今日もMixiの仲間の集まりがあって出席しました。
ウエブなどの仲間はできるだけバーチャルな関係にとどめたいと思ってきた私にしてはかなり大きな政策転換なのですね。
一つには岬のローカルな情報に飢えているというのもあります。
昨年の後半からMixiを退会しようかなと思っているのですけど、この岬のコミュニティがあるせいで、それを思いとどまっています。
でも、もう一つ大きな原因が、いつも書いている岬の日々の幸福なアンニュイさ。
お気に入りの椅子に体を包まれて、暮れていく外を眺めていると、あたかも新しい藁に包まってぬくぬくとしている子豚のような気持ちになります。
ほんとうに何にもしたくなくなってくる。あまりにも静か、平穏なのです。この椅子の中で白骨になっていてもそれはそれで一興じゃないかと思えるくらい。
河童、狸と狐のコミュで最近幽霊のトピックがたちました。
でも、ここで白骨になれば、幽霊(多分化け物)にもなれないでしょうね。
気がかりはいくつかあるにしても、魂魄この世に留まりてなんてほどのこともない。なにも思い残すことはない。そんな感じでしょうか。
その後は問題ないとして、問題はそれまでの間。
いや、ほんと、認知症が進んでいます。自分で見ても目を覆うばかり。今、認知症のテストをしたら、即入院看護が必要という判断されてもおかしくないかもしれないと思います。
家に閉じこもっていれば、それが加速されるばかり。
だから意識して人に会うように心がけるようになりました。
ローカルのコミュの集まりに出るのもその一環。
ブログを毎日更新しようとするのも、またその一環なのですね。
でも、なかなか話題を見つけるのも難しくなりました。
お気に入りの椅子の誘惑もまたそれに連れて抗うのが難しくなってきました。
ねがはくは花のしたにて春死なん
そのきさらぎの望月の頃
入口にある八重桜が散り始めるころ、アプローチは花の絨毯になります。
ほんとうに最高の舞台なのです。
「諸君、喜劇は終った、、、」
って、喝采を求められるのは、はたしていつのことになりますでしょうか。
なんていいながら、今日のMixiの集まりの中でホール(教会)の音の響きってことがちょっとだけ話題になりました。
カトリックのホールの場合、そこで歌われる聖歌は多声法の時代のもの。だから通奏低音の響き渡る中でオブリガードがメロディを作っていく。バロック以降の和声の進行で作られるものとは全く違うもの。
だからこのような音楽には残響の長いホールが必要なのですよね。
このことはホールピッチやホールのアクースティックなどと一緒にして何度も日記に書いてきています。
帰宅してMixiを覗いたら、マイミクさんが水琴窟のことを書かれていた。そうだ、昔、水琴窟にかこつけて、ホールの残響や、アクースティックのことを書いていたんだったってちょっと探してみました。
ありましたね、前のブログで書いていて、このブログに転載していました。
水琴窟、能舞台 (プリ)バロックのホール そして夜噺 2005年07月11日
水琴窟 その2 音色について 2005年07月14日
岬の家に作ってみようかなとは思っていたのですけど、池上の本門寺に水琴窟があるとは知らなかった。
私って、ビジュアルアートがメインだなんていいながら、ほんとなんにでも手を出す人ですね。我ながらあきれ果てた次第ですねん。
そのわりに本命のU20はついぞ現れなかったな~ 寂しい人生でした。
おまけ;
この日記を書いているときにこのマイミクさんが蘭展のことを書かれていたのだけど、その直後の新着日記が別なマイミクさんのコンサートの案内。
その別なマイミクさんのお父さんがその蘭展の関係者だったりして、、、
なんて、今日は書くものがなかったので、ゴミの日記。
ウエブなどの仲間はできるだけバーチャルな関係にとどめたいと思ってきた私にしてはかなり大きな政策転換なのですね。
一つには岬のローカルな情報に飢えているというのもあります。
昨年の後半からMixiを退会しようかなと思っているのですけど、この岬のコミュニティがあるせいで、それを思いとどまっています。
でも、もう一つ大きな原因が、いつも書いている岬の日々の幸福なアンニュイさ。
お気に入りの椅子に体を包まれて、暮れていく外を眺めていると、あたかも新しい藁に包まってぬくぬくとしている子豚のような気持ちになります。
ほんとうに何にもしたくなくなってくる。あまりにも静か、平穏なのです。この椅子の中で白骨になっていてもそれはそれで一興じゃないかと思えるくらい。
河童、狸と狐のコミュで最近幽霊のトピックがたちました。
でも、ここで白骨になれば、幽霊(多分化け物)にもなれないでしょうね。
気がかりはいくつかあるにしても、魂魄この世に留まりてなんてほどのこともない。なにも思い残すことはない。そんな感じでしょうか。
その後は問題ないとして、問題はそれまでの間。
いや、ほんと、認知症が進んでいます。自分で見ても目を覆うばかり。今、認知症のテストをしたら、即入院看護が必要という判断されてもおかしくないかもしれないと思います。
家に閉じこもっていれば、それが加速されるばかり。
だから意識して人に会うように心がけるようになりました。
ローカルのコミュの集まりに出るのもその一環。
ブログを毎日更新しようとするのも、またその一環なのですね。
でも、なかなか話題を見つけるのも難しくなりました。
お気に入りの椅子の誘惑もまたそれに連れて抗うのが難しくなってきました。
ねがはくは花のしたにて春死なん
そのきさらぎの望月の頃
入口にある八重桜が散り始めるころ、アプローチは花の絨毯になります。
ほんとうに最高の舞台なのです。
「諸君、喜劇は終った、、、」
って、喝采を求められるのは、はたしていつのことになりますでしょうか。
なんていいながら、今日のMixiの集まりの中でホール(教会)の音の響きってことがちょっとだけ話題になりました。
カトリックのホールの場合、そこで歌われる聖歌は多声法の時代のもの。だから通奏低音の響き渡る中でオブリガードがメロディを作っていく。バロック以降の和声の進行で作られるものとは全く違うもの。
だからこのような音楽には残響の長いホールが必要なのですよね。
このことはホールピッチやホールのアクースティックなどと一緒にして何度も日記に書いてきています。
帰宅してMixiを覗いたら、マイミクさんが水琴窟のことを書かれていた。そうだ、昔、水琴窟にかこつけて、ホールの残響や、アクースティックのことを書いていたんだったってちょっと探してみました。
ありましたね、前のブログで書いていて、このブログに転載していました。
水琴窟、能舞台 (プリ)バロックのホール そして夜噺 2005年07月11日
水琴窟 その2 音色について 2005年07月14日
岬の家に作ってみようかなとは思っていたのですけど、池上の本門寺に水琴窟があるとは知らなかった。
私って、ビジュアルアートがメインだなんていいながら、ほんとなんにでも手を出す人ですね。我ながらあきれ果てた次第ですねん。
そのわりに本命のU20はついぞ現れなかったな~ 寂しい人生でした。
おまけ;
この日記を書いているときにこのマイミクさんが蘭展のことを書かれていたのだけど、その直後の新着日記が別なマイミクさんのコンサートの案内。
その別なマイミクさんのお父さんがその蘭展の関係者だったりして、、、
なんて、今日は書くものがなかったので、ゴミの日記。