繁栄の外で(10)
15歳から16歳になろうとしている少年を知っている人数など、たかがしれているだろうが、それでも自分の選択として、自分の存在を知っている人間がひとりもいない学校に行きたかった。過去の生き方を、どうしても変えたかった。彼らは、ぼくに何らかのイメージをあてはめ、つまらない生き方を強要しそうな気がした。結果として、ぼくの学校からも数人が受験をしたはずだが、結局はぼくの過去をしっている人間がいないところにもぐりこめた。前科を暴かれることを恐れる人のように一時の自由があった。
あそこまで、いきなり勉強したのだから報いとして生涯の師のようなひとにめぐり合える希望をもった。たとえば、生き方のヒントをくれそうな。しかし、そんなに世の中は簡単なものではなく、どの人も生き方に汲々とした先生ばかりで、生活に追われているような人ばかりだった。もちろん、いまのぼくは日々の生活費を稼ぐことをみくびってもいないが、当時は、人生はいま開かれるような感じがしており、まっとうな漂白された人格を作り上げようと小さな野望をもっていた。そこで、わたしの最初の挫折である、師をみつけられないということが起こった。その後も、どんな音楽を聴けばクールであるとか、どんな美術作品を覚えておくべきとかを教えてくれるようなひとは決して現れなかった。ただ、暗闇を手探りして探求するような自分だけが残った。
そこは、スポーツも強いところで、ぼくもそのクラブに入った。しかし、自分がいまいるランクを測れることが生きる指針のひとつならば、自分はすぐに悟った。世界にはすごい能力をもっている人間たちがいるのだと。多分、一生ボールを地面に落とすことなく、サッカーのリフティングを続けられる人がいることを。いまの目で見れば、バルセロナの長髪のキャプテンみたいに小賢しいテクニックより、強靭な身体とガッツを身につける方法もあったかもしれないが、(そんな身体には当然生まれていない)さっさとあきらめてしまった。
こうして、なんの希望ももてないまま、つくらないまま日々は過ぎていった。
退屈なので、学校に電話をかけては授業をさぼった。さぼった人間がどこにいったかと言えば、暗闇である映画館だった。「ライト・スタッフ」という宇宙飛行士が作られている過程を見て、やっぱり自分も一流の人間に仕立て上げようという安易な考えに支配されていく。でも、このまま学校でなにも学べないまま、いてもいいのだろうかと心配になる。近道を取るのか? 遠回りを取るのか? 近道は意外と遠かったということを、いまの自分は実感している。
いくつかの思い出はある。中間だか期末試験を受けている。見回りには高校野球の監督をしている先生が、ぼくの横をとおり、「君は良い身体をしているな」と、優秀な奴隷を見つける商人のような視線でぼくに声をかけた。過去の運動がものをいっていた時期なのだ。なんか返事をしたと思うが、かれの支配化には、もっとたくさんの猛者がいることも自分はしっていた。その目が、ぼくをそういう目で見たことに驚いた。
また中学が併設されてもいた。学校の一部を掃除しなければならないが、そこの監視役は中学の女性の先生であった。ぼくは、となりに並んで授業をうけている生徒たちより、彼女を好意のまなざしで見た。こうして、年上でしっかりとした女性への憧れが自分の体内にあることを知る。
3ヶ月の通学定期が切れ、あと数日は通学ルートを変えた。途中の池袋で放課後をすごすことを覚え、そのまま山手線を、自分の家の反対方向に向かっていった。世界はひろがりはじめていた。新宿、渋谷。最後は渋谷から代官山に行った。いまの華美すぎるきらいのある街ではなく、もっとシックで落ち着きのある街だった。東京のはずれに住んでいた自分は、世界はここだけであるというつまらない観念が崩壊していくのを覚えた。夕方から飲んでいるおじさんたちの町から、自分は抜け出さないといけないということを切に願った。そのためにはコンプリートな形で知識をため込み、社会の役にたつような人格を装備させる必要があることを知った、いやこの辺がどのように作用したかはしらないが、とにかく、自分もほこるべきなにかを必要としていたのだ。はっきりといえば、16歳の裸の人間には、社会的な衣服を着させる必要と意欲を感じ始めていた。
だが、あのつまらない学校に残っても、そのような目的を達成することは不可能ではないのかと短絡的な考えにくるまれる。
それで、ひと夏、去年とは違ったかたちで、悶々とすごす。解答をみつけられるほど成熟しているわけもなく、しかし、早急に納品を迫られている。
15歳から16歳になろうとしている少年を知っている人数など、たかがしれているだろうが、それでも自分の選択として、自分の存在を知っている人間がひとりもいない学校に行きたかった。過去の生き方を、どうしても変えたかった。彼らは、ぼくに何らかのイメージをあてはめ、つまらない生き方を強要しそうな気がした。結果として、ぼくの学校からも数人が受験をしたはずだが、結局はぼくの過去をしっている人間がいないところにもぐりこめた。前科を暴かれることを恐れる人のように一時の自由があった。
あそこまで、いきなり勉強したのだから報いとして生涯の師のようなひとにめぐり合える希望をもった。たとえば、生き方のヒントをくれそうな。しかし、そんなに世の中は簡単なものではなく、どの人も生き方に汲々とした先生ばかりで、生活に追われているような人ばかりだった。もちろん、いまのぼくは日々の生活費を稼ぐことをみくびってもいないが、当時は、人生はいま開かれるような感じがしており、まっとうな漂白された人格を作り上げようと小さな野望をもっていた。そこで、わたしの最初の挫折である、師をみつけられないということが起こった。その後も、どんな音楽を聴けばクールであるとか、どんな美術作品を覚えておくべきとかを教えてくれるようなひとは決して現れなかった。ただ、暗闇を手探りして探求するような自分だけが残った。
そこは、スポーツも強いところで、ぼくもそのクラブに入った。しかし、自分がいまいるランクを測れることが生きる指針のひとつならば、自分はすぐに悟った。世界にはすごい能力をもっている人間たちがいるのだと。多分、一生ボールを地面に落とすことなく、サッカーのリフティングを続けられる人がいることを。いまの目で見れば、バルセロナの長髪のキャプテンみたいに小賢しいテクニックより、強靭な身体とガッツを身につける方法もあったかもしれないが、(そんな身体には当然生まれていない)さっさとあきらめてしまった。
こうして、なんの希望ももてないまま、つくらないまま日々は過ぎていった。
退屈なので、学校に電話をかけては授業をさぼった。さぼった人間がどこにいったかと言えば、暗闇である映画館だった。「ライト・スタッフ」という宇宙飛行士が作られている過程を見て、やっぱり自分も一流の人間に仕立て上げようという安易な考えに支配されていく。でも、このまま学校でなにも学べないまま、いてもいいのだろうかと心配になる。近道を取るのか? 遠回りを取るのか? 近道は意外と遠かったということを、いまの自分は実感している。
いくつかの思い出はある。中間だか期末試験を受けている。見回りには高校野球の監督をしている先生が、ぼくの横をとおり、「君は良い身体をしているな」と、優秀な奴隷を見つける商人のような視線でぼくに声をかけた。過去の運動がものをいっていた時期なのだ。なんか返事をしたと思うが、かれの支配化には、もっとたくさんの猛者がいることも自分はしっていた。その目が、ぼくをそういう目で見たことに驚いた。
また中学が併設されてもいた。学校の一部を掃除しなければならないが、そこの監視役は中学の女性の先生であった。ぼくは、となりに並んで授業をうけている生徒たちより、彼女を好意のまなざしで見た。こうして、年上でしっかりとした女性への憧れが自分の体内にあることを知る。
3ヶ月の通学定期が切れ、あと数日は通学ルートを変えた。途中の池袋で放課後をすごすことを覚え、そのまま山手線を、自分の家の反対方向に向かっていった。世界はひろがりはじめていた。新宿、渋谷。最後は渋谷から代官山に行った。いまの華美すぎるきらいのある街ではなく、もっとシックで落ち着きのある街だった。東京のはずれに住んでいた自分は、世界はここだけであるというつまらない観念が崩壊していくのを覚えた。夕方から飲んでいるおじさんたちの町から、自分は抜け出さないといけないということを切に願った。そのためにはコンプリートな形で知識をため込み、社会の役にたつような人格を装備させる必要があることを知った、いやこの辺がどのように作用したかはしらないが、とにかく、自分もほこるべきなにかを必要としていたのだ。はっきりといえば、16歳の裸の人間には、社会的な衣服を着させる必要と意欲を感じ始めていた。
だが、あのつまらない学校に残っても、そのような目的を達成することは不可能ではないのかと短絡的な考えにくるまれる。
それで、ひと夏、去年とは違ったかたちで、悶々とすごす。解答をみつけられるほど成熟しているわけもなく、しかし、早急に納品を迫られている。