繁栄の外で(7)
品物などを通して物事を捉える話である。
子供のころは、お小遣いをもらって生活する。限られた範囲内で、楽しめるものを探す。簡単にお金は消費されるものであると理解する。
その貰い方だが、自分と兄は受け取り方が違かった。ぼくは、月初めに多分、1,500円ほどもらった。その中から、漫画の単行本などを買い、月末まではいくらか、わずかであるが残ったようにも記憶している。
兄は、何回か一遍に受け取る方法をとったようにも覚えているが、最終的に一日、100円ずつという契約が取り交わされる。まとまって、何かを購入するということは出来ないが、日々、消費するという楽しみは掴めたわけだ。結局、自分は半分しかもらっていないことになるが、飼い主に従順な犬のように、母親の買い物に同行し、なにかをせがめば、そこで買ってもらったりするので(要領のよさがあるわけだ)収支は、同じぐらいであったかもしれない。
はなしは逸れるが、まだ専業主婦であった母親の買い物はひとつのイベントのようになる。いまの仕事をもっている一般的な母親だとすれば、仕事の帰りにあわててスーパーにでも駆け込み、家までの最短コースが頭に入っているであろうが、我がラテン気質の母親は、商店街までの道中15分ぐらいあったはずだが、数分ごとに挨拶をする人があらわれ、そこで立ち話がはじまる。そこで飼い主に従順である犬のような自分は、そこらをくるくる廻る。のちにゲームを何回かした自分は、突如あらわれる敵と対峙する主人公を母親と同じように意識する。毎度、数十分の攻防があり、買い物に成功するわけだ。そのお駄賃として、小遣いの損失分を補填する自分がいたのだ。何度かは、買いたい本や漫画も購入してもらえる。
この母親のやり取りを見続けたために、自分はひとと会話する能力が、いくぶん足りないのではないかと考えてしまう。それは、また別の話である。
それで、自分個人として働き始めるまで、(ひとより意外とはやく来た)親のすねをかじっているわけだが、限られたお金の使い道を効率的にする方法を自然と覚えていく。
前に戻るが、まとまったものがほしい。まとまってないならいらない、という変則的な考えが頭のなかを占めだす。これは愛のはなしである。
小さなものをちょこちょこ消費するという考えが受け入れにくくなる。こちらは、まとまった完成形がほしいのである。お小遣いから強引な展開になるが、そんな思考回路がぼくの頭の中にできあがった。しかし、そんなまとまったものは、あまり見つかるはずもなく、少しずつ消費する人間を羨望のまなざしを布団のようなものでくるみながら心の奥に持っている。
学生時代になれば、他の子たちは部活帰りなどに焼き鳥を買い食いしていた。自分の家は、食べ盛りの男の子三人分の食物が大量に準備されているため、そのような仲間の一員に加わることは少なかった。
運動部の練習がない夕方などに、足をこたつに突っ込み、ミルクティーなどを数杯のみ、チョコレートをむさぼりくっている自分の姿が目に浮かぶ。それは、幸せの象徴のようなイメージだ。そうした姿は、お小遣いを他のことに使える喜びともなるはずだ。
そのころには、電車で20分ほどの小さな都会に行くようになり、アクションだらけの映画をみたり、両親の支配下から抜け出した洋服を買うことになる。しかし、世界はまだまだ小さなものであり、自分の活動範囲など限られたものだった。
会うべき人間も少なく、知っている人間の生活レベルもそう大きな差はなかったはずだ。
自分がどのように世界と立ち向かい(大げさです)どのような方法でお金を稼ぐのかなど、考えることもなくぬくぬくと成長してしまった。今月のお小遣いはなしです、という宣言がもし一度でもあれば、危機管理ができたかもしれないが、それもまた幸福の姿ではないと思うので、自分の幼少期の幸福を、現在ではありがたく感じるのであった。
今でもまとまった方法で、なにかがほしいという希望を生活の基盤にしたい自分がつくられた記録です。
品物などを通して物事を捉える話である。
子供のころは、お小遣いをもらって生活する。限られた範囲内で、楽しめるものを探す。簡単にお金は消費されるものであると理解する。
その貰い方だが、自分と兄は受け取り方が違かった。ぼくは、月初めに多分、1,500円ほどもらった。その中から、漫画の単行本などを買い、月末まではいくらか、わずかであるが残ったようにも記憶している。
兄は、何回か一遍に受け取る方法をとったようにも覚えているが、最終的に一日、100円ずつという契約が取り交わされる。まとまって、何かを購入するということは出来ないが、日々、消費するという楽しみは掴めたわけだ。結局、自分は半分しかもらっていないことになるが、飼い主に従順な犬のように、母親の買い物に同行し、なにかをせがめば、そこで買ってもらったりするので(要領のよさがあるわけだ)収支は、同じぐらいであったかもしれない。
はなしは逸れるが、まだ専業主婦であった母親の買い物はひとつのイベントのようになる。いまの仕事をもっている一般的な母親だとすれば、仕事の帰りにあわててスーパーにでも駆け込み、家までの最短コースが頭に入っているであろうが、我がラテン気質の母親は、商店街までの道中15分ぐらいあったはずだが、数分ごとに挨拶をする人があらわれ、そこで立ち話がはじまる。そこで飼い主に従順である犬のような自分は、そこらをくるくる廻る。のちにゲームを何回かした自分は、突如あらわれる敵と対峙する主人公を母親と同じように意識する。毎度、数十分の攻防があり、買い物に成功するわけだ。そのお駄賃として、小遣いの損失分を補填する自分がいたのだ。何度かは、買いたい本や漫画も購入してもらえる。
この母親のやり取りを見続けたために、自分はひとと会話する能力が、いくぶん足りないのではないかと考えてしまう。それは、また別の話である。
それで、自分個人として働き始めるまで、(ひとより意外とはやく来た)親のすねをかじっているわけだが、限られたお金の使い道を効率的にする方法を自然と覚えていく。
前に戻るが、まとまったものがほしい。まとまってないならいらない、という変則的な考えが頭のなかを占めだす。これは愛のはなしである。
小さなものをちょこちょこ消費するという考えが受け入れにくくなる。こちらは、まとまった完成形がほしいのである。お小遣いから強引な展開になるが、そんな思考回路がぼくの頭の中にできあがった。しかし、そんなまとまったものは、あまり見つかるはずもなく、少しずつ消費する人間を羨望のまなざしを布団のようなものでくるみながら心の奥に持っている。
学生時代になれば、他の子たちは部活帰りなどに焼き鳥を買い食いしていた。自分の家は、食べ盛りの男の子三人分の食物が大量に準備されているため、そのような仲間の一員に加わることは少なかった。
運動部の練習がない夕方などに、足をこたつに突っ込み、ミルクティーなどを数杯のみ、チョコレートをむさぼりくっている自分の姿が目に浮かぶ。それは、幸せの象徴のようなイメージだ。そうした姿は、お小遣いを他のことに使える喜びともなるはずだ。
そのころには、電車で20分ほどの小さな都会に行くようになり、アクションだらけの映画をみたり、両親の支配下から抜け出した洋服を買うことになる。しかし、世界はまだまだ小さなものであり、自分の活動範囲など限られたものだった。
会うべき人間も少なく、知っている人間の生活レベルもそう大きな差はなかったはずだ。
自分がどのように世界と立ち向かい(大げさです)どのような方法でお金を稼ぐのかなど、考えることもなくぬくぬくと成長してしまった。今月のお小遣いはなしです、という宣言がもし一度でもあれば、危機管理ができたかもしれないが、それもまた幸福の姿ではないと思うので、自分の幼少期の幸福を、現在ではありがたく感じるのであった。
今でもまとまった方法で、なにかがほしいという希望を生活の基盤にしたい自分がつくられた記録です。