爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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壊れゆくブレイン(128)

2012年09月17日 | 壊れゆくブレイン
壊れゆくブレイン(128)

「また、わたしお母さんになった。今度は失敗しないから」電話の向こうでゆり江という女性が言った。彼女は一度、幼い子どもを事故で亡くしていた。いつまでも愛らしさを失わない彼女が再び母になったことを遅いとも思わず、またあのあどけない彼女が母になるという事実にもあいかわらずぼくは驚いている。

「失敗なんてことはないよ。でも、おめでとう。自分のことのように嬉しいよ」電話ででもなければ、ぼくはしっかりと彼女の肩を抱き、喜びを分かち合いたかった。だが、その役目はぼくに与えられてはいなかった。

 ぼくは過去に彼女を愛した。ぼくに印象を強く残したのは、はっきりといえばふたりで、裕紀と雪代だった。ぼくが普段、着慣れているスーツに例えれば、彼女たちは上着とズボンのようだった。どちらも大事であり服として重要な部分だった。それでは、ゆり江は何かと問われれば、デザインの凝ったボタンのようなものかもしれない。誰もが注目するわけでもなく、そこが洋服のいちばんのポイントになるわけでもない。だが、ボタンのないスーツなど皆無であろう。それに、糸は切れやすく、そのボタンは簡単に失う危険もあった。それと同様にぼくはゆり江という女性のことを貴重なものだと認識していなかったかもしれなかった。だが、こうして、電話で話していると、ぼくはその大切なものを軽んじすぎていたことをつき付けられているのだ。

「喜んでくれてありがとう」
「当然だよ」
「いつか、見せてあげるね。そして、抱っこしてちょうだい」ぼくは、なぜか女性にそう言われることが多かった。それを腕におさめることがそれほど大事なことか自分には分からなかった。
「うん、そうするよ」
「それと、前の子が亡くなったとき、わたしといっしょに過ごしてくれてありがとう」

「それはお互い様だよ。ぼくが裕紀を失ったとき、ゆり江もそうしてくれた。君ぐらい優しい子はいなかった」それは言い過ぎなのだろうか。ぼくは不謹慎にも数名と同じような関係をもった。自分の生存の意味をたずねるように、他者の身体を利用した。女性の温かい皮膚が、その日を生き延びた証しとなった。それでも、忘れられないときは大量のアルコールを自分に注ぎ込んだ。その肌を通した実体と、麻痺という観念のどちらかにぼくは毎日、毎時、揺れていた。答えも得られず、どちらも目的に到達しないということを証明するだけだったのだが。

「あのとき、安物のように自分を与えてしまったかもね。もっと、焦らせばよかった。そうすれば、再婚の相手はわたしになってたかもしれないから。だけど、ひろし君は、わたしを宝物のように扱ってくれた。なんだ、かんだいつでも好きなんだろうね」しかし、それは裕紀がいないことの代わりに違いなかった。いくら貴重なものでも代用がきくボタンぐらいなのだろうか、やはり、彼女は。さらに、ゆり江がそのような計算をして行動することはなかった。溺れた猫を助けようか助けまいか迷ったりしないように。

 それほどまでに几帳面に彼女を定義する必要もない。ある女性がまた母になり、その報告をしてくれたのだ。ぼくはそのことで喜びの感情が満ち、未来を見通す力のようなものを与えられる。その子は彼女の一部かもっと多くの良い部分を受け継ぎ、この世の中を素晴らしいものにしてくれる。過去に彼女がぼくに示してくれた愛情のように。

 でも、そのこと自体をボタンぐらいの価値と考えているやましさもあった。なぜ、ぼくは彼女を選ばなかったのだろう。当然、そうしてもよかった理由も無数にあり信念もあった。しかし、生きる上での選択や、愛するひとを前にしての感情の揺さぶりは、理性や理由で判断するものでもなかった。そこにはもっと動物的な衝動みたいなものも内在されているのだろう。そして、あの優しい女性を愛する男性は多くいるし、それに相応しい男性の先頭に自分が立っているとも思えなかった。それ以上に、ぼくは裕紀や雪代を幸せにしたかった。それはそんなに能動的なものではなく、受動的に彼女らと生活して幸せにしてほしかったし、かつ、その状態を存分に楽しみたかった。ぼくは自分の過去に対して弁護を繰り返すように、ゆり江を選ばない理由を探しつづけた。それはぼくのずるさを並びつづることと同義で自分をやり切れなくさせた。悲しいほど自分は愚かなのかもしれない。これほど、自分の感情は彼女と電話で接しただけで動揺してしまうのだ。やはり、そこに多くの愛が眠っているのだ。

 しかし、彼女の未来はこれからも作られていく。ぼくはその全部を知ることは当然できない。いっしょに過ごすことのできない犠牲として、ぼくは彼女の喜びに加わることができない。それにつながったのはぼくのむかしの選択であり、なにが最善であるかを理性で判断しない結果でもあった。自分はするといまの生活に不満を感じているのだろうか。多分、そうではない。彼女のある種の弱々しさがぼくの体内の感情のどこかをくすぐる。それは焦燥や後悔に結びつき、ぼく自身への反省を促した。

 だが、単純に今日は喜ぼうと思う。最近、といっても長い期間になったが、ぼくらは不幸のときに互いを必要としてきた。そのような負の感情はいつか手放すべきなのだ。また、それを手放さない理由もない。ぼくはボタンが取れた服をイメージする。誰かが、もしくはぼくがそれを縫い付ければいい。糸もあり、思い出を通した針もある。そして洋服の一部として再び、機能する。