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壊れゆくブレイン(124)

2012年09月13日 | 壊れゆくブレイン
壊れゆくブレイン(124)

 物事にひとりだけで対処しなければならないとしたらどうなるのだろう。ぼくは会社で責任を負っているとはいえ、その前提に会議もあり、会社の方針もあり、計画もあった。その隙間に問題が挟まってもそれは比較的に微小なものだった。ひとりでクリアできるものもあれば、仲間の知恵も借りた。会社員というのは結局はそういうものだろう。

 ラグビーのキャプテンをしていた過去のある日、監督から指示を受けてもそこに到達しないもどかしさがあった。自分はチーム・メイトの疲労の影を見て、その思いを押し殺した。彼らにも限界があれば、ぼくにも成長の余地がなかったように思う。部屋でひとり思い悩み、誰にも相談できずにいた。もちろん、交際相手だった裕紀にも。しかし、彼女のもつ優しさはぼくの辛さを軽減させてくれた。完全にはなくならないが、少しは減ってくれるのだ。

 広美は東京でひとりで暮らしていた。誰かといっしょに喜ぶ機会はあるのだろうか。悲しみを打ち明けられる人間はいるのであろうか。さまざまなことに挑戦し、挫折し、乗り越えた場面が与えられる。それを共有できたときの感激を知ってほしいようにも思う。

 ぼくは大人になってからひとりきりになった時期はそれほどなかった。同棲をして、東京に行き、結婚をして、再婚をした。東京に出たときと、最初の妻と死別したときがそのひとりの時期だった。東京に行った当時はその環境になれるため懸命だったから、それほど時間を持て余したという印象はなかった。ぼくが悲しみに感じ、ひとりでいることを耐え難いと思ったのは、裕紀が死んだときだ。ぼくは悲しみを抱え、客観的に振り返れば誰もがぼくの悲しみを認識していたが、ぼくはうまく隠し通せていると思っていた。実際はまったくの逆で、誰しもがぼくの悲嘆に呉れている状態を知っていた。相談できるものもいなく、ぼくは酒に溺れた。適量が悲しさを打ち消してくれるならば、大量のそれはぼくを波打ち際に打ち上げられた巨大魚のようにした。もう海には自力で戻ることもできず、またその陸地は自分の住むべき場所ではなかった。だが、ぼくの命は生存をつづけ、翌朝は普通に職場に向かった。

 ぼくは地元に戻り、久し振りに会った雪代に絡んだ。いま考え直してもとてもみっともない自分だった。それをいちばん誰に見られたくなかったかと言えば、それは雪代当人であり、また見せてしまったことで、ぼくの最終的な見栄の限界の網が破られる結果となった。ぼくはそこの場面で必死に耐えなければならなかったのだ。だが、無理にその悲しみを押さえ込めば、また、打ち上げられた魚のように絶命だけが待っていたのだろう。ぼくは悲しみの開けっ広げな披露により逆に救われる。それ以降、孤立ということはもうなくなってしまった。ぼくと雪代と娘はスクラムを組むように地道にすすんだ。ぼくは健全さも同時に取り戻す。

 ひとりで東京で暮らしている娘がいた。誰かの優しさを求め、甘い言葉を必要とする。人生は、その華やかな時期に入りかかったころであり、その時期に受けた印象が後半生を左右してしまうのだろう。ぼくは、自分のことを考えてみれば、素晴らしいひととたくさん出合った。その関係の多くはいまでも持続し、掛け替えのないものにもなった。

 広美はそれである男性と出逢う。自分をいちばん大事にしてくれていると思ったひとは、そうでもなかったのだと理解し、感情を調節する作業をせまられる。頭がそう指令をしても、こころの問題はそう直ぐにハンドルを切ることはできない。最後には失恋するのだが、その痛みは分かっても、その深さを他人はきちんと計測できない。また、計測するような問題でもない。痛みは痛みなのだ。突き指も捻挫も骨折も痛みに違いはない。ただ、立ち直るのに必要な日数が異なる。彼女はそれほどの痛みを感じていないように振舞っていた。

 ぼくは自分のしたことを思い出さない訳にはいかなかった。

 ぼくは雪代を求めたばかりに裕紀をふった。それは、するべきではなかった事柄という通帳でもあれば先頭に書かれるべきことであった。だが、それは起こってしまった。いまの広美を若いと思っているが、彼女も似たような年頃であった。ひとから拒否されることなど多分、彼女は経験してこなかったのだろう。海外の一都市に彼女は留学する。ぼくは自分のしでかしたことに打ちひしがれ、仲間からも疎んじられる。いつか、ずっと謝りたいと思いつづけていた。その機会は来ないのかもしれない。そのことがぼくの喉に刺さった小骨のように常に念頭から離れない。再会した彼女は意外にもぼくを恨んでいなかった。それを喜んだが、ぼくはなじられたりした方が自分の懸念だった小骨を取り去る行為に直接つながったと思う。ふたたび交際をはじめても、ぼくには引け目があった。それは不当なことだったのだろうか。結局は、意図して捨てた女性は、意図せずにぼくの前から消えた。この濁った世界の住人としての生きる権利を有していないかのように。その資格をもっている自分はまだまだ生き延びそうだった。

「広美の良さを分からない人間なんているのかね?」
 ぼくは年の離れた兄のように気軽に彼女に言う。東京に出張に来ていた。むかし別れた女性の素晴らしさを分からなかったのもそう発言した自分であり、心底からの許しを懇願する機会も自分に与えなかったずるい自分でもあったのだが。
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