の貝紫はヨーロッパを経て日本にも入っていますし、文様ではないけどコロンブスが持ち込んだタバコは100年もしない間に日本の中に溶け込んでしまった。
今でこそ禁煙運動が盛んですけど、日本の誇る茶道にもちゃんと煙草盆の扱いがありますから。
もっとも梅毒もまたコロンブスのお土産で日本に広まってしまいましたけど。
コロンブスは1498年にヨーロッパへ戻っていますので、あの当時ヨーロッパから日本へ、途中大概船を乗り換えたりしていますのでね、一年弱かかってたどり着いていたことを考えれば、ほんとうに早い、「文化」の伝播ですよね。
なんて道草は別にして、この瓔珞文様はもともとアッシリアの椰子の葉っぱの文様だったんです。パルメット文って言われています。それがギリシャ・ローマを経て、中国に伝わり、日本に入ってきた。中国ではこの文様をインドの瓔珞(ヘアバンドやネックレスみたいなもの)の名前を取って瓔珞文って名前をつけたのですね。
この瓔珞文が唐津に取り入れられてリンボウになりました。
写真は、普段使いの食器棚から発掘した瓔珞文の入ったお茶碗とお茶飲。おまけに月兎のデザインのカップをつけておきます。
現代でもちょっとはなれたところの風俗や文化が判り難いときがあります。それなのに数千年も前にすでに世界的な規模でこれほど活発な文物の交流があったというのを知っておくことはとても面白い。
先日ご紹介していた長崎楽会でも、少し前に砂糖の交易の歴史の話がありました。砂糖ひとつを見ても、世界的な視野に立たないと全貌が解明できないおもしろさがありました。
それが中世、近世の話であればことは当然なのでしょうけど、日本の稲作だって、東南アジアから古代の時代に入ってきたものですしね。
日本は島国、世界とは隔絶して文化を育ててきた、、、なんて、誰が言っているのでしょうか?
結局十三夜は片見月になってしまいました。旧暦の十三日も月齢の13も岬にはこれなかったので。
仕方なく、十五夜でも撮ろうと今日、岬に参りました。でも撮影の用意をしているうちに空は黒い雲に覆われて、雨まで降り始めてしまいました。
びっくりして、嫦娥さんに電話を入れました。
(なぜ、電話番号を知っているかって? そりゃ歴史に残る美女ですもん、必死で探しましたよ)
「貴女の兎が波と遊んでいるところを撮ろうと、わざわざここまで来たのに、雲で隠してしまうなんてあまりに酷すぎる」ってかき口説きましたね。
やっとのことで嫦娥さんは折れてくれて、「ちょっとだけよ」って月を見せてくれました。
「海の兎は無理、雲で遊んでいるところで我慢して」ってことでしたので、皆様も悪しからずご了承ください。
ところで、家の周りの木を見ておりましたけど、魚も泳いではおりませんでしたので、これも撮れませんでした。申し訳ありませんね~。
やはり琵琶湖に行かなければ駄目なんでしょうか?
十月江南天氣好
可憐冬景似春華
霜輕未殺萋萋草
日暖初乾漠漠沙
老柘葉黄如嫩樹
寒櫻枝白是狂花
此時却羨閑人醉
五馬無由入酒家
十月 江南 天気好し
可憐の冬景 春華に似たり
霜は軽く 未だ殺(か)らさず 萋萋たる草を
日は暖かく 初めて乾く 漠漠たる沙
老柘 葉は黄にして 嫩樹の如し
寒桜 枝は白くして 是れ狂花
此の時 却って羨む 閑人の酔うを
五馬 酒家に入る由も無し
南国は十月でも天気がよか
冬ばってん、春のようによか天気
霜は降りても、ちょっとだけ。草は青々して枯れることはなか
陽射しは暖かく、砂原は乾いとる
桑の老樹は紅葉し、若い柔らかな木のごたる
冬の桜桃の枝に白く見えるのは、狂い咲きした花やった
こげんときは、酔っ払いがウラヤマシか
こっちは五頭立ての高級車に乗っとるけん、飲み屋にはちょっと行き難くか
先日ご紹介した狂い咲きの桜に合う詩を探してきました。
あいも変わらず「なんでもない」「どこにでもある」風景です。
ちょっと草深いところへ行かれれば、誰でも目にする風景。
特別に珍しいものでも、貴重なものでもありません。
でも、そのどこにでもある風景って言うのが、こんなにも私の心を打ってくる。
嬉しいです。
綺麗です。
人生ってそんなに悪くないって思えてくるかもしれません。
でもどうしても忙しさにかまけたり、人や仕事に心を奪われて、
自分の心を豊かにしてくれるものに目が行かなくなってはいませんか?
人間は何のためにあくせくしているのでしょうか?
豊かな生活、人生のため?
それは、仕事をして、お金をためて、デパートで買えるものですか?
星の美しさ、夕焼けの美しさに心を奪われたのはいつのことでした?
路傍の花でもよく見ると綺麗だなって思ったのはいつのことでした?
それはいつでも貴方のそばにあるのですよね。
それを知らなかったとは言わせません。
だってきっと一度や二度は、綺麗だって感激した覚えはあるはずです。
(この写真は20日に多摩川で撮ったものです)
でも、それを忘れてしまっている。
そしてそんな気持は時間とお金をかけなければ見れないと自分で決め付けてはいませんか?
ちょっと草深いところへ行かれれば、誰でも目にする風景。
特別に珍しいものでも、貴重なものでもありません。
でも、そのどこにでもある風景って言うのが、こんなにも私の心を打ってくる。
嬉しいです。
綺麗です。
人生ってそんなに悪くないって思えてくるかもしれません。
でもどうしても忙しさにかまけたり、人や仕事に心を奪われて、
自分の心を豊かにしてくれるものに目が行かなくなってはいませんか?
人間は何のためにあくせくしているのでしょうか?
豊かな生活、人生のため?
それは、仕事をして、お金をためて、デパートで買えるものですか?
星の美しさ、夕焼けの美しさに心を奪われたのはいつのことでした?
路傍の花でもよく見ると綺麗だなって思ったのはいつのことでした?
それはいつでも貴方のそばにあるのですよね。
それを知らなかったとは言わせません。
だってきっと一度や二度は、綺麗だって感激した覚えはあるはずです。
(この写真は20日に多摩川で撮ったものです)
でも、それを忘れてしまっている。
そしてそんな気持は時間とお金をかけなければ見れないと自分で決め付けてはいませんか?