【延期 日程未定】1/10 18時半〜【生配信】どうなる日本2024!〜スパイ防止法と移民〜元北京語通訳捜査官坂東忠信先生インタビ
■狼魔人日記・文藝コーナー■(毎日三首紹介します)
富原盛安(82歳・南城市)
これは平成22年から令和4年まで私の生活の中で見て聞いて感じた事をメモのつもりで三十一文字にまとめたものです。 一つでもこれはとこれはと思われるものがありましたら幸いです。令和五年一月
緊張の無い人生は楽なれどやはり退屈老いも進めり
諺のこめたる意味が心うつ因果応報少し悟れり
遠方の友より酒の贈りもの飲めばなくなるがやっぱり飲もう
★
■NS様のコメント
いつも投稿していただいているNS様より、那覇市、宜野湾市の図書館蔵書に『沖縄「集団自決」の大ウソ』の献本して頂いた旨連絡が入りました。
久高友弘元那覇市議会議長にもやっと差し入れが可能となり昨年末に江崎さんの著書をお届けしました。
水道局の土地問題も米軍支配下で行われた不正が今日までのこっているという共通点があり、少しでも元気を取り戻して欲しいと思います。
しかし、未だに家族すら面会が出来ません。 心理的に痛めつけて警察の筋書き通りの調書を作ろうとしていると思います。
*那覇市は委員会に提出した水道局の資料が捏造したものであることが屋比久産に国立国会図書館の検索で判明しました。
ご家族がやる意思があれば、公文書偽造罪で那覇市を告発(徳永弁護士)し、記者会見で発表、その動画配信をしたいと考えております。
図書館への著書の寄贈は、現時点で以下の通りです。
宜野湾市立我如古図書館 浦添市立図書館 沖縄県立図書館(3冊で貸し出し用に2冊。蔵書に一冊) 那覇市立中央図書館
那覇市立牧志図書緩(プラネタリウムのあるところ)です。
ブログには他の方が那覇市の南部の図書館に寄贈したと書かれていますが、那覇市は全体で7か所の市立図書館があります。
何処に持参したのかが分かれば、まだ届けていない那覇市立図書館に私が寄贈して参ります。
尚、「これは県民には一切伝えられていない裁判記録が掲載されているので、是非とも貸し出し用にしてください」と言ってありますが、手続き上何時に決定されるかは分かりません。
。
瀬良垣様のコメント
今朝の書き込みで「NS様のコメント」の後に続く文章で私「瀬良垣譲二」が宜野湾市の図書館に寄贈したように書かれていますが、これは私ではなく「NSさんがなされた事」で、先にお知らせしたように「那覇市・以北では寄贈は、おこなっていません」ので、、、 NSさんという方は、江崎さんの強力な助っ人のような気がします、一度お調願い記事にしていただければ、、と思いますので、よろしく。 取り急ぎ、お知らせまで。 PS:西原町立図書館が蔵書として受け入れてくれました。これで那覇市以南の図書館で残すところは「与那原町立図書館」のノミとなりました。2度ほど電話を掛けてお願いしたのですが「他所が貸し出し用の蔵書としても、ウチは、うちの基準があるので、、」と言われて、チョッとこまっています。 「国民の知る権利を図書館が止める権利は無い」とは思っていますが、、、チョッと難航しそうな気がして、悩んでいます。「≒沖縄二紙でない事を祈ります」が、、。 https://calil.jp/local/search?csid=okinawa&q=99%25%E3%81%AE%E5%9B%BD%E6%B0%91%E3%81%8C%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%20%E6%B2%96%E7%B8%84%E3%80%8C%E9%9B%86%E5%9B%A3%E8%87%AA%E6%B1%BA%E3%80%8D%E3%81%AE%E5%A4%A7%E3%82%A6%E3%82%BD
ーーーーーーーーーーーーーーー■読者の皆様で、近辺の図書館蔵書の献本の可能性のあるところがあれば、ご協力ください。献本は私共の負担ですので、遠慮なく冊数をお申し付けください
★
ホリエモン、能登の被災地「復興より移住」論
被災地の孤立集落に対するインフラ復旧に異議を唱える人がいることについて解説します
2024年01月13日
【正論】米山隆一議員「維持困難な能登復興なんかより住民の集団移住を」→なぜか炎上
能登半島地震を巡り、立憲民主党の米山隆一衆院議員=新潟5区=が11日、X(旧ツイッター)で、甚大な被害を受けて維持が困難な集落に関しては、復興・復旧よりも住民の集団移住を検討するよう訴えた。
引用元
https://www.sankei.com/article/20240111-HMF5DBCA7VBT5JELPJQTEDTOCI/
同意するよ
土地の呪縛で動けないんだよ。
被災者が避難生活している現状でそんなこと言っても感情的に反発を生むだけ
無駄遣いすんなよ
復興でも移住でも中抜きするよ?
住みたいなら自分で金出して再建すればいい
大半の住民は無理でしょ
金の無駄にしかならない
元スレ:https://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1705026793/
この1文字で「論語と算盤」の精神がわかる!3分で解説!なぜ、いま「渋沢栄一」なのか?
100年読み継がれる商売繁盛の指南書
渋沢栄一といえば実に500社ほどの会社の設立に関与したシリアル・アントレプレナーで、「日本の資本主義の父」と言われています。その彼が行った講演を1冊にまとめた本が『論語と算盤』です。100年も前に出版された本が、いまなお多くの経営者、ビジネスパーソンの座右の書として読み継がれています。
「論語」は、中国春秋時代の思想家だった孔子と弟子の会話を記したもので、孔子の名言集といってもいいでしょう。人としての物事の考え方や道徳などについて述べているもので、聞けば知っている言葉がいくつもあると思います。たとえば、「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る」は、「温故知新」という四字成語で広く知られています。
一方、「算盤」は商売のことを指しています。そもそも商売は、他のライバルを出し抜いたり、さまざまな駆け引きが行われたりする、まさに「生き馬の目を抜く」世界ですが、だからといって何をしてもいいというわけではありません。
渋沢栄一は、『論語と算盤』を通じて、「道義を伴った利益を追求しなさい」と言ったのです。それと同時に、「公益を大事にせよ」とも言っています。
『論語と算盤』が出版されたのは大正5年(1916年)です。大正デモクラシーのなかで経済がバブル化し、若い人を中心にして立身出世、金儲けが注目された時代でもあります。そのような時代背景のなかで、栄一は警世の書としてこの本を出したのではないでしょうか。
『論語と算盤』で注目するべきは、「一見して相反する2つを融合させた」ことだと思います。
商売で儲けようと思ったら、「少々、道徳に反することでも、まあ致し方ない。慈善活動じゃないから」などと考えてしまいがちです。逆に道徳ばかりを重視していると、「儲かる案件も儲からなくなる」かもしれません。したがって論語と算盤は相反するものであり、かつ人は少しでも多くの利益を欲するため、商売繁盛を目指すうえでは、どうしても道徳は無視されがちです。
でも、そうではないというのが栄一の考え方です。だから「論語か算盤」ではなく、「論語と算盤」なのです。
ビジネスでもSDGsへの取り組みが求められているいまなら、当然と思えるかもしれませが、渋沢栄一は100年も前に、持続可能な企業や社会のあり方に気づいていたのです。
よい金儲けと悪い金儲け
渋沢栄一のこの考え方を、「倫理的資本主義」と称する人もいるのですが、本人は「道徳経済合一説」と言っていました。ポイントは2つあります。
経営者だけが利益を得るのではなく、社会全体が利益を得る「理念」「倫理」にかなう志の高い経営を行わなければ、幸福は持続しない。
経営者は従業員よりも収入が多いのは当然ですが、あまりにも経営者と従業員の所得格差が広がったり、あるいは社会全般が貧困に陥ったりすれば、いくら大金を稼いだとしても、経営者の幸せは持続しません。社会が貧困になればなるほど、社会情勢は不穏なものになるからです。
もちろん、栄一自身は決してお金儲けを否定したりはしませんでした。
という栄一の言葉があるくらいです。ただし、この言葉の後には、こう続きます。
よく1代で財を成した人に対して、「あいつは成金だからな~」などとさげすみの視線を浴びせるケースがあります。これはたぶんに品位の問題があると思います。1発当ててにわかに大金持ちになったものだから、銀座のクラブで豪遊したり、高級スポーツカーやクルーザーを乗り回したりするなどというのは、まさに品位に欠けた行為と言わざるをえません。
渋沢栄一の場合、もともとお酒が飲めない体質でしたし、時代が時代なので、クルーザーで遊ぶようなこともありませんでした。唯一の道楽は、きっと事業だったのだと思います。
それに、渋沢栄一はいまでいうシリアル・アントレプレナーのようなもので、事業で得た利益はほぼ全額、次の新しい事業に投資することを繰り返していました。なので、結局のところ手持ちのお金は、かなり限られていたと思います。500社近い会社や団体を設立した割には、派手なことは一切しませんでした。自分一人が利益を得て、自分だけがいい思いをすることを、潔しとしなかったのです。
利益はすべて自分のものだとひとり占めすることなく、利益を社会に還元しなければ、経済活動は持続しない。
『論語と算盤』の「処世と信条」は、「論語と算盤は甚だ遠くして甚だ近いもの」という項目から始まります。言わんとすることを意訳すると、次のようになります。
ちょっと長くなりましたが、ここに『論語と算盤』のすべてがあると私は思います。「論語(道徳)と算盤(経営)を一致させること」が極めて大切な務めであることを言っており、それは「よい金儲け」とイコールです。逆に、道徳を無視して金儲けに走るのは、「悪い金儲け」ということになります。
「との力」が新しいものを生み出す
渋沢栄一の『論語と算盤』について、もう1つ覚えていただきたい言葉があります。たったの1文字です。それは「と」です。
と? 疑問に思った方も多いと思いますが、「との力」を持つことの大事さについて考えてみたいと思います。
「との力」に対して、もうひとつ大きな力があります。それは「かの力」です。「か」というのは、orです。右か左か、上か下か、白か黒か。何かを進めるに際して、物事を区別し、選別して進めることで効率性を高めることができます。それが「かの力」です。
「かの力」は、日常や仕事などあらゆる場面で必要不可欠なものですが、「かの力」だけでは、無から有を生み出すことができないと思います。新しいクリエーション、創造につながらないのです。なぜなら「かの力」は2つの有を比較して選別するだけにすぎないからです。分けて隔離すれば、そこからは化学反応、つまり、新しいクリエーションが生まれないのです。
一方、「との力」は、一見すると矛盾しているようなもの同士を組み合わせることによって、そこにある条件が整うと、化学反応が起こり、それまで考えつかなかったような新しいものを生み出す力と考えることができます。
『論語と算盤』は典型例です。算盤をしっかり勉強して、ある程度理解が進んでから論語の勉強をするとか、仕事をするうえでも算盤勘定は後回しにして、まずは道徳を重視して仕事を進めるという人は多いと思いますが、渋沢栄一が言っているのは、「論語と算盤に優劣をつけることなく、一緒に進めよう」ということなのです。
確かに、「との力」は、一見すると矛盾していますし、なかなか答えが出てきません。「との力」を用いることによって何が生まれるのかがはっきりするためには時間がかかりますし、それが見えてくるまでじっと耐える忍耐力も必要です。おそらく何の成果も出てこないうちは、ただの無駄にも思えるでしょう。
でも、その時間の経過をじっと耐えているうちに、矛盾や無駄の中から、「あ、これはいける!」というものが、パッと眼前に現れます。それによって飛躍が生まれます。
その能力を発揮するためには、『論語と算盤』の根幹をなす「との力」を十分に発揮させることが肝心なのです。渋沢栄一は、「との力」を原動力に、次々と新しいことに挑戦し続けたのでしょう。
いま目の前に渋沢栄一が現れたとして、コロナ禍の対応策で大事なのは、感染防止か、経済活動かと問えば、「感染防止と経済活動」と、きっと答えるでしょう。「との力」が求められるいまだからこそ、いま渋沢栄一が注目されているのだと、私は思っています。
12月20日発売の月刊willに『沖縄「集団自決」の大ウソ』が掲載されました。
月刊WiLL(マンスリーウイル) 2024年2月号 (発売日2023年12月20日) の目次
目次
グラビア 現代写真家シリーズ オーロラの奇跡 谷角 靖
朝三暮四 加地伸行
読者の皆様へ
お待たせしました。
完売品切れでご迷惑をおかけしていた『沖縄「集団自決」の大ウソ』の増刷が完成しました。ご注文次第発送できます。ご注文の方は下記要領でお申し込みください。
『沖縄「集団自決」の大ウソ』の