読者の皆様には大変ご心配おかけしましたが、念願の拙著『沖縄「集団自決」の大ウソ』がやっと完成いたしました。
皆様のご支援感謝申し上げます。
早速、ご支援いただいた方や、ご注文いただいた皆様に、献本及び配本の手配を始めますが、タイミング悪く郵便局の連休に当り、実際には週明け19日(火)より、配本の予定です。
慣れぬ仕事で配本名簿にミスが生じる場合もありえます。
そこで、ご注文、御献金の方 で来週末までに本が未着の場合、下記メルアドまで配送先及び冊数をご一報くださいますよう再度お願いします。
特にペンネームなどで御献金頂いた方、送り先及び本名の明記お願いします。
メルアド⇒ ezaki0222@ybb.ne.jp
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ご案内
江崎孝氏著
『99%の国民が知らない沖縄「集団自決」の大ウソ
から飛び出した「援護法のカラクリ」』
出版記念講演会
暑さも和らぎ時折爽やかな風も吹く頃となりました。
皆様におかれては、益々ご健勝のこととお喜び申し上げます。
さて、この度かねてより出版の待ち望まれていた覚醒の書がいよいよ出版の運びとなりました。
江崎孝氏の傑作とも言うべきこの書は、地元琉球新報、沖縄タイムス両県紙の最も不都合な部分をつくものであり「琉球新報、沖縄タイムスを正す会」の運営委員でもある江崎孝氏の面目躍如とも言うべきものです。
この警世の書『沖縄「集団自決」の大ウソ』の照らす真実に多くの方の注目を願って止みません。是非とも皆様にご一読を伏してお願いする次第であります。
以下の日時にこれを記念しての出版記念講演会を行いたいと思います。
洛陽の 紙価を高めんとするこの会の開催にあたり皆様のご来場を心よりお待ち申し上げます。
開催日:2023年10月1日(日)
14:30開場
15:00開始
会場:沖縄船員会館 沖縄県那覇市前島3 - 25 - 50
参加費無料
※当日開場にて 書籍販売します
プログラム
開会の挨拶 運営代表 我那覇真子
著者 江崎孝氏 挨拶
江崎孝&我那覇真子トークショー
運営代表 我那覇真子活動報告
開会の挨拶
主催:琉球新報、沖縄タイムスを正す県民・国民の会
連絡先:080―8364―3051
沖縄船員会館
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VIDEO
集団自決の「軍命令」の証言者の証言の中で、「北(にし)山に集合」という一言が軍命の根拠としている。
ただ、上記動画で証言者吉川氏嘉勝氏の証言から「軍の命令」を読み取ることは困難である。
「北(にし)山に集合」は島に赴任してきたばかりで、島の地理に疎い安里巡査(後に比嘉に改名)が、村民の相談を受け先に駐屯していた赤松隊長に避難場所の相談をしたところ、「北(にし)山」界隈をアドバイスしたに過ぎない。
ところが、その北(にし)山にも米軍の艦砲射撃が直撃し、パニックに陥った村民が次と手りゅう弾で勝手に自決を始めた。そして手りゅう弾が不発だった村民が今度は手持ちの「武器」で村民同士を殺し合った。
この証言から軍の命令を作り出すのは沖縄タイムスの勝手な解釈である。
事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。byニーチェ
■放送法違反のNHK捏造番組■
NHKの籾井勝人会長の発言の影響で、NHKから放送法違反の捏造番組が一掃されることを期待したいのだが、・・・・
3月19日NHK沖縄が放映した「おきなわHOTeye(旧610)」のコーナー「戦争の傷跡」で、放送法違反の疑いのある捏造番組を放映した。
渡嘉敷島での「集団自決」について、「3年前の最高裁判で集団自決に軍の関与があったという判決があった。」というナレーションがあったが、これはNHKお得意の大嘘である。
裁判所の判決文には「軍が命令を出したということに関する直接的な証拠はない」と書かれており、「軍の関与があった」とは書かれていない。
つまり大江・岩波集団自決訴訟では、軍命は立証できなかったのだ。
そもそも、「関与」という曖昧な日本語はNHKの印象操作のための用語と思われ、あたかも裁判で「軍命があったと認められた」と言っているような印象操作なのだろう。
証言者として登場した吉川嘉勝氏(75)は、「赤松隊長から西山に集合との命令がでた」と証言したが、当時渡嘉敷島に赴任したばかりの北中城出身の安里巡査が、住民に米兵上陸の際は何処に避難たらよいかと問われ、先に駐屯しており地形に詳しいと思われる赤松隊長に避難場所のアドバイスを求め、赤松隊長は「西山が良いのでは」と答えた。
だが島を包囲した米艦船の艦砲射撃は谷間の西山にまで届き、艦砲射撃の爆発で周囲に死傷者が続出したのを見て、パニックに陥った住民が集団自決をした。
この事実は生き残った安里巡査が、戦後詳しく報告書を書き、その一部始終は「沖縄県警史」に公文書として記録されている
それを吉川氏「赤松隊長から西山に集合との命令がでた」と語り、あたかも赤松隊長から集団自決の命令がでた」かのような口ぶりだが、裁判でも明らかのように「集団自決せよ」との軍の命令を聞いたものはただの1人もいない。
ちなみに安里巡査(戦後比嘉に改名)は、集団自決の現場にいた自分の所に取材に来た地元メディは1人もいなかったと語っていた。
吉川氏は「村長が天皇陛下万歳といって自決を試みた」とあたかも軍の命令を匂わす発言をしているが、母親が「死ぬのは何時でも死ねる」と言って自決を止めさせた、と語っているがあまりにも出来すぎた話だ。
吉川氏は兄の吉川勇助氏の証言を伝聞で語っているが、勇助氏も自分が直接「軍命」を聞いたわけではなく、「伝聞」のまた「伝聞」に過ぎない。
吉川嘉勝氏は、集団自決を止めた母親が、「命どぅ宝」と言ったと証言しているが、あまりにも話が出来すぎており、「命ど宝」は当時あまり使われておらず、戦後サヨク陣営から出て来た後付の言葉である。
番組の最後付近で吉川氏は「集団自決については解釈?が色々ある」みたいな事を言っていたようだが、これだけ聞いても吉川氏の証言のいかがわしさが匂ってくる。
以下過去エントリーを引用し、吉川証言のいかがわしさを検証する。
集団自決研修を大学新入生に、金城重明氏が講演
2008-05-21
■軍命令はすべて推論■
軍命令をにおわす証言については、金城重明氏はこれまでいろんな場面で証言しており、それが62年も経った今頃になって新しい証言が出たらかえって信憑性を疑われるだろう。
ただ、新しいといえば吉川勇助氏の証言を法廷で自分の証言の「軍命令あり」の推論の補強に使ったぐらいだろう。
結局、金城証言のどこを見ても「軍命があった」という「体験者」としての証言は無い。
琉球新報が「軍命あり」と断定する部分は次の点だろう。
①村長が音頭を取った「天皇陛下万歳」とは玉砕の掛け声。 村長が独断で自決命令を出すのはありえず、軍から命令が出たということ。
②村長が「天皇陛下万歳」唱える前、軍の陣地から伝令の防衛隊員が来て、村長の耳元で何かを伝えたとの事だが、軍の命令が伝えられ、村長が号令を書けたことが分かった。
③軍から手りゅう弾が配られた。
>村長が独断で自決命令を出すのはありえず、軍から命令が出たということ。
「Aが○○をすることはあり得ないから、Bがやったに違いない」。
これは原告弁護団がいみじくも言うように金城氏の「推論」である。
過去エントリーの引用で吉川氏のデタラメ証言を検証してみよう。
■伝聞の又伝聞■
>村長の耳元で何かを伝えたとの事だが 、軍の命令が伝えられ、村長が号令を書けたことが分かった。
結局金城氏は軍の命令を直接聞いていないが、他人の伝聞、それも「耳打ちしたのを見た」であり、耳打ちの内容を聞いたわけでも無い伝聞のその又伝聞を自分の「推論」の補強にしているに過ぎない 。
おまけにその耳打ちを目撃した吉川勇助氏の証言によると、耳打ちの最中にすさまじい迫撃砲や艦砲射撃の爆発音も聞いている。
その伝聞の伝聞さえ爆音で消されているのである。
≪不意に軍の陣地方向から現れた防衛隊員が、村長に何かを耳打ちしているのに気付いた。迫撃砲や艦砲射撃のすさまじい音と爆発の音、防衛隊員が村長に何を伝えたか、勇助の所までは聞こえない。≫。 (9)防衛隊員、耳打ち「それが軍命だった」
このような状況での「耳打ち」を目撃した吉川証言に頼らざるを得ないほど金城氏は「隊長軍命令」を語るには不適格なのである。
■平和学習の語り部が証言者■ 沖縄タイムス;「集団自決」の現場視察 県議会文厚委【写真】
証言者・吉川嘉勝氏(68)は調査団に対し、
「自決命令は、無かったかもしれないが 、軍隊がいたから集団自決は起こった。軍国主義教育があったからあのような悲劇は起こった。」
と語った。
吉川氏は最近(4月19日)まで渡嘉敷村の教育委員長を勤めていた教員上がりの村の偉い人でもある。http://www.vill.tokashiki.okinawa.jp/vill_inf/so_6/so_6_01.htm
このように沖教組関連の「平和教育」 でどっぷりツカッタ文教委員議員団の調査は、形だけのアリバイ作りのためだけの噴飯モノあった。
ちなみにこの吉川氏、島に戻った今は、地元の子どもや修学旅行生を相手に平和学習 の案内役をしていると言う。
そう、吉川さんは証言者である一方、「平和学習」の語り部 でもあったのです。
いくら語り部でも、日本軍の残虐さは語って語っても「自決命令は、無かったかもしれないが 、軍隊がいたから集団自決は起こった。軍国主義教育があったからあのような悲劇は起こった。」と語るのが精一杯だったのでしょう。
参考:「平和学習」埼玉の中3生、修学旅行で「集団自決」地に 「平和」努力を決意 (7/5 )
この吉川氏が証言するのは今回が始めてではない。今年の慰霊の日の朝日新聞の記事で証言している。
だが、「軍曹が命じた」と巧妙に作文された朝日記事でも、吉川氏は一言も「軍の命令」とは証言していない。
http://www.asahi.com/national/update/0623/SEB 200706230011html 62年前に見た集団自決の現場 「軍曹が命じた」 2007年06月23日15時30分
沖縄戦の戦没者ら約24万人の名を刻んだ「平和の礎(いしじ)」。糸満市摩文仁(まぶに)に立ち並ぶ碑の前で23日朝、元中学校教諭の吉川嘉勝さん(68)は妻の英子さん(68)と一緒に静かに手を合わせた。礎には米軍の艦砲射撃で亡くなった父の名がある。
62年前、吉川さんは「集団自決」の現場にいた。
那覇市の西約30キロにある渡嘉敷島。周囲25キロの島に米軍が上陸したのは45年3月27日のことだ。住民らは土砂降りの雨の中、島北部の通称「北山」を目指した。吉川さんと家族もその中にいた。当時6歳だった。
「集団自決」が起きたのは翌28日。たどり着いた山中で家族や親類ごとに円陣を組んで座った。村長の短い訓示の後、「天皇陛下万歳」の叫びとともに、あちこちで手投げ弾が爆発した。
吉川さんの家族ら約10人が輪になった中でも、義兄らが手投げ弾を石に打ち付けた。だが、爆発しない。父は「火を燃やして、投げ入れろ」と指示した。
母が叫んだ。「手投げ弾を捨てろ」。生きられるだけ生きるべきだと必死に訴えていた、と吉川さんは振り返る。家族はその場を逃れた。
母が教えてくれた「命の重さ」を伝えるため、吉川さんは教師になった。校長を最後に教職を退き、島に戻った今は、地元の子どもや修学旅行生を相手に平和学習の案内役を務める。「自分たちの歴史を知り、戦争のない社会をつくってほしい」と語り続ける。
その島で、沖縄国際大名誉教授の安仁屋政昭さん(72)は88年、かつて村の兵事主任だった故富山真順さんから、ある証言を聞いている。
富山さんは45年3月20日、戦隊からの命令で17歳未満の少年と役場職員を役場の庭に集めた。兵器係の軍曹が住民二十数人に手投げ弾を2個ずつ配り、「敵に遭遇したら1発は敵に投げ、捕虜になる恐れのある時は残りの1発で自決せよ」と訓示した、という。
沖縄ではいま、「集団自決」を巡る教科書検定で「日本軍による強制」が削除されたことに強い反発が起きている。安仁屋さんは言う。「富山さんの話は自決命令の存在を示す重要な証言だ」 朝日新聞は、既に「集団自決」の「軍命令論争」で敗北していることを承知している。
子分ともいえる沖縄タイムスが暴走するの止められず、当たり障りの無い記事でしか援護できない、・・・というより、既に敵前逃亡を決め込んでいる。(朝日の敵前逃亡 沖縄の「集団自決」 )
◇
これまでも学術調査団が何度も現地調査を行っており、「軍命令はなかった」という多くの証言者がいたが、これらは地元マスコミに載ることはなかった。(例えば宮平さん→★文末に引用)
■【動画と“新聞証言”の違い】
いずれにせよ、マスコミは自分等に不都合な事実は報じない。(これは金城さんも言っている)
琉球新報、沖縄タイムスが「集団自決」の生き残りで当時14歳の金城さんの証言をどのように歪曲して報じたか、つぎの【動画】で確かめて欲しい。
【動画・金城武徳さんの証言】 http://www.youtube.com/v/P16oG_3X89o
連日紙面を飾るのは「多くの悲惨な証言がある」と言う極めて曖昧な記事のがオドロオドロしく報じられる。
確かに沖縄戦で悲惨な体験をした人は数多くいるだろう。
だが、「数多くの悲惨な証言」を必死で「軍命令で集団自決した」の結論にもっていこうと紙面づくりに追われているのが地元二紙だ。
最近では「命令の有無ではなく、強制性が問題だ」なんて言い変えだしているようが・・・。
そのうち「強制性の有無ではなく、軍隊がいたことが問題だ」なんて言い出すと思う。
まともな研究者、そして良識ある証言者達は皆「その事実」に気がついている