⇒最初にクリックお願いします
■本日の催し物
万国津梁会議設置支援業務委託料返還訴訟
(デニー・りま談合糾弾裁判)
- 第11回口頭弁論
- 日時:令和3(2021)年10月25日(月)13時30分
- 場所:那覇地方裁判所 沖縄県那覇市樋川1-14-1 地図
- この日時には法廷が空いていないため、一般傍聴者が入れない部屋で行われることになりました。
■支援金のお願い■
当日記管理人は、翁長知事を相手取って二件の裁判を係争中です。現在、訴訟費用の資金難で弁護士の交通費、宿泊代などの実費支払いなど資金難です。
皆様の支援金ご協力をお願いいたします。
支援金お振込先
- 金融機関:ゆうちょ銀行
- 名義:沖縄県政の刷新を求める会
- 記号:17010
- 番号:1924612
デニーりま官製談合訴訟
- 徳森りま氏に対する論功行賞疑惑について
- (1) 徳森りま氏の活動歴
徳森りま氏は、琉球大学を卒業し、早稲田大学大学院を修了した後、平成26年(2014年)夏頃から、普天間基地の辺野古移設に反対する建白書の実現を目指す基地反対活動を行っている「島ぐるみ会議」のスタッフとして働き始め、例えば、平成27年(2015年)9月に国連人権委理事会総会でなされた翁長知事の演説に際し、島ぐるみ会議国連部会スタッフとして発言している。
ところで、島ぐるみ会議には、万国津梁会議の委員にもなっている島袋純教授(琉球大学教育学部)も参加しており、同教授は、玉城知事と古くからの付き合いがあることで知られている。万国津梁会議の実施を強く推進していたのはこの島袋教授であった。 - (2) 沖縄県知事選における徳森りま氏の活躍
徳森りま氏は、平成30年(2018年)9月に実施された沖縄県知事選挙において、玉城知事を翁長知事の後継候補として担ぎだし、遺言テープをめぐる不透明な過程を通じて島ぐるみ会議の推薦をとりつけ、対立候補との選挙戦の中心となって活躍した【甲16】。徳森りま氏の活躍がなければ、玉城知事の当選はなかったといわれる所以である。なお、上記の経過については、徳森りま氏の論文『多様性が発展させる民主主義』に詳しい【甲13(朝日新聞「ジャーナリズム」令和元年6月号所収)】。 - (3) 疑惑の発端
本件スタートチームの代表に子ども基金を配したことが、選挙戦で活躍した徳森りま氏に対する論功行賞としてのお手盛りではないかという疑惑の発端となったのは、令和元年(2019年)5月24日の午前1時12分に県職員のフェイスブックにアップされた1枚の写真であった【甲14】。そこには、本件委託契約が締結された5月24日の前日(5月23日)、那覇市の居酒屋で開かれた徳森りま氏が主宰した酒宴の様子が写っており、そこに主賓として呼ばれた玉城知事の姿があった。酒宴に参加していたメンバーは、玉城知事の外、知事の特別秘書、島袋純教授、野添文彬準教授、県職員2人、子ども基金代表理事鈴木理恵氏、そして徳森りま氏であった。 - (4) 酒宴の問題性
本件委託契約の契約締結の前日に、玉城知事を含め、契約の関係者が一同に会して酒盛りをしているというのは、利害関係者からの饗応を受けること禁じている公務員倫理規定に抵触するばかりでなく、談合罪を推認させるに十分な事実であり、そもそも本件委託契約の締結そのものが、徳森りま氏に対する論功行賞のお手盛りであって、玉城知事に背任罪を構成する職務違反があるのではないかとの疑惑を招くことになった。 - (5) 県議会での追及
令和元年(2019年)9月30日の県議会において島袋大議員が、この宴会を発端とする論功行賞疑惑について「こんな疑惑がいっぱいの万国津梁会議、早めに委託を解除して。職員1人しかいない、中身もわからん、建物も見に行ったこともない。こういうところに2400万で委託している自体おかしな話ですよ。県民は本当にこれ賛成するかって話ですよ。どうか解除して公募のやり直しをするべきでしょう。」などとして玉城知事の責任を追及している【甲15:議事録】。県民目線からみて誠に尤もな追及であり、玉城知事には疑惑を解消する職務上の義務がある。 - (6) 徳森りまの失踪
この議会での追及がなされた当日、徳森りま氏は、突然、沖縄事務所を去り、中途だった万国津梁会議の調整業務をほっぽりだして子ども基金を退職して行方不明となってしまった【甲8】。共同企業体の要として全体調整を担っていた徳森りま氏の失踪によって万国津梁会議は、その計画の半ばで中断を余儀なくされてしまったのである。
その後、沖縄県議会は鈴木理恵氏(子ども基金代表者理事)及び徳森りま氏の参考人招致を決定したが、両氏はこれを拒否する旨の令和元年12月5日付け書面を議会に対して提出している。 - (7) 追及の停滞と疑惑の残存
県議会での追及に対し、玉城知事は「あくまでもこれは私的なメンバーによる飲み会だということで参加しております。」とするだけであり、疑惑の解消に向けた自身の責任を何ら果たそうとしない。その後、沖縄県議会は鈴木理恵氏(子ども基金代表理事)及び徳森りま氏の参考人招致を決定したが、両氏は未だこれに応じていない。疑惑の中心にある徳森りま氏本人の失踪と関係者の参考人招致要請の拒否に出会い、論功行賞疑惑の追及はそれ以上の進展はないままであるが、肝心の玉城知事は当事者の1人として疑惑の解消に向けて果たすべき義務と努力を行なおうとしないため、疑惑はそのまま残存して県政に暗い影を落し続けている。
- (1) 徳森りま氏の活動歴
- 徳森りま氏が受けた利益
- (1) 徳森りま氏は、本件委託事業に沖縄事務所所長として関与することで、341万5060円の人件費(税込)の支払いを受ける予定であった【乙17:人件費の予算額】。加えて県内移動のための交通費、これが徳森りま氏に対する論功行賞として提供される予定の利益であった。
- (2) ところが上記議会の追及があった当日(令和元年9月30日)、徳森りま氏は万国津梁会議の業務を途中でほっぽり投げて行方をくらましてしまったのである。9月28日の「県民円卓会議実施・準備・片づけ」(12時~19時30分)が、その最後の仕事になった【乙18p12~16:徳森りま氏の業務日誌(令和元年5月から令和元年9月迄)】。
- (3) 結局、徳森りま氏が実際に受け取った人件費は、131万1000円【乙17】にとどまっているが、その人件費の単価は日額3万0400円であり【乙18p12~p16】、従事時間数は合計345時間となり、時給換算で時給3797円となる。具体的に行なった業務の無内容(円卓の用意や会議の片づけ、軽食準備、会計処理)に照らし、相当額の論功行賞といえる。
- (1) 徳森りま氏は、本件委託事業に沖縄事務所所長として関与することで、341万5060円の人件費(税込)の支払いを受ける予定であった【乙17:人件費の予算額】。加えて県内移動のための交通費、これが徳森りま氏に対する論功行賞として提供される予定の利益であった。
- 子ども被災者支援基金の実態
- (1) 子ども被災者支援基金の設立
子ども基金は、平成25年(2013年)に設立された311受入全国協議会を前身とし、障害や家庭環境などの理由により、保養に行くことが困難な子ども達(要配慮者)に対する助成事業を開始し、平成28年(2016年)7月に法人化した一般社団法人であり【甲17の1】、主たる事務所を山形県に置いて活動拠点とし、自らを保養の中間支援組織として位置づけ、資金の助成や人材育成事業を行なってきた【甲17の3】。 - (2) 子ども被災者支援基金の活動内容
子ども被災者支援基金の活動実績についてみると、平成27年(2015年)には、全14団体に対し、予算総額400万円の助成事業を行ない【乙17の7】、平成28年(2016年)には、全7団体に対し、予算総額205万円の助成を行ない【乙17の6】、平成29年(2017年)には、全10団体に対し、計122万円の助成事業を行なってきたことが確認できる【乙17の5】。しかしながら、過去に万国津梁会議のような学識経験者による政策会議の準備・企画・調整・実施等の事業に携わった経験はなく、沖縄における活動実績もなく、沖縄における米軍基地問題、SDGs問題、等に関連する事業に携わったこともなかった。 - (3) 沖縄事務所の開設という虚構
子ども被災者支援基金は、平成30年(2018年)1月、新規事業をするとして沖縄事務所を開設したとしている【甲17の4】。ところが、沖縄事務所とは、徳森りま氏の実家の敷地にあるアパートであり、徳森りま氏が沖縄滞在中の住居として使用しており、所長である徳森りま氏の外にスタッフは1人もいなかった。
実際のところ、沖縄事務所が、子ども被災者支援基金の助成事業に関わっていたという事実はなく、所長に就任したとされている徳森りま氏は、その時期、専ら翁長知事の後継候補として玉城知事を担ぎ出すことと、同年9月30日に実施された沖縄知事選の選挙活動に専従し、全力を投入して奔走しており、その傍らで、子ども被災者支援基金の助成活動等に従事する余力はなかったのである(もちろんのことながら、徳森りま氏の報告書『多様性が発展させる民主主義』【甲13】にも、玉城知事を当選させるために奔走していた期間、子ども被災者支援基金の活動に携わっていたことを示唆するものは一切がない)。子ども被災者支援基金が平成30年1月に沖縄事務所を開設していたという実態はないといわざるをえない。
- (1) 子ども被災者支援基金の設立
- 本件スタートチームにおける子ども基金の役割
- (1) 本件委託業務の概要
本件委託契約において本件スタートチームが受託した業務の内容は、①会議等の運営支援、②会議における複数の担当者の設置、③資料収集・資料作成、会議の報告等取りまとめ、④次年度以降の会議のあり方等の議論など、⑤成果物の作成である【甲4p2】。 - (2) 本件スタートチームを構成する各メンバーの役割
本件スタートチームを構成する企業体は、代表である子ども被災者支援基金、公益財団法人みらいファンド沖縄(以下「みらいファンド沖縄」という。)、沖縄ツーリスト株式会社(以下「沖縄ツーリスト」という。)、そして株式会社WUBpedia(以下「WUB」という。)の4社である。
みらいファンド沖縄は、那覇市に主たる事務所を置く公益財団法人で、公益活動を行う団体への融資、公益活動に関する調査研究、情報収集を主な業務としている【甲18:Webサイト】。みらいファンド沖縄からは、会議運営(進行・記録)を担う担当者として1人が本件業務に携わっている【乙7p5】。委託業務の①会議等の運営支援の中に記載される「運営資料作成・準備等」や③資料収集・資料作成、会議の報告等取りまとめの役目を担っていた。
沖縄ツーリストは、那覇市を本店所在地とする旅行会社である【甲19:Webサイト】。沖縄ツーリストは、旅券手配を担う担当者として1人が本件委託業務に携わっている【乙17p5】。携わった業務は、①会議等の運営支援の中の「委員の旅行手配」である。
WUBは、那覇市に本店を置く株式会社であり、ITを活用した情報発信などの業務をしている【甲20:琉球新報web版】。情報収集や発信をする担当者として2人が本件委託業務に携わっており【乙17p5】、①会議等の運営支援の中の「会議の内容に関する情報収集及び資料作成(外国語対応を含む)」や③資料収集・資料作成、会議の報告等取りまとめの役目を担っていた。
さらに、①の会議等の運営支援の内容ともいえる学識経験者である委員の選定、会場確保及び設営、各委員の日程等連絡調整といった事務は、沖縄県の職員が行なっている。 - (3) 子ども被災者支援基金のスタッフが担当していた実際の事務
子ども被災者支援基金が実際に担当していた業務の内容を仔細にみたとき、その役割こそ「全体調整」【乙17p5】となっているが、万国津梁会議の趣旨目的(沖縄の将来像を巡る計画と議論の推進)と過去に沖縄における業務や政策会議の運営に関係した経験もないことに照らし、子ども被災者支援基金のスタッフが担当できる仕事は自から限定される。その内実は業務日誌等の記録からみるかぎり、会議に係る「軽食等の準備」や、「会場の片づけ」、そして会議運営に係る「経費の支払い」といった「雑用」ともいうべき事務ばかりであった。
子ども被災者支援基金からは、本件スタートチームの構成団体4社の中で最も多い4人の人員が派遣されているが、実際に担当していた事務がそうした「雑用」であったことに照らし、それが高額(時給3000円以上)の人件費や山形や東京からの航空券等の交通費、ホテル宿泊費といった支給に見合ったものであったとは到底いえない。つまり、それは実際の仕事に見合わないお手盛りだということである。 - (4) 県職員による調整に関する比較
そもそも、万国津梁会議の実施業務にかかる「全体の調整」の役割は、過去に沖縄との関わる業務の経験や政策会議の運営に携わった実績もない子ども被災者支援基金ではなく、沖縄県職員が担うべきものであった。たとえば、米軍についての会議をみると、1回目の会議の開催が、本件委託契約締結(5月24日)の1週間後の令和元年5月30日に行われている。本件スタートチームでの議論はほとんどなく、業務日誌【乙18】にもほとんど記載がない。契約締結前に、委員が選定され、検討すべき内容のほとんどが契約締結の時点ですでに決定しており、沖縄県職員によって段取り等されていた*1ということである。
実際、会議場所の選定、委員の選定と段取り、議事の運営、資料の収集・作成、議事録の作成などは、ほとんどすべて県職員によって行われていた。これらの業務は県職員が通常業務のなかで経験を重ねて得意とするところであり、沖縄にも政策会議にもなじみのない子ども被災者支援基金が県職員以上にできることではないのである。
*1.本件スタートチームの業務実施計画書提出は会議開催後の令和元年6月1日である。また、第1回基地問題会議の委員、柳澤協二氏のJAL航空券発行日は、契約締結前の令和元年4月23日となっている【乙24p3】。 - (5) 徳森りま氏失踪後に実施された会議
前述のように徳森りま氏は、本件論功行賞疑惑が県議会で追及された平成30年9月30日、万国津梁会議を中途で放り出して失踪したが、本件スタートチームと沖縄県職員は、その後も合計4つの会議を実施して、何とか本件委託契約の辻褄を合わせている。徳森りま氏の失踪と本件論功行賞疑惑のお手盛りスキャンダルに蓋をし、県民による批判をかわし、本件訴訟に対抗するための苦肉の策であった。
他方、このことは、調整役を担える人材であった徳森りま氏がいなくても、子ども被災者支援基金がなくても、沖縄県職員のサポートがあれば、万国津梁会議を何ら支障なく実施することができたことを端的に証明するものであった。 - (6) まとめ
沖縄での業務実績も政策会議の経験やノウハウも持たない子ども被災者支援基金を、敢えて本件スタートチームの代表に据えて「全体調整」の役割を担わせ、実際には軽食の準備や会議の片づけ、運営費用の支払い事務といった誰にでもできる「雑用」を担わせ、そのスタッフに高額の人件費や東京や山形からの航空代金や宿泊費を負担したというのは、「論功行賞によるお手盛り」とでもいわなければ、説明のつかない「公金の無駄遣い」であったことは明白である。
- (1) 本件委託業務の概要