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暴論が起こる今こそ「集団自決」の実態を <記者ノート>
沖縄戦の惨禍を象徴する「集団自決」(強制集団死)の記述で、2024年度から使用する小学校6年生向けの社会教科書に、日本軍の「命令(軍命)」「関与」の言及が見送られた。軍関与に触れなかった理由として挙げられたのは、子どもたちの「発達段階」。「学習するにはまだ早い」という訳だ。では成長に伴って学びの機会はやってくるのか。答えは否だ。
2007年の高校歴史教科書検定で「集団自決」(強制集団死)の日本軍強制の記述が削除・修正されて以降、高校生が悲劇の背景にあった史実を知る機会は失われたままだ。この間、県民は「沖縄戦の悲劇を子どもたちに伝えたい」と声を上げ続けた。
11年4月に最高裁で確定した「大江・岩波訴訟」判決では、「集団自決については日本軍が深く関わった」と判示した。県民の声と司法からのお墨付きがあってもなお、「集団自決」の実相を伝えることをためらう理由は判然としない。 2月、教育現場以外で「集団自決」という言葉が注目された。インターネット番組で人気の経済学者の成田悠輔氏が、高齢者の「集団自決」が「少子高齢社会の解決方法」などと発言し、物議を醸した。 戦慄(せんりつ)を覚えるのは少なくない若者が、その暴論を受け入れたことだ。彼らはこれまで、沖縄戦の「集団自決」の実態をきちんと知る機会があっただろうか。痛みに鈍感な人々の声が大きくなるにつけ、背景にあった軍国主義の強制性も含めた「集団自決」の実態を、子どもたちに伝える必要性を痛感する。
琉球新報社
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>2007年の高校歴史教科書検定で「集団自決」(強制集団死)の日本軍強制の記述が削除・修正されて以降、高校生が悲劇の背景にあった史実を知る機会は失われたままだ。
当時の文科省検定意見で、「集団自決はの本軍の強制」(軍の命令)削除され、現在でも文科省検定意見は有効である。
>11年4月に最高裁で確定した「大江・岩波訴訟」判決では、「集団自決については日本軍が深く関わった」と判示した。県民の声と司法からのお墨付きがあってもなお、「集団自決」の実相を伝えることをためらう理由は判然としない。
事実は違う。
「大江・岩波訴訟」で最高裁が確定したのは、原告側が請求した名誉棄損に関わる損害賠償の免責であり、「集団自決の実相」(軍命論)は、司法は確定意見を述べて居ない、また県民大会の県民の声が歴史を確定するわけではない
これまでの同訴訟の経緯を知らないで、大江氏が正しかったと誤解すが人が多い。そこで復習と問題整理のため、大江岩波訴訟の概略を解説しておく。
問題の訴訟は、梅澤裕元少佐と赤松嘉次元大尉らを集団自決を命じた屠殺者だと罵倒した大江氏の『沖縄ノート』の記述が事実かどうかをめぐって梅澤元少佐と赤松元大尉の実弟が起こしたものだ。これについては作家の曾野綾子氏が現地調査をした上で「事実ではない」と指摘し、大江氏側も『沖縄ノート』の記述が沖縄タイムス編著『鉄の暴風』を根拠の伝聞情報であり、事実確認はしていないことは認めた。
一審の大阪地裁は「軍の命令があったと証拠上は断定できないが、関与はあった」という理由で原告の申し立てを退けた。これは現代史家秦郁彦氏も指摘する通り「ノーベル賞作家」大江氏に配慮した問題のすり替えである。
原告は、軍の関与の有無を争ってはおらず、軍が集団自決を命令したかどうかを争点にしているのであり、軍の関与と軍の命令は全く別問題である。戦時中に起きた出来事は殆どが軍に関与しており、当然軍の関与なしに手榴弾を入手することは不可能である。
二審判決も事実関係を曖昧にし、命令があったかどうかはわからないが大江氏が命令を「真実と信じる相当の理由があった」(真実相当性)という理由で、出版を差し止めるほどの事由はないとして控訴を棄却した。
だが、原告が差し止め訴訟を起こしたのは、大江氏側が間違った記述の修正をしなかったからだ。一審、二審を通じて明らかになったのは、赤松大尉は住民を「屠殺」するどころか、集団自決を止めるよう伝えていたということだった。