夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

名残のお茶もそろそろですね~

2013年09月18日 21時47分13秒 |  非・常識的茶道


明日は旧暦の8月15日。仲秋の名月です。
台風一過、涼しさに拍車がかかりました。
9月も半ばを過ぎ、道端には彼岸花が咲きだしました。
そろそろ名残の、、、あっ、ごめん、貴女のことじゃないってば。

名残のころ、保存技術が乏しかった昔は、お茶は香りも抜け、すかすかの物になっておりまして、お茶人はせまってきた口切りで飲む新鮮で美味しい(だから違うってば)お茶を待ちわびながら、涼しくなってきたお客様に少しでもと風炉を客付に添え暖を馳走していたのですね。
静岡のお茶所で、摘みたてのお茶を臼で挽いて飲んだことがあります。美味しいと言う人もありましたが、私には生臭くって飲めたものじゃありませんでした。やはり挽いて、寝かせなければあの味は出ないのですね~。(だから熟女の話じゃないってば)

神様が出雲で大宴会をされているころ、お茶人は集って、今年のお茶を壺から出して、飲みます。壺の口は紙で蓋をされていて、紐でしばってあります。それを切ること、それが口切り。口切りはお茶人にとっては初釜以上に待ちわびた、新しい年の始まりだったのでしょうね。今は保存技術がよくなって、一年中美味しく、香るお茶が飲めます。それに茶壷をお茶屋に送ることをする人も一部の人を除いてやらなくなったでしょうし。口切りの意味も薄くなってきていますけど、でもそれを待ちわびていた先人の気持ちはなんとなく伝わってきますね。
もっとも、私なぞ、東京で一番大きなお茶屋さんでも、毎回お店に行って注文しなければならないお茶が面倒くさくって、でも、比べるとやっぱり美味しいしなんてブツブツ言っておりましたが、今や、アマゾンでポチリで数日後には配達されるのですから、先人の待ちわびていた心なんてだんだん分からなくなってきているかも。

口切りや炉開き。そしてそれの前後の独特のおもてなし。これらはお茶にとってはとても大切な行事。普通なら今頃は炉用の灰の点検をしているころなのですけど、我が家の(本来)炉用の灰は、もう何年も前に中断したままになっています。再開の目処は立たない。
なんせ、この家では畳というものが一枚もなく。炉が切れないから使えないのです。でも灰はなんとしても残しておきたい、自分の歴史じゃん、なんて一時は頑張っていたんですけど。それなのに灰の中にでっかい百足がのんびりと惰眠をむさぼっていたのを見つけたんです。もう、しらけちゃって、しらけちゃって。。

歳をとるってことはそれにつれていろんな可能性も消滅していくことなのですね~

私のたった一つの贅沢

2013年07月05日 11時16分44秒 |  非・常識的茶道


赤貧を洗っている私が、自分に許したたったひとつの贅沢。
お茶。
先日、冷凍庫を開けてみましたら、なんとお茶が少なくなってきている。
神楽殿が二缶と、香寿賀の昔が一缶。
神楽殿だって、普通なら特上のお茶なんです。
香寿賀の昔があれば、他はいらないはず、
両方とも、素晴らしく美味しいお茶。
でも、でも、老い先短いおいちゃんとしては、これだけは好きな物をそばに置いておきたい。茶寿の昔。清水を飛びおりました。

東京にいた時には、わざわざ新宿まで買いに行って、それも注文販売なんですよ。
田舎に来ると、便利ですね~
マウスをポチっで、翌々日には届けてくる。
まあ、あと何回、買えるでしょうか。
これぐらいの贅沢は許してたもれ。

乳鉢

2013年07月02日 00時41分43秒 |  非・常識的茶道
乳鉢を買ってきました。灰をするためのもの。灰専用のがあるのだそうですけど、それってとてもお高い。なので、普通の乳鉢の大きめのもの。灰専用のものの方が灰のまとまりがいいのだそうです。これから秋にかけて、灰を少しづつ整えて行きましょう。って、、以前やった時には灰の中に百足が寝ておりまして、それを言ったら皆に馬鹿にされちゃったから、もうご報告はなしね。
灰ができあがるか、私がその前に灰になるか、競走ね~

名残

2012年10月02日 07時12分04秒 |  非・常識的茶道


師匠から、名残の茶会をやるのだけどこの辺にはそれにふさわしい花がないだろうかってメールがきました。
さて、名残に使える花ね~
考えてみると意外とないんですよね。
それに、師匠は、普通花屋さんでご覧になっているから、山から採ってきたという花でも凄くきれいな花しか見ておられないのですよね。
実際、その辺の山に咲いている花は、病気や虫食い、栄養不良、、、
綺麗な物はほとんどないんですよ。
そんなのの中から売れるものを探す花屋さんも大変。
茶花が高いのも頷けるんですよね。

お茶

2012年09月23日 08時44分57秒 |  非・常識的茶道


お茶の木って面白いですね。
花をつけているかたわら、実が大きく育っている。
お茶の葉を摘むのは春だけど、
そのお茶を頂くのは秋。

お茶人にとっては、お正月は秋なんです。
春に摘んで、茶壷に詰めたお茶が出来上がるのが秋。

昔は、冷蔵庫も真空パックもなかった。
夏の間は一年が過ぎて香りも抜けたパサパサのお茶を飲んでいたんですね。

名残のお茶なんてのも、今では夏の暑さに対する名残って捉えられがちですけど、もしかしたら、心に新しいお茶のことを思い出しながら、つばを飲みながら、目の前の残ったお茶を頂くってことだったのかもしれませんね。
不味ければ、不味いほど、期待が大きくなるなんて、、、でも私の言うこと信じちゃいけませんよ。

だから、秋になって最初のお茶を甕から出して飲むのはお茶人にとって、とっても大切な行事だったんです。
それが口切り。壺を封している口封を解くこと。

毎年、茶壷をお茶屋に送って詰めてもらって、本物の口切りをやってみたいって、、、
でもこの間、骨壷みたいなのはがたくた屋で手に入れたけど、茶壷なんて持ったこともないや。
ねぇ、せんせ。 本来、私は口切りのお茶、できるはずでしょ。
なんでやったことないんだろう。
お教えしましたでしょ、なんて嘘ばかり。

だいたい、いつも言っているように、可愛いU20のお裏さんの袱紗さばきにみとれ、遠州さんの逆勝手の炭手前で手の筋を痛め、、、やってみたいよって言ってたのに、私は未だに袱紗さばきでこんがらがってる。だいたい袱紗は右につけるの? 左につけるの????

世の中にはこの歳になっても、分からぬこと、見果てぬ夢が多すぎます。




茶花って?  梅その他  蛇の足 1本

2012年02月17日 08時23分48秒 |  非・常識的茶道


「非・常識的茶道」なんてカテゴリーを作っております割にはアップが少ないですね。
ということで、勇気を振り絞ってなにかアップしようと思いましたが、茶道はあまりに遠く、道半ばで行き倒れになりそうでございますので、ちょっとばかし道草で、茶花。

これまた、おいちゃんには摩訶不思議な物でございますよ。
いくつかのお流では茶花も茶道の一環として教えている、、、、ってことはなんらかのカリキュラムが存在するのでしょうね。
ところが、おいちゃんのお流ではそんなものは存在しない。
だからなんでもいいのかと言うと、それは駄目でしょうって叱られてしまう。
ガイドがない、基準を示さないのなら、駄目なんて言わないでよなんてブツブツ言っても、それが通らないのが茶道の世界。
疑問がわいても、分からないのはそこまで行っていない証拠なんだから、黙ってただただ先生のやることを見習いなさい。口で言っても意味もないことですよなんてのが通用する世界でありますからして。

昔、「真理とは口では説明できないものだから」って言葉で始まる仏教書があるって書いておりましたですけど、茶道もまたしかりでありますな。

なんてことは別にして、隣の家の紅梅、白梅が見事に咲いておりましたので、写真を撮るだけじゃなくって、ついに花盗人。




久方ぶりにお茶花の練習でもって思いました。
ほんらい私の好みは寂び寂の小間のお茶。
だからしてお花も一輪に葉っぱちょぼちょぼが理想なのでございますよ。

なのになのにでございます。切ってきたものは使わないともったいないとばかり、一本増え、一輪増え、、、、だんだんと大賑わいになってしまう。
まあ、いつものことではありますが、出来上がってみると、放り投げたくなりますな~



一輪で好いんです、一輪で。





蛇の足
たまたまでございますが、名古屋にお住まいのミク友さんが梅花茶会というのを紹介されておりました。なかの茶花をお見せできればいいのですが、Mixiはメンバーにならなきゃ覗けませんね。
私の理想とするものでありましたよ。思っても、なかなかあんなには活けられないものですよね。
まあ、芸妓さんのお席もあったようですが、こちらは私の理想とはほど遠いもの。積年のお稽古できっちりと芸を見につけたお方がたとお見受けいたしました。
名古屋でも「まいこは~ん」は絶滅危惧種、黒い手帳ならぬレッドブックに入っているのでしょうね。
歌舞練場にお顔の効く京都のお師匠さんにお願いして、まいこは~んの花と華の茶会なぞに招待していただきたいですね~
お願いします。急ぎです。
まだ自分の名前を自分でも言える間にお願いします。

喫茶去  最後に追加あります

2010年02月17日 13時36分45秒 |  非・常識的茶道
ずいぶん昔に碧巌録を買って、1ページ目で諦めてしまいましたけど、これまた碧巌録に出てくる言葉ですよね、確かどこかの日記でも使ったことがあるかもしれない、、、 続きも書いてましたよ。

「まあ、世の中の真理ば突き止めようちゅうときに、そげん頭からかっか湯気を立ててもしょうがなかでしょうが、お平らにお平らに、お茶でも飲んでいきんしゃい」ってことですよね~



今、ラブストーリーの再放送をしているけど、あのころの中山美穂は綺麗だったな~ でも、優香って子、もっと綺麗だな~ なんて、何の話? いやそれくらいのんびりといきましょうよって話、、、、話が違う? はいはい。

なんてことは別にして、喫茶去、、、
表千家の茶道がテレビで始まっていますね。




仕事をしていたころにはよく学芸員に自分の足元を見るのに茶道をやったらなんて偉そうに、上から目線(この前の日記で書いておりましたよね)で物を言っていたのですよ。




西洋物をやる、西洋の学芸員と話をする、同じような感じを受けていても、その評価って必ずしも一緒じゃないんです。一緒なのは論理的な部分だけ、美術史の流れの中での評価は一緒かもしれないけど、それを見たときの自分の中での評価は違うんですね。それを知るには自分の足元を見なければ分からない。自分の生きてきた環境、風土、文化、、、、、それを学ぶのに総合的な文化としての茶道が一番手っ取り早いなんて、偉そうに。




それで、私はって言うと、これがまた茶道のことも日本の文化のことも何にも分かっちゃいないんですよ。困ったことにね~
だから、茶道のお勉強なんていうとやってみたいとは思うのですけど、、、、
 
実は、本当にやってみたかったときもあるんですよ。
日本がまだ終戦から立ち直るかどうかってころ、祖母にお茶を習いなさいって毎週連れて行かれていたところがあるんです。闇米取り締まる立場の裁判官が配給米だけで生活して、餓死したってのが新聞記事になっていたころ、そこには綺麗な着物を着たお姉さん達がたくさん集まって、美味しいお菓子が食べられて、いや、ほんと、茶道って天国みたいなものだな~って、、、、

ほんとは、お裏をやってきて家に嫁に来た母親が、裏の所作を直されて、反発して平戸のお家元のところへ通いだした。それに反感をもった祖母が私を表を教えていた祖母の姉の所へ通わせた。今、韓流でやっている王権をめぐる葛藤そのもの、、、、もっとも家のケースでは、行き着くところはどうころんでも田舎の家の、鶏をどっちが獲るか位のことでしかなかったんですけどね~

おかげさんで、私にとっての茶道とは綺麗なお姉さんに囲まれることと、美味しいお菓子を食べることくらいしかの意味しか持たなかったな~

長じて、仕事でお訪ねしたところで、お茶を振舞われたりすることがあって、少なくとも飲むくらいは出来なきゃ恥だって、友人に飲むだけでいいからって頼んだのが間違いの元。点てられなきゃ飲めませんよって、、、、ずるずるとあの世界へ、でもボクちゃんは何かを習得しようとすることには先天的に反発を感じる人だから、、、、ここでも葛藤の時間。




そして、師匠のご友人のお茶事なんぞ、、、、
細かな所作が違うとご友人は客の前で弟子をなじっている。
東京の何たら会のかたがたもお見えの席で、私に恥をかかせる?
おいおい、、、、
弟子が間違うのはそのご友人の教え方が足りないから。

もう一人の友人は、間違っちゃって、「あら、違いましたっけ」なんてお客に聞いていたりして、こっちの方がよほどお茶らしいよね~

結局茶道をやれなかった私としては、お茶なんて、所作や、お道具じゃないんだと思うしかない。その時のお客様とどれだけ打ち解けた、心休まる時間を共有できるかなんだと思うけど、、、、




どこの師匠も、口ではそういうけどね~

ところで私の師匠はどうかってですか?
あの方は、私が違うやり方をすると、「昔は、そんな手前をしたこともありましたよね~」って懐かしがっていたり、「はて、あれが正式だったかしら」なんて延々と悩んでいるし、師匠の友人達のお稽古は、「えっと、どうするんだっけ」の連発みたいだから、、、、
あまり遠くないうちには、師匠のお名前は「アザラシ トド子」さんんですっていっても、そうなんでしたっけ、、、、になりそうな。。。

今日のプログラムはお濃茶。
このインフルエンザ最盛期に、ご苦労様ですね~


まあ、お平らにお平らに


それにしても、この前の日曜日、集まりがありまして、「ああ、風車さん、お茶をおやりだったんですよね~」って言われてしまいました。
この方、コンセルトヘボウの客員のソリストだったり、あちこちのアンサンブルのトップを吹いていたり、コンセルバトワールのフルートの教授を長年やってこられた方、、、、、これ以上言うとばれちゃうから止めね。
その方からは今使っているフルートの頭部管をいただいたりしているのですけど、「ああ、風車さん、フルートをおやりなんですよね」ではなかったですな~
ショック!




追加

でも、このブログ、書き手はペケだけど、読み手の方、素晴らしいですね。
いろいろとコメントをいただきました。
それに対する私のレス(多少文言を加えています)をいくつか紹介しておきます。
コメントまで見てくださる方は少ないでしょうからね。。。

その1
先生なら 間違いを指摘するべきでしょうね。ただそのTPOはあるとは思いますけど。
でも、お席で先生から弟子が叱られているのを見るのは、弟子もかわいそうだけど、それ以上に、先生がお茶というものを理解していないんじゃないかって思ったり。
客としてはそんなものを見せられるのは見苦しいですよね。
まあ、こちらは初心者なのでこんなことを言ってはいけないのでしょうけど。

その2
そうですね。私は所作や、道具は茶道には二の次なんていいますけど、茶道をやっていくことによって、何かあったときの恥をかかない程度の所作ができるし、物を見る目を養われていくんでしょうね。
ただ、技術ばかり、形ばかりにこだわって、お客をもてなす、お客と楽しい時間を共有するってことがついつい忘れ去られているような。
というのか、ほんとうのお茶というのがほとんどなく、あるのはお稽古のお茶会、お茶事ばかりだからなんでしょうね。

ところで、裏千家の許状のことはよくわかりませんが、高台って台天目のことですよね。
すごいですよね、私なんぞ、思いついたら、師匠のところにいって、「また、やらせてください」「はい、入門からね」ってことで、いつまでたっても何も変わりませんわぃ。

その3
追加です
ところで、技術や知識は二の次っていつも言っておりますけど、これまたちょっと問題ありまして。。。

よくジャズの人で、基礎ができてないけど、、自分が、聞いている人が楽しければ、いいじゃんって人たちもたくさんいます。
技術偏重のクラッシックだって、自分の気分で引く人たちがほとんど。

でもね、、、、ある部分基礎がしっかりしてないと、あるいはきちんとした知識で理解してからじゃないと、ほんとうにハイレベルなものは作り出せないし、楽しめないのじゃないかと、そんな気もしています。

矛盾している?
私は矛盾だらけの人だから、、、、

さざえの蓋置  その2 表千家の場合

2009年07月20日 21時34分03秒 |  非・常識的茶道
先日、さざえの蓋置という日記を書きました。そして風炉と炉では扱いが違うでしょうかとお尋ねしていましたけど、尻尾を火の方、炉、風炉での扱いの差はないというコメントをいただきました。柄杓を置くときだけ口を上というのも教えていただきました。

コメントを頂いた方は裏千家と宗徧流の方。もう一方は裏千家かな、あとの一人はもしかして表千家なのでしょうか。宗徧流は知りませんでしたけど、裏千家ではたしかにそうでしたね。
他のお流では炉の時には右尻尾。風炉の時には左尻尾って扱いが違ってきますね。

でもね~
表千家では、、、もしかしたら蓋置を取り出して扱って、尻尾は常に左に向けて置く(つまり、この場合は扱いは常に一緒ですよね)のじゃなかったっけ?  つまり風炉なら火の方だけど、炉なら火と反対になるってことがあるのかな~ってことがあの質問でした。。。。
でも、確信がなくって、、、、

なんせ、以前にも書きましたけど、師匠ともども、裏も表も、ごちゃ混ぜになって、どちらがどちらになっているのか分からなくなってきておりますので、、、
いつも、センセ、それまずい、それはあちゃらのお流のやり方なんて、センセのやり方に口を出しておりましたので、、、、
たぶん、師匠に聞いても、はて、裏はそうだけと、、、、表は??? はて? 
なんて返事しか返ってこないと思うのです。
「あんた、表のお師匠さんでしょう」って言いたくもなりますけど、師匠の頭を混乱させたのには私にも責任の一端がありますのでね~
袱紗は裏のほうが綺麗だから、、、でも遠州さんならこのときにはどうするのでしょうね、、、とか、さんざん応用問題をだして、師匠を混乱に巻き込んできたのですからね、、、、、


質問の仕方が言葉足らずでしたね~
ごめんなさい。

さざえの蓋置

2009年07月17日 07時38分54秒 |  非・常識的茶道
ところで、さざえの蓋置って炉と風炉で扱い変わりましたっけ?
尻尾を火の方へ向けるということや、口を上にしたり、下にしたりするのは覚えているのですけど、もしかして炉と風炉で扱いが変わったかなって思い始めたら、気になって気になって、、、、

本を見たり、ググったりしても、何も出てこないのですよ。
前回も、認知症まっしぐらをお見せしましたけど、ほんと、「あれっ? どうだったっけ~」 が始まりだすと、とてもいろんなことに手間がかかります。

えぇっと、、、、、
思い出せない、、、、、



教えてください。



追加
裏千家の方と宗徧流の方から、尻尾は常に火のほうに向けるということを教えていただきました。確かに表千家以外ではそうするように思えますが、表千家の場合はもしかして、扱って、尻尾は常に左に向ける、、、、風炉なら火のほうになりますが、炉なら火と反対になりますね、、、、のじゃなかったかなというのが私の疑問でした。


半夏生  いすみ市岬町押日

2009年07月12日 10時49分29秒 |  非・常識的茶道


雨が降り、蒸し暑い曇り日が続くと、「嫌だね~」って泣き言が聞こえてきます。
季節には季節の天気がないと、あとあと困りますからね~ってお返しするのですけど、でもほんと、頭では分かっていても蒸し暑いのは気力をそぐばかり。

お茶をやる人たちは、常にその季節のちょっと先を取り込みます。
だからお茶をやる人たちの周りは、季節に先駆けたものが多い。
でも、陰暦との差もあって、どうかすると滑稽なくらいの見世物になることもある、、、、
気をつけたほうがいいよっては言うのですけど、なんせ皆様、自信の塊のような方たちだから、、、、
おまけに、こちらも、田舎教師との間で、「センセ、それはあちゃらのお流の、、、」「あら、そうだっけ、、、」なんてことはざら。果ては、「えぇっと、これどうするんでしたっけ?」「知らん。ボクちゃんはお弟子だもん」なんて会話が日常のレッスンをしてきた人ですから、私が何を言ってもねぇ~

確かに、日本のように季節のメリハリがつきすぎるくらいについているところでは、季節を大切にするのは大切なこと。それをほんの少し、前倒しにしてみせるというのは、急に減税が前倒しになるくらいの嬉しさはありますよね、、、
でも、そのために、野にある如く、、、その野を探すのに、花屋さんは人知れず、北や南に奔走するのでありました、チャンチャン。
ほらそこの子、たまには水あめも買ってくれなきゃ、次回は見せないよ。。。

それにしても、毎回言っていますけど、深夜便を聞きながらのお茶が電灯でぱっちりだったり、朝早くのお茶が、クーラーで冷やされた部屋で出たり、、、
東京のお茶で、京都のお菓子が出たり、、、それ以上に、一年を通じて、お茶がお茶の味を出していたり、、、
お茶に自然がなくなりました。
お茶にその土地の情感がなくなりました。
利休さんがお茶を作ったときにはそんなことはなかったんですよね~

これからしばらくの間のお茶は、不味いお茶、暑い部屋。そして炭の匂い。。。。
そして、それ以上に恐ろしいのが、炭に酔ったU20を介抱する。。。
ただひたすら、死ぬ思いを耐え忍ぶものだったのかもしれませんね~
それだって、よかったのに、、、、


一月ほど前から、知人の日記には半夏生がでてきていました。花屋にも半夏生がでていました。お茶花に使うのでしょうね。
雑節の半夏生もこの花から来たということを聞いたことがあります。

私も、先日はやっと手に入れた半夏生を楽しみましたけど、でも家の子はこちらに来てまだ一年もたたないので、今年はだめでしょうと諦めておりました。
昨日、岬の町を走り回っていたときに、堰に咲いている半夏生を見つけました。
締め付けるような蒸し暑さのなかで、水辺の半夏生は見るからに涼しそうでした。



ところで、どこかのお流から贈られてきたカレンダーの一つに茶花のカレンダーがあります。今月のは、乙女百合、下野、半夏生、撫子、虎の尾、薊、刈萱。これらが手付けの牡丹籠に活けてありました。ここのお流のはもう少しシンプルにならないのかな~なんて思うことがありますけど、そんなことを口にしたら、ねぇ、どんなことになるのか。でも、先代のはもう少しシンプルだったかも、、、チャンチャン。。。。言っちゃった。

でも、私のも、なんだかごった煮風でしたよね~
萱に半夏生だけ、なんてのも悪くないとは思いますけど、、、
どうしてもごった煮になる運命にあるのでしょうか。

茶花もそうだけど、ここの炭をお勉強したらってアドバイスをくれた方もいたし、あの袱紗さばきもとても気になるし、、、、
でも、今までにも何回かお家元に不義理をしているし、いまさら、弟子にしてくださいなんていえないよな、、、、だから、まっ、いいか。
仕方ないから、総じて変なお流の方の門を叩こうか。
教授料として毎回、純米酒を持ち込めばいいのかな?
八本。いや八升ではなく、もちろん八斗でもなく、八合ずつ。。。いかがでしょうか?