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11年目の縦軸 38歳-25

2014年04月12日 | 11年目の縦軸
38歳-25

 中学生時代の恩師が亡くなり、ぼくらは常磐線をくだった。あまりにも早い幕切れは突然過ぎて悲しみを起こす原因にはならず、大人に満たないぼくらにとって涙や鼻水を誘う胡椒の攻撃にも達せず、思いがけなく巡ってきた同窓会の役目しか担わなかった。ぼくらは何度もその先生に厳しく叱られた。そこに愛情があふれているのはときには理不尽な場合があっても、根底にしっかりとあることはぼくらのしびれた足を抜きにしても伝わっていた。

 ぼくは絵美にそのことを話していた。男の子という無慈悲な存在の妥当な証拠のように。

 絵美のひざの上にはぼくの学生時代のアルバムがのっている。尊敬するひとということを話題にしていた。最初のうちは両親であったり教師であったりする。野球選手や漫画家なども加わる。そのうち、伝説のミュージシャンとか、自分好みの理想をつくりあげる。自分には当時もいまも即答できるものがなかった。だが、何人かの先生の顔をひさびさに見て、悪い気持ちはしなかった。

「だから、この先生いないんだ。とっくにだけど。いても、みんな会うことももうないけどね」

 死と別れなどの区別は明確にない。それは先生に限ったことではない。ここにいる二百人ぐらいだろうか、もうほとんどは会わない。カラー写真として貼り付けられたぼくらもおじさんになり、おばさんになる。誰もその待ち受ける未来を知らないかのように個性を奪われる黒い制服に身を包んで、笑ったり、むっつりしたりしている。

 時間の流れが個人によって早い遅いはあるにせよ、悪いことばかりでもない。女性のこころや身体は一瞬にせよ自分のものになったこともあるのだ。この当時のぼくらには夢よりもっと遠い事柄だった。同じ部屋で寝て、同じ部屋で起きる。肌が密着しないように校庭でおっかなびっくりダンスを踊った仲よりましだった。同時にやりきれない傷も受ける。生きている間は、その対象となるべき相手を必死に探し、求めつづけ、代償として痛みも感じた。そうしないわけにはいかなかったのだ。ぼくは希美の身体にくるまれ安心した夜を思い出す。もし、あの暖かさがなかったら、ぼくは壊れる寸前まで追い込まれることも避けられなかった一夜が確かにあった。ぼくは冬山で遭難したひとのように希美の問いかけで生き延びた。なぜ、ぼくはあれほどまでに真剣過ぎたのだろう。そして、友情という範疇で満足せずに、ひとりの異性にたくさんのものを求めてしまうのだろう。

「どの子が好きなの?」
「さあ、どの子だったろう」

 絵美はひざの上からアルバムを持ち上げ、ぼくの胸の前に突き出して、点検するかのように促した。ぼくは過去というものが温情に厚くないことを知っていた。理由のひとつは、あのときの彼女はあのときのままでここにいた。ぼくは彼女から愛を受け、彼女の所為でもないが自分の身に傷を与えた。そのことをこの写真の彼女は知らない。数か月後にぼくらの運命はそうなった。第一楽章が終わった瞬間に演奏が見事だったので興奮してひとりで拍手をしてしまった恥ずかしさと厚顔の喜びをぼくはこの写真から受けた。

「このページにいるひと?」
「そうかもね」
「黙ってて、指ささないで、当てるから」と言って絵美はもう一度、自分のひざのうえにアルバムをのせた。

 絵美は半分ほどいる女性たちの名前をひとりずつ読んだ。読み方を間違えているひともいたが、訂正できるほど自分にも自信がなかった。忘却の彼方に消えた人物も数人いる。同じ学校に三年間も通ったのに、なにひとつ印象をのこしてはくれなかった面々。反対側から見れば、ぼくのことも忘れてしまった、あるいは最初から興味を起こす要因がひとつもないということも考えられた。

「この子でしょう?」急に絵美がひとりの少女を指差した。

「あたり」

 本当は、間違っている。だが、いまになってみれば、どちらでもよい気がしていた。本命の彼女はちょうど左となりに写っていた。ふたりを並び比べてどれほど違いがあるのか、もう判断する材料があまりにも乏しすぎた。テレビはどのメーカーでもテレビである。それだけ過去は遠退いてしまったのだろう。

「やった。さすが、わたし、わかってる」と嬉しそうに絵美がつぶやく。このいまの状態がここちよければ真実など曖昧のままでよく、本音を告げるとか、追求するとかはどうでもよかった。そして、自分の二十年前の表情も詳細な点を明らかにすることも望まず、かといって疑念もなく、絵美を見つけた自分を誇らしく思っているかのように笑っていた。

 そして、この固めの紙面にいるぼくも数か月後の自分のことさえ知らないのだ。自分の気持ちは相手に伝わり、相手も嫌いではなかったという単純な事実も。もっと先には結婚したい相手もみつかったこと。いまはこうして午後の時間をきれいな女性とじゃれ合っていることなども。もう少し勉強するんだったなと兄のような甘美な気持ちで教えてあげたいが、自分は自分だからなという肯定的なあきらめも存分にあった。ここにたどり着くまでの主張もしない路傍の小石のひとつひとつが美しかった。三つの峰もそれ以上に計り知れないほど魅惑的だった。
コメント
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