繁栄の外で(3)
家の中には、数種類の野球のグローブがあった。ぼくが、机に向かってそろばんを習っているころ、兄は少年野球をしていた。両親が、どういうふうに選択したかは分からないが、そういうことになっていた。いま、考えれば、まさしく我が息子たちは動と静ということなのだろう。
それでも、数種類というのは多かったかもしれない。
兄には、ファーストミットが与えられ、ぼくにもキャッチャーミットがあった。その無骨な形状をぼくは愛していた。実際、学校が終わってから友人たちと集まりあって、野球がうまい子の速いボールを恐れずに受け取るということには、無常の喜びがあった。
なぜか父は、キャッチャーマスクも買ってくれていた。意味もなく、それを家の中で被ってみることもした。それで、適度にやわらかくボールを顔面にあてて、どれほどの強度があるのか測ってみたりした。なんとか持ちこたえそうな感覚だけを手に入れた。
兄は、休日にはユニフォームを着て、弁当をもって近くの河川敷で野球をしていた。何度か、その姿を父に連れられて見に行ったりもした。活躍した瞬間にはともに喝采の声をあげ、エラーなどのときは失望感の混じったため息を漏らしたりもした。しかし、そこでも自分は部外者であったという認識がある。ステージには、自分が立っていないという後ろめたさもある。誰かを、喜ばさないと、という変な焦りがあるのだろう。だが、自分でどうにかそれらのことと結びつけるすべを知らなかった。
それでも、放課後には同じように友人たちといっしょに野球をした。彼らのそれぞれも近隣の少年野球チームにはいり、自分のランクを背丈と同じように伸ばしていった。だから、ぼくと彼らの成長度合いは違くなり、また対象に接しての愛や思い入れも少ないため、一心不乱にうちこむということもなくなっていく。
そうなる前に、家の裏でバットを握り締めひとり素振りをしている自分がある。回数を増やせば増やすほど、その行為は、自分の一部となり、脳が命令している行動とは思えなくなった。しかし、一人で行う行為はやはりひとりだけのもので、なにかを誰かと共有する時間というものの方が大切であると、いまの自分は感じてしまう。それでも、そうしてバットを握って身体を回数を数えながら回転させていると、近所のおばさんたちが声をかけていく。
「偉いわね、がんばってね」
などと、一様にほめ言葉を自分の軌跡として残していった。買い物袋が手にふえたおばさんたちは、家に戻るときも同じように声を掛けていった。
「ありがとう」とか「はい、がんばります」とか自分がいった記憶は残っていない。ただ、ある目標を設定し、そこにたどり着くまでは止めるのをよそうと考えることに夢中になっていた。誰にせかされたわけでもないが、これをしないことには夕方の自分の時間が無駄になってしまうと考えていた。
自分の家からも夕飯の仕度のにおいがする。
「もう、そろそろご飯だから止めにして」
という母の言葉があるはずだ。兄は、ユニフォームを汚して戻ってくるだろう。早番で仕事を終えた父は、野球のナイト・ゲームを観戦しながら、グラスの中のお酒をきょうも空けることになるはずだ。適度な量で終えるか、そうでないかは誰も知らない。
兄は、実際の行為者である。ユニフォームが汚れた分だけお腹が減るらしく、大量にものを口につめこむ。ぼくは、なにかの制服を一度も身に着けていないことに気付く。スポーツの団体としての勝利には、どんな甘美が含まれているかを想像する。それは、とても胸が張れる状態のような気がした。
父は無言でテレビを見ていた。兄は、なにかを解説している。ぼくは、行為者ではなく選手の名前や打率を記憶するということの方に夢中になる。
自分らが、違った習い事をしていることに、互いに関心がなかった。ただ、逆の状態であったならば、ふたりとも三日坊主の烙印をおされたことだろう。それで、ぼくは選手の特徴を言葉にだした。
家の中には、数種類の野球のグローブがあった。ぼくが、机に向かってそろばんを習っているころ、兄は少年野球をしていた。両親が、どういうふうに選択したかは分からないが、そういうことになっていた。いま、考えれば、まさしく我が息子たちは動と静ということなのだろう。
それでも、数種類というのは多かったかもしれない。
兄には、ファーストミットが与えられ、ぼくにもキャッチャーミットがあった。その無骨な形状をぼくは愛していた。実際、学校が終わってから友人たちと集まりあって、野球がうまい子の速いボールを恐れずに受け取るということには、無常の喜びがあった。
なぜか父は、キャッチャーマスクも買ってくれていた。意味もなく、それを家の中で被ってみることもした。それで、適度にやわらかくボールを顔面にあてて、どれほどの強度があるのか測ってみたりした。なんとか持ちこたえそうな感覚だけを手に入れた。
兄は、休日にはユニフォームを着て、弁当をもって近くの河川敷で野球をしていた。何度か、その姿を父に連れられて見に行ったりもした。活躍した瞬間にはともに喝采の声をあげ、エラーなどのときは失望感の混じったため息を漏らしたりもした。しかし、そこでも自分は部外者であったという認識がある。ステージには、自分が立っていないという後ろめたさもある。誰かを、喜ばさないと、という変な焦りがあるのだろう。だが、自分でどうにかそれらのことと結びつけるすべを知らなかった。
それでも、放課後には同じように友人たちといっしょに野球をした。彼らのそれぞれも近隣の少年野球チームにはいり、自分のランクを背丈と同じように伸ばしていった。だから、ぼくと彼らの成長度合いは違くなり、また対象に接しての愛や思い入れも少ないため、一心不乱にうちこむということもなくなっていく。
そうなる前に、家の裏でバットを握り締めひとり素振りをしている自分がある。回数を増やせば増やすほど、その行為は、自分の一部となり、脳が命令している行動とは思えなくなった。しかし、一人で行う行為はやはりひとりだけのもので、なにかを誰かと共有する時間というものの方が大切であると、いまの自分は感じてしまう。それでも、そうしてバットを握って身体を回数を数えながら回転させていると、近所のおばさんたちが声をかけていく。
「偉いわね、がんばってね」
などと、一様にほめ言葉を自分の軌跡として残していった。買い物袋が手にふえたおばさんたちは、家に戻るときも同じように声を掛けていった。
「ありがとう」とか「はい、がんばります」とか自分がいった記憶は残っていない。ただ、ある目標を設定し、そこにたどり着くまでは止めるのをよそうと考えることに夢中になっていた。誰にせかされたわけでもないが、これをしないことには夕方の自分の時間が無駄になってしまうと考えていた。
自分の家からも夕飯の仕度のにおいがする。
「もう、そろそろご飯だから止めにして」
という母の言葉があるはずだ。兄は、ユニフォームを汚して戻ってくるだろう。早番で仕事を終えた父は、野球のナイト・ゲームを観戦しながら、グラスの中のお酒をきょうも空けることになるはずだ。適度な量で終えるか、そうでないかは誰も知らない。
兄は、実際の行為者である。ユニフォームが汚れた分だけお腹が減るらしく、大量にものを口につめこむ。ぼくは、なにかの制服を一度も身に着けていないことに気付く。スポーツの団体としての勝利には、どんな甘美が含まれているかを想像する。それは、とても胸が張れる状態のような気がした。
父は無言でテレビを見ていた。兄は、なにかを解説している。ぼくは、行為者ではなく選手の名前や打率を記憶するということの方に夢中になる。
自分らが、違った習い事をしていることに、互いに関心がなかった。ただ、逆の状態であったならば、ふたりとも三日坊主の烙印をおされたことだろう。それで、ぼくは選手の特徴を言葉にだした。