今から15~16年前、2008年か2009年頃だったと思う。
バンコクの週末だけやっているチャトチャックというマーケットで、良くできたパッチワークのバックを見つけた。それはそれは色使いも良く、細かいところまで丁寧に作ってあり、とにかく完成度が高かった。言い値は300バーツ、当時で900円くらいだったと思う。お店は40代くらいの人の良さそうな夫婦がやっていて、毎週末、北タイのどこかの小さな街から来ていると言っていた。
聞くとオーダーできるということで、当初は20~30個頼むつもりが、「数が多ければ、もっと安くなるよ…」と言われ、価格交渉をしているうちに、300個にもなってしまった。価格はひとつ100バーツ(およそ300円)に落ち着いた。中にファスナー付きのポケットを付けることと、ストラップは調整できるものにしてもらう条件で頼むことにした。
300個でおよそ9万円。半分をその場で払い、残りは出来上がってから。今思えば、当時はスマホもないし、店の名刺すらなかった。アルファベッドで住所と名前、そして電話番号だけをメモに書いてもらっただけだった。
3~4か月後に取りに行くと、ちゃんと出来ていたが、その数の多さに愕然とした。あらためて300個のバックを前に「やってしまった!」と思った。仕入れの時、時々、変なスイッチが入ることがあり、するともう、後の祭りだ。気が付いたときには、「どうしてあの時…」と、頭を抱えることになる。この時も、まさにそうだった。救いは、モノ自体は別に悪いわけじゃないということ。ただ数が多すぎて、この量をどうやって売るんだろうと、その後悔だった。
あれから15年。
今日、その最後のひとつが売れていった。300個売るのに15年。単純に言えば、1年に20個しか売れない、一体、どれだけ回転率の悪いバックなんだということになる。毎年の棚卸時には、もう見たくないと何度思ったことか…。それがこうやって無くなると、妙に寂しさを感じるから不思議だ。
昔のようにフラフラ当てもなく、市場を歩いて珍しいモノを見つけることも少なくなってしまった。無駄なものを買わなくなった反面、面白さも無くなった。今もまだ、そのおじさんのお店があるかもわからない。もうそういう時代じゃないと言えばそれまでだが、当時、時々感じていたお宝発見のようなワクワク感を、昔の商品を見ると懐かしく思い出すことがある。
今度、バンコクに行ったら、久しぶりにチャトチャックに行ってみようかなと思っている。
バンコクの週末だけやっているチャトチャックというマーケットで、良くできたパッチワークのバックを見つけた。それはそれは色使いも良く、細かいところまで丁寧に作ってあり、とにかく完成度が高かった。言い値は300バーツ、当時で900円くらいだったと思う。お店は40代くらいの人の良さそうな夫婦がやっていて、毎週末、北タイのどこかの小さな街から来ていると言っていた。
聞くとオーダーできるということで、当初は20~30個頼むつもりが、「数が多ければ、もっと安くなるよ…」と言われ、価格交渉をしているうちに、300個にもなってしまった。価格はひとつ100バーツ(およそ300円)に落ち着いた。中にファスナー付きのポケットを付けることと、ストラップは調整できるものにしてもらう条件で頼むことにした。
300個でおよそ9万円。半分をその場で払い、残りは出来上がってから。今思えば、当時はスマホもないし、店の名刺すらなかった。アルファベッドで住所と名前、そして電話番号だけをメモに書いてもらっただけだった。
3~4か月後に取りに行くと、ちゃんと出来ていたが、その数の多さに愕然とした。あらためて300個のバックを前に「やってしまった!」と思った。仕入れの時、時々、変なスイッチが入ることがあり、するともう、後の祭りだ。気が付いたときには、「どうしてあの時…」と、頭を抱えることになる。この時も、まさにそうだった。救いは、モノ自体は別に悪いわけじゃないということ。ただ数が多すぎて、この量をどうやって売るんだろうと、その後悔だった。
あれから15年。
今日、その最後のひとつが売れていった。300個売るのに15年。単純に言えば、1年に20個しか売れない、一体、どれだけ回転率の悪いバックなんだということになる。毎年の棚卸時には、もう見たくないと何度思ったことか…。それがこうやって無くなると、妙に寂しさを感じるから不思議だ。
昔のようにフラフラ当てもなく、市場を歩いて珍しいモノを見つけることも少なくなってしまった。無駄なものを買わなくなった反面、面白さも無くなった。今もまだ、そのおじさんのお店があるかもわからない。もうそういう時代じゃないと言えばそれまでだが、当時、時々感じていたお宝発見のようなワクワク感を、昔の商品を見ると懐かしく思い出すことがある。
今度、バンコクに行ったら、久しぶりにチャトチャックに行ってみようかなと思っている。