狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

続・津嘉山正種の大ウソ、不屈の男瀬長亀次郎の正体

2023-06-07 18:55:37 | マスコミ批判

 
瀬長亀次郎の半生を描いた朗読劇を演じる津嘉山正種さん=4日、埼玉県川越市のウェスタ川越
瀬長亀次郎の半生を描いた朗読劇を演じる津嘉山正種さん=4日、埼玉県川越市のウェスタ川越
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俳優、津嘉山正種さんが朗読劇 弾圧に立ち向かう瀬長亀次郎さん半生 心情込め熱演 

 
2022年6月5日 16:00有料
文化・芸能

 【埼玉】東京を中心に活躍する沖縄県出身の俳優、津嘉山正種さんの一人朗読劇「沖縄の魂 瀬長亀次郎物語」(主催・PEACEやまぶき)が4日、埼玉県のウェスタ川越であった。米軍占領下の沖縄で、不屈の精神で弾圧に立ち向かう瀬長亀次郎さんの半生を描いた。160席の会場は満席で、観客は津嘉山さんの熱演に見入っていた。

 物語は、瀬長さんが生きていた時代の様子を祖父が孫娘に語りかける内容。島ぐるみ闘争など、沖縄の戦後史をたどりながら、瀬長さんの活躍を振り返る。

 津嘉山さんは「わじわじーする」「ちびらーさよ」などのウチナーグチもふんだんに盛り込み、当時の沖縄の民衆の心情を表現した。終演後は、観客から惜しみない拍手が送られた。

 18~20日には津嘉山さんの一人朗読劇「『戦世(いくさゆう)を語る』-77年前、沖縄を生き延びた人たちの証言」が那覇市久茂地のタイムスホールで開かれる。

 問い合わせは沖縄タイムス社文化事業本部、電話098(860)3588。(東京報道部・照屋剛志)

(写図説明)瀬長亀次郎の半生を描いた朗読劇を演じる津嘉山正種さん=4日、埼玉県川越市のウェスタ川越

                ★

 

津嘉山正種氏、「人類館事件」で、ムチムチ、無知、無恥を晒してくれたが、嘘まみれの瀬長亀次郎伝説でも、恥晒しを・・・・。

【おまけ】

瀬長亀次郎と言えば不屈の精神で米軍の弾圧と戦った「不屈の男」、あるいは「米軍が最も恐れた男」で知られている。

だがその正体は、戦前戦争を煽った大政翼賛会の幹部だった。

また、瀬長の正体が不屈どころか、敗戦後クリスチャンに成り済ましキリスト教に入信し米軍に諂う「卑屈の男」である事実を知る県民は少ない。

(あの角ばった顔で首に十字架を下げ、神妙にキリストに十字を切る姿は、「不屈の男」どころか、まるでマンガである)

 
 

 

■昭和19年12月の「県民大会」■

昭和19年の12月8日、「日米戦争決起大会」(県民大会)が沖縄の各地で行われていた。

その当時の沖縄の雰囲気も、今から考えると狂気に満ちたものといえるだろう。

 

昭和19年12月の大詔奉戴日は、二ヶ月前那覇を襲った「10・10那覇大空襲」の後だけに、県庁、県食料営団、県農業会などの各民間団体が勇み立って、沖縄各地で関連行事(県民大会)を開催しているが様子が伺える。

ちなみに大詔奉戴日とは、日米開戦の日に日本各地の行政機関を中心に行われた開戦記念日のことを指し、真珠湾攻撃の翌月の1942年1月8日から、戦争の目的完遂を国民に浸透させるために、毎月8日が記念日とされた。

そして、同記事では「鬼畜米英」についても、各界のリーダーの談話を交えて、「米獣を衝く 暴戻と物量の敵を撃て」のような大見出しを使っている。

泉県知事の談話なども記されているが、那覇市の各地で檄を飛ばしているのは軍人ではなく、民間団体の責任者である。

<挺身活動へ  翼壮団長会議

県翼賛壮年団(※)では、各郡団長会議の結果、団の強化を図り下部組織へ浸透を促し活発な挺身活動を開始することとなり幹部並びに団員の整備、部落常会との渾然一体化などを確立することに報道網をはって志気昂揚に全力をそそぐことになり、・・・>(沖縄新報 昭和20年12月8日

当時の決起大会に参加した人の話によると、興奮して演壇上で「抜刀して」県民を扇動していたのは軍人ではなく民間人であったという。 

「軍人より軍人らしい民間人」と言えば、座間味島集団自決の生き証人でありながら、戦後一言も証言せずその一生を終えた沖縄テレビ社長・山城安次郎を連想する。

例えば座間味島の日本軍はこれに参加しておらず、那覇から帰島した村の三役から、那覇市での決起大会の状況を辛うじて知ることが出来たいう。

(※)県翼賛壮年団

戦時中、大政翼賛会沖縄県支部長を務めた當間重剛氏によると、瀬長亀次郎は右翼団体・沖縄県翼賛壮年会の幹部だった。

當間重剛氏は沖縄県立第一中学校を経て1920年に京都帝国大学法学部を卒業。1939年に那覇市長に選出されたが、市長を辞任し大政翼賛会沖縄県支部の支部長を務めた。そして戦後は米軍統治下の沖縄で琉球政府の主席を務めた。

『当間重剛回想録』

私の高等学校から大学時代の間にも実に多くの先輩・同級生そして後輩が新しい思想にとびつき、また実にたくさんの転向者がでた。新しい思想に飛びついたものは、そこに合理性を発見したからだ。学生には”朕が国家なり”では納得が行かぬからである。そこには理論もなにもなく、宗教的な色彩と感傷だけしかなく、学生を満足させるに足る理論的要素がなかったといえよう。

そしてそういうことが自由に言える時機は、いつかは来なくてはいけないものだ。これは一つの世の中の進歩で、国家に対する物の考え方もいつかは自然と移り変る経路をたどるもので、その私学的な思想が私たちの学生時代には官学にまで入ってきたものである。だが新しい思想に飛び込んでも社会の発展に即応してその人たちの思想にも幾多の変遷があった。左翼から翼賛会に入り、また左翼になったのは瀬長君ばかりではない。私の友人にもそういうのが多くいたのだ。(244~246㌻)

■「不屈の男、瀬長亀次郎」は、沖縄メディアが創作した大嘘である。

瀬長の「不屈神話」次のようにして作られた。

瀬長が公然と反米を掲げる人民党の幹部であることを危惧した米国民政府は、管理する琉球銀行による那覇市への補助金と融資の打ち切り、預金凍結の措置を行い市政運営の危機に見舞われるが、多くの市民が、瀬長の市政を支えるために「自主的な」納税によって財源を確保しようとの瀬長側の呼びかけに応じ、瀬長当選前の納税率が77%だったのに対し、当選後の納税率は86%、最高で97%になった。これにより当座の市政運営ができるようになり瀬長は市政運営の危機を脱する。

これこそ「瀬長神話」の典型である。

当時の那覇市は、米軍の資金凍結を待つまでもなく財政破綻状態であり、米軍が大株主の琉球銀行の融資により辛うじて自転車操業をしていた。

「市民の納税率アップで財政危機を脱した」との説明だが、元々マイナス5の財政に納税率アップをしても、マイナス5がマイナス4になるのが関の山。財政危機の脱出など瀬長信者が創作した神話に過ぎない。

だが瀬長氏は当時非合法であった共産党員であることを隠し、那覇市長に当選した。 また犯人隠避の罪状で投獄されている。

結局、瀬長氏は米軍の財政援助なくしては市の公共事業が成り立たないのを承知で米軍に反抗し、米軍が大株主の琉球銀行からの融資を凍結され、辞任に追い込まれることになる。 現在の那覇市の泉崎橋が工事途中のまま長期間放置され、那覇中学や上ノ山中学に通学する生徒が大迷惑したことを昨日のことのように思い出す。

長年、琉球銀行の総裁を務めた富原守保の著書『金融の裏窓十五年』には、那覇市に対する融資凍結について「人民党市長誕生」「那覇市の資金を凍結」などとと2頁に渡って詳述してあるが、「市民の納税率アップ」については一行の記載もない。

《人民党市長誕生

・・・(1956年12月の那覇市長選挙で)対米批判勢力を代表する人民党候補が初めて中央都市で勝利を収め、米国側をあわてさせることになった。米国統治のお膝元で、”赤い市長”誕生したというので内外で大きな反響を呼び、当時は日本本土の中央紙でも大きく報道されたSで長市長の那覇広く知れ渡った。・・・

那覇市の資金を凍結

当時、これら(那覇市の都計資金)の融資は琉球銀行が取り扱っていた。当間前市長時代には、区画整理資金や水道施設資金などは申請があればどしどし融資していたが、瀬長市長に代わってからは一切の貸し付けが停止された。このような補助金や復興資金の取り扱いについては、事前に米民政府の承認を求める必要があったため、民政府と相談の上きめたことだ。革新派は、この貸付停止措置を不当ととして強く抗議し、融資再開を迫ったが、私は既定方針を変えなかった。というよりも私の権限ではどうにもならない点もあった(『金融の裏窓 15年』:53頁~54)》

               ★

カメジローのキャッチフレーズである「不屈」は人民党が結成した昭和22年(1947)から日本共産党に合流する昭和48年(1973)の間に好んで使っていた言葉で、現在もそのイメージが強い。

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❶県が作成した「集団自決」の裏手引書【連載】貶められた旧日本兵-「援護法」に隠された沖縄戦の真実 (1) 「残虐な日本軍」は濡れ衣/遺族が長い沈黙破る

2023-06-07 10:22:37 | 資料保管庫
 
 

 




 

貶められた旧日本兵-「援護法」に隠された沖縄戦の真実 (1)

2013-07-08

 

【連載】貶められた旧日本兵-「援護法」に隠された沖縄戦の真実 (1)
「残虐な日本軍」は濡れ衣/遺族が長い沈黙破る


 毎年、6月23日の「慰霊の日」前後には、沖縄メディアが一斉に特集を組み、沖縄戦の「記憶の継承」という名目で反軍感情をあおる。
 読者が目にするのは、日本兵に「壕を追い出された」、「食糧を強奪された」、「自決を命令された」など、旧日本軍の悪行を糾弾する記事のオンパレードだ。旧日本軍を糾弾するだけでなく、戦後、米軍基地が置かれている状況に対して政府への不満をむき出しにする。

 果たして日本軍は悪行の数々を重ねていたのだろうか。また、何ゆえ沖縄メディアはこれほど執拗に日本軍の糾弾に狂奔するのか。

 沖縄戦の真実に迫ろうとすると、「援護法」という大きな壁に突き当たる。援護法とは、正式には昭和26年(1951年)に成立、翌年4月に公布された「戦傷病者戦没者遺族等援護法」である。援護法の目的について、第1条にはこう書かれている。

 「軍人・軍属及び準軍属の公務上の負傷若しくは疾病又は死亡に関し、国家補償の精神に基づき、軍人軍属等であった者又はこれらの者の遺族を援護する目的としている」

 ここで言う「準軍属」とは、旧国家総動員法による徴用者や戦闘参加者、義勇隊、特別未帰還者などを指す。すなわち、軍などから要請を受けて戦闘などに協力した者である。

 援護法は昭和28年4月、「南島諸島に現住する者に対し、戦傷者戦没者遺族等援護法を適用する場合の取扱について」と題する通知により、沖縄在住者に適用された。
沖縄県福祉・援護課によると、援護法により救済された戦没者等は、軍人・軍属が2万5千人、一般県民(戦闘協力者)5万5千人で沖縄県民の全戦没者の7割近くに及ぶ。

 昭和34年には、一般住民も「戦闘参加者」として援護法が適用拡大された。本来、軍人・軍属・準軍属にしか適用できないものだが、日本軍の「命令」「要請」があったと申請すれば沖縄の民間人も給付が受けられるようになった。

 当時の厚生省と県や市町村、遺族らとの共同作業に基づく寛大な措置が「残虐非道の日本軍」という神話を生む素地になった。沖縄メディアが機会あるごとにあおる「日本軍の悪行」の記事・報道を忸怩(じくじ)たる思いで眺めながらも、これまで口を固く閉ざす人々がいた。援護法の成立から申請業務に関わり、誰よりもその「民間人への適用」のために強いられた矛盾を承知している遺族会のメンバーだ。

 戦後すでに68年が経過している。遺族会にも援護法成立当時の事情を知る人が少なくなってきた。沖縄県及び各市町村が発行する戦史には、沖縄防衛のために命をささげた日本軍の将兵を悪鬼のごとく罵倒する言葉が並ぶ。沖縄県平和祈念資料館(糸満市)の展示も例外ではない。

 「沖縄戦を捏造されたまま放置してはいけない」「あの世で英霊たちに会っても申し訳が立たない」

 このたび、遺族会の幹部が、長い沈黙を破って、援護法関連の資料を提供してくれた。その中で、援護法を一般住民の遺族に適用させるため、歴史を歪曲してしまったことが、県が作成した極秘文書により明らかになった。

沖縄県作成した「集団自決」の裏手引書

「戦闘参加者概況」



 メディアが喧伝する「残虐非道な日本軍」の象徴が、慶良間島の集団自決だ。「住民を軍命で集団自決に追いやった」とされる梅澤裕、赤松嘉次両隊長は極悪人として糾弾されている。

 沖縄メディア、沖縄教職員組合(沖教組)、自治労などの反日左翼勢力が、援護法のからくりを利用した。「軍命に従い犠牲となった人」を対象とする援護法は、「残虐な日本軍」のイメージを捏造しようとする左翼勢力には都合のよいものだったからだ.

 援護法の拡大適用は、無慈悲で残酷な日本兵像を作り上げた。これが、沖縄の現在にいたるまでの反日感情や自虐史観を形成する一因となっている。援護法の仕組みを明らかにすることにより、濡れ衣を着せられた日本軍将兵の名誉を回復させたいというのが遺族の願いである。


 

                    ☆

 

沖縄の地元紙には数多くの沖縄戦の生き証人が登場する。 ほとんどの証言は客観性に乏しく、明らかな嘘とわかるものも多々ある。 壕に避難していた幼子に、途中から入ってきた日本兵が毒おにぎりを食わそうとしたので、家族共々壕を逃げ出し命拾いしたと言う証言が派手に掲載された。 実際に琉球新報に掲載された記事だが、食糧不足に悩む当時はおにぎりは滅多に口にすることのないご馳走。 その大事なおにぎりに毒を塗って少年の殺害を謀るより、銃剣で脅して壕から追い出したほうが容易であることは誰にでもわかること。

その幼子の兄が当時の仲里利信沖縄県議会議長のであることが話題になった。

証言者が嘘をついたか、さもなければ当時の厳しい食料事情を知らない若い記者が、聞き取りの際歪曲・捏造したことくらい読者は容易に想像がつく。 これに関して証言者の仲里氏は以後沈黙を押し通し何も語っていない。

今年の6月12日付琉球新報の次のコラムでも、その類のいい加減な証言が、あたかも真実であるかのように語られている。

< 自然壕の暗闇の中、赤ん坊が次々に泣き出した。「黙らせろ」。敵に居場所を知られるのを恐れた日本兵が怒鳴った次の瞬間、銃声が響いた。7歳ほどの少女が前へ崩れ落ちた ▼糸満市の仲松庸全さんが沖縄戦で目撃した日本兵による少女銃殺の場面だ。「軍隊は住民を守らない。それどころか住民を殺害したり、死に追いやったりした」。体験から得た最大の教訓という(コラム「金口木舌」より) > 

証言者の名前を記すと全てが真実のように受取られがちだが、 上記コラムの事例が嘘である証拠は、米兵の目を恐れる日本兵が赤ん坊の泣き声は気にするが、銃声が米兵の耳に入るのを気にしていない。 これなどは戦争体験者の証言ではよくでてくる矛盾である。

壕に潜んでいた母親が、赤ん坊の泣き声が気になり、湿ったオムツを赤ん坊の口に当てて窒息させたと言う悲惨な話は今でも密かに語られている。 それが新聞などで証言となって公開されると、そこに「残虐非道な日本兵」が介在し、「日本兵によって殺された」という話に変化していく。 わが子を自分の手にかけた贖罪意識のある母親としては、せめて「残虐非道な日本兵に殺された」とでも証言しなければやりきれなかったのだろう。

この場合日本兵の名前が特定されていないからまだ救いがある。

だが、「座間味島の戦隊長、渡嘉敷島の戦隊長」などと名前を特定されたのが、慶良間島集団自決の神話であり、悲劇である。

そして名前を特定した理由が、当時の厚生省役人の漏らした「軍命があったなら集団自決の遺族も援護法の適用が可能」というひと言だという。

以後「軍命による集団自決」が、集団自決のあった座間味村役場の公式見解になった。

 集団自決の遺族に援護法の適用するための「拡大解釈」という厚生省の善意。 

それが、仇となって2人の軍人に「集団自決を命じた極悪人」という汚名を着せることになる。

 歴史の皮肉である。

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人類館事件、津嘉山正種氏の大ウソ

2023-06-07 08:31:40 | 政治

 

 

 

 

沖縄タイムス紙面掲載記事

「喜劇 人類館」なはーとで3日から

2022年11月1日 05:00有料

 1903年に起きた「人類館事件」をモチーフにした演劇「喜劇 人類館」(知念正真作)が3~5日の午後7時と6日午後2時から、那覇文化芸術劇場なはーとで上演される。

 「人類館事件」は、大阪で開催された第5回勧業博覧会会場近くの見せ物小屋で琉球人が「展示」されたもの。「喜劇 人類館」は、皇民化教育、沖縄戦、米軍統治、ベトナム戦争、復帰なども盛り込み、沖縄の歩みを浮かび上がらせる。76年に初演され、78年に岸田國士戯曲賞を受賞した。

 今回は青年劇場などで活動する佐藤尚子と知念の娘・知念あかねの共同演出。出演は今科子、仲嶺雄作、西平寿久。

 入場料は一般2500円など。

 問い合わせはなはーと、電話098(861)7810。

(写図説明)「喜劇 人類館」をPRする出演者ら。左から西平寿久、今科子、仲嶺雄作、佐藤尚子、知念あかね=那覇市内

 

 

人類館事件の大嘘!津嘉山正種さん、気は確かかか?

2022-06-09

 

無知蒙昧!気は確か?津嘉山正種が引き継ぐ大田昌秀の大嘘、「人類館事件」 2018-06-11 07:28:52

2019-06-09
 

 

沖縄タイムス紙面掲載記事

「戦世語り継ぐ」津嘉山さん公演へ意欲 18日からタイムスホール

2022年6月9日 05:00有料

 県出身俳優の津嘉山正種さんは8日オンラインで記者会見し、18日から那覇市のタイムスホールで開く「津嘉山正種ひとり語り『戦世(いくさゆう)を語る』」(主催・劇団青年座、特別協力・沖縄タイムス社、那覇商業高校同窓会)への意気込みを語った。

 脚本・演出も手がけた津嘉山さんは「若い世代だけではなく戦争を経験した世代にも、改めて戦争は絶対にいけないということを伝えたい」と力を込めた。

 「戦世を語る」は2018年の「人類館」、19年の「沖縄の魂-瀬長亀次郎物語」に続く、ひとり語り「沖縄の魂」シリーズの第3弾。

 開演時間は18日が午後6時、19日は午後2時、20日は午後7時。料金は前売り4千円、当日4500円。

 問い合わせは沖縄タイムス社読者局文化事業本部、電話098(860)3588。

(写図説明)オンライン記者会見で「戦争のことを語り継いでいかないといけない」と語る津嘉山正種さん=8日

 

津嘉山正種さん、気は確かかか?

反日劇に熱心なのは勝手だが、少しは郷土沖縄の歴史を勉強してからにしたらどうか。

津嘉山氏が説くいわゆる「人類館事件」とは故大田昌秀知事の大ウソを元に戯曲家知念正真氏が創作したデタラメである。

「人類館事件」の画像検索結果

 

それにしても次から次へと反日を目論む「事件」が出てくるのには、少々疲れ気味ではある。やれやれ。

 

ベテラン俳優が沖縄で見せた憤り 「意に反するもの全て排除か」

6/8(土) 21:15配信

沖縄タイムス

 沖縄県出身俳優の津嘉山正種さん(75)が7日、新基地建設が進む名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前を訪問し「基地は戦争するためのもので、絶対に反対だ。子や孫に残してはいけない」と強調した。

【辺野古住民の本音は?】土砂投入にホッ…タコスの皮を焼く82歳

 「自分の肌で感じ取りたかった」と、沖縄テレビ放送で23日に放送される慰霊の日の特別番組の撮影で訪れた。訪問は2度目だが市民らの排除を初めて見た。「政府の意に反するものは全て排除される。沖縄県民は日本人なのに表現の自由まで排除され、なんで沖縄に憲法が及ばないのか」と憤り、「安倍首相は県民に寄り添うと言うが、どこで県民の意見をくみ取っているのか」と批判した。

 2月の県民投票でも7割以上が辺野古沖の埋め立てに反対したものの、基地建設が進む。「一向に民意が反映されないジレンマをみんな抱えていると思う。でも黙っちゃいけない。私も俳優として何ができるのかと強く思う」と語った。

 

 沖縄タイムス社と劇団青年座は、創刊70周年とタイムスホール開館5周年記念「響演KYOEN」の一環で、津嘉山正種ひとり語り「人類館」を開催します。

 1903年、大阪で開かれた内国勧業博覧会の会場前で琉球人が“展示”された「人類館事件」をモチーフに、差別と虐げられる沖縄の人々の姿を描いた故・知念正真の悲喜劇です。県出身俳優の津嘉山さんがウチナーグチで3役を自由闊達(かったつ)に演じ分けます。ご期待ください。

                              ☆

 

「人類館事件」の画像検索結果

故大田昌秀沖縄県知事がばら撒いた「人類館事件」の大嘘を、沖縄出身の声優津嘉山真正種氏が継承するという。

いわゆる「人類館事件」が大嘘であることは過去に何度も取り上げており、いまさら新規に記事にするのもくたびれる。

そこで、過去記事を一部抜粋引用、批判に代えする。

大田昌秀の大嘘、「人類館事件」2012-03-07

念のため冒頭に断っておくが、「人類館事件」とは反日左翼のドンといわれる大田昌秀元県知事が捏造したデタラメである。

明治期に政府主催の大阪万博が開かれたが、その会場外で一業者が「学術人類館」と称して、沖縄の遊女を高価なギャラで招聘し、「琉球の貴族」として見世物にした事件。

これは明治政府が沖縄差別として行ったのではなく、金儲けのため一業者が行った「見世物興行」の一種。

当時の琉球新報の抗議を受け、業者は一日で興行を中止している。

その後沖縄の劇作家知念正真氏が脚本化し、軍服を着た日本軍が沖縄人を鞭打つ場面が創作され、沖縄人差別の象徴にされた。

 

           ☆

以下過去ブログからの引用である。

本日もNHKが日本を貶める番組を放送「人類館・人間動物園」

2012年3月1日 18:30〜18:45 NHKラジオにて「人類館・人間動物園」について

沖縄のフォークシンガー佐渡山豊が出演、解説者は田中カズオ。女性アナウンサーは確かアリエ?だったか。

 

前回も書いたが沖縄2紙に一貫して流れる論調は「平和な琉球王国が武力で日本に侵略された、無理やり日本化された」という侵略と差別の歴史観である。

その象徴として沖縄紙が頻繁に取り上げるのが「人類館」である。

琉球新報コラムが又しても恨み節のコラムを書いた。

金口木舌 2009年11月23日
 今から106年前の1903年、生きた人間を標本のように展示する見せ物小屋が、大阪の博覧会会場周辺に出現した。アイヌや台湾の先住民らと共に琉球人の女性が陳列・展示された
▼人類館事件と呼ばれるこの出来事を題材にした朗読劇「人類館」(作・知念正真(せいしん))が先週末、国立劇場おきなわで上演された。一人三役をこなす俳優津嘉山正種(つかやままさね)さんの迫真の演技に引き込まれた

▼人類館事件は、「琉球処分」に反対した琉球士族らが琉球王国の存続を求めた救国運動を担い、志半ばで命を落とした後に発生した。「処分」によって琉球を領土に取り込んだ明治政府は、琉球独自の風俗習慣、文化を否定し、日本への同化を強要した
▼琉球をさげすむ風潮は当時の日本の論調にも表れている。演劇・花柳界新聞「かなよみ」は、日本に従わない琉球を飼い主の手を噛(か)む「愚犬」と表現。王国指導者を東京の焼き芋屋で働かせれば「少しく日本の風儀を染(そめ)、東京子の潔(いさぎよ)き魂(たまし)ひを飲込(のみこみ)て漸々(ぜんぜん)開花の気味に渉(わた)らん」(1879年4月17日付、琉球新報新聞博物館所蔵)と書いた

さて朗読劇「人類館」は方言札、沖縄戦、米国による異民族支配などを盛り込み、沖縄の近現代史を貫く差別の構造を風刺する。登場人物の滑稽(こっけい)さが笑いを誘う
▼この芝居は最後に振り出しに戻ってしまう。歴史は繰り返されるのだろうか。

 

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ウクライナ戦争と湾岸戦争、嘘吐きは戦争の始まり!【武田邦彦】この写真は日本最大の反社が1億円かけて日本中に拡散した"史上最悪の衝撃的な写真"です。この写真に隠されたトンデモない真

2023-06-07 07:32:43 | マスコミ批判
 
 

ウクライナのダム破壊、1.7万人が避難 米政府「多数死亡の恐れ」

配信

AFP=時事

ウクライナ南部ヘルソン州で、決壊したカホウカ水力発電所のダム。同国の国営原子力企業エネルゴアトム提供(2023年6月6日撮影)。【翻訳編集】 AFPBB News

【武田邦彦】この写真は日本最大の反社が1億円かけて日本中に拡散した"史上最悪の衝撃的な写真"です。この写真に隠されたトンデモない真

 

 1990年8月2日イラクはオイル利権をめぐる意見の衝突をきっかけにクウェートに侵攻、全土を占領して併合してしまう。世界中の非難が続く中、イラクはクウェート国内の日本人を含む外国人を監禁、「人間の盾」という非人道的な行為を続けるなど国際社会のさらなる反発を呼んだ。1991年1月17日国際連合が米軍を中心とした多国籍軍を派遣、イラクへの空爆で湾岸戦争が始まった。「砂漠の嵐」作戦などさまざまな戦いが繰り広げられた結果、3月には「クウェートへの賠償」「大量破壊兵器の廃棄」などをイラクが受け入れ、停戦協定が結ばれた。

 湾岸戦争の原油汚染はイラク軍がクウェートからの撤退に際して、アメリカ海兵部隊の沿岸上陸を阻むためにクウェート停泊中のタンカー3隻、原油ターミナルを破壊したことで6百万バーレル以上の原油がアラビア湾に流出した、とされる。多国籍軍によるイラクのタンカー攻撃でも数十万バーレルの原油がアラビア湾に流れ出たことも知られている。

 イラク軍、多国籍軍が戦争のさなかに原油をアラビア湾に流出させた事実に疑問があるのだろうか?

28年前の「アラビア湾岸環境復元調査団」

 湾岸戦争直後の1991年3月日本政府の調査団がサウジアラビアを訪れ、湾岸戦争の原油汚染を調査した。翌月の4月21日から、静岡大学教授を団長とした「アラビア湾岸環境復元調査団」に同行した。朝日、読売、共同通信社、NHKの記者も一緒だった。WWF(世界自然保護基金)による情報で、原油流出で約2万羽の野鳥が被害に遭い、野生生物レスキューセンターに搬送された野鳥のうち、約3百羽が救済された、と聞いていた。

 当時のスクラップ記事を取り出してきた。特集記事「自然からの警告 進む地球汚染」を断続的に連載した。サウジアラビアで撮影した油まみれのペルシャウの印象的な写真から始まった。クウェート国境のカフジまでセスナ機で訪れ、アラビア湾の汚染を確認している。野生生物レスキューセンターでは環境庁のレンジャー、ボランティアの獣医師ら3人が2カ月間の予定で油まみれの野鳥を洗い、治療などを行っていた。記者たちの関心はそれぞれに違い、NHK記者は大気汚染の深刻さを追い、共同通信記者は入国困難だったクウェートへひそかに入り、取材を続けたようだ。

 当時、多くの読者からの反響をいただいた。「フセイン大統領のやったことが許せません」(13歳女性)、「美しい自然環境を残すには戦争は絶対にしてはならない」(55歳女性)、「戦争に反対し、平和であればよいとかの議論は過ぎ去り、地球をどう救済するかが問われている」(60歳男性)などの率直な怒りの声をそのままに、紙面に掲載した。当時、そこに嘘があることなど誰も疑っていなかった。

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老後の貯金〜みんな平均いくらぐらいの貯金をしているのかが知りたい!

2023-06-07 04:23:15 | 年金・老人・身辺雑感
 
 

オレ流、年金サバイバー、

老後の貯金〜みんな平均いくらぐらいの貯金をしているのかが知りたい!

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