夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

貴方の答えは?

2005年11月30日 17時14分03秒 | ジョーズなジョーク 

以前のブログに乗っけていたやつです。


During a visit to the mental asylum, a visitor asked the director,
"What is the criterion that defines a patient to be institutionalized?"
"Well..." said the director,
"we fill up a bathtub, and we offer a teaspoon, a teacup, and a bucket to the patient and ask him to empty the bathtub."
"Oh, I understand," said the visitor.
"A normal person would choose the bucket as it is larger than the spoon or the teacup."
"Noooooooo!" answered the director.
"A normal person would pull the plug."
(You are not required to tell anyone how you would have done on this test.)

シンクロニゼーション 再び 引越ししますか?

2005年11月28日 23時11分36秒 |  姥捨て山は大騒ぎ
11/28/2005 10:09:54


この写真だけでは何の変哲もない普通のシクラメンだけど、これは久米仙人のブログで8月まで咲き続けているシクラメンをどうしたらいいのか、花芽を取って休ませてやったほうがいいのだろうかって騒いでいたシクラメン。
そのままにしておいたら、しばらく休養の後に、またたくさんつぼみをつけてき、花を咲かせ出した。



岬は満足のいく終の棲家なのだけど、仕事で東京に行き来するにはちょっと遠い。特に早かったり、遅い時間まで会議の時には困るので東京の近くに部屋を借りた。

その折に見た家のひとつが庭付きの一戸建てで、もし母親が上京するのなら喜ぶだろうと思い、予算よりちょっと高いその家のことが忘れられなかった。

田舎には年老いた母親が一人で住んでいるので、一緒にすまないかといつも話すのだけど、「この歳で知らない町で住みたくない」との一点張りで、このときは私一人が緊急用にもぐりこめる程度の部屋にして、引越しもやっと終わった。

ところが10日ほど前に弟から、ここ数ヶ月、体の不調などで心細くなったのだろうか、長崎で死んだり、何かあったりするとあなたたちが困るからということで、東京に来たいというような気持ちになってきているようだと話が持ち込まれた。
弟は8月に大きな手術をしたりして、母が上京しても十分なことはできないという。

ところがそのときに、前に見た庭付きの家の大家さんから、もしよければぜひ入って欲しいという連絡が来ていた。もし値段が問題なら家賃を下げるとまで言われている。
間に立った友人の話では、このうちは大家さんの実家みたいなところで、皆が子供時代を過ごした思い出の場所、家は相応に古びているけど、庭はとても素晴らしい。植木のことをあれこれ話す私を見て、この人に庭をちゃんと管理して欲しいという気持ちになったらしいとの話。

せっかく引っ越したばかりだし、こちらは東京と岬の間で、地の利もいい。その他いくつか好ましい点もあり、とにかく安い。母親がぜひというのなら、何とかしなければならないけどと思いながら、母親の本音を聞きに田舎へ帰った。

親が子供のために、子供に負担をかけないために、自分を犠牲にするのは美しいし、自分も親なので理解できる気持ち。でも子供にだって親のためにたとえ自分を犠牲にしてもできることをしたいと思う気持ちもあるのだから、本音を聞いて、その上で何ができるかを考えようとしたのだけど。
(久米仙人のブログは恋人同士の間での自己犠牲についてよく書いているけど、これは親子でも同じね。)

本当は私に田舎に帰って欲しいと思っているのだろうけど、これはちょっと難しいことを知っていて、私に遠慮しているのだろうと思うし、母に東京に来てもらうことは次善の策なのだけど、今私ができることはそこまで。
母もそれを口にしながらも、本心は別なところにあるので、なんとなくぐずぐずしている。

上京しますって、はっきりと決断されれば、何が何でもそのために努力しなければと思う。でも上京しようかどうか迷われては、自分の生活の枠を超えた手配したりするのは億劫というのがこちらの本音。


7,8月に咲いていたシクラメンを見ていたときも、家探しをしていた。
11月に咲き始めた同じシクラメンの株、また家探し、引越しで揺れている。
花や木が好きな母親の気持ちがこちらに来ているのではというような、そんな気持ちにさせられている。



風邪 可愛い指圧師が欲しい

2005年11月20日 16時09分53秒 |  姥捨て山は大騒ぎ
鳥インフルエンザの話題がずいぶんと飛び交っている。今年のインフルエンザはかなり深刻なタイプがはやる危険があるそうで、厚生省ではワクチンは必要量を確保するって言っているけど、実際よりははるかに少ない量を必要量としてそれをもとに計算しているようで、それにも満たないみたいですね。

でもこう寒いとインフルエンザ以前に普通の風邪で死にそう。
もう1週間近く風邪をひきっぱなし。
特になにが悪いって事ではないけど、筋肉痛、頭痛、下痢、全身の虚脱、、、昨晩は鼻から額、頭にかけて気持ち悪く眠れなかった。
毎日変りばんこに訪れてくる不快症状。
だんだん疲れが溜まって動くのが億劫になってきている。
いい加減すっきりしたいけど。

昔指圧の先生に風邪の治療をしてもらったことがある。
明日熱がでますけど、大丈夫ですかって聞かれたので、明日は土曜日で会社は休みですから大丈夫って答えると風邪の指圧をしてくれた。
翌日、本当にびっくりするほどの熱。何度もパジャマを取り替えて、枕のカバーを取り替えて、で、その日一日で治ってしまった。
「年に一度くらい、風邪をひいて熱を出すといい。身体の抵抗で他の雑菌も掃除されてしまうから。」てのはそのときの先生の話。

でも、歳をとってくると抵抗力が少なくなって、身体がばい菌と戦わないから、高熱もでない代わりに、いつまでも治らない。そのうちこじらせたりする。
もう何十年も風邪をひいてもすぐには治らない。ひどいときには数ヶ月調子が悪かったりする。

これは若くて、優しく、可愛い指圧の学生を早く確保しろとの背後霊さまのメッセージかな。
私にとっても積年の夢なのだけど。
誰か私の夢を叶える助けをしてくれって叫びたいな。

郷愁

2005年11月13日 23時08分33秒 | 芸術・文化
作家によっては自分が表わしたいもの、自分を突き動かしている制作意欲だけで作品を作る人がいる。それが見る人にどのように受け止められるのか、見る人に何かを伝えたいという気持ちが薄い人なのかもしれない。
反面、自分の気持ち、イメージ、メッセージを人と共有したいと思い、判って欲しいと思いながら製作をする人がいる。
後者の場合、自分のイメージにあるものを表すだけでは、相手の理解を得られないので、相手がどのようにそれからイメージを受けるのかを考えることが必要になる。
自分のイメージが非常に個人的な経験によるものであれば、それをそのまま伝えようとしても伝わらない、でも相手の理解を得ようとそれを変容すると、自分のイメージと違うものが出来上がってしまう。私は自分のイメージの中に相手とのコミュニケーションのためのキーワードを埋め込むとか、架け橋をつくるという言い方をするけど、その辺が問題になるのかもしれない。

散歩をしていて、近間にふっと下町のような一区画を見つけた。
何年か前に外国から来た知り合いに向島の下町一体を案内していて、自分はこのような下町で過ごしたこともないし、それまでこのような風景の中に身を置いたこともない、自分の過去とはまったく無縁の風景なのだけど、何か懐かしく感じられて驚いたことがある。それを友人に言うと、この日本は始めてのオランダ人が「私も懐かしい感じがする」って言うので、何がそうさせるのだろう。二人ともこのような風景に共通の感じるものを持っているはずはないのだけどって考えてしまった。

自分のイメージが非常に自分の個人的な経験からするものであっても、詰めていくと、皆が心に漠然と持っている共通なイメージ、架け橋が見つかるかもしれない。
逆に言えば、そのようなキーワードがないものは、あまりにも個人的で、自分の発表意欲だけのマスターベーションに終わってしまうのかもしれない。

でもこの見たこともないものに多くの人々が懐かしさを感じるというのは一体どのようなことなのだろう。


河童

2005年11月07日 18時07分30秒 |  河童、狸、狐
以前のブログからの転載です。





国道128号は岬町に入る頃から海と平行に走るようになる。そして夷隅川の橋を渡る。
夷隅川は街中の国道との交差点付近でも堤防には背の高い草や木々が生い茂り、合間に船を下ろすための桟橋などが点在している。

夷隅川の川原にいた。もう釣をするには遅すぎる時間。太陽は西に傾き、茜色の光を両岸の木々に射しかけていた。川面の一部では茜の空と金色の太陽の光を映し、漆黒の闇が間もないことを暗示していた。

川原は土地の人でなければ川原には降りてこれないようなところの筈だけど、今日はあてが外れた。釣り人が数人釣り糸をたらしていて、そばにはバーベキューをしたのだろうかコンロや冷凍ボックスが置かれ、キャンピングテーブルや椅子なども置かれていた。
先客たちに目で挨拶を送り、いつもの場所に釣竿を仕掛ける。「ここは今頃は何がつれるのですか、今のところ誰にも何もヒットしないんですよ。」先客の一人が聞く、「さあ、何がつれるのでしょうか。私は釣りにきているんじゃないんで判りません。この竿には釣針は付けていないんですよ。」
相手は不思議そうな顔をして、それでもそれ以上の質問は失礼と思ったのか黙って引き下がっていった。

小春日和の日差しが柔らかく身体を包み、川風がなでる頬が心地よかった。まどろんでいたのはホンのちょっとだと思ったのだけど、気がつくと先客たちはもう帰り仕度を始めたようで、てきぱきと荷物を片付け、上の道に止めた車に運んでいる。眠くなった目で彼らを見ていて、何か不思議な違和感を覚えた。
人の数が多い。彼らは4,5人で来ていたはずだけど、今は10人近くいる。どこから来たのだろう。不思議に思いよくよく見ていると、
「河童?」
絵でしか見たことのない河童が釣り糸を垂れたり、釣竿を肩にかけて歩いてくる。

私のそばにも河童が一人釣り糸を垂れて座っている。
「河童?」私が思わず口にすると、河童は不思議そうな顔をして、
「お前には私が見えるのか」って聞いて来る。いや口にして聞いたのじゃないのかもしれない。私の心に直接響いてきたのだろう。
それが証拠にそこにいる河童たちが皆私たちのほうを見ている。
「何で」って思っていると、私の心を読んだように、
「連中を見ろや、彼らにはわれわれの姿は見えてないだろう」
そうだ、彼らはすぐそばを河童が通り過ぎていっても何も驚かないし、河童の姿が見えてないようだ。

「お前は生まれたての赤ん坊のように白紙の心でいたのだな。だから普通は人間には見えないわれわれの姿が見えたんだろう。でも困ったな。われわれの姿を見てはいけなかったんだ」
河童の困惑とは別に、私は彼の言葉を聞いていて嬉しくなってきた。何も考えないためにここに来て針もつけない釣り糸を垂らしている。だから赤ん坊のような気持ちにもなれたのだろうけど、でもそれで河童が見られたなんて、最高!
思わず唇に笑いが浮かぶのを見ながら、困った河童は頭の皿をぼりぼりと掻きながら考えていたが、「お前今日は時間があるか」って聞く。
「時間は死ぬほどあるよ」って答えると、後で集まりがあるので来て欲しいという。今日の釣も集まりのための肴を用意するためらしい。
「喜んで行く」って答えると、河童は困った声で、
「ことはそんなに簡単じゃないんだ」っていう。

「何も難しく考えることはないじゃない。河童を見たのがいけないのなら、川に引き
摺り下ろしてしまえばいいじゃないか。信じられないような事が目の前に起こっているのに、何もしないで帰るのは面白くないよ。どうせ生きてても後何年生き
られるか判らないのだから、面白そうなことは何でもやってみたいし、見てみたいな」私は河童に熱弁をふるう。河童は呆れたような顔をして私の話を聞いていたが、頭を振り、まあしばらく待っていろという。
彼らの釣が終わり、彼らと一緒に反対側の川岸の洞穴へ移動したのはそれから小一時間ほどしたころ。もうそのころは辺りはすっかり暗くなっていた。

ここに洞穴があるのは前から気がついていたけど、前は川、上は木々の生い茂った崖でたどり着く道がない。それに対岸から見るとすぐに奥が見えているようで、わざわざ洞穴探検をする意味もないと思っていた。
今日はどうしてそこへたどり着いたのだろうか、気がつくと洞穴の入り口にいた。覗き込むと、結構広い。そしてその洞穴には20人ほどの河童が車座になり談笑していた。

河童はその中で一番大きな、腹の突き出た河童の前へ私を連れて行った。
「これが河童? 信楽の狸の化け物じゃない?」って思ったら、途端にその大河童がにやりと笑った。
いけない、考えたことがストレートに皆に伝わるのだと思ったけどもう遅い。「若いの、ずいぶんと不敵なことをいうじゃないか。普通はそんな失礼なことは思わないもんじゃぞ」
「若いってたってもう定年過ぎてるよ、こちらは」「何を言うか、俺はこんなに若く見えてももう200歳だぞ。お前の歳なぞまだ若造だわい」
彼の言葉には彼が面白がっている気持ちが伝わってくる。
「はてどうしようかな、人間に河童の存在を知られるとまずい。川に引き込んで殺してしまうか?」
先ほどの威勢のいい言葉とは裏腹に私の口から出た言葉は
「なんでもしますから、助けてください」だった。

「そうか、何でもするか。」考えていた長老河童は、ポンと手を叩き、「そうじゃ、孫娘をお前の目付けにつけよう。あいつは人間の社会に行きたがっていたし、あいつがそばにいればお前が何をしようとすぐにわかる。いい考えじゃろう」と仲間に伝える。

それを聞いていた私を連れてきた河童が、
「お前は運がいい。殺されずにすんだばかりか、あの子は俺の妹で、この辺の女河童の中では一番器量よし、気立てもいい子だ」って、ポンと私の肩を叩いた。

「お客さん終点ですよ」っていつものセリフが聞こえてきた。
目を開けると美登里の顔が鼻をくっつけるように笑っている。
腰に手をやり、乳房のほうへ手を上げていこうとするとピシャっと手を叩かれ、「今日から岬に行くって言ってたじゃない。こっちは用意は全部済んだわよ。遅くなるから早くでよう。」
「今な、変な夢を見てたんだ。」
その先の言葉も聞かないで彼女は、
「そう。その河童の娘の名前は美登里っていうのよ。」





竹林

2005年11月02日 12時15分06秒 | 私も作ってみました




足を踏み出せば、
かすかな落ち葉の音


緑の柱の中では
私が動かなければ物音一つしない




いや、遠くから葉擦れの音がしている

さらさら、さらさら



竹の林は明るくて、

さらさら、さらさら



竹の林は暖かい

さらさら、さらさら




今、百舌が鳴いた
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静寂  贅沢なひと時

2005年11月02日 12時10分19秒 |  岬な日々
本当は岬に居ついていて、用があるときだけ東京に出てくる生活を夢見ていたのだけど。
サラリーマンの生活に身体の心から慣れすぎたのだろうか、
東京にいて岬に通う生活が今のデフォルトの生活。
東京の持つ刺激、騒音、そしてそれらが象徴している人との絡み合い。
なかなかこれらから完全に自分を切り離すことは難しい。

逆に、東京をまだ基点にしているからかもしれないけど、
岬の持つ静寂さをまだ憧れとしてみているところがある。




冬の寒さに身体が慣れてしまった頃に巡り合う小春日和の一日。
あのなんともいえない暖かさと、幸福感はとても好きだけど、
晩秋のビリッと寒い風を感じながら野山に立つ気持ちも棄てがたい。
清涼とでもいう感じだろうか。

岬の一日は、そんな気持ちにどこか似ているところがある。

岬が私のために提供してくれるものは、静寂。それに尽きるのだと思う。
確かに、音はたくさんする。
早朝から鳴き交わす鳥の声、風や雨の音、屋根を時折叩く木の実。
一日の終わりを告げる虫の声。
その他にも蛙やその他の動物や、虫の声が、その季節にあることを教えてくれる。


そして人の世界を感じさせる音。
崖の下の道を通り過ぎる車の音や、
防災放送のチャイム。
でもこれらは自然の音しか聞こえない環境では、全く邪魔にならない。
むしろ、他の世界との繋がりを感じさせる数少ない証拠として、
好ましいものとして聞こえてくる。

もちろんこちらに居ればいたでやらなければならないさまざまな日課もある。
お腹が空けば料理もしなければいけないし、
掃除も、洗濯もしなければいけない。
あるいは庭の掃除や、伸びた木の枝落しだって半端な仕事ではない。

でも自然のゆったりとしたリズムに身を任せ、
そのリズムでやればいい。
アイドルな時間の流れこそ岬の生活の一番の賜物
この素晴しい時を諦めても、食事をすることがもっと大切と思い切れるまでは、
お気に入りの椅子にすわり、何もしない贅沢を味わうことができる。
何もしないことが唯一の楽しみと思えれば、
食事を忘れ、死に至る事も私の自由とさえ思える。

全てが自分の意思でやれる自由さ。

庭の木に飛んでくる鳥たち、
雲の流れ、
そして夕焼けに染まる木々、

それをただぼんやりと見て過ごす私。

何によりも貴重で、誰にも邪魔されたくない、孤独な静寂
私の贅沢なひと時。