今年(2022年)は、沖縄が日本に復帰して50年の節目の年に当たる。
沖縄は沖縄戦が終わった1945年から72年5月15日の72年間米軍の統治下に置かれた。
沖縄返還の立役者佐藤栄作は、米国との返還交渉の「沖縄返還なくして戦後は終わらない」と言う名文句を発し、米国に占領されていた沖縄を外交交渉で取り返した。
戦争で奪われた領土を一滴の血も流さず取り返した歴史上稀な例と沖縄返還を絶賛する説もある。
保守系の識者でさえ同様の意見を述べている。
2022年3月21日、麗澤大学教授西岡力氏は沖縄返還についてこう述べている。「戦争をしないで領土が帰ってきたことは、世界の歴史の中でほとんど前例のないことだ。それが祖国復帰だ。」(下記引用記事)
だが、これは間違いである。
確かに、沖縄は敗戦により米軍の統治下に置かれたが、米国の領土になったわけではない。
この件に関しては、後述の「天皇メッセージ」の記事で詳述する。
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沖縄は被害者ではなく冷戦に勝利 麗澤大学客員教授・西岡力氏 祖国復帰50年で記念講演
沖縄県は今年5月15日で祖国復帰から50年を迎える。戦後の解釈では第2次世界大戦ばかりが注目される。戦後史に詳しい麗澤大学客員教授の西岡力氏は冷戦勝利史観を唱え、米軍基地を残したままの返還は沖縄を共産主義陣営から守った重要な判断だったと評価する。(沖縄支局・豊田 剛)
韓台は返還による安保弱体懸念
沖縄県の玉城デニー知事を支える県議会与党は、5月15日の日本復帰50周年の節目に合わせて、沖縄の復帰は県民が願った形ではなかったとアピールする県民大会の開催を検討している。開催予定日は、サンフランシスコ講和条約が発効した4月28日の翌日、今月30日で、那覇市の運動場で開く方針を固めている。
県政与党には、知事が復帰50周年に合わせて建議・宣言を発表するが、その前に県民大会を開き、県民世論を喚起しようとの狙いがある。沖縄の革新勢力は、日本が主権を回復したサンフランシスコ講和条約について、沖縄が日本から切り離された「屈辱の日」と認識している。共産や社民など与党各会派は、大会で米軍に対する抗議の意思を打ち出し、今後50年に向けた沖縄の展望を県内外にPRする大会にすべきだと意気込んでいる。
果たして、サンフランシスコ講和条約は沖縄にとって屈辱的な出来事だったのか。
「日本は共産主義と戦う自由民主陣営に入るためにサンフランシスコ講和条約を結んだ。その際、沖縄の施政権を与えざるを得なかった。沖縄は台湾と朝鮮半島に近く、戦いの第一線をアメリカは欲した。その中で戦争をしないで領土が返ってきたことは世界の歴史の中でほとんど前例のないことだ。これが祖国復帰だ。沖縄は日本文明を一緒につくってきた」
西岡氏は3月31日、沖縄県豊見城市で開かれた講演会でこう述べた。沖縄復帰当時の状況について、「台湾も日本も赤化される懸念がある中で、日米同盟を結び、占領軍を同盟軍に変えた。その時、より自由に使える沖縄の基地の施政権を米国に与える選択をした」と説明した。アジアにおける冷戦、文明の敵である全体主義、共産主義と戦うために基地を残したというのだ。
佐藤栄作首相は1965年、戦後初めて沖縄を訪れて「沖縄が復帰しない限り戦後は終わらない」という有名なコメントを残した。ただ、西岡氏によると、「復帰には台湾と韓国が反対した。沖縄に核がなくなったら攻められるという理由」からだ。
69年5月1日に行われたニクソン大統領と朴忠勲副首相の会談では、沖縄返還が重要なテーマの一つになった。日本貿易振興機構(JETRO)が70年に発行したアジア動向年報によると、「韓国における米軍撤退論とともに、沖縄の日本返還決定も韓国にとってないがしろにできない不安を投げ掛けていた」と指摘。韓国政府は「沖縄の米軍基地は施政権の返還とは関係なく、アジア地域の安全保障のための軍事基地としての価値が継続、維持されるよう、慎重に処理されなければならない」と要望し、日本政府は「原則的に了承する」と伝えたとされる。ただ、外務省筋はこれを否定している。
70年ごろから沖縄で広がっていた復帰反対運動について、西岡氏は「沖縄に戦略的に軍事基地があることに価値があると分かっていたから、共産主義が反対した。どちらの陣営につくかという戦いだった」と解説した。
沖縄の復帰から30年後の91年にソ連が崩壊し、自由陣営が冷戦を勝利したことについて、「沖縄の基地負担の結果があって第1次冷戦に勝った」と西岡氏は評価。日米安保条約を結んだ日本も勝った側の陣営に入る。ところが、左翼言論などの影響で「戦っていたという意識がなかった」という。しかし実態は、「沖縄は基地の負担に耐え、共産主義という敵と戦い、その結果、台湾と韓国が赤化されなかった。沖縄は被害者ではなく、冷戦に勝ったのだ」(西岡氏)。
西岡氏は、「日本は、人権、民主主義、市場経済、法の支配という普遍的価値観を信じて闘うことを選び、実現してきた。アジアにおける普遍的価値観の普及には日本の貢献は大きい」と強調した。その上で、「歴史戦を考えるには冷戦を見ないといけない」と強調。「戦後」について考えるとき、第2次世界大戦が終結した45年に固定すべきではないとし、「冷戦勝利史観」を提唱した。
西岡氏に言わせると、現代は、排他的民族主義(ファシズム)を主とする全体主義国家、中国共産党、ロシアとの闘い、すなわち第2次冷戦の状況にある。だからこそ、「沖縄の基地は必要だ。さもなければ沖縄が排他的民族主義国家の支配下に入ってしまう」と警鐘を鳴らしている。
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沖縄の祖国復帰について、よくこう言われる。
「戦争で失った領土を話し合いで返還させた世界でも稀な例である」。
当事者の沖縄県民でさえも勘違いしがちだが、これは間違いである。
祖国復帰を成し遂げた佐藤栄作氏は、総理大臣就任の翌年(昭和40年)8月、戦後日本の総理大臣として始めて 沖縄 を訪れ、日本復帰 を叫ぶデモ隊に囲まれて、次のような声明を発表した。
「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国の戦後は終わらない」と。
沖縄住民の祖国復帰の熱望に動かされた佐藤栄作首相は、ニクソン米大統領と外交交渉の結果、沖縄の祖国復帰にこぎつけた。
昭和47年(1972年)5月15日、沖縄(琉球諸島および大東諸島) の 施政権 が アメリカ から 日本 に返還された。
沖縄はアメリカとの話し合いの結果、一滴の血も流すことなく祖国復帰を果たした。
では、冒頭の文言のどこに事実誤認があるのか。
確かにアメリカは沖縄の施政権を日本に返還した。
だが「領土」を返還したわけではない。
日本は1952年施行のサンフランシスコ講和条約により、沖縄の施政権を米国の統治下に委ねたが、沖縄の主権は日本が有し、「潜在主権」という例外的な条件をダレス米全権大使に飲ますことに成功した。
結局、米国は日本が潜在主権を持つ沖縄を租借により、施政権のみを施行したのだ。
歴史上の出来事を点と捉えると、幾つもの点が重層的に繋がって原因と結果を織り成す。
沖縄を米国に租借(リース)で貸与するという歴史上例外的な出来事を理解するためには、時を講和発効から5年巻き戻して、昭和27年に行われた「天皇メッセージ」に言及する必要がある。
■「天皇メッセージ」とは何か。
「天皇メッセージ」とは、1979年、進藤栄一・筑波大学助教授(当時)が米国の公文書館から「マッカーサー元帥のための覚書」を発掘し、雑誌『世界』で発表したものを指す。
同覚書には、宮内府御用掛かり寺崎英成がGHQ政府顧問ウイリアム・シーボルトを訪れ、天皇からのメッセージを伝えたと記されている。
これがいわゆる「天皇メッセージ」とされるもので、概略こう述べられている。
「天皇の顧問、寺崎英成氏が、沖縄の将来に関する考えを私に伝える目的で、時日をあらかじめ約束したうえで訪ねてきた。 寺崎氏は、米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう天皇が希望していると、言明した。(略)さらに天皇は、沖縄(および必要とされる他の諸島)に対する米国の軍事占領は、日本が主権を残したままの長期租借ー25年ないし50年、あるいはそれ以上ーの擬制(フィクション)にもとづいてなされるべきだと考えている」
沖縄に流布する大きな誤解の一つだが、沖縄保守系の論者にも「天皇メッセージ」とは昭和天皇が自身の延命のため「沖縄をアメリカに売り渡す」と書いた文書が米公文書館から発見された、と誤解する人が多い。
実際は「天皇の密書」が存在するわけではない。
寺崎が昭和天皇の会話の中から沖縄についての陛下の「思い」を斟酌してシーボルトに伝え、それがシーボルトの手紙という形でワシントンに伝えられた。
「天皇メッセージ」の重要ポイントは昭和天皇が、沖縄の「潜在主権」を強く望んだこと。つまり日本の主権を残したまま米国に統治を委任すること希望したことだが、これを親子の場合で言えば、次のように例えることができます。
敗戦直後、破産状態で子(沖縄)を育てる経済力のない親(日本)が金持ち(米国)に、戸籍はそのまま残して一時里子に出したようなものであり、戸籍を移籍する養子縁組(米国領土にすること)とは根本的に異なるのだ。
当時戦勝国のリーダーであり世界一の軍事力・経済力を誇る米国の統治下にあった沖縄では、食糧不足で喘ぐ祖国日本では食すること出来ない米国産の豊富な食料供給の恩恵に浴した。
その名残の一つがランチョンミート(スパム)文化であり、戦前の沖縄にはなかったビーフステーキやハンバーガーなど現在も続く牛肉文化の繁栄ということが出来る。
さて、「天皇メッセージ」により、昭和天皇は沖縄を主権は日本が有しながら期限付きのリースという例外的措置で、米軍の統治下に委ねた。
つまり、沖縄は戦争の結果日本が米国に奪われた「領土」ではなかったのだ。
冒頭に引用した言葉が重大な事実誤認に基づいている事がお分かりだろう。
ここで、もう一つの疑念が湧いて来る。
昭和天皇が「天皇メッセージ」により、米国に施政権を委ねたのは、「マッカーサーに対し、命乞いのため沖縄を差し出したのではないか」という疑念だ。
沖縄2紙など、ほとんどの反日メディアは、このように「天皇メッセージ」を悪意ある推量で表現している。
この答えは次回「雑誌『正論』2013年7月号に掲載文」の引用で説明しょう。
つづく
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