![米兵による性犯罪の記録を中心的にまとめた宮城晴美さん=6月、那覇市内](https://oki.ismcdn.jp/mwimgs/1/c/1528wm/img_1c63c1ce52c0eb3e600324d7158a10da3350843.jpg)
米兵性犯罪 女性の苦難 行動する女たちの会 記録13版発行 地域から蔑視 重い口開く
「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」(高里鈴代、糸数慶子共同代表)が1996年から続けている米兵による女性への性犯罪記録年表の13版がこのほど発行された。改訂は7年ぶり。45年の沖縄戦時から2021年にかけ、沖縄の女性約950人が受けた暴力の数々が連綿とつづられている。版を追うごとに証言や資料が掘り起こされ、性暴力を内包する軍の構造的な問題と、沖縄社会が女性に向けてきた差別が浮かび上がる。(学芸部・嘉数よしの)
年表は「沖縄・米兵による女性への性犯罪」と題したA4判の冊子。新聞や書籍、琉球政府、米軍の文書資料のほか、証言を基に、性犯罪の概要やその後の処罰をまとめている。
1950~60年代を中心に新聞などを丹念に調べて加筆され、ページ数は27ページ(12版)から69ページとおよそ2・5倍に増えた。
米軍が沖縄に上陸した直後から米兵による暴行が頻発し、終戦後も農作業中やその帰路で女性が襲われる事件が相次いだ。逃げるために崖から飛び降りて骨折した上に暴行を受けた女性、野戦病院入院中に父親の前で被害に遭った少女がいた。妻への暴行を阻止しようとした男性が射殺された事件もあった。
新版には女性たちのその後に関する情報も、分かり得る範囲で盛り込まれている。一つ一つの事件を多面的に見られるようさまざまな資料を調べるうち、女性たちが性被害だけでなく、地域に蔑視される苦痛も受けていたことが鮮明になったという。
本島南部で45年、家族と野菜を摘んでいた際に米兵3人に襲われた20代の女性は下腹部の激痛を訴え、1カ月後に息を引き取ったという(59年7月の本紙記事から)。
52年には産後間もない女性が米兵2人に暴行され、当初は「犯人は覆面をしていた」と証言していたが、その翌日には米兵による犯行と伝える記事が本紙に掲載されている。
作業の中心を担った宮城晴美さん(73)は「米兵に襲われたことが知られたら、地域にいられなくなる人もいた。そういう沖縄社会の状況があったことを知る必要がある」と説明する。
長い間口を閉ざしてきた被害者や家族が、重い口を開いて記録したものもある。「あの時自分が被害を訴えていたら、防ぐことができた事件があるのでは」と自分を責める言葉を口にした女性もいたという。
宮城さんは「沖縄女性に『戦後』はなかったことが、性犯罪の数々から確認できる。今も続く暴力被害と女性の生きづらさをなくすため、記録し続けなければならない」と決意を込めた。
13版は英訳も進められている。千部発行しており、希望する人に千円で販売する。問い合わせは同会、電話098(975)7341。
(写図説明)米兵による性犯罪の記録を中心的にまとめた宮城晴美さん=6月、那覇市内
(写図説明)1946年に起きた性犯罪の記録の一部。農作業中などに襲われる女性が相次いだ
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米兵が多数在住する沖縄で、すべての米兵が清廉潔白というわけではない。
中には女性を襲う不埒な米兵が居るのは、沖縄県民でも婦女暴行事件が起きるのと同じだ。
ところが、沖縄メディアはミソクソ一緒くたにして、米兵の犯罪を
「米軍基地がある故の事件」と切り捨てる。
米軍基地がなくても婦女暴行事件が起きないという保証はない。
宮城晴美氏は大江岩波訴訟で、原告・被告両サイドの新旧2種の『母の遺したもの』が夫々証拠物件として提出されるという奇妙な証言者である。
「農作業中などに襲われる女性が相次いだ」というが、筆者の知る限り「相次いだ」という記憶はない。
参考:
当日記開設以来約20年経過する。
当初は内容に反論するコメントも多く、一々反論していた。徹夜で応戦した経験もある。(苦笑)
以来、筆者も齢80歳代に突入。
遅まきながら、やり残したことが多いことに気が付いた。
従って、ブログ内容に異論を唱える読者がいても、一々対応するのは時間の無駄に思えてきた。
最近ではRandom Post-war Japanese さんが批判のコメントを書いているが、勘違いしている読者を説得するには時間が惜しいので静観していた。
ところが読者の貉さんが、Random Post-war Japanese さんの勘違いを指摘してくれた。
時間のある方は下記の関連ブログをお読みいただければ、Post-war Japanese さんの勘違いは氷解すると信じる。
以下は、
続・米兵中学生暴行事件 似て非なるものだよ
の引用である。
結局、2008年に起きた「米兵女子中学生暴行事件」は県警が容疑者を逮捕し、地検が20日間も拘留し捜査したが、危うく冤罪になる所を不起訴、無罪釈放になった
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続・米兵中学生暴行事件 似て非なるものだよ 2008-02-13 10
「米兵女子中学生暴行事件」
娘を持つ親の身としては不愉快な事件だし、容疑者が「米兵」というだけで左翼マスコミが大騒ぎすることを考えても不愉快なので、
当初は単なる「ナンパ」と思われた事件が、日本全国、いや、世界中を駆け巡っているというから開いた口もふさがらず涎も垂れ流しの有様。(涎はウソです)
<琉球新報によると、米兵女子中学生暴行事件を受け11日、米ニューヨークタイムズ紙、ワシントンポスト紙、インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙、タイム誌、報道チャンネルのCNNなど米主要メディアや、アラビア語衛星テレビ局アルジャジーラ等が、インターネットで事件を報じた。AP通信、ロイター、AFP通信など記事を配信した。(琉球新報2月12日夕刊)>
朝日新聞:天声人語 2008年2月13日
小さなかごに、あまりに多くの卵を入れている」。何年か前に沖縄を訪れた米国防総省の元高官は言い表した。「かご」は沖縄の本島、「卵」とは米軍基地のことだ▼国土の1%にも満たない土地に、国内の米軍専用施設の75%を抱え込む。「基地の中に沖縄がある」と言われるさまは、米国高官にも異様に映ったらしい。実際に、那覇市から車で北へ走ると、フェンス囲いの「卵」が次から次へと姿を現す▼小さなかごの中で、幾度となく繰り返されてきた米兵による性犯罪が、また起きた。38歳の海兵隊員が女子中学生に暴行した疑いで逮捕された。家まで送ると言って誘い、車内で乱暴したという。少女は泣きながら携帯で助けを求めた▼島の怒りの源流は、1955年にさかのぼる。海岸で女の子の遺体が見つかった。雨に打たれ、手を固く握りしめていた。沖縄を怒りで震わせた「由美子ちゃん事件」である。6歳の子は米兵に暴行され、殺された▼あまりのむごさに、島ではしばらく、生まれた子に「由美子」と名づける親はなかったと聞く。以来、米軍は事件のたびに「良き隣人になる」と誓いをたてた。だが、そのつど裏切る。沖縄には怒りのマグマが蓄えられていった▼そのマグマは、95年の少女暴行事件で爆発する。米軍は綱紀粛正を約束した。だが、嵐の日の約束は晴れれば忘れられるのか、その後も犯罪はいっこうに絶えない。そして「またか」の涙である。五十年一日のように事件を繰り返されては、「汝(なんじ)の隣人を愛」せるわけがない。
◇
朝日新聞は何とかして「無抵抗な少女を凶悪な米兵が拉致して強姦した」という印象操作をしたいようだ。
昨日の沖縄タイムスの「号外」に始まり、今朝の地元紙の異常とも思える過熱振り、更には朝日の巧妙な印象操作。
これらのマスコミコミ報道に、ささやかなブログで立ち向かうことは、逆巻く怒涛に泥舟で乗り出す愚者の誹り、いや、蟷螂の斧の誹りを受けるだろう。
だが、己の非力も省みず記録保存の意味でもあえて再度書いておきたい。
琉球新報夕刊の一面に「人工衛星」というショート・コラムがある。
昨日(12日)は次のような記事があった。
<米兵におびえる生活はもう嫌。 女性徒が訴えて12年余。 再び襲った悲劇。
◇
少女の心の痛み。 察するに余りあり。 人権を平気で踏みにじる罪重く
◇
「綱紀粛正」はもう聞き飽きた。 平和な島を返して。 それが県民の願い(以下略)>
◆
■似て非なる三つの「米兵少女暴行事件」
思い入れたっぷりの上記名文?に水を差すようだが、今回の「事件」と12年前の「事件」は当事者が米兵と未成年者という共通項だけで、事件の本質は根本的に異なる。
上記コラムの女生徒が訴えるように米兵におびえる生活であったなら、夜の繁華街で安易に見知らぬ米兵の誘いに応じてバイクの相乗りなんてするがずはない。
同じように冒頭に引用の「天声人語」も三つの似て非なる事件を意識的に同じレベルで取り扱っている。
>沖縄には怒りのマグマが蓄えられていった▼そのマグマは、95年の少女暴行事件で爆発する。米軍は綱紀粛正を約束した。だが、嵐の日の約束は晴れれば忘れられるのか、その後も犯罪はいっこうに絶えない。
12年前の事件とは、毎日新聞「社説:沖縄米兵事件 凶行を二度と起こさせるな」が正直に吐露するように「小学生の幼い女児を米海兵隊員3人が車で拉致して」暴行した「由美子ちゃ」である。
これは100%罪のない小学生を米兵三人がかりで殴りレンタカーで誘拐、テープで縛って暴行を加えるという100%米兵に罪のある事件である。
言うまでもないが被害者の少女には責められるべき一点の非もない。
県民による怒りの抗議デモが各地に広がったとしても当然のことである。
同じく「天声人語」は55年前の「由美子ちゃん事件」と今回の「事件」を無理やり同列に扱おうとする。↓
>島の怒りの源流は、1955年にさかのぼる。海岸で女の子の遺体が見つかった。雨に打たれ、手を固く握りしめていた。沖縄を怒りで震わせた「由美子ちゃん事件」である。6歳の子は米兵に暴行され、殺された
惨殺された由美子ちゃんの遺体は無残にもゴミ置場に投げ込まれ近所の人に発見されたという。
1955年、・・・「人道的な米兵」を沖縄タイムスが賛美した『鉄の暴風』発刊の5年後の事件である。
しつこいようだがこの事件も犯人(ハート軍曹)に100%の罪があり、被害者の由美子ちゃんに一点の責められるべき非もない。
ぼろぎれののようにゴミ置き場に遺棄された由美子ちゃんと、米兵の誘いにのこのこ付いて行った女子学生を同列に扱われたら、天国の由美子ちゃんも浮かばれないだろう。
(【追記】 ちなみに加害者の米兵は軍法会議で死刑に処されている。
翻って今回の「事件」も上記二つの事件と同じように「加害者」とい「被害者」とを「100%か0%」と罪を白黒で分けられるのか。
マスコミの必死の印象操作にも関わらず報道記事を詳細に読めば「事件」の曖昧さや「灰色部分」が炙り出されてくる。
この手の事件の報道は通常記者クラブの警察発表に始まる。
事実地元紙の警察発表への反応がこの事件の曖昧さを象徴している。
沖縄タイムスは「よくある米兵のナンパ」とでも思ったのか11日の朝刊ではこれをスルーした。(ウェブ記事)
琉球新報も記事内容は「米兵のナンパ」だが、オーバーな見出しで「拉致」としなければボツになる程度の事件だった。↓
女子中学生、車で拉致 外国人の男逃走 (琉球新報 2/11 10:54)
< 沖縄署の調べによると女子生徒は、午後8時半ごろ沖縄市上地のミュージックタウン音市場前で、大型バイクの男に誘われて後部座席に乗り、その後、車に乗り換えたという。女子生徒は友人7、8人と遊びに来て、1人だけ行ったという。>
<午後10時50分ごろ、女子生徒は北谷町北谷の安良波公園付近で車から降ろされていたところを警察に保護された。>
ところが一夜明けて被害者の女子中学生が「強姦された」と前日の証言を翻す。
沖縄タイムスがスルーしたロスを取り返すように「号外」を出したことは昨日触れた。
結局、焦点は「ナンパのトラブル」か「強姦」に絞られる。
朝日新聞は必死で「凶暴な米兵の毒牙にかかった罪もない少女」と印象操作に励む。
以下はその代表的記事。
<その時間帯、少女が連れ込まれた容疑者宅は、北中城村(きたなかぐすくそん)の高台にある一軒家。周囲の住宅街には街灯もほとんどない。少女は歩いて逃げ出したが、すぐに容疑者に追いつかれ、ワゴン車に乗せられた。
移動中も車から降りようとしたが、逃げられなかった。北谷町(ちゃたんちょう)にさしかかった時、少女は逃げるために「ここで友達と待ち合わせしている」とうそをついた。
沖縄本島を南北に貫く国道58号を挟んで、米軍基地の反対側。近くには米兵が集まる店もあるが、容疑者は薄暗く、人通りも少ない住宅街の裏通りに車を止めたという。 >
まるで「街灯もない高台の一軒家」に少女が暴力で引きずり込まれたかの印象を与える名文?だが、地元紙は容疑者の自宅近辺の様子を次のように報じている。
現場は住宅街
住民ショック 言葉失う
容疑者宅を捜索 <日本人女性複数出入り>
近所の住人によると、ハドナット容疑者は笑顔で挨拶を交わすなど気さくな人柄。 しかし、自宅には複数の若い日本人女性出入りし、トラブルになったこともたびたびあったという。 近所の外国人女性は「犯行当日の夜、ハドナット容疑者の自宅から『ゴーホーム(帰る)』という女性の声を聞いた。 喧嘩をしている様子で、その後すぐに『プリーズ』(お願い)という声が聞こえ、車が出て行った。 こんなひどい事件になるとは思わなかった」とまゆをひそめた。 別の日本人女性は「気さくな人だったが、何時も違う女性が出入りしていておかしいと思っていた。怖いので、もうここにはもどってこないでほしい」と憤った。(琉新報 2月13日朝刊)
容疑者の自宅は「高台の一軒家」という印象とは逆の「隣の痴話げんか(「帰る」「お願い」)が聞こえる程住宅の密集した場所。
何よりも被害者は「天声人語」が言うように、他の二事件と同じように「暴力的に」自宅へ連れ込まれたのではなくオートバイの後部座席で運転手に抱きついてきたのだ。
マスコミは揃って建前論しか報じないが、この事件を「不良外人と不良中学生のトラブル」と断じるブログもあるが、問題は容疑者の自宅に付いて行った経緯と「やった」か「やらなかった」かで様相が異なる。
この手の事件は「犯行直後」に証拠物件が残存するわけで、当日は「トラブル」だったのが一夜明けて「強姦」を主張しても証拠が残存するのかどうか。
専門家ではないが素人考えでも不可解だ。
この種の事件で問題になるのは「犯人」の身柄引き渡しについて立ちふさがる「日米地位協定」の壁だが、95年の事件を受けて、米国側は殺人や強姦などの凶悪犯罪の場合に限って日本側に「好意的な考慮を払う」ことに同意している。
今回は米軍側の素早い対応から言って日本側での裁判が予想されるが、くれぐれも「民意」で判決を下すような愚を犯して欲しくない。
ヒル米国務次官補 沖縄米兵暴行事件で遺憾の意 加藤駐米大使に
例え世間的には「不良米兵と不良女子中学生の事件」ではあっても、日本の刑法で言えば加害者と被害者だ。 厳正に法律に照らして罰するところは厳重に罰して欲しい。
歴史の書き換えを「民意」で迫ったのと同じ手法で、「民意」で判決を迫ったらこれは人民裁判になる。
だから身柄引き渡しは駄目なのだといわれないような厳正な裁判にして欲しい。
世界が注目しているのだ。
100%米兵が悪い、米軍基地が悪いと一方的論調で大合唱するマスコミの中で、夜の繁華街を徘徊して見知らぬ米兵の誘いに安易に応じた女子中学生の非をも突くような次の発言はGJ!
【おまけ】
在沖米軍トップのリチャード・ジルマー四軍調整官(中将)が謝罪して大丈夫だろうか・・・。
米兵が犯した犯行だから直接の「命令や強制」が無くとも「ジルマー中将の命令で事件が起きたことは明白だ」なんて左翼マスコミが騒ぎ出したらどうするのだろう。
現に「米軍基地があるから犯罪が起きる」と言っていますよ、ジルマーさん。
■【おまけ】
沖縄では時々信じられない話が新聞記事になる。
「流れ弾注意!」の看板のことだ。
那覇から北部に向かう高速道路を走っているとき、「流れ弾注意!」と表示した大きな看板が道路わきに見えたときはさすがに驚いた。
これは金武町のキャンプハンセンにある都市型戦闘訓練施設で在沖陸軍特殊部隊(グリーンベレー)が行う実弾射撃訓練では流れ弾が頻繁に飛んでくるので、運転者は要注意という意味だ。
北海道では道路脇に「狐出没注意」との看板が有ると聞くが、狐や狸なら運転で避けることができる。
仮に凶暴な熊の出没であっても、高速道路なので逃げ切れるだろう。
だが、流れ弾をどのようにして避けることができるのか。
反基地活動家の皆さん!是非ご教示願いたいものである。
ちなみに「流れ弾注意!」とのバカバカしい看板は県民の顰蹙を買い、その後取り外されている。
そのまま残して置けば、「流れ弾注意・観光ツアー」が出来て、県の観光産業に貢献できたかもしれない。 残念!
冗談はともかく、冒頭に紹介した「防空演習」も「流れ弾注意」と同様、実際はありえないことで県民をミスリードする基地反対派の策謀である。
念のため、当時の地元紙を引用しよう。
「流弾に注意!」 看板で危険訴え - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース
【金武】金武町伊芸被弾事件で伊芸区(池原政文区長)は10日午前、同区を通る沖縄自動車道沿いに被弾の危険にさらされる同区の危険性を訴える看板を設置した。
同区の職員と行政委員が製作。横8・2メートル、縦1・8メートルで、「流弾に注意! 米軍実弾射撃訓練中」と、自動車道を通行中の運転手にも分かるよう、大きな文字で書いてある。同日午前、看板を針金で固定した。
2005年には米軍キャンプ・ハンセン内レンジ4の都市型戦闘訓練施設の危険性を訴えて、同じ場所に「流弾に注意! グリーンベレー訓練中」と書かれた看板が設置されていた。池原区長は「事件がうやむやにならないよう、地域の問題ではないと看板を設置した。度重なる事件に区の怒りを表している」と語った。
☆
【おまけ】
これも「基地がある故の問題」なのか・・・
普天間第二小学校の「防空演習」は、どうなったのか。
★タイムマシンか?平和な時代に「防空演習!」の亡霊が小学校に出現
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