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繁栄の外で(9)

2014年04月23日 | 繁栄の外で
繁栄の外で(9)

 あれほどまでに規定の枠内(たぶん、文部省推薦であろう)の勉強をした時期はなかった。大好きだった陸上の練習への熱も冷め、その後の大会にも興味をなくし、大体が極端に動く人間であるが、その最初の萌芽のあらわれであろう。

 頑固な人間であるので、一日だけでも大会のメンバーに加わってくれ、と先生に諭されるが、答えとしては、「高校受験のなんの足しにもならない」という冷酷な言葉が自分の口から出る。数ヶ月前までは、他人の顔をクリーンヒットすることを目的にしていた人間がである。なんとも厭な人間の誕生だ。

 頭の中にあるプランを実行することの喜びと義務の両方を知る。誰に頼まれたわけでもないが、問題集を数冊買い求め、それを着々とこなしていった。その証拠として、どのページも鉛筆の黒と、間違いを訂正した赤ペンで埋められていく。多くのことがそうであるが、一度、失敗したことや間違いは、はっきりと胸に刻まれる。だが、大人になって故意に同じ間違いを繰り返すのは、また別問題である。

 秋になって、冬に移り変わろうとしている。ぼくにも、最初のガールフレンドが出来たわけだが、電話がかかってきても、優しい言葉を話すわけでもなく、ただ自分の義務感をおこなうことだけを最優先にする。こうして、その女の子には、納得の出来ない疑問、「彼は、わたしを必要としているのか?」ということが芽生えたであろうことは、25年も経った大人の自分は判断できる。だが、もうその当時は、違う学校にでもいってしまえばこの関係も自然に終わってしまうだろう、とかすかに感じ始めていた。これまた、何人かの女性の頭のなかに同じ疑問を宿させたことは、学習できないことがまた確かに存在することの証明でもある。「いったい彼は、わたしを必要としているのか?」

 2月になって試験がある。その前に、あまりに極端に勉強しだした自分に母親が心配するようになる。我が家庭の雰囲気は、そんなアカデミックなことにそもそも向いていないのだ。それで、「根をつめすぎないように」という言葉をもらう。その意味が当時はわからなかったし、根本的には、いまでも分かっていないと思う。なにかに夢中になったときの恍惚感と引き換えられるものなど、なにもないだろう。

 試験の前に、風邪がはやる。自分もひいてしまったが、すぐ直っても勉強の最後の仕上げとして、学校には行かない方向もありだな、と家にこもり目的を達する。

 また再び、学校に行くと2月のチョコレートの時期で、交際していた子にももらったはずだが、下級生の何人かにももらった。その一人の子には、小さな手紙がついていて、「あんまり、学校を休まないでください、心配します」というような内容の言葉が連ねられていた。もう、その子はそんな言葉を自分が書いたことも忘れているだろうが、(数時間前までの自分も忘れていた)きっとそれも数々の宣告と同じように、体調が多少悪くても、仕事を休めなくなってしまった自分が作られていくのだろう。

 それから、ある高校に自分は受かり、またもや安きに流れる自分を再発見することになる。勉強は最低の集中力で、あとは友人たちとふざけて過ごしたいという雰囲気で残りの一ヶ月を過ごす。

 その間に高校の制服の採寸をし、教科書やらを買い集め、最後の学校ないの行事での遠出である「筑波博」に行った。もう親しかった友人たちとの交友も終わってしまうんだな、ということを身にしみて実感する。

 案の定、その当時のガールフレンドとの交際の発展性はなくなり、(ずるいことにもう一人の女性を愛と呼べるほどに好きだった)すべての物事がそうであるように最終的な終止符がないまま終わりを告げる。

 卒業式があり、そのころによく利用するようになっていた喫茶店で数人の友人たちとあつまって昼食を食べた。あと半年ぐらいすればなじみの居酒屋ができてしまったので、短い期間であったがぼくらがたむろするところでもあった。

 このように楽しかった三年は終わろうとしていた。たまにこの当時を振り返って、自分と250人ほどの同級生役のエキストラという思い上がった感じが浮かぶ。そのぐらい、自分中心に動き生きてきた。そのくせまだ自分の人生では、一円も稼いでいないだろう。しかし、我が所属する国家は、繁栄期を迎えようとし始めていた。あの感覚とその頃、ただよっていた空気感を、いまの子たちは知らないんだな、という変な焦りが自分にある。
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