爪の先まで神経細やか

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壊れゆくブレイン(127)

2012年09月16日 | 壊れゆくブレイン
壊れゆくブレイン(127)

 雪代は東京で仕事の用事ができ、そのついでに数日遊んでくるということで広美の家に泊まることになった。彼女たちがふたりきりで会うのは久し振りだった。親子でどういう会話がなされるのか分からなかった。帰ってきてから、雪代は報告してくれるのだろう。言葉はそれほどいらないのかもしれず、反対に時間を惜しむほど話しつづけるのかもしれない。

 それで、ぼくは数日だけひとりになった。会社の仲間と外食してその後、ひとりで飲みなおしている。カウンターには女性がいて、ぼくは何年もその店に座ってきたことになる。妻がいないことを話し、戻った家で話し相手がいないことに最初は戸惑うが、こういうことにも直ぐに慣れるのだろうかという漠然とした質問をしている。彼女は夫と大分前に別れ、息子は別のところに住んでいる。

「彼は結婚しないのかね?」ぼくはその息子のことも知っていた。
「さあ、どうなんでしょう。結婚って、いいもんですかね? わたしが悪い前例を見せちゃったから」
「悪いこともないでしょう。相性の合わないひとといつまでも居つづけても仕方ないし」
「だったら、最初に気付くべきじゃない。結婚する前に」
「そうすると、彼がいないことになる」
「そうね」と言って彼女は笑った。そして、ぼくの前に大根の煮たものが出された。それは年輪を刻んだ木の断面を思わせた。その層にはいったい何が保存されているのだろう。

「おいしいですね」それを合図に最後の一杯を飲み干し、店を後にする。しばらく歩いて振り返ると店の電気が消えていた。彼女の今日の最後の会話の相手は、ぼくだったのだろうか。ぼくも、彼女と交わしたいくつかの言葉が最後になるのだった。

 ぼくは家までの帰途、年輪のことを考えている。木が一年一年太さを増し加え、いつか切り倒され、建築物の材料になったりする。その物である樹木自体はどこの段階がいちばん気にいっているのだろう。太陽をさんさんと浴び、真っ直ぐに伸びていく林のなか。突然の雨に驚く旅のひとをふところで優しく守る。風が通るたびに、すずしげな音を発する。強風のときは倒れないように根を張って踏ん張っている。

 ぼくの十代。親の庇護のもと、勉強をしてラグビーに明け暮れた。女性との最初の肉低的接触。ぼくは相手をタックルして倒すために自分の身体をつかった。それとはまったく別の喜びがあることを知った。その女性の外見だけではなく精神のすべてをも自分は把握したいと思ったのだ。それは別個の生命体である以上、無理だった。その無理ということはいまの大人の自分が知っていることで、当時はその隙間をいくらかでも埋めようとして苦しんだ。

 二十代になり、雪代と別れ、生まれ育った場所とも別れた。東京であらたな自分になるよう仕事でも頑張り、結婚をした。裕紀がそのときに断っていたらどうなっていたのだろうか。当初は傷ついたかもしれないが、いつか立ち直ったのだろうか。結果として彼女は早くに亡くなり、ぼくは傷ついた。無力である存在という自分からなかなか抜け出ることはなかった。もし、年輪ならその際になんらかの歪みを刻み付けているのだろう。

 三十代に再婚した。救いを与えてくれたのは雪代と娘の広美だった。ぼくは家族との会話を欲していた。自分の言葉が誰かに反響し会話となった。それは喧嘩となる場合だってあったが、ひとりで生きているのではないという確実な証しになった。子どもの成長は早く、それにつられてぼくの若さも徐々に奪われていく。それは子どもが大人になるという喜びを含んだもので、決して悲観的なものだけで成り立っているわけではなかった。娘の着られなくなった洋服は、その時間を象徴していた。

 四十代になり娘は東京に行った。大学で友人やこれからの未来への足がかりを作るのだろう。ぼくと雪代はまたふたりになった。まだ若い頃、ぼくらは同棲していた。あの頃、ぼくらに今日みたいな日々が訪れることなどまったく理解していなかった。それは当然だ。別の命ある生き物を生み出す媒体に雪代がなり得ることをぼくは知らず、大切なひとが死んでいく状態を止められなかった無念さも知らなかった。ただ良き希望だけがぼくらのなかに貯蔵されており、長い期間苦しめることを誘発するなにかが身近にあるという事実に目を向けなかった。その若さは貴重なものだった。

「ぼくの年輪」とぼくは玄関のドアのカギを開けながら独り言を口にした。今日の分もどこかに加算されていく。雪代と広美はどういう会話を付け足すのだろう。20年も前に生まれた女の子は、母のことを考え、対等な立場で心配することもできる。また逆にもっと心配をかける女性になったかもしれなかった。そのふたりの中間ぐらいの年齢で裕紀は死んだのだ。ぼくは雪代と広美が並んで寝ている姿を想像しながらも、その間で裕紀が横たわり、まどろんでいる姿の想像をやめることができなかった。彼女の年輪は中断されたが、もしかしたらそれは再利用され、どこかの建物の一部になっているのかもしれない。また残りの一部はぼくに接ぎ木され、ぼく自身の年輪と同化し風雨にたえた月日を増し加えているのかもしれない。それは可能だろうか、とぼくは考える。確かに可能なのだ。ぼくの腕にのこっている傷跡。それは坂道で転がりそうになった裕紀を助け、塀に擦りつけたときにできた痕だった。いまのぼくはそれを勲章のように考えていた。それぐらいしか自慢できないのも、なんだか情けないことだった。そして、部屋の電気をつけ、その腕の部分を指でさすった。