27歳-24
年齢もあり、生活力のこともあり、平均ということも計算にいれる。しかし、そうしたもろもろのことを抜きにして結婚という未来を考えたのは希美だけだった。いや、無意識では当然のこと計算にいれたのだろう。誰も十二才で相手の親や周りにいる兄弟や親友を説得しようなどとは思わない。世の中は手続きと、それに伴ううんざりするほどの長い行列でできているのだ。反対に七十九才ではじめて結婚したいと芽生えるのもどこかのプログラムの故障かもしれない。偏見という確たるフィルターを通してだが。そして、そう思う相手はぼくにとってひとりで充分だった。
どんな欲張りでも手の指を六本ほしいとは思わないそうだ。形状としても向きとしてもよくできている。さらに、どれほど楽しくてもゴルフの十九ホール目を普通は勝負にも計画にも入れない。ふさわしい数字というのがある。そこに美がある。
ぼくは二十七才だった。希美はすこし年下。何度か恋をしたであろうし、胸を痛めたこともあるだろう。失恋という避けられない帰りの切符も、数回は手にしたことであろう。手放せないほど固く握りしめて。ぼくも同じだった。それから、各駅停車でもどってきた。のどかな風景なども見ずに下を向いて。変化のない足元をじっと見つめて。ところで、急行や特効薬はないのだろうか? せめて準急でも。
その当時になって希美という存在が目の前にあらわれる幸福が訪れる。凱旋門の先に。少し前でも、少しあとでも駄目だったかもしれない。なにが駄目ということもないが、時期やタイミングというのが何にもまして大事なものだというのも経験だけが教えてくれた。
この気持ちは膨らむという類いのものでもなかった。ただ、あったという表現が妥当である。塀のうえには猫がいたとか、電線のうえにスズメが並んでとまっているという映像に似て。大きな音がすれば逃げ去ってしまうのかもしれないが、安全だということが分かると、また元の状態にもどってきた。あそこが殺風景でも、逆に絶景でもとにかく居心地が良いのだ。
そう自分が思っているぐらいだから、希美も同じように感じていると判断していた。無理強いということはぼくらの間柄にはなく、かといって着々とすすめるということにも移行していなかった。当然ながらぼくには前もって練習することも不可能だったし、前年度との比較という相関関係で計ることもできないのだ。すべては最初であり、かつ最後だった。そうなると思っていた。
ほかに似たものがあるだろうか。はじめて風邪をひいたことなど、もう思いだしもしない。それ以降、何度も意に反して同じ症状に見舞われた。春は何度もやってきて、冬の凍える寒さに馴れることもなかった。夏に咲き誇る大輪の花はいつでも新鮮さがみなぎっていた。ぼくは結婚を継続という観点で理解しているわけではない。ただのスタート地点として認識していた。だが、決断としては大きなものだ。ぼくがいままでの生活で決めたどのことよりも重大なものだった。それこそ、勉強に打ち込むとか、なにかに没頭するとか、合否は別にしてひとりでできることだった。あとは自分の始動のキーを回すだけ。いまは希美も同じ気持ちにならなければいけない。等しい重力で引っ張られなければ均衡は保てない。
ぼくが重くなることもあり、希美の方が重心をかけることもあった。そのシーソーから互いは逃げることはないが、思いのほか軽くなることはあった。いなくなれば、また行楽地からの帰りの切符を手に入れる。車内は誰もいない。もし、いてもぼくらは軽口を言い合える状況ではない。みな寡黙であり、背中が演技ではなく悲しんでいる。
十一年前の少女はそのタイミングを迎え、自分で決断をすでにしたのだろう。ぼくは確認する術もない。ただうわさできいた。胸騒ぎのようなものもあったかもしれないが、ぼくに小細工も、大幅な変更もできるはずもない。そして、大事なことだが、もうぼくには関係のないことなのだ。長い時間はかかったが、きちんといくつものトンネルを越えて、ぼくはこの地点にもどってきてしまっているのだ。いまは希美の気持ちが比べられるもののないほどに大切なことであり、もっとも近い場所に置いていた。
はしかとか、おたふく風邪とか一度しか発症しないものもある。もちろん、ぼくのざわついた気持ちは病気だからではない。永遠を前にしての抗体をつくることは似ている。予防する理由もない。ただ、一度味わえばよいのだ。そのあとに、快適な免疫ができたぼくらが待っている。
希美を選ぶということは欲張りと呼ばれるのだろうか。ほかの選択肢を検討しなくてもよいのだろうか。ぼくは芝の目を読んでいる。十八番ホールにいて。何人かはホールアウトしている。そして、ぼくの最後のパットを熱心に見つめている。あの十一年前の少女もいる。なぜだか、心配そうだ。ぼくは完璧な道筋を見極めている。軽く叩くとボールは適度なスピードで転がり、すこし左に傾きつつ穴に向かっている。このままいけば入りそうだ。観客は微動だにしない。多分、ここでぼくの運命が決まるのだろう。もしかしたら、明日にもう一度ゲームは続行するのかもしれず、来年は、もうワンランク上の位置にいけるのかもしれない。だが、ぼくはここにしかいない。じっと転がるボールの行く末を見守るしかない。
年齢もあり、生活力のこともあり、平均ということも計算にいれる。しかし、そうしたもろもろのことを抜きにして結婚という未来を考えたのは希美だけだった。いや、無意識では当然のこと計算にいれたのだろう。誰も十二才で相手の親や周りにいる兄弟や親友を説得しようなどとは思わない。世の中は手続きと、それに伴ううんざりするほどの長い行列でできているのだ。反対に七十九才ではじめて結婚したいと芽生えるのもどこかのプログラムの故障かもしれない。偏見という確たるフィルターを通してだが。そして、そう思う相手はぼくにとってひとりで充分だった。
どんな欲張りでも手の指を六本ほしいとは思わないそうだ。形状としても向きとしてもよくできている。さらに、どれほど楽しくてもゴルフの十九ホール目を普通は勝負にも計画にも入れない。ふさわしい数字というのがある。そこに美がある。
ぼくは二十七才だった。希美はすこし年下。何度か恋をしたであろうし、胸を痛めたこともあるだろう。失恋という避けられない帰りの切符も、数回は手にしたことであろう。手放せないほど固く握りしめて。ぼくも同じだった。それから、各駅停車でもどってきた。のどかな風景なども見ずに下を向いて。変化のない足元をじっと見つめて。ところで、急行や特効薬はないのだろうか? せめて準急でも。
その当時になって希美という存在が目の前にあらわれる幸福が訪れる。凱旋門の先に。少し前でも、少しあとでも駄目だったかもしれない。なにが駄目ということもないが、時期やタイミングというのが何にもまして大事なものだというのも経験だけが教えてくれた。
この気持ちは膨らむという類いのものでもなかった。ただ、あったという表現が妥当である。塀のうえには猫がいたとか、電線のうえにスズメが並んでとまっているという映像に似て。大きな音がすれば逃げ去ってしまうのかもしれないが、安全だということが分かると、また元の状態にもどってきた。あそこが殺風景でも、逆に絶景でもとにかく居心地が良いのだ。
そう自分が思っているぐらいだから、希美も同じように感じていると判断していた。無理強いということはぼくらの間柄にはなく、かといって着々とすすめるということにも移行していなかった。当然ながらぼくには前もって練習することも不可能だったし、前年度との比較という相関関係で計ることもできないのだ。すべては最初であり、かつ最後だった。そうなると思っていた。
ほかに似たものがあるだろうか。はじめて風邪をひいたことなど、もう思いだしもしない。それ以降、何度も意に反して同じ症状に見舞われた。春は何度もやってきて、冬の凍える寒さに馴れることもなかった。夏に咲き誇る大輪の花はいつでも新鮮さがみなぎっていた。ぼくは結婚を継続という観点で理解しているわけではない。ただのスタート地点として認識していた。だが、決断としては大きなものだ。ぼくがいままでの生活で決めたどのことよりも重大なものだった。それこそ、勉強に打ち込むとか、なにかに没頭するとか、合否は別にしてひとりでできることだった。あとは自分の始動のキーを回すだけ。いまは希美も同じ気持ちにならなければいけない。等しい重力で引っ張られなければ均衡は保てない。
ぼくが重くなることもあり、希美の方が重心をかけることもあった。そのシーソーから互いは逃げることはないが、思いのほか軽くなることはあった。いなくなれば、また行楽地からの帰りの切符を手に入れる。車内は誰もいない。もし、いてもぼくらは軽口を言い合える状況ではない。みな寡黙であり、背中が演技ではなく悲しんでいる。
十一年前の少女はそのタイミングを迎え、自分で決断をすでにしたのだろう。ぼくは確認する術もない。ただうわさできいた。胸騒ぎのようなものもあったかもしれないが、ぼくに小細工も、大幅な変更もできるはずもない。そして、大事なことだが、もうぼくには関係のないことなのだ。長い時間はかかったが、きちんといくつものトンネルを越えて、ぼくはこの地点にもどってきてしまっているのだ。いまは希美の気持ちが比べられるもののないほどに大切なことであり、もっとも近い場所に置いていた。
はしかとか、おたふく風邪とか一度しか発症しないものもある。もちろん、ぼくのざわついた気持ちは病気だからではない。永遠を前にしての抗体をつくることは似ている。予防する理由もない。ただ、一度味わえばよいのだ。そのあとに、快適な免疫ができたぼくらが待っている。
希美を選ぶということは欲張りと呼ばれるのだろうか。ほかの選択肢を検討しなくてもよいのだろうか。ぼくは芝の目を読んでいる。十八番ホールにいて。何人かはホールアウトしている。そして、ぼくの最後のパットを熱心に見つめている。あの十一年前の少女もいる。なぜだか、心配そうだ。ぼくは完璧な道筋を見極めている。軽く叩くとボールは適度なスピードで転がり、すこし左に傾きつつ穴に向かっている。このままいけば入りそうだ。観客は微動だにしない。多分、ここでぼくの運命が決まるのだろう。もしかしたら、明日にもう一度ゲームは続行するのかもしれず、来年は、もうワンランク上の位置にいけるのかもしれない。だが、ぼくはここにしかいない。じっと転がるボールの行く末を見守るしかない。