狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

火炎瓶男が立候補!名護市会議員に

2014-09-02 06:01:22 | 県知事選
 

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4年前の名護市長選直後の産経新聞である。

皇太子ご夫妻“襲撃”元活動家が名護市市議に当選 辺野古に反米・反日グループ集結? 2010.10.9 産経新聞

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の名護市辺野古への移設計画をめぐり、辺野古およびその周辺が、県外から集結する反米・反日活動グループの拠点になり、「闘争」がこれまで以上に過激になるのではという危機感が地元で広がっている。9月の名護市議選で、飛行場の受け入れ反対派が圧勝したことなどが理由だ。(宮本雅史)

 選挙は定数27人に対し、受け入れに反対する稲嶺進市長派が16人を占めた。

 名護市内の飲食店経営者は「反対を前面に打ち出した4、5人の候補者が労働組合などの支援で当選したため、反対活動が活発化するのは避けられない。特に川野純治さん(55)が当選したことが大きい。彼はPTAの活動を通して地元との関係を強くしていたが、経歴や現在の活動内容が不安材料だ」と話す。

 公安関係者によると川野氏は、天皇陛下が皇太子時代の昭和50年7月に沖縄県をご訪問された際に糸満市内で、ご夫妻の車列に、空き瓶やスパナ、鉄パイプの切れ端のような物を投げつけて“襲撃”した人物。公務執行妨害容疑で逮捕、懲役1年6月の実刑判決が確定した。

 当時の報道や関係者の証言によれば、川野氏は当時、「流血も辞さない戦いで皇太子上陸を阻止する」と宣言していた沖縄解放同盟準備会(沖解同)の活動家。事件について川野氏は平成9年6月、新聞社のインタビューで「天皇と沖縄戦の問題を考え、ふと現代に目を移すと、同一線上に巨大な米軍基地がありました」と振り返っていた。
活動家グループの機関紙やホームページなどをみると、川野氏は事件後も米軍基地反対運動を積極的に展開。9月の名護市議選では「移設反対を徹底する」と訴えていた。

 ある市議は「事件のことは投票日直前に一部市民の間で流れたが、ほとんどの市民は知らなかった」と指摘する。

 公安関係者は「市議という公の立場にあることで、川野氏の発言力も増す。全国から同志が集まり、反対運動が激化する可能性も高い」と警鐘を鳴らす。

 すでに辺野古では、反対運動に変化が出始めているという。ある自営業者(61)は「最近、県外から活動家らしい人物が集結しているようだ。反対運動を展開していた地元のオジーやオバーも反対運動から排除されつつあるという話を聞いた。県外から反対活動家が集まり、辺野古が反対運動の拠点になるのではないかと不安だ」と語る

 基地問題などに積極的に反対姿勢を見せる地元の退職教職員会支部が最近、15年ぶりに復活したことに危機感を募らせる声もある。

 ある地元民は「全国から退職教職員が夫婦で名護に来て選挙活動を展開していた」と、名護が活動家の拠点になる可能性を危惧(きぐ)している。

         

     ◇

 
 
「平和など言ってるくせに火炎瓶」 作・沖国大某教授
 
この戯れ句を自ら実践している人物が現役の名護市会議員である川野純治氏。
 
今回も前歴を隠して名護市議に立候補するという。
 
こんな男が再選されるようでは名護市民の良識が疑われる。
 
2010年9月の名護市議選挙で当選した川野純治氏は、皇太子ご夫妻(現在の天皇皇后両陛下)に火炎瓶を投げつけ刑事処分された筋金入りの極左活動家である。
 
 

11109_4

 名護市議会議員の川野純治氏は「三里塚反対同盟」の左翼集会で次のように述べている。

  <全国から結集された仲間のみなさん。ご苦労様です。私、川野と申します。

 本日、この場にあらためて結集し、みなさんの熱い想いと、そして何よりも三里塚反対同盟の決意を、大きく私のエネルギーとすることができました。

 反対同盟46年に達する闘い、その闘いは国策との闘いであった。>

 

 

「46年に達する国策との戦い」、つまり国を敵としての戦いを自身のエネルギーにしてきた川野氏は「売国奴」であることを自ら認めたようなもの。

前歴を隠し、前回の名護市議選挙で最下位ながら当選した「売国奴」の河野氏が今回も名護市議選に挑戦するという。

よもやこの男を連続当選させるほど名護市民はバカではないと思うのだが、国際的反日活動家の猿田佐世氏を政治顧問にする稲嶺市長が君臨する名護地区のこと。 

[オキナワの選択 ND設立1周年シンポに寄せて](4)猿田佐世氏「辺野古の現状 国内外発信」2014年8月25日

天皇陛下に火炎瓶を投げつけた「殺人未遂の男」が再選されない保証はない。

以下は過去記事を編集の上再構成したものである。

           ☆

不都合な事実は報道しない沖縄紙2紙。

沖縄2紙は、本土から移住した河野氏が、4年前の名護市議選挙で、過去に皇太子時代の両陛下に火炎瓶を投げた過激派グループであると言う前歴を隠蔽し、元過激派の当選を後押しした。

地元紙の沖縄タイムスは名護市議選をどのように報じていたか。

 投票日の翌日の同紙は、支援者に囲まれ万歳を唱える喜色満面の川野氏の写真を掲載し当選を祝福している。

写真で見る河野氏に皇太子ご夫妻を襲撃した凶暴な元過激派の面影はない。

はたして川野氏に投票した有権者で彼の「暗い過去」を知って投票した人が何人いるであろうか。

下記記事の川野純治氏こそ両陛下に火炎瓶を投げた元過激派の当選する姿である。

移設ノーに追い風 名護市議選
普天間に終止符打つ」比嘉祐さん 容認から反対
2010年9月13日   
(略)

「民意示された」
当選の反対派3人

 名護市議選では、米軍普天間飛行場の移設問題で、辺野古への移設反対の先頭に立つ人たちが相次いで当選を決めた。(略)

  新人の川野純治さん(55)は、27番目最後の議席に滑り込んだ。熊本生まれ鹿児島出身。地縁・血縁はなかったが、一貫して基地建設反対を訴えた。「名護市は生まれ変わる。稲嶺市政を支えて基地問題を解決したい」と意欲を示した。(略)


名護市中山当選を決め支持者と万歳する
川野純治氏(
中央)=13日午前0時50

 

この件は一ヶ月遅れて産経が報道した(10月9日)。

ところが産経報道の一ヶ月も前に、当日記は川野純治氏が天皇陛下に火炎瓶を投げつけた過激派であることを記事にしていた。(少し自慢!)

陛下に火炎瓶を投げた男が名護市会議員に、追記あり

 続・メディアリテラシーの教材、皇太子ご夫妻“襲撃”を隠蔽

【追記】⇒【動画】38 - ひめゆりの塔事件 - 1975

 メディアリテラシーの生きた教材として最近の記事を挙げたら、越来のK本S子さんが古い記事からより好適な教材を探し出してくれた。

< 越来のK本S子さん メディアリテラシーを授業に!記... 
狼魔人様


>生きたメディアリテラシーの教材を挙げる。

<「尖閣は中国領」に反発>という大見出しを一面トップに掲載し、石垣市で行われた日米中の軍事専門家による安全保障シンポジウムを大きく報じた5月19日付け八重山日報と、当初はこのニュースをスルーし、一日置いた20日のベタ記事でこれを報じた沖縄タイムスを読み比べること…


自分が、生きたメディアリテラシーの教材として挙げるならば、1975年の沖縄海洋博の開会式へのご出席のために沖縄にお見えになられた皇太子御夫妻、現在の天皇・皇后両陛下を、「ひめゆり学徒隊の恨み」、というありもしない恨みつらみで暗殺未遂に至ったテロ事件の容疑者の1人が、2010年9月13日の名護市議会選挙で名護市議に当選した事実を伝える産経新聞と、その事実を黙殺し、その当選を写真付きで、一面で紹介する沖縄タイムスを読み比べること、でしょうか。

・皇太子ご夫妻“襲撃”元活動家が名護市市議に当選 辺野古に反米・反日グループ集結?
(記事削除につき、こちらの日記の過去記事を紹介)
http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/b0d0300f95e0529059b57675220d5efd

・名護、与党が圧勝 辺野古移設 困難に
4増 16議席占める
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-09-13_10178 >

        ☆

折角だからこの記事を少し振り返ってみる。

言論封殺の沖縄紙、皇太子ご夫妻“襲撃”を隠蔽!

2010-10-19 07:27:08

     ◇

地元紙が全国紙に出し抜かれるのは記者の素質のせいで仕方の無い面もある、という意見もある。

だが事実はそうではない。

沖縄二紙はいずれのニュースも知っていながらあえて「不都合な事実」として読者の目から封殺したのが真実である。

なぜなら川野純司氏の情報についても、産経に先駆けて、当日記は9月14日には既に記事にしているくらいだから。

筆者のような個人が知っていて機動力のある沖縄二紙が「知らなかった」では通る話ではない。

それにしても沖縄タイムスは見事なまで絶好のメディアリテラシーの教材を残してくれたものである。

昨日のエントリーの切っ掛けとなったは、若者の新聞離れを憂う大学生の投稿だった。

二年前の古いエントリーでも沖縄タイムス「読者の声」が、「新聞は先細り」と嘆いているのは新聞の将来を暗示して余りある。

最近の大学生は、本はおろか新聞も読まない。 活字に触れないわけではない。 新聞の情報はネットでほとんど代用できるからだ。 確かに、優良の情報は有料である。しかし、沖縄の新聞の情報は優良だろうか。正直、広告ばかりで読むべき記事が少ない。また情報の即効性もネットには勝てない>(国吉泰史さん=23歳、南風原町)

沖縄紙がこのままの歪曲・捏造体質を続行するなら、若者の新聞離れはさらに加速の度合いを増すだろう。

                   

 

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                      ◇

沖縄タイムスはサラッと流しているが、記事で筆者が赤字で強調した川野純治氏はわずか19票の差で滑り込み当選した筋金入りの活動家である。

沖縄タイムスによる略歴を見るとこうなっている。

川野純治 55歳 会社員 名護市中山1029の13  北九州市立大学大学中退

だがこの人物の略歴で削除されている大きな事実は、川野氏が「ひめゆりの塔事件」の実行犯の一人であるということである。

ひめゆりの塔事件は、75年7月17日、沖縄国際海洋博覧会開会式に出席するため沖縄を訪問した皇太子(今上天皇)ご夫妻がひめゆりの塔を参拝した際、目の前の壕の中に潜んでいた訪沖反対の過激派2人に火炎瓶を投げつけられたがご夫妻は無事だった。

当時20歳の過激派学生だった川野氏はその実行犯の一人だったのだ。

「本土サヨク活動家」を自称するきゃす氏のブログによると、沖縄が本土復帰する1972年前後から、逃げ場を失った本土サヨク活動家が沖縄に流入、移住し「馬鹿な沖縄人」(きゃす氏の表現)を扇動し始めたという。

川野氏もその後沖縄に住み着いて「一坪地主」の地位を手に入れ、「沖縄」を売り物にした活動家として、全国各地で講演活動などをしていたが今回、名護市会議員の地位を手に入れたことになる。

誰でも20歳前後の「若気の至り」のひとつや二つは思い当たるものだが、この川野という人物は50歳半ばにしても、今上陛下に火炎瓶を投げたことを自慢にし左翼集会で天皇制打倒を叫んでいるようだ。

このような移住者こそ沖縄にとってもっとも迷惑な人物なのだが、それが議員に当選とは、「だから沖縄人は馬鹿なんだ」というきゃす氏の高笑いが聞こえるようで、沖縄人として情けなくなってしまう。

だが良識ある名護市民の方は次のように嘆いておられる。(コメント欄より)

尖閣の問題はさておいて「辺野古移設困難!」と、名護市議選の結果をさも喜ばしいことかのように報道してたマスコミにうんざりです‥。
それ以上に、市長や反対派の市議らのにこやかなコメントにげんなり‥。
政府には「じゃあ、辺野古を諦めて普天間固定化とします。名護は振興策のお金を全額返してください」ぐらいのことを言って欲しい…。
(↑すみません、宜野湾市民の方々…
)>

■陛下に火炎瓶を投げた男が名護市議に当選!■

共産主義者同盟(統一委員会)
4・29「昭和の日」反対! 大阪集会が開催される

沖縄から沖縄・一坪反戦地主会北部ブロックの川野純治さん
講師の川野さんは一九七五年の皇太子沖縄訪問に対し、
ひめゆり白銀闘争を敢行した当事者

ひめゆりの塔事件の起きた1975年は、沖縄では過激派学生のサヨク運動が盛んだった年で、琉球大学に入学した自衛隊員が過激派学生の反対運動で自主退学に追い込まれたり、成人式に参加の自衛隊員が参加を拒否されたり、また民間アパートの入居もサヨク活動家の反対により拒まれるという異常な時代であった。

【動画】38 - ひめゆりの塔事件 - 1975
http://www.youtube.com/watch?v=uJkPdpJ-qYs

これらの事件を琉球新報は次のように報じていた。

1975年(昭和50年)沖縄県内十大ニュース

1975年12月28日   琉球新報    
(略)

【3】ひめゆりの塔火炎びん事件(7月)
 海洋博の名誉総裁として開会式列席のため妃殿下とともに初訪沖された皇太子殿下は7月17日、ひめゆりの塔を参拝中、壕から出た2人の男に火炎びんを投げつけられた。これより先、糸満市内の病院前でも、ご夫妻の車めがけて角材などが投げつけられた。空前の警備体制下で起きた同事件で、幹部が処分された。

(略)

                           ◇
 
名護市といえば辺野古移設の鍵を握る自治体だと全国に喧伝されているが、名護市の大半の人口が集中する市街地は、西海岸に(東シナ海) 面し、
その一方で、問題の辺野古地区は山ひとつ越えた東海岸(太平洋)に面している別世界のようなものである。
 
筆者のように昔から名護界隈を知るものにとって、「きれいな海を埋めるな」とか「ジュゴンを守れ」なんて言葉は復帰後、川野氏のようなサヨク扇動家が持ち込んだ左翼フレーズとしか感じない。
 
何しろつい最近まで名護湾を血に染めるイルカ漁は、名護の風物詩とさえ言われ、現在でも名護の居酒屋ではイルカ料理を売りモノにしているくらいだ。
 
それが突然とって付けたように、見たこともない「ジュゴンを守れ」といわれても違和感を感じるのだが、川野氏のような大声を出す活動家に引きづられるのも沖縄人の弱さなのだろう。
 
沖縄県民はイルカどころか以前はジュゴンも食べていたくらいだが、食した人の話によるとあまり美味くないとのこと。
 
一度食ってみてー!
 
ちなみに名護市に住む娘夫婦は政治には全く関心が無く、今回、辺野古騒動が起きるまで辺野古地区が名護市の一部だったは知らなかったという。
 
そりゃそうだろう。
 
山を一つ越して行く太平洋に面した辺野古は、生活感覚としては全く別世界にしか感じないというのだから。
 
名護市街地の住民は辺野古住民のように直接の基地被害とは縁のない生活をしているのだ。
 
それで、「基地反対」も気軽に言えるが、
 
肝心の辺野古地区の民意は「移設容認」である。
 

 

宜野湾市民のみなさま、不毛なイデオロギー論争ではなく、現実を一歩一歩進める候補者たちです。

1日より期日前投票も始まりました。よろしくお願い申し上げます。

 

 長堂 昌太郎さんの写真

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